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イエスとブッダの共通点とは? 真理真実とは?

1 :名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 09:17:34 ID:veSH3TYW
イエスとブッダの言う真理真実とは何ですか?

2 :名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 21:02:49 ID:bRmXdkJN
俺が2をゲッドしたのは紛れもない真実!

3 :名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 22:44:07 ID:veSH3TYW
>>2
それは事実であって、真実ではない。真実は空である。

4 :名無しさん@3周年:2006/08/15(火) 23:53:35 ID:V9plqU9h
一般的に言うと、イエスには真理がなく、ブッダに真理がある。

5 :名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 00:00:47 ID:0BIPhXjP
ブッダは、
「人を生い立ちで判断するな。行動を見て判断しなさい。」
イエスは、
「人を裁くな。まず目の前の梁を取れ。」

仏教は、正しく生きましょう。
キリスト教は、正しくないから正しく生きましょう。

6 :名無しさん@3周年:2006/08/16(水) 08:48:56 ID:LnGjljRS
>>3
事実は縁起したものであり、相対的存在であるから。

7 :名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 18:55:42 ID:C815AiOD
真理というのは、天国に至る生き方のこと。

8 :名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 20:56:42 ID:iCFQe4ii
だけどさ、キリスト教でも仏教でも、与えよ与えよと教える。これは賄賂の推奨であるとも取れないだらうか?

9 :承狂:2006/08/17(木) 22:36:58 ID:c9jnxdtP
だけどさ、仏教では施した事に囚われず、サッサと忘れろと続くんだ。
此は賄賂の推奨とは取れないんじゃなかろうか。

10 :名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 22:56:18 ID:D53GdS1v
後世、金集めに利用されたこと。

11 :承狂:2006/08/17(木) 23:05:27 ID:c9jnxdtP
それを言われるとグウの音も出ないんだけどさ。


12 :名無しさん@3周年:2006/08/17(木) 23:08:15 ID:PrDE/iju
キリストは見てもらおうとして人前で施しをするなと言ったね

13 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/20(日) 09:23:12 ID:Lf0Fo7ln
「神はいる」という霊の言葉があった。その言葉を聞いてから、人が死ねば意識活動もなくなり、無になるのだから人格的な神を知る
世界は永遠に無いと考えていた私は間違いかもしれないと思うようになった。

私の信じたことは正しい、お前たちの信じていることは間違っていると論じている人は、「お前にあるのは心の闇だ」と言われ、その
人々はかえって善いところから遠ざかる。「愚か者よ、愚か者よ」と言葉で責め立てられ、その悪い心とともに、その人は神に忌み嫌
われている。

【人々のあやまちをゆるす】
―人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう―(イエス)
―他人の過失を探し求め、つねに他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する―(ウダーナヴァルガ)

【そしりなどを忍ぶ】
―われはひとのそしりを忍ぼう。多くの人は実に性質が悪いからである―(ダンマパダ)
―のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ―(イエス)

【善悪】
―へびは女に言った〜神のように善悪を知る者となることを―(創世記)
―あなたは悪魔の征服者です〜あなたは善悪の両者に汚されません―(スッタニパータ)


14 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/20(日) 09:23:47 ID:Lf0Fo7ln
【重荷をおろした人】
―重荷をおろした人、債務のない人よ。世の中を歩め―(サンユッタ二カーヤU)
―すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう―(イエス)

―身に適したふさわしいことを為し、重い荷に堪え、努力する人は、財を得る―(サンユッタ二カーヤU)
― 一切の生きとし生けるものは、目的をめざして生まれたものである。あちらでも、こちらでも、それぞれの分に応じて―
(サンユッタ二カーヤU)

【負債】
―負債なき人よ、世間を歩みたまえ―(サンユッタ二カーヤU)
―わたしたちの負債をもおゆるしください―(イエス)

■神からの嫌われ者
自分たちの信じたもの、自分たちの行っていることは正しいとし、神に代わって人々の考え方を無理に変えようとする人々が神に嫌わ
れている。神を信頼することなく、人々のあやまちをゆるすことなく、お前たちもこちらが正しいと信じよ、別のものは劣っているか、
間違いであると言う人々が神に忌み嫌われている。

―そなたは人として人々に対する欲望を制しなさい―
―世の中のどこにも、わたしは害を見ない。それ故に、一切の生きとし生けるものどもを憐れみながら、われは眠る―(サンユッタ二
カーヤU)



15 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/20(日) 09:25:07 ID:Lf0Fo7ln
■害ある人
人はそれぞれとすることなく、人々のあやまちをゆるすことなく、人々の考えを統一的なものに支配させようとする人は害ある人。
他の人はそれぞれに信じたことも正しいだろうし、他の人はそれぞれに信じなかったこともその人にとっては正しいだろうし、人とし
て人々に対する欲望を制するなら害のない人となる。

■神が止めよと言う事
天国からの手紙、感動のアンビリバボーなどは「ゆるす」と言われたが、TVやインターネット、TVゲーム、デジタルカメラに夢中にな
ることなどは、快く思われていない。心が渇き、決して潤うことはない。しかし、止めよと言われても少しは見たい、楽しみたい。以
前よりだいぶんしなくなった。しかし、それらを楽しんだ場合は、聖典を読み、心の清らかさを取り戻そうとしよう。

■枝
通常の生活は認めて、享楽などを離れること、金銭欲や物欲から離れることなどが、神の求める事であったが、お経やお香なども神は
否定しない。お経やお香とも聞いたから。

 『心』と言われたから、理論や理屈で信じ、これが正しい、あれは間違っているという人は否定されるだろう。理屈を超え心より
 信仰がある人は受け入れられているように感じる。そして、その人々を否定的に思う人が悪い者と思われているように感じるし、
 宗教論議で優越を争うよりも、自分の心が渇き、決して潤うことがない行為を慎め、或いは止めよと語るのである。 

親を尊敬すること、友だちを大切にすることなど一般に認められることや特殊なことまで共通点はあるが、霊の世界は存在し、人格的
な神は架空のものではなく存在する。その人の正しいことは神が決められることであって、人間がその人に対しこの信仰が正しいと言
い張り争いを持ちかけ、人の心を無理に変えようとする行為のほうが実に恐ろしい。
 

16 :名無しさん@3周年:2006/08/20(日) 22:44:47 ID:8WhWySnj
TVよりも釣り(必要性の低い殺生あ)等を止めろというと思うが。
神は。

17 :名無しさん@3周年:2006/08/21(月) 21:11:31 ID:4n+ZiRe5
何はともあれ,真理真実は常に尊重されるべきだろう。

18 :名無しさん@3周年:2006/08/22(火) 23:50:53 ID:xc7pR0av
イエスもブッタも光明を得たのが共通点
相違点は、イエスは弟子が馬鹿だったこと。
マトモだった奴は娼婦のマリアだけだったろう。

19 :名無しさん@3周年:2006/08/22(火) 23:53:32 ID:xc7pR0av
だから、イエスの言う真理とは何かなんて、新約聖書どこまで読んでも解りはしない。
ブッタの言う真理は禅宗が本筋に近い。

20 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 00:02:10 ID:mJwowjrx
宗教からは何の真理も得られない。
それでは、真理を得たのは誰?
イエス?ブッタ?
イエスもブッタも宗教など興してないだろう?
真理を得たい者が作った宗教。
すでに、様々な取り決めを創造し、その束縛の中で生きよ!という宗教の中で
どうやって真理を知ることができる?

宗教の呪縛から逃れている者のほうが、まだ真理に近いのでは?

21 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 17:26:31 ID:2e2RJ4Cw
真理真実と,宗教,哲学を区別するな。仏教を学んだものはその様に言うべきだ。
真理真実には,科学的真実真理をも当然含む。
 真理としては縁起であり、真実は空である。 

22 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 18:59:47 ID:2e2RJ4Cw
無常経について述べよ 

このように私は聞いた。
あるとき、仏陀はサーヴァッティのジェータ林にあるアナータピンディカの園に留まっておられた。
そのとき、仏陀は諸々の比丘にお告げになった。

「色は無常であると観なさい。このように観ることを正観するという。
正観する者は必ず厭離する。厭離するものは喜貪が尽きる。
喜貪が尽きた者を心解脱するという。

 ●色とは我々が認識している色と形である。色は色相である。赤青黄色と言うように。
赤青黄色は必ず形を持っているものと認識する。赤色を例に取れば、赤色は赤い色で無い色に取り囲まれている。それは形である。
青、黄色に付いても同様である。
 次に、赤色はその周囲を取り巻く赤色で無い色が無ければ存在し得ない。黄色青色に付いても同様である。
赤色の周囲を取り巻く色に付いても、赤色が取り去られるならば、それは存在しない。
従って赤色とその周囲の色は相依関係にあるといわなければならない。そうであれば、赤色としての実体(自性:個性)が無いといわなければならない。
赤色の周囲の色も同様である。即ちすべての色は実体自性個性が無いのである。
 自性個性実体あるものは常にあるものといわなければならない。しかし今、上に言ったようにすべての色には自性個性実体が無いのである。
 色は形でもあると言ったが付言しよう。
 赤色はその周囲の別の色に取り囲まれて始めて存在しているのであるが、その時必ず形を形成している。


23 :名無しさん@3周年:2006/08/23(水) 19:13:37 ID:2e2RJ4Cw
>>22
上は削除

24 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/24(木) 22:39:39 ID:jalDtp2E
■人を頼りとしないほうがよい
人に依存せずに、仏典や聖書から学ぶほうがよいと考えていたら、「そのほうがよい」と。
仏典や聖書は真理・真実にもとづく生き方が書いてあるものなので、熱心に学び、それぞれの人が自分に見合った生き方を求めること
が、それぞれに相応しい生き方ができる。『身に適したふさわしいこと』はその人しかわからないからだろう。
―この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころと
せずにあれ―(大パリニッバーナ経)

 そして、その人が善いものと学んだことが、その人にとって最も善い信仰となると思う。霊の言葉を聞いても、そのほうがよいと
 いうような返事だった。

■人間のことをわかってもらえないだろうか
映画やTV、デジタル家電などを楽しめる人間である。神ならそのような人間であることもわかってもらえるだろう。そのように考えて
いたら、「それは人間の欲なことである」「それが左となる」と。神は人間の欲なことを戒める存在だろう。魚釣りのことは答えてく
れない。TVを観ていたら「罪」だと言われるし、無視して観ていると「敵」だと言われたこともある。霊からは気に入らないことのよ
うだ。仏典や聖書を読めばわかるような感じのことを言われたことはあるが、自分は人としてそれほど厳しくしてもらいたくないと願
う。「狂わす」人の心を整えさせたい神にとって、現代の情報は神の思いに反し狂わすものなのだろう。絶対しない、観ないことはで
きない自分は、それ以上に自分の心を整えられるようなことをしようと思う。



25 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/24(木) 22:40:13 ID:jalDtp2E
【この世の喜びを】
―何の喜びがあろうか。何の歓びがあろうか?世間はこのように燃え立っているのに―(ウダーナヴァルガ)
―心を清くせよ。苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ―(ヤコブの手紙)
 「熱狂させるなあ」永遠の世界を知った人々は、この世の享楽・欲楽も無く幸せな世界があるとして教えるだろうが、
― 一切の生きものの享楽は、その目的と結合することが最高である〜耐え忍ぶことよりも、さらにすぐれたものは存在しない―
(サンユッタ二カーヤU)人々のためになるように働き、苦労して財産を得た人が、「愚人は享楽のために害される」という教えにこ
だわると、何のために耐えてきたんだと思うようになるかもしれない。

仏典や聖書から自分にふさわしい道を熱心に学び取り、今あった霊の言葉どおり、ある特定の言葉だけに執着し、こだわること無く、
神が見ていても、正々堂々と私は悪いことをしていませんからと言えるような行いは何かと知ろうとすることが大切なのではないか。
この世の喜びは何だとして、宗教の言葉に狂えとまでは神は求めていないようだ。


【自分を愛するように】
―自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。それ故に、
自分のために他人を害してはならない―(ウダーナヴァルガ)
―自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ―(イエス)

【命を賭けて】
―究極の理想に通じた人が〜母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量
の慈しみのこころを起こすべし―(スッタニパータ)
―人がその友のために自分の命を捨てること、これより大きな愛はない―(イエス)


26 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/08/24(木) 22:42:04 ID:jalDtp2E
命を捨てるような思いで、友や生けるものどもに対して愛や慈しみのこころを起こして生きている人は少ないだろう。人は自分のため
に悩み、自分のためになるようなものは何かと探し求める。また、この世のものの貪りのために善いところに生まれ変われないとされ
る。

■長年続いているお寺
多くの人々に認められ、長年続いている日本のお寺は神の影響を受けて存在しているのか。仏典を学び、多くの人々を物への執着を慎
むように教える所は少ないだろう。しかし、お経を唱えることは理屈に合わないと考えていたら、「ゆるせ」と。

■傷
―他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。ただ自分のしたこととしなかったこととだけを見よ―(ダン
マパダ)
―自分の目にある梁を認めないのか。自分の目にある梁を見ないで、どうして兄弟にむかって〜偽善者よ、まず自分の目から梁を取り
のけるがよい―(イエス)

 宗教者の他宗教批判の「傷」。他人の過失を見るなかれと仏教から学びながら、平穏に暮らしている他の宗教者を批判する良心
 の傷。人々のあやまちをゆるせと教えられて、平穏に暮らしている他の宗教者を批判する良心の傷。或いは、神を傷つけること。
 或いは、他の宗教者へ心の傷を負わせること。対立を終わらせ平穏をもたらそうとする宗教が、宗教によって自分たちは正しい
 とし他は間違っていると主張し、霊から「傷つける」ことの他ならないと思われることは絶対止めないと善いところには生まれ
 ないだろう。

仏典や聖書を熱心に読んで、その人が善いと信じたことがその人にとっての信仰になるのだから、その枝は多く分かれて当然であ
り、自分たちと違うからといって、平穏に行われている他の信仰を批判することが善いところに生まれない道である。



27 :名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 01:16:48 ID:2frF3bpn
42 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:05/02/05(土) 16:58:43 ID:J/YduwZ/
共通点は「孤独」かな、他の宗教の開祖も同じ
彼らを理解できた人なんて一人も居ないんじゃないの?
ただくっ付いていただけ

28 :名無しさん@3周年:2006/08/28(月) 17:05:35 ID:pNlhbZa5
>>27
それは違うね。釈迦の場合は、彼の説明に満足して彼に帰依するようになっている。
イエスの場合は、彼は釈迦の様に論理的に説明すると言う記述が無いが、奇跡と言う信じがたいことを
弟子達に見せることにより、すっかり人をとりこにしている。

29 :不法の者:2006/08/29(火) 21:39:33 ID:5dGiNryH
>>素朴な言葉
オイコラ、テメー人の信仰に争いもちかける人達の事を、神にも嫌われている愚か者の
ように言ってっけど、神は誰も嫌ってねーから。それは神が嫌ってんじゃなくて、オメーが
忌み嫌ってるだけだろ。そういう人達に向けるオメー自身の嫌悪や軽蔑を、神の名を使って
正当化してんじゃねーよ。悪意をごまかすなっつの!
オメーが交信してるものこそ心の闇なんだよ。俺やオメーの悪意(義憤、嫌悪、侮蔑等)が
心の闇なんだよ。神には心の闇なんかねんだよ。“しろ”とか、“するな”とか人に指示も
しねんだよ。
先人の言葉引用して、人の過失を見るなとか言ってるけど、人の過失を見て、あやまちを赦す
ことなく、批判してんのオメーだぞ。さらに神を利用して攻撃してんだろ。しかもその蛮行に
気づく事もなく、聖人の仲間きどってるだろ。
俺もオメーの過失を見て批判してるけど、ちゃんと自覚してるぜ。俺も攻撃するけど神に攻撃
させたりはしないぜ。直接批判しなきゃいいと思ってるのか知らんが、影(こんなスレ)で
こそこそ批判してりゃ同じことだ。心密かに思ってても同じことだ。
俺もお前と同類だし、同じことしてるし、この先バカバカ罵られるだろうけど、すべて覚悟の
うえだから。
えらそうに賢者ぶっても、オメーはやっぱり愚か者だよ。ま、俺様の愚かさにはかなわないがな!
ダハハハハハハ・・・ハァ(自己嫌悪)

30 :不法の者:2006/08/29(火) 22:08:22 ID:5dGiNryH
真理って言うのは法則だから、ああすればこうなる、こうすればああなる、こういうもんだよ。
真理に“しろ”も“するな”もねーよ。
例えば、「自分がしてほしいことは何であれ、人にもしてあげなさい」(イエス)
これは真理でなく、真理に触れたイエスの教え。個人的なもの。
正確には「あなたが人に為す事は何であれ、あなたにも為されるであろう」
これが真理。だからこうするべきとかは、人が付け加えたもんであって、
それにとらわれて戒律なんか作ると、反する人、守らない人に対して、悪意が生ずる。
その悪意は自分のもの。自分の責任。自分の罪咎。必ず生じたとこに返ってくる。

人の過失を見るな、というボケは、必ずこうツッコまれる。
「やかましわ、お前が一番見とんのじゃ!!」
そしてツッコミを入れたその人も、次にはこうツッコまれる。
「そういうお前も見とんのじゃ!!」
さらにそれにツッコんだ人も、さらにさらにそれにツッコんだ人も・・・
(以下省略)

31 :不法の者:2006/08/29(火) 22:33:04 ID:5dGiNryH
ミイラ取りは必ずミイラになる。次には取られる側にまわるだろう。
鬼退治する方も鬼。自分がやったように自分も退治されるだろう。
「あなたは疑惑の総合商社です!」と責める人も、じきそこに入社するだろう。
自民党幹事長の首を取ろうとした者のクビもとぶだろう。
「未納三兄弟」と人を非難した方も、兄弟の仲間入りして、おへんろさんに行くだろう。
地雷踏むな、危険だぞと警告する者も、別の地雷を踏んでるだろう。
・・俺も今、その地雷踏んでんだよ。でも知らずに踏んだんじゃねーよ。
爆発するの知ってて、その上で踏んだんだぜ。
・・・さ、俺もそろそろおへんろさんの準備でもするか。
素朴な言葉よ、一緒に行こうな。

32 :名無しさん@3周年:2006/08/30(水) 20:39:37 ID:apUmYkgp
>>31
おへんろさん、ってなんですか?

33 :名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 07:00:38 ID:8F1uCTAb
>>32
四国、弘法大師、修行。

34 :名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 07:56:06 ID:CVFrkZ0a
イエスはユダヤ教を釈迦はバラモンの教えを前提に「それを言うならこうだろう」的に質的変換をはかったのは共通してる。
神の国もニルヴァーナも何の前提もなしに説いたわけではない。


35 :名無しさん@3周年:2006/08/31(木) 23:02:11 ID:8F1uCTAb
同意。

36 :ななしのごんべ:2006/09/01(金) 12:54:10 ID:uM+yrZaQ
ブッダが転生してキリストになったじゃ駄目かな?
いろんなお経があって文字が合ってそれを読んだ人がどうなったかを見れば
結果からその土地の特性がわかる、江戸時代は全部の宗教を暇つぶしや
心の安定につかった、江戸っ子職人が居て江戸っ子はヒーローだった。
かっこいいからまねする奴がいて偽者はカッコだけ、本質は仏教もキリスト教も
儒教も何でも学んで良い結果を残す、それが歴史になっていく。

37 :ななしのごんべ:2006/09/01(金) 12:59:21 ID:uM+yrZaQ
転生なら魂は同じ、超能力を見せて目立てば昔は殺された、
今は殺されない場所もある、FBIの超能力捜査官は普通に奇跡を見せてるけど
組織に守られてる、日本は超能力者をいじめ殺す、目立つと意地悪や
ヤキモチで殺す、だから今の日本は才能ある奴は外国に出て行っちゃう。
昔のキリスト教と同じ悲劇が今ここで繰り返されている。

38 :書き換える歴史?:2006/09/01(金) 13:07:49 ID:uM+yrZaQ
逆に考えると、お経が書き換えられた。だから日本から才能ある奴を
呼ぶために仕向けられた、過去が塗り替えられた。
江戸っ子は普通に超能力を持っていたがバカのフリで上手くごまかして
偶然を装ったりしていた、見つかれば殺されることを知っていたから。
日本の今の仏教はブッダの生き方とは違う。ただ座って本を読んでるだけ
だから江戸っ子はヤキモチでいじめ殺され落語も奪われ乗っ取られた。
歴史の嘘を見抜けよオマエラなら出来る、現実を見れば誰もお経を読んでない
ただ翻訳した本を丸暗記。だから書き換えられたものを偽物と見破る事が
出来ない、ミゴロシは人殺しと同じ。キリストもミゴロシ。
ブッダは毒殺、殺させてしまったから地獄の門で今も・・ああこれは
違う宗教のお話しだった、色々あるんだ、面白ストーリー。

39 :読むレベルに合わせて:2006/09/01(金) 13:19:33 ID:uM+yrZaQ
面白すぎてキリスト教は本を燃やすんだ、奴らは奴らの考え方があって
悔しくて自分達には本が書けないから良いとこだけ奪って燃やす。
だから歴史が書き換えられてまた元に戻されて戦争になる。
何度も繰り返された、面白いとこだけ集めてると何が真実かわからなくなって
快楽をむさぼる事しか出来なくなる、ちゃんと裏側まで見る、そしたら
本が書けるようになる、でも汚いものや真実から目をそむける今の日本、
もうすっかりキリスト教と同じになった、面白い本が捨てられつまらない
誰も出来ないような奇跡ばっかり信じてちゃあ脳が中毒じょうたい、

40 :本を読まない時代:2006/09/01(金) 13:25:58 ID:FgJzkRzz
年代や時代で面白いものは変化する、文字や言葉の意味も変化する。
だから白い本も黒い本も紅い本も燃やしちゃ駄目なんだ。一色しかないと
飽きてしまう、子供用、大人用、バカ用、色々ないと暇がつぶせなくなる。
子供には最初にお経を読ませればキリスト教の本が読める、その後で
お経を解読したりして暇をつぶす、もちろん働く、脳が強くなると
眠れないからむずかしい本にレベルアップしていく。

41 :ひまだろ、感じるだろ:2006/09/01(金) 13:33:55 ID:FgJzkRzz
今はテレビや映画であっという間にキリストの話がわかる、でもそれじゃあ
能力は伸びない、本を解読する力もつけないとただの丸暗記しか出来なく
なる、間違いのある文章に釣られる知能に下がっちゃう。
メディアが今同じ様な情報ばかり流してるから今すごくつまらない。
じゃあ本を読もうかと本は捨てられている、読めないから捨てるんだ。
だからせっかくいっぱい勉強して頭が良くなったのにこんな所で暇つぶし
してるんだろ、しょうがねえよな、大人はばかなんだ、おとなになるな
いいんだよ、子供の心を忘れないでいたほうが面白い、ばかばっかり。

42 :名無しさん@3周年:2006/09/01(金) 21:40:46 ID:RwN1AZQS
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


43 :不法の者:2006/09/01(金) 22:04:25 ID:YTCpp+kj
南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 赦せ素朴よ 南無大師遍照・・・とその前に、
素朴よ、そしてこのスレの人よ。これだけははっきりさせとく。

−他人の過失を探し求め、常に他人を見下して思う人は、卑しい性質が増大する−

こんなん真理じゃねーよ。これは、これを説いたその人個人の偏見や、人に対する蔑みを
さも真理であるかのように表現してるだけ。要するに「この卑しい奴め!」という悪意の
こもった単なる罵倒の言葉。
もっかいよーく考えてみろよ。
こういうこと言ってる奴も人を見下してないか?   ・・見下してるよな。
こういうこと言ってる奴も、やっぱり他人の過失を探してないか? ・・探してるだろ。
であるならば、卑しい性質が増大するのはどこの誰?
たなに上げた自分のこと下ろして直視したら、もうこんなこと言えなくなるだろ。
灯台もと暗しだろ。

昔の日本人は、仏法にまぎれこんだこういうものを、“釈魔”と呼んで退けた。
古いお経に書かれてあるものが全て正しいとは限らない。中にはうのみにすると危険な
ものも混ざってんだぜ。聖書もそう。“神の言葉”とか“神の教え”とか、全部眉唾。

44 :不法の者:2006/09/01(金) 22:40:10 ID:YTCpp+kj
ドラクエのミミックというモンスターは宝箱になりすまして近づいた冒険者を襲う。
ワニガメは舌をミミズのようにチョロチョロさせて魚をおびきよせる。
イザリウオは頭の突起をピロピロさせて小魚をおびきよせて食べる。
花にカモフラージュして、蜜を吸おうとよって来た蝶を捕まえて食べるカマキリもいる。
人間だって釣りの時ルアー使う。それは本物のエサじゃなくて、エサに似せた
プラスチックやゴム製の疑似餌。本物のエサ使う時も中に針を潜ませる。
追いかけまわしても捕まえられない時はどうするか。何か相手の好きなものちらつかせて
おびきよせればいい。向こうから近づくようにしむければいい。
もし悪魔がいたとして、奴らが人間に近づくにはどうするか。自分の邪悪さを悟られない
ように、神聖なものになりすませばいい。   これを踏まえたうえで・・・、
聖書や仏典に書かれているものが全て正しいと思うな。ここに神がいるあそこに真理がある
と聞いて、すぐにかぶりついて丸呑みにするブラックバス気質は危険だ。
なぜならそれは悪魔の垂らしたルアー(疑似神、疑似真理)かもしれないからだよ。
神聖を自称するもの(書物、集団)は徹底して疑え。必ず裏には邪悪が隠れている。

こういう俺の言葉も実は悪魔のルアーかもしれないけどな。 ウケケケケケ!

45 :名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 03:07:46 ID:JCaPtu9d
>>神聖を自称するもの(書物、集団)は徹底して疑え。必ず裏には邪悪が隠れている。

「邪悪」って何?

46 :名無しさん@3周年:2006/09/02(土) 17:13:51 ID:2iSsnz8c
>>45
一般的に、自分が悪いくせに、相手を悪いものにする人。濡れ衣を着せる人とも言える。
自分の罪を相手に転化する人とも言える。要するに不誠実な人。


47 :不法の者:2006/09/04(月) 18:26:53 ID:3P2cPPPQ
>>45,46
善と悪を分けるなっていう禅の思想?邪悪っていう表現気にいらなかった?
俺は、「自分たちは神に選ばれた特別な存在であると信じ込ませ、異教徒を豚呼ばわり犬呼ばわり
する、そんな思想(を記した書物、ひろめようとする集団)のどこが聖らかなんだよ。そんなもんに
救いなんてねーだろ!だまされんなよみんな!」と言いたかっただけ。ただの宗教批判。
さらにそういうものを敵視させ、人の心に悪意を誘発させる俺自身だって、邪悪にはかわりないだろ?
と、こうも言いたいわけ。
「他を邪悪呼ばわりするお前も邪悪やろがい!!灯台もと暗しやろがい!!」
と、誰かツッコんでほしかったわけ。
他人の矛盾を責めた俺も、いずれは責められる運命なんだから、自分の矛盾を退治されて、このスレ
からたたき出されようと思ったわけ。
でもつつかれはしたものの、誰もガツンと喰いついてはくれなかったわけ。
そしてよく考えたら、誰かにババを引かせようとしてた自分てひどい、こんなカキコミしてる自分
キモいと思い、反省したので、その言葉はとりさげます。撤回します。


48 :名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 19:15:11 ID:PLZeINeW
<こういう俺の言葉も実は悪魔のルアーかもしれないけどな。 ウケケケケケ!

この一文で突っ込め無かった。本音をサラス事は2chでしか、し難い。それが日本。


49 :名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 21:52:36 ID:Nj7B8pad
>>47
>善と悪を分けるなっていう禅の思想?邪悪っていう表現気にいらなかった?

人にこの様に教えておきながら、自分はその影で善をせしめる可能性があると言う意味だろう?
例えば、自分が人の財布からお金をくすねて見せながら、そしてそれを自分の利益にしながら、
それを見ていた人に、『善と悪のどちらにも執着してはならない。』と教えるなら、どうだろうか?

>俺は、「自分たちは神に選ばれた特別な存在であると信じ込ませ、異教徒を豚呼ばわり犬呼ばわり
する、そんな思想(を記した書物、ひろめようとする集団)のどこが聖らかなんだよ

 キリスト教の教義だと思うけど、確かに、これはキリストイエスの教えに反している、にも拘わらずに、
キリスト教の宣教に利用されているのか?疑問じゃない?

50 :名無しさん@3周年:2006/09/04(月) 22:42:50 ID:Nj7B8pad
>>49
つづき
 ものみの塔クリスチャンは旧約聖書を広めているな。身づからを選民とするのは、
その思想詰まり、神を信じ神の子となったもの、これが選民と見なされると言う意味ではないかな?
神を信じないものは何時までも選民即ち神の子となれないと言う主張なのだ。
 仏の知恵を信じその智慧の完成を修行する人を仏の子即ち菩薩と言う仏教は、同じ論理の道を歩んでいるものではないかな?

51 :釈迦原理主義者:2006/09/04(月) 23:49:12 ID:V3L9LX4W
 俺がここに降臨して真実を主張すると荒れそうだな・・・・

52 :名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 01:14:15 ID:s+DctbNr
真実や真理はこの世のすべて(時間・空間・精神の大宇宙全体)のことだから
善も悪もなく在るがままだろう?
自分の思考や一歩は宇宙の思考や行動(神?仏?)そのものだろう?

53 :名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 06:08:39 ID:qWirbkUS
>>52
>時間・空間・精神の大宇宙全体

これが何か、と言うことが問題なんだよ。

54 :名無しさん@←ブラックホール:2006/09/05(火) 06:35:36 ID:tmLKyra6
無伺定

55 :あそびに:2006/09/05(火) 13:05:27 ID:r2r5BoeK
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157343410/l50

56 :名無しさん@3周年:2006/09/05(火) 13:06:01 ID:Mah7HoMg
N225先物、現在16330円。
持ち合い相場継続中
鉄鋼セクターが底堅い
旭テック ストップ高 東証値上がり率No.1 
米国部品工場買収を材料視

  神? とっくに死んだよ

57 :シヴァ大神の化身:2006/09/05(火) 20:58:02 ID:BrBrfBbJ
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
 ...iiiiiiiiii彡/      __,.::  :: __  ヽiiiii|
 ..iiiiiiiiiiiii》|             :::      |iiiii|
 iiiiiiiiiiiiiiii|,                     |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii,         ( ● ● )      .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii       》━━━━《       |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ     》 / ̄ ̄\ 《     |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《    《《 \ ̄ ̄/ 》》   |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》   ̄ ̄  《《 》》》》》iiiii|
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii

2ちゃねるの住人よ、聞きなさい。

我が愛する弟子マイトレーヤがアーレフを脱会し
来年「第二ケロヨンクラブ」を設立する。

2ちゃんねるの住人よ、第二ケロヨンクラブに入りなさい。

金・女・仕事すべてが思いのままになるであろう。

58 :つきピエ:2006/09/06(水) 10:47:44 ID:eE2lYjyy
悪と云うものを絶対精神からの乖離とする点

59 :つきピエ:2006/09/06(水) 10:52:01 ID:eE2lYjyy
絶対的本質は我々の純粋意識の中に現れるものであり、純粋意識の中で我々に啓示される。
この絶対的本質についての知識は、純粋意識によって我々の中で媒介されたものであるから、我々に直接的である。
またそのかぎり、それは信仰と呼ばれることができる。

60 :つきピエ:2006/09/06(水) 10:53:15 ID:eE2lYjyy
負けず嫌いなやつははた迷惑

61 :つきピエ:2006/09/06(水) 13:26:05 ID:eE2lYjyy
釈迦もキリストも
感情にまみれた派閥を拒むだろうね
自分の認識不足が認識できない段階では
世界平和も偽善的祈りにもなるだろう

62 :つきピエ:2006/09/06(水) 13:29:27 ID:eE2lYjyy
生き物たちは同レベルしか求めないはずだからね
犬は生まれつき犬にしか反応しない
聖人は聖人にしか純粋には反応しない
愚人は聖人には非本質しか見ない

63 :つきピエ:2006/09/06(水) 13:35:09 ID:eE2lYjyy
衝天の志気を挙してる

64 :つきピエ:2006/09/06(水) 13:38:07 ID:eE2lYjyy
絶対という言葉は原理主義用語らしい
では絶対音楽とはなんのことだろうか

65 :つきピエ:2006/09/06(水) 14:20:47 ID:eE2lYjyy
入頭の辺量のことだろうか

66 :つきピエ:2006/09/06(水) 14:28:02 ID:eE2lYjyy
キリストと釈迦の共通するところは共に虚無ではないブラフマン格の実体のないものを知っているところ
共通してないのはキリストは初めから神として生まれてきたと定義されているので釈迦のようには凡夫の思考がわからないところ

67 :つきピエ:2006/09/06(水) 14:41:43 ID:eE2lYjyy
男の子が産まれてほんとよかった〜
心底よかったのだけど問題はこの精神を冒涜されたときの対策になる
キリストなら初めから神なので地獄に堕ちることを教える
釈迦ならその次元の低いしがらみから早く脱することを教える

68 :名無しさん@3周年:2006/09/06(水) 18:04:51 ID:91eEr8m1
>>67
日本の皇族のような特権階級は廃止すべきだ。

69 :つきピエ:2006/09/06(水) 18:49:10 ID:eE2lYjyy
あえて釣ってみたい意識が錯綜としてみえる

70 :つきピエ:2006/09/06(水) 19:12:02 ID:ZDxdH/8q
http://blog.duogate.jp/pochikoro/entry/detail/?id=8192719
もうコメント消されてるけど結構面白かったよ

71 :名無しさん@3周年:2006/09/07(木) 01:00:13 ID:mqr8Z2pn
>>70
皇族ファンの心境が判らないよ。

72 :つきピエ:2006/09/07(木) 11:12:58 ID:40rvVO+4
共感か空疎のどちらかの問題で元を辿れば生い立ちによるところだからねぇ
まぁ国体が壊滅すれば先行きどうなるかわからないので大切にするのもいいんじゃないんでしょうか
モルデカイモーゼを読むのもいい

73 :つきピエ:2006/09/07(木) 11:17:31 ID:40rvVO+4
もともとは僕も天皇なんてどうでもよかったよ

74 :つきピエ:2006/09/07(木) 15:52:28 ID:40rvVO+4
人はやっぱ言葉で破壊できるのかなぁ

75 :つきピエ:2006/09/07(木) 15:53:59 ID:40rvVO+4
あ、

76 :つきピエ:2006/09/07(木) 16:18:06 ID:40rvVO+4
たぬきはまだ睡眠中らしいぞう

77 :二人の居場所は:2006/09/07(木) 16:21:43 ID:40rvVO+4
ウヨがサヨをみてサヨサヨゆったり
サヨがウヨをみてウヨウヨゆったり
する必要のないところ
その寂滅区域

78 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:31:04 ID:1rLb1TkE
極端と極端の間の幅が問題
人は極端に走りやすい
AならB
BならA
真宗なら臨済ではない

定義幅に理解容量が現れる

79 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:35:51 ID:1rLb1TkE
天才とは選択の天才

80 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:37:22 ID:1rLb1TkE
思考停止とは迷いのほうにある
ああだこうだというのです

81 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:42:37 ID:1rLb1TkE
普遍的人間愛の義務は
面識関係、友情関係にある人々の方へ手を差しのべる。
人間の根源的な統一のためには、まずこのような身近な結合を随意に作ることが必要である。
すると、そこに一層具体的な義務が生じて来るのである。

82 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:50:12 ID:1rLb1TkE
現人神にも霊性はあり故人にも霊性はある
この発言をしたからといって葬式仏教であるにはならない
霊性のあらわれはそのものとして彼にある
二人の住処に共感できるものはやはりその点において、霊性のあらわれなのである

83 :つきピエ:2006/09/08(金) 11:52:15 ID:1rLb1TkE
名無しを卑怯とみなし
コテハンには目頭がたつ

人はそのキャパシテイの幅を認識できない

84 :つきピエ:2006/09/08(金) 12:03:22 ID:1rLb1TkE
有批判的に読者をする者はおそらく何も理解していない
ふいごよりましなことができない

85 :つきピエ:2006/09/08(金) 12:11:38 ID:1rLb1TkE
多彩な雲になれない

86 :つきピエ:2006/09/08(金) 12:55:07 ID:1rLb1TkE
ベストバイ○○という権威で思考停止するその人の頭が気になりながらすぐさまサイテーだということがわかったという烙印を下す人間の思考が気になる

87 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 13:00:32 ID:1rLb1TkE
名無しのほうが恐ろしかろう

88 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 13:02:45 ID:1rLb1TkE
もしも法律が殺人を肯定していたのなら
僕は宗教などやってはいなかっただろう
なぜ自分と同じ次元にまで引き上げる必要があるのだろうか(?)

89 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 13:04:51 ID:1rLb1TkE
知能的感性的次元や倫理的次元に
むろん正論を述べて拒絶させることのほうが生き地獄に落とすには有効ではあるが

90 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 13:09:38 ID:1rLb1TkE
大衆は遠吠えする
二人はもっと遠くにいる

91 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 13:33:13 ID:KHzJL7cN
二人とも其の当時の原理主義の否定をしている。
しかし、弟子達は二人の言葉の端々をつまんでは、
新たな原理主義を生んでいったトコ。

92 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:34:54 ID:1rLb1TkE
弟子は頭いい
聖人を理解しうる知性があるので
聖書を編纂した人はみな一度もキリストなんて見ていない

93 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:39:30 ID:1rLb1TkE
聖書を編纂した人もいいけどそれよりもっと下のほうに問題があるんじゃないかな

94 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:40:21 ID:1rLb1TkE
大衆は肯否をむやみに叫ぶ

95 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:44:26 ID:1rLb1TkE
日本人の霊性は花鳥風月
花鳥風月のかわりに細木数子を視てしまう者もいるが

96 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:46:32 ID:1rLb1TkE
それが
霊性の一致不一致というもの

97 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 14:50:55 ID:1rLb1TkE
殺人を肯定してくれれば花鳥風月などの自然科学博物価値を見いだす必要などはなかった
苦労して霊性を上げる必要などない

98 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:56:31 ID:1rLb1TkE
一人が聖人になろうと欲すれば
八十人に泥を塗られる
覚悟をせよ

99 :つきピエ:2006/09/08(金) 14:57:35 ID:1rLb1TkE
大衆の卑屈さはそんなものではない

100 :つきピエ:2006/09/08(金) 15:00:57 ID:1rLb1TkE
大衆を相手にするのなら
まがつひは八百万倍になる

101 :つきピエ:2006/09/08(金) 15:10:59 ID:1rLb1TkE
そういや中性的な人のほうが宗教的才能がある傾向があるらしい
絶対精神にかかわるもの
すなわち音楽や哲学にも言えることだけど

102 :つきピエ:2006/09/08(金) 15:15:17 ID:1rLb1TkE
漫画でも

103 :つきピエ:2006/09/08(金) 15:31:29 ID:1rLb1TkE
それは仏の31面相の内容や
ウイーンフィル少年合唱団はあるのにウイーンフィル少女合唱団がないことを考えればわかる

104 :つきピエ:2006/09/08(金) 16:19:36 ID:1rLb1TkE
人びとの根本的欠陥は
性別を超えた態度に
自分の性別から批評を下すところに見られる

105 :名無しさん@3周年:2006/09/08(金) 22:42:58 ID:98nIYDWh
つきピエ』ってな〜に?

106 :つきピエ:2006/09/08(金) 23:11:43 ID:1rLb1TkE
月に疲れたピエロだったと思う

107 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/09(土) 10:08:27 ID:MJqOSBvU
■熱狂させるな
宗教も熱狂するなと。狂信、自分の欲得から盲目的に信仰することはいけないことだろう。
人の快楽、欲楽の無い世界があり、物への執着が無い世界があり、そこを目指して信仰がある。
 この世の欲楽や物を欲しがる心を慎むこと言ったら、「そのとおりだ」と答えられた。物を欲しがってばかりいる心を慎めばよい
 だろうし、物への喜びを慎んだり止めればよく、必要な物があってそれらも無いほうが喜びだと思わなくてもよいと思う。

霊の言葉は「良識」「愛」「心」
 世間で自分の考えばかり人に押し付けず、他人の考えも尊重してあげなくてはいけないなと自然に思う心、「そのとおりだ」と言わ
 れ、次に「そのとおりに抱いておれ」と。
 神は狂信を見ているのではなく、自分のことばかりではなく他人のことも考えてあげられるような心などを見ている。つまり、普通
 に人が抱けそうな心が確実にその人に宿っていることが肝心で、信仰に狂ってもいけないということだ。

この世に憂いを感じ、苦しみと感じたら輪廻しない道を歩む
 平安の境地に達し、この世を厭い離れ無所有で幸せを得たブッダを尊敬し信仰して、物欲や享楽に対する欲望を慎み、怒りや敵意、
 憎しみなどを抱かず心が比較的平安であれば、修行をしなくても善いところに生まれる可能性はある。人が物や享楽、お笑いだけの
 情報などに心が奪われ、この世の欲楽が楽しいと思うことがあまりにも多いから、この世に生まれてしまう可能性が多いみたいだ。
 だからそれもあってTVを観るなと言われる。静けさで満足し、精神の安定統一のほうが大事だと教えて下さるのだろう。



108 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/09(土) 10:09:15 ID:MJqOSBvU
とにかく「神はいる」そして、この世以外の世界はある。人の物欲もなく享楽のない幸せな世界は存在する。
おおよそこの世に憂いを感じない人は、宗教はいらないとするだろう。この世に憂いを感じた人は、この世を離れて幸せな世界に生ま
れることを目指し、この世を厭い離れる教えを説いたブッダを尊敬し信仰するだろう。また、欲楽もない宗教行為を行ったりする。
つまり神は人の思いを尊重して、そのままならそのままでよく、「心」「良識」「愛」と教え、人の良識や心ある行為は大事だと言わ
れて欲楽の情報など多いTVなど観ていると人の心も狂うと教えているようだが、輪廻から脱したい人には欲楽もない宗教行為を自然に
行うようにさせている。

【敵である賢者】
―弱い人に対しては、つねに同情して忍んでやらねばならぬ―
―友となって同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。同情してくれる愚者は、悪いことを教えてひとを地獄
にひきずり下ろす―(ウダーナヴァルガ)
―敵を愛し、憎む者に親切にせよ〜自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか―(イエス)

【目をさましていなさい】
―目ざめている者どもは、わがことばを聞け。眠っている者どもは、めざめよ―(ウダーナヴァルガ)
―気をつけて、目をさましていなさい―(イエス)

【誓うな】
― 一切の戒律や誓いをも捨て―(スッタニパータ)
―いっさい誓ってはならない―(イエス)

109 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/09(土) 10:10:02 ID:MJqOSBvU
ブッダとイエスの共通点、同じようなことを意図した教えは探せばあるようではあるが、人に依存せずに仏典や聖書から学んだほうが
その人のためになるという。そして「熱狂させるな」と言うことは再三言われているので、「良識」という言葉もあわせると、今の日
本の良識に近いものを学びとり、「心」ある行動は何かと学びとる。
 
たとえば、―弱い人に対しては同情し、自分にやさしい言葉をかけてくれる人よりも、自分に厳しくしてくれる人のほうが自分がしっ
かりしてくる―というように思えばよいのではないか。

また、人の作った物、享楽、快楽が一切無い世界があると心得、それらに執着し囚われない安穏な心で満足し、精神の安定統一を目指
す。しかし、欲望の執着を捨てきれず、苦楽のあるこの世に生まれてしまうのも仕方が無いとあきらめるのもよいと思う。
「熱狂させるな」とは、神はその人が生まれようが生まれないがあまりこだわらず、この世に憂いを感じて宗教に依存するなら、物欲
や享楽などを慎み、或いはそれらへの思いを捨て去り、精神を安定して安穏な心で満足しようと思えばよく、神はその人が生まれよう
が生まれないが関係なく、心無い行為、良識を逸脱した行為で、「撃たれるようになるぞ」或いは「打たれるようになるぞ」と何か悪
いところに生まれ、何か悪い運命に陥るような感じのことを言われるのだから。

それが何を意味するのかはっきりわからないが、とりあえず自分の欲得で人に害を与えないことを心得ようと思う。


110 :名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 23:37:47 ID:P/cvuoc3
>>109
良いんじゃない。

111 :名無しさん@3周年:2006/09/09(土) 23:40:13 ID:bs2t9/6Q
何もわかってない。。

112 :つきピエ:2006/09/10(日) 15:41:09 ID:yVv5MdLY
散らばりたがる気体に不動を強いれば液体になる

湖にのみ静寂を求める

113 :つきピエ:2006/09/11(月) 15:57:59 ID:pCkqyr3O
常に
選ばれる者と
選ばれない者がいる

114 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 18:31:24 ID:3cd94Ja9
>>113
そう言うことは無いと思う。涅槃に入るのも縁起と教えられている。
詰まり選ぶ人などいないのだ。

115 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 18:46:55 ID:gq6KiB7R
常に
選んだり
選ばなかったりするのは
人間である

116 :つきピエ:2006/09/11(月) 19:11:40 ID:pCkqyr3O
最近
魂の音が聞こえる頻度が増した

117 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 19:34:49 ID:3cd94Ja9
>>116
説明してくれ。

118 :つきピエ#:2006/09/11(月) 19:38:41 ID:R9XZrA5s
思えば元々は霊性の実在などはどうでもよかった
あまりに人が理解しないのでそれに先走った

119 :つきピエ#:2006/09/11(月) 19:39:23 ID:R9XZrA5s
ガラスは通過する

120 :つきピエ#:2006/09/11(月) 19:39:53 ID:R9XZrA5s
天皇のこともどうでもいいんだよ

121 :名無しさん@3周年:2006/09/11(月) 23:34:30 ID:3cd94Ja9
うん。



122 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 05:52:11 ID:59owAaG6
神様を信じた人は美しいと思います。

母がそうでしたから。



123 :聖霊大王:2006/09/12(火) 12:13:39 ID:Y9eqAkLd
つきちゃんの巣のようだ、、
神道系密教て、、どんなの???
ここで、きけるかい??

124 :つきピエ:2006/09/12(火) 16:02:21 ID:Q1xj0rLZ
口伝だから密教としてる

125 :つきピエ:2006/09/12(火) 16:06:40 ID:Q1xj0rLZ
相手のレベルに合わせてだからまだ何も教えてもらってない
古事記とか川面凡児を読むように勧められたけどどうしても意欲が湧かないのでまだ読んでない

126 :名無しさん@3周年:2006/09/12(火) 18:28:10 ID:rPSNTRJA
イエス・キリスト様は美しい
仏陀は美しい

世界は美しい

127 :聖霊大王:2006/09/13(水) 17:42:46 ID:N/nPUbNp
つきちゃんは、、川面凡児コースなのかもね、、
おいらは、その感覚で神社参拝たのしんでおます、、

128 :聖霊大王:2006/09/13(水) 17:44:10 ID:N/nPUbNp
つきちゃんも、よほど、いい修行しないと、大変かもね、、
おいらは、、超エリート、コースらしい、、

129 :名無しさん@3周年:2006/09/13(水) 17:54:11 ID:7TEyoR++
釈迦も、父なる神の前で行いに応じて裁きを受ける

130 :名無しさん@3周年:2006/09/14(木) 09:19:25 ID:v0fWMHVe
129ちゃん、あぽーーーーん、、(キリストの友より、、)

131 :つきピエ:2006/09/14(木) 13:50:57 ID:scwKL02g
最もレベルの低い板の
中間ぐらいの集まりですよ

132 :つきピエ:2006/09/14(木) 13:52:34 ID:scwKL02g
集団ヒスに気付ければいい
サバイバルなどと混同せず

133 :つきピエ:2006/09/14(木) 17:03:26 ID:scwKL02g
悪因縁が消滅しますようには謙虚な性格のあらわれだけど
相手をどうこうしようというのは傲慢になってしまうなぁ

134 :つきピエ:2006/09/14(木) 17:04:54 ID:scwKL02g
聖人と未完聖人

135 :つきピエ:2006/09/14(木) 17:05:56 ID:scwKL02g
あらゆる素質は幼少期に既に見られる

136 :つきピエ#:2006/09/14(木) 21:03:39 ID:pySUYPYy
有無の囚われを離れることはできないのか
どうでもいいことを語り合う

137 :つきピエ#:2006/09/14(木) 21:04:27 ID:pySUYPYy
銀の原子を30cmまで拡大してみても
一つの太陽系のようにしか見えないことと思う

138 :つきピエ#:2006/09/14(木) 21:08:17 ID:pySUYPYy
http://www.nurs.or.jp/~academy/veda/gita27.htm

139 :つきピエ#:2006/09/14(木) 21:11:14 ID:pySUYPYy
光がわからなささすぎる

140 :つきピエ:2006/09/15(金) 11:43:50 ID:JRB3jQe4
下衆の浅知恵というか
短絡的な決めつけ論というか、
生い立ちなんでしょうねぇ

141 :つきピエ:2006/09/15(金) 11:46:26 ID:JRB3jQe4
本当に偉大なる者たちの本性が見えていない者たち

142 :つきピエ:2006/09/15(金) 11:50:34 ID:JRB3jQe4
孤独な中年男よ
早く世間にたいする嫉妬と怨みを自覚し右手の本に頼らず人びとの優しさに触れて心気症を再発するがよい

143 :つきピエ:2006/09/15(金) 11:54:55 ID:JRB3jQe4
世の中は無感傷が思っているより64倍倫理的に動いている
あまり自殺に追い込みたい衝動を煽らないでくれ
内弁慶よ

144 :つきピエ:2006/09/15(金) 12:02:17 ID:JRB3jQe4
かけ離れているものは信仰になる
信仰に、映るのだよ

145 :つきピエ:2006/09/15(金) 13:41:44 ID:JRB3jQe4
なんかもう
笑けるぐらいにメチャクチャですね

146 :つきピエ:2006/09/15(金) 13:45:09 ID:JRB3jQe4
結局靈の証明からは逃げるんだ
そりゃそうだよな

147 :つきピエ:2006/09/15(金) 15:15:27 ID:JRB3jQe4
AIDZもMALALIAも
体内では猛威を振るうけど
外に流してしまえば蚊より儚い

148 :名無しさん@3周年:2006/09/15(金) 16:13:50 ID:vhKiuMfC
イエスとブッダの共通点は予言です
共通点でかたってくれ

149 :つきピエ:2006/09/15(金) 16:59:54 ID:JRB3jQe4
二人とも
なにやら難しい概念を述べにきたところとか

150 :つきピエ:2006/09/15(金) 17:05:08 ID:JRB3jQe4
追求するほどに見えなくなる
戯論に汚れて人間的思考の軌跡を残し
道を失う

151 :つきピエ:2006/09/15(金) 17:35:16 ID:JRB3jQe4
一体どこに本物がいるんだろうなぁ
そしてなぜ
贋流の血に飢えてしまうんだろう

152 :つきピエ:2006/09/15(金) 18:15:39 ID:JRB3jQe4


153 :つきピエ#:2006/09/16(土) 01:03:50 ID:dlv+Qfe2
http://www.hyperion-records.co.uk/MP3Audio/67153-03.m3u

154 :つきピエ:2006/09/16(土) 13:09:50 ID:Lteo2JQ1
10人の話を同時に聞くことは可能
うちの寺の(略
ピアノを片手でしか弾けないうちに両手の演奏を超越とみているかのような次元で聖人を判断していてはならない
自分がそのままに見ているとそれより数段低い見方がふつうにでてきてそれが拍子抜けで
なんだかものすごいレベル低い界隈に思えてくる

155 :つきピエ:2006/09/16(土) 13:13:39 ID:Lteo2JQ1
低い人はやはり低い解答をする

156 :不法の者:2006/09/16(土) 18:45:20 ID:M2MR9TLY
四国八十八スレ巡り終−−了−−。
>109
人に害を与えないこと、その結論にたどり着いたのなら、もう充分だよ。
どの宗教にも所属しない、それも大変スバラシイ。
後は聖書やお経を全て捨て去ると、もっとよくなる。

それと余計なお世話かもしれんが、もの言う神はまがいものだから、信用せん
ほうがいい。

157 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/16(土) 18:51:32 ID:l2my+r97
―弱い人に対しては、つねに同情して忍んでやらねばならぬ― 弱い人に対しての思いやりは、悪いところに生まれる人以外
は多くの人々にある。
「熱狂させるな」狂信はせず、物質的なものへのこだわり、享楽などの情報に心を奪われないことに熱心になり、平穏な心に
満足することを求められる。
人はこの世で何かよいことを求めるために生きようとする。しかし、「足りなさい」今の現状に満足し足りよとするのが霊の
言葉。
「神はいる」「見ている」人間の欲楽の無い世界がある。人が欲楽を自制し、平穏な心で満足することも無駄ではない。

【修行完成者の慈しみの心】
―平安の境地に達して〜上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき慈しみを行うべし〜この状態を崇高な境地と呼ぶ
―(スッタニパータ)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、罪過は存在しない―(サンユッタ二カーヤT)
―恩を知らぬ者にも悪人にも〜あなたがたも慈悲深い者となれ―(イエス)

158 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/16(土) 18:52:19 ID:l2my+r97
【思い上がるな】
―心を安定統一した智者は、それを捨てよ。学ぶことに生きがいを認め〜これは一つの極端説である〜快楽は享受されるべき
であり〜これは第二の極端説である〜そこにとどこおっていなかった〜それで思い上がることはない―(ウダーナヴァルガ)
―思うべき限度を越えて思いあがることなく〜各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって―(ローマ人への手紙)

【食べることではなく】
―あなたがたも、まだわからないのか。口にはいってくるものは〜心の中から出てくる〜悪い思い、すなわち殺人、姦淫、不
品行、盗み、偽証、誹り―(イエス)
―盗むこと〜他人の妻に接近すること〜美味を貪り〜粗暴・残酷〜友を裏切り〜法廷で偽証〜この世でほしいままに生きもの
を殺し〜これがなまぐさである。肉食することがなまぐさなのではない。これら生けるものどもに対して貪り求め〜死んでか
らは暗黒に入り―(スッタニパータ)

【汚れた衣】
―下女の汚れた衣のように、汚れて―(サンユッタ二カーヤU)
―肉に汚れた者に対しては、その下着さえも忌みきらいなさい―(ユダの手紙)

【手をきよめよ】
―手を洗ってきよめて―(サンユッタ二カーヤU)
―手をきよめよ―(ヤコブの手紙)

159 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/16(土) 18:54:10 ID:l2my+r97
【罪過】
―心の安らいの味をあじわったならば、熱のような悩みも無く、罪過も無くなる―(ウダーナヴァルガ)
―神の豊かな恵み〜罪過のゆるしを受けたのである―(エペソ人への手紙)

■この世は泥沼と認めること
この世の秩序を守るため、人々の安穏な暮らしを守るため、人として法律は大切だと思う。
しかし、この世と他人に清らかさを期待してはいけないかもしれない。この世に犯罪があり、自然災害もある..............
「この世は泥沼」と語られ、神ご自身が認められていると。そこで天をまことの世界とする宗教がある。
「心」と語られ、この泥沼世界を何も問題ないとして生きる人々や、欲望から目覚めて聡明な人は、この世の思いわずらいか
ら離れることを心得て善いところに生まれることを目指す。

哀れみの心があれば、過失なく道から外れることはない。「そうだ」言われ、弱い人に対して、つねに同情する心があれば、
罪過は存在しない。
修行僧のように、家や生活に必要な物を捨て去らなくてもよいみたいだが、興味をそそる物への執着、それらを使用しての楽
しみの慎み、欲楽や享楽を慎んで、物に興味を持たせる情報や享楽に興味を持たせる情報や、ただ笑いだけのTV番組、人の心
をかく乱する刺激の強い映画や夢中になってしまうTVゲームなどから離れようと心得、なるべく見ないよう、しないようにし
て、できる人は生活に必要な物以外の刺激物から離れてしまうほうがよいみたいだが、平穏な心に満足することを常に心がけ
ているならば、「天に通らせる」と言われる。

だが、哀れみの心を失わず、人が欲楽から離れ善いところに生まれるのは難しいかもしれない。しかし、少しでも離れようと
する人は、離れないとする人より悪いところに生まれず、善いところに生まれる可能性は高いだろう。この世は劣っていると
いうようなことを言われたこともある。

160 :不法の者:2006/09/16(土) 19:28:48 ID:M2MR9TLY
そろそろスレタイに忠実にやんないと、スレ主の人怒ってそうだから、戻すよ。

・自分が悪をなせば(言えば、想えば)自分がけがれ、自分が悪をなさなければ、自分が
 清らかでいられる。他人からけがされるのでもなければ、他人がきよめてくれるのでもない。
 運命は全て自分しだいなのである。         (仏教)

・あなたに入ってくるものでなく、あなたから出て行くものが、あなたをけがす。
 (あなた以外の何者もあなたをけがすことなどできない。)    (イエス)

同義表現
・罪ある者は自滅して己が咎を知り、罪なき者はたとえ十万の敵、
 八方の刃の中にても苦しむことなし。            (夢想願立剣術)

表現のしかたは人によってそれぞれ違っても、意味するところは全く同じ。
なのに特定の宗教のみを唯一絶対だと教え込まされた人は、理解できない
し、認めない。
そしていつしか真理は忘れ去られ、お祈りやらお参りやら、読経やら写経やら、
讃美歌やら巡礼やら、形式だけの無意味で不毛なことばかりが、信仰とかいって
もてはやされるようになる。     


161 :不法の者:2006/09/16(土) 19:33:54 ID:M2MR9TLY
あ、オメー来てたの?
「戻すよ」ってのは撤回な。

162 :つきピエ#:2006/09/16(土) 19:59:31 ID:OKi3qON6
全く独学すぎるのもいけない
料簡が狭まる傾向にあるので
祝詞にもコツがある
儀式が伴わなければ拡大しないものもあるよ

163 :つきピエ:2006/09/16(土) 21:01:04 ID:Lteo2JQ1
大乗的なものを侮蔑する段階では密教的正統には至れない
大乗というのはすべてのものが報われなければ満足できないという精神からきてる、と書いて逆効果の反応ばかりを見てきたわけだけど
自分が自分がという精神しか持ち合わせてきていない者にはカルナーやらマイトリーの光を発することができないし如来が光を発するというのもその了見ではオカルトでしょう
そのオカルトの次元で真贋を見抜くのはプロでも難しいので仕方ない
素朴のいうこの世は劣っているというのは正しいよ
バガボンドにもあるけど本物を目指すものなどいないのだから大衆的見解が大乗に用いられて正しいとされるのが世情の法則

164 :つきピエ:2006/09/16(土) 21:04:12 ID:Lteo2JQ1
行が完遂する人はほとんどいないらしい

165 :名無しさん@3周年:2006/09/16(土) 21:45:27 ID:1Wv95byE
大乗経典にも智慧の完成(空対の体得)を成し遂げる人はいるかいないかと言うほどであると、その様に書いてあるね。

166 :つきピエ#:2006/09/16(土) 22:35:54 ID:OKi3qON6
人間に可能な範疇でも完遂する人はほとんどいないらしい
大体は堕ちていくよ

167 :名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 06:22:42 ID:snGbSIW3
智慧を完成は各自がみんな智慧を完成させなければならないのだろうか?あるいは、
一人が完成するなら、全部の人がその恩恵に預かるのだろうか?

168 :名無しさん@3周年:2006/09/17(日) 10:18:22 ID:snGbSIW3
>>167
その恩恵に預かるのだと思う。詰まり仏国土が形成されたのである。その謂れを聞き、そして信じるならば、
その恩恵に預かることが出来るのである。天国がそれであり、極楽浄土がそれである。

169 :つきピエ:2006/09/17(日) 18:20:51 ID:oxF77IhN
中庸の理解には相反する本質の理解力が必要かな

170 :つきピエ:2006/09/17(日) 19:02:51 ID:oxF77IhN
人はいつも目線が偏りながら話し
アディクトされたまま攻撃している
中庸には目に見えない現実が重要

171 :名無しさん@3周年:2006/09/18(月) 08:44:33 ID:8zLV7TdO
>>169
仏教では「中庸」と言わず「中道」という。
相反するものの本質が、同じものであると言うのが中道の意味だ。

>>170
> 目に見えない現実が重要

これが理法により明らかにされる真実であると思うが。

172 :つきピエ:2006/09/18(月) 13:39:50 ID:t9Gy3s/A
はぁそうなんですか
秋風がふいてまいりますね

173 :つきピエ:2006/09/18(月) 13:45:24 ID:t9Gy3s/A
明らかになったあとに語っても
たしかにわからないはずだ

174 :つきピエ:2006/09/18(月) 13:46:43 ID:t9Gy3s/A
ねa

175 :つきピエ:2006/09/18(月) 14:00:42 ID:t9Gy3s/A
円珍さんはすごかったなぁ

176 :つきピエ:2006/09/18(月) 14:01:48 ID:t9Gy3s/A
あまりに秋風が吹きすぎるからか
1カ月かそこらでいなくなったけどね

177 :つきピエ:2006/09/19(火) 18:55:29 ID:mrJrTJai
一生懸命なにやらに打ち込んでいる時の顔
その顔が重要

178 :つきピエ:2006/09/19(火) 19:59:12 ID:mrJrTJai
屋久島では天の川が見える
都会では見えないものが見えるなぁ

179 :名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 20:57:16 ID:+BE/aERU
976 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2006/08/13(日) 21:53:43 ID:iPMBunmQ
a. 人は生きていて当然、死や病気は悪魔の呪だ。

b. 人が生きているのは奇跡。命の大切さに気付いて全てを大切にしよう。

977 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2006/08/13(日) 21:56:23 ID:uuuYOTiN
>>976
命とは何ですか?

978 名前:名無しさん@3周年[sage] 投稿日:2006/08/14(月) 01:00:23 ID:D3BKR2Y0
ゲド戦記でその内容が語られていた。
個人レベルでは、生老病死を含めた人生
衆生レベルでは、再生と消滅を繰り返す事で保たれる物事・集まり

180 :名無しさん@3周年:2006/09/19(火) 20:58:08 ID:+BE/aERU
980 名前:名無しさん@3周年[] 投稿日:2006/08/14(月) 04:09:26 ID:zbQA8EET
>>978
命=縁起現象=空=無


181 :つきピエ:2006/09/20(水) 04:03:30 ID:Z7Ti0QXZ
人の98%はMensaではない

182 :つきピエ:2006/09/20(水) 04:17:53 ID:Z7Ti0QXZ
人が記憶し語るのは都合上のことばかりゆえ
歪めば一層歪む論理に傾倒してゆく

183 :つきピエ:2006/09/20(水) 04:24:02 ID:Z7Ti0QXZ
旅行会社をネガティブに詰りながら旅行するならまだ公平といえる

184 :つきピエ:2006/09/20(水) 04:58:26 ID:Z7Ti0QXZ
酒屋もここも
霊が関与しているので宗教団体

185 :つきピエ:2006/09/20(水) 05:04:08 ID:Z7Ti0QXZ
自意識が障害になれば
どれほどの弊害を生み出すことになるのだろう

186 :つきピエ:2006/09/20(水) 19:05:08 ID:Z7Ti0QXZ
もののけの舞台にいってきた
白谷雲水峡
そこから縄文杉まで往復10時間歩いた
つかれた
わりと年配の方もいたけど基本的に登山だから大学生が九割
なのにゴミはひとつも落ちてなかったよ
そこまでいけば意識の高い人間が集まってる

187 :名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 18:16:14 ID:Mfpa4ypB
つきピエ」って何なんだ?

188 :名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 18:51:59 ID:tdOLdMqv
イエスと仏陀の共通点?

500年に1度開催されるシャーマンファイトの優勝者であるということ。
マホメットも同じ。

紀元前500=仏陀

0=キリスト

紀元後500=マホメット

189 :名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 20:04:14 ID:4gPG2XAc
仏陀とイエスに共通点なんか無いよ。

キリストもユダヤもイスラムも、オウムと同じカルトに過ぎない。
神という妄想を利用した詐欺師が、馬鹿をマインドコントロールして支配する。

「俺の言うことを聞かないと天国に入れない。地獄に落ちるぞ、怖いぞー。」ってwwww

だから馬鹿の言いなりになって 【神の名の下に】 殺し合いや戦争ばっかりしてるじゃないか。
それぞれの宗教ごとに違う唯一の神がいるなんて間抜けな詐欺だと気づかんか?

騙されてる事に気づいてないとは哀れを通り越して笑えるね。

仏教も偽者ばっかり増えてしまったが、お前らに妄想を止めろと言ってるだけだよ。
隠された真実など無い。それは只の妄想だ。
真実は今、目の前に見てるだろう、と。

190 :名無しさん@3周年:2006/09/21(木) 23:26:23 ID:Mfpa4ypB
神=空=真実=一相=唯一
しかし真実≠真理

191 :つきピエ:2006/09/22(金) 00:38:51 ID:D2SZYP80
みな自分の言葉は絶対真理として放ってる
布教活動

192 :つきピエ:2006/09/22(金) 00:48:30 ID:D2SZYP80
もぐらの世界にも真実はある
外気の音や皮膚感や土の匂いやミミズの味も

とすればどこまでが真実になるのでしょう

193 :つきピエ:2006/09/22(金) 00:55:27 ID:D2SZYP80
分析が面白いのはオカルト(隠されているが語源)だからであり秘められてもいないものを楽しめる時点で何も見えていない

194 :つきピエ:2006/09/22(金) 01:42:52 ID:D2SZYP80
そんなことはどうでもいいしつまらない
やたらと疲れた肉体に限って夜中に目を醒ます
体暑くて外の空気に出たときの屋久島の夜空は感動的だった
海の音のなか
台風に運ばれた砂浜の砂が空のほうに落ちているような
あたり一面大量の砂
じゃない星
星が空の模様みたいだった
あれだけ星が近いと、アリストテレスのように天動説の解釈になるのも当たり前の気がした
自意識がバイアスになっている近代の孤独コミュニティーにとっては反射的に拒んでしまう要素も多かろう
保護回路がおりるときのように
でもインドアがアウトドアを語って生じるコントラストの幅よりも屋久島の夜空のコントラストのほうが遥かに勝っている
屋久島へ行けば孤独の毒は自然界のむこうに消えうせることと思う
飛行機からの景色
スモッグに光みちている東京は太陽の光もほとんど地面に届いてなかったね

195 :つきピエ:2006/09/22(金) 01:46:53 ID:D2SZYP80
ていうかなんでわざわざ他人に合わせる必要がある
変な納得いかない文章になってる
いやだねぇ孤独コミュニティー

196 :つきピエ:2006/09/22(金) 22:50:43 ID:D2SZYP80
プラネットアース
次は動物シリーズか

197 :つきピエ:2006/09/23(土) 08:32:57 ID:SZpjobFq
見えてしまうよ

198 :つきピエ:2006/09/23(土) 08:38:12 ID:SZpjobFq
ものすごい贋流ばかりで困る
高卒は芯さえしっかりしていれば大卒を超えているが
たいがいはやたらと気にした節介ばかりだよ

199 :つきピエ:2006/09/23(土) 08:50:31 ID:SZpjobFq
大衆の袖に隠れたままにいれば見られずに済めるのか…
口に出かかるが精神のかなり奥の風太鼓の轟く場所まで介入するとまた変な霊を呼ぶ
激しい怒りにより体がおかしくなっている場合がある

200 :つきピエ:2006/09/23(土) 08:53:29 ID:SZpjobFq
それが治せない限りは
偽物
どこから生じてきたのかを考えねば
癌も増え続ける

201 :寒山&拾得 ◇9Cm1SZG7:2006/09/23(土) 09:21:56 ID:xlQmAViv
 真実とは、例えば地球が球体であるというような正しい事実関係をいう。・・(十二)縁起だ。『縁起弁証法』ともいい、
                                    
 真理とは、言語論理で構成された正しい命題をいう。・・・・・・・・・・・・四聖諦だ。
                                     言語論理で表現できないものは真理ではない。


202 :つきピエ:2006/09/23(土) 10:59:11 ID:SZpjobFq
あまり真実真実と小さな知能で求めても森羅万象の'あるひとつの断片'を得るぐらいだよ
自分に備わらなかった能力を似非能力とするような非真実にも走ることも往々にしてある
ていうかそればかり見てきているのでその言葉は正しいが所詮ここの人の云うことなので信頼できなくなってる

203 :名無しさん@3周年:2006/09/23(土) 13:30:06 ID:j58LKtyn
>>202
森羅万象の内の一つの断片に(任意にという意味だ)、縁起の理法が認められるならば、それが全てに及んで居ることをも認めることになるのだ。
どのような縁起の理法があるか具対的に認識することは不可能であるし、その必要も無い。しかし縁起の理法が存在して居ることは認められるのだ。
そこで、後は、信じることが要求される。
 縁起の理法だけでは意味が無い。縁起の理法にあるものは、実体が無い、自性が無い、と言うことを知ることが絶対的に必要なのだ。
一切に自性が無いと知るならば(一切が空であるとも言う)、一切が消え去ったのだ。一切とは、自分の五蘊である。
後はどうすれば良いのか?いかなるものにも執着しない心だけが要求されるのだ。これの具体的な様態が真理の教えとして、
経典に述べられているのだ。例えば、三輪清浄。

204 :名無しさん@3周年:2006/09/23(土) 13:36:56 ID:j58LKtyn
この空が神なのだ。神は何処にでもおられると言う。神に反することは何処においても為してはならない。
ものに執着するとは神に反することである。イエスの教えとブッダの教えが同じであるのは、この真実が同じ根源となっているからだ。


205 :つきピエ:2006/09/23(土) 14:49:18 ID:SZpjobFq
人は決まりきったようなことしか云わない
わかりきったような反応しかない

206 :つきピエ:2006/09/23(土) 14:57:13 ID:SZpjobFq
裏を返すと
簡素な内容にしか喰いつかない
反対の事柄や
数行に入らない(含まれているのだが)事柄についてなら高揚して述べる

207 :つきピエ:2006/09/23(土) 15:03:27 ID:SZpjobFq
縄文杉ぐらいにプラーナが透明になると
何も感じられなくなるんだよなぁ

208 :不法の者:2006/09/23(土) 17:16:17 ID:T+jkbcq0
       もと
・憎悪は万苦の因となりけり。  (仏教)

  (だから)

・汝の敵を愛せよ。   (イエス)

  (なぜか)
宇宙には、その人がまわりに向けて放つ全てをその人に返す絶対の力、法則がはたらいているから。

同義表現
・敵意は敵を呼び寄せる。  (ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン)

・鬼は心に宿るもの。   (出所不明)

・(本当の)敵は己の中にあり   (出所不明)

・悪を憎むのが正義とはおかしな話だ。憎むというのが悪だろうに。  (どっかのバアさん)

・剣は人を斬るにあらず、己の心の非を斬るなり。  (直心影流剣術)




209 :つきピエ:2006/09/23(土) 18:18:29 ID:SZpjobFq
そうですね
云わないに越したことはないですね

210 :つきピエ:2006/09/24(日) 00:01:45 ID:SZpjobFq
仏教が人格の向上を目指すのなら話すあるいは黙る反応に見える情形成の因果から詰めて、そこから快癒・平滑化していかねばならないね
例えば冷たい'とは、本来の温度が通っていないということ。traumaに邪魔されプラーナが流れてない。虚無'や無情'に至れば空疎化しているといえる。
(タイのワットヤイチャイモンコンやワットブパラムなんかはもんすごい生命力のパワーがあった。高幡不動のお彼岸も。いつもそういうものと対比しているのだけど)
(一応、何度も書いたがパワー;振幅は、霊性の高さ;波形の細やかさ美しさとは比例しない。)
http://orz.sakuraweb.com/orz/orz.cgi/life7.2ch.net/psy/1141047333/227
神は人を見捨てないなぜならいや理由は云わない
僕は人の恩や自分の思い出は忘れたくない
空疎化させる因まで辿ろうとすれば
僕の年齢だと小中(たまに幼少期)まで普通に遡ってしまうがクラスの隅っ子たちは今はワルに媚びる態度や解釈を覚えて安泰に生活を送る手段を得たらしい
(教科書でガードしていたほうが寿命的にはかなりよかった。)
僕はそんな皆の幸福がうれしいし機転のよさを損なうのもどうかと思うので口でとやかく云わないように気をつけたい。本来の僕のように謙虚でありたい。
(さすれば見て聞いた帰宅部の強気発言はクラスメートのみんなのいる方角に向かって無意識に◎+〇+●+√てるかもしれないが級長の特権で)
(せずとも語尾につける防衛文字からは既に放射能洩れてますが)(それには

 ( ъ_ъ)
 ( ∩∩)ぼくわるくないもん

と、言いたくもなるのであった)

211 :つきピエ:2006/09/26(火) 11:51:36 ID:PkhskTHn
三嶋の風きれい

212 :つきピエ:2006/09/26(火) 13:02:27 ID:PkhskTHn
逆禅定(肥大化)について述べようかな

213 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/27(水) 18:09:57 ID:LyZBThmc
【悪しき者の配下】
―妄執という一つのものに、一切のものが従属した―(サンユッタ二カーヤT)
―全世界は悪しき者の配下にあることを、知っている―(ヨハネの第一の手紙)

 人の手で作られた物を必要としている限り、自分は正しい者、善人と自任できる者はいない。
 悪い者に従った人々でも、平和を愛し、安穏な暮らしのため、秩序維持のために法律などをつくる。
 ―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は、昼夜に増大す
 る―(サンユッタ二カーヤT)
  人間が快適な暮らしのため、園に植え、橋を作り、家を建て、それを人々が幸せと感じて、良いことは皆が行うべきだ
  と感じて、様々な物を作り出す。人が人のやっていることを見習ったりなどして、この世を良くして行く。
 
【悪い者の上にも良い者の上にも】
―天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者の上にも正しくない者にも―(イエス)
―心が煩悩に汚されることなく〜善悪のはからいを捨てた人には―(ウダーナヴァルガ)

 人に対して、あれは「過ちだ」と感じても、はじめから過ち。人々と世間が自分の思うようになること自体が過ちである。
 「よく聞け、そうだ」という霊の言葉。神にはこの世に対して、この世で善悪のはからいを求めてはいけない。



214 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/27(水) 18:11:10 ID:LyZBThmc
■■罪過なき世界の道■■
【安らぎと悩み】
―心の安らいの味をあじわったならば、熱のような悩みも無く、罪過も無くなる、真理の喜びの味をあじわいながら―(ウ
ダーナヴァルガ)
―そして「やすかれ」と言われた― ―あなたがたは、この世ではなやみがある―(イエス)

【あわれみ】
―盲人で口のきけない人を〜物を言い、また目が見えるようにされた〜聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない―(イエス)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―(サンユッタ二カーヤT)

 ―弱い人に対しては、つねに同情して忍んでやらねばならぬ―(ウダーナヴァルガ)普通の人は、もしも、盲人で口のきけ
 ない人が物を言い、また目が見えるようなことがあれば素直に喜んであげるような、ごくあたり前の心があればよいだろう。
 一切の生きとし生ける者をあわれむような極端なことは望まれていないようだ。

【貧しい人への分け与え】
―学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ―
―この世でもの惜しみし〜かれらは、地獄、畜生の胎内、閻魔の世界に生まれる―(サンユッタ二カーヤT)
―この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた〜しかし今ここでは、彼は慰められ、
あなたは苦しみもだえている―(イエス)

 飲食豊かな富んだ人が、目の前にいる貧しく飢えた人に施さない。誰でもわかる無慈悲な人が地獄などに行く。人の良識に
 反した無慈悲な人が地獄に行くのだから、神は黙っていても公平に教え、そのままだと言われる。


215 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/09/27(水) 18:12:44 ID:LyZBThmc
【何を食べようか】
―善を喜び〜すなわち『わたしは何を食べようか』〜『昨夜わたしは眠りづらかった』家を捨て道を学ぶ人は、これらの四つ
の憂いに導く思慮を抑制せよ〜衣食の量を知れ―(スッタニパータ)
―信仰の薄い者たちよ〜何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかといって思いわずらうな―(イエス)

【未来のことにあくせくすることもなく】
―未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている―(サンユッタ二カーヤT)
―あすのことを思いわずらうな〜一日の苦労は、その日一日だけで十分である―(イエス)

【自分の持っているもので満足】
―自分の所得だけで満足する者となろう―(正しい教えの白蓮)
―自分の持っているもので満足しなさい―(ヘルブ人への手紙)

【哲学】
― 一切の哲学的断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない―(スッタニパータ)
―むなしいだましごとの哲学で―(コロサイ人への手紙)



216 :つきピエ#:2006/09/27(水) 20:44:42 ID:9dgOY4LN
あまり宿怨を基盤にしていない思想とは珍しいものですねぇ

217 :つきピエ#:2006/09/27(水) 21:19:45 ID:9dgOY4LN
天は人の上に人をつくらず、また人の下に人をつくらず

218 :つきピエ#:2006/09/28(木) 21:01:51 ID:O3vPQ5WN
http://www.president.co.jp/pre/20020916/02.html

219 :不法の者:2006/09/28(木) 21:26:47 ID:EkSThXM0
まだあるぜ共通点。

・因果応報 自業自得   (仏教)

・あなたが人をはかるそのものさしであなた自身もはかられ、  
 あなたが人を裁くその裁きによってあなた自身も裁かれる。  (イエス)

・剣をふるう者は剣によって滅ぶ。  (イエス)

・勝つことを 習ひ習ひと思いしに 負くることをば 習ひけるかな  (柳生新陰流某剣士)

みんな言ってることは同じだよな。

220 :つきピエ#:2006/09/28(木) 21:43:59 ID:O3vPQ5WN
かすらないということはおそらく剣当違いですね

221 :名無しさん@3周年:2006/09/30(土) 21:26:30 ID:qcTPyI3N
原始キリスト教において異端とされたキリスト教グノーシス派、これは興味あるね。
http://gzmgzm.e-city.tv/a004/0203.html
 確かに仏教に通じている。

222 :奈々子:2006/09/30(土) 22:34:23 ID:NTLyY/vG
1)仏陀の母の名前はマーヤ、イエスの母の名前もマリヤ、マーヤは物質界や混沌をいみする、
マリヤも黒マリヤで象徴されるように、同じ意味が暗示されていたようです。
2)また、イエス、ゴータマは名前ですが、仏陀、キリストは名前ではなく、どちらも悟を得た者という意味で、
これまた同じです。

偶然と言うには、酷似しすぎていますが、これはほんの例に過ぎません。もっと知りたいですか?

223 :つきピエ#:2006/09/30(土) 22:51:59 ID:LhS+leoG
1は僕の実名にも関連してるなぁ
もっと知りたい

224 :つきピエ#:2006/09/30(土) 23:04:39 ID:LhS+leoG
2は僕の名前に関連してるなぁ
でもこれ言うとキレる人が出てくるからだめ!ぜったい

225 :つきピエ#:2006/09/30(土) 23:04:45 ID:LhS+leoG
お口のチャック(・×・)ん〜ん〜ん〜

226 :名無しさん@3周年:2006/09/30(土) 23:38:58 ID:hY8deJNh
キリスト教は、組織的宗教で牧師らが脅しても逆らえない体質がある。
現代仏教は、教えというよりお経になって、お坊さんの言うことが教えの
全てになっている。

脅しで盲従かわけわからんから盲従か、宗教はそこらへんが共通。


227 :つきピエ#:2006/09/30(土) 23:49:56 ID:LhS+leoG
批評には己の阿頼耶識が表出しますねぇ

228 :つきピエ#:2006/09/30(土) 23:51:28 ID:LhS+leoG
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1159089517/
洗脳論と本質論についてはここが詳しいですよ

229 :つきピエ#:2006/10/01(日) 01:40:06 ID:mLdJE7FC
自閉してるけどね

230 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 09:44:39 ID:IOoeVkR/
>222
他にどんな共通性が有りますか?
日本語の「悪魔」の「魔」も「マーヤ:マリア」に共通する『音』でしょうか?

231 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 10:19:03 ID:JWPDpqwi
聖書の外典に
シャカの伝記があるそうだよ。
キリストの方が500年あとだから、影響を受けるのは無理もない。
東方の三博士ってインド人?

232 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 11:26:17 ID:LiSJXk1t
キリスト教ってのは、宗教だと思われとるかもしらんが、銀行組織。
ユダヤの。

233 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 11:58:16 ID:IOoeVkR/
>>231
インド人に幾らか近いかもしれないが、ゾロアスター教徒であると、>>221サイトになかったけ?

 >聖書の外典にシャカの伝記があるそうだよ。

 これは全く面白い。もっと詳しくお願い。

234 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 13:20:49 ID:I1QrOwhI
月ピエって昔電波板にいたあのこか?

235 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/01(日) 14:51:21 ID:FPzHU7wr
【悪しき者の配下】
―妄執というものに、一切のものが従属した―全世界は、悪しき者の配下にあることを、知っている―
 人の手で作られた物を必要としている限り、自分は人より正しい者、善人と自任できる者はいない。
「この世は泥沼」で、妄執に導かれた人が自分に権威を得て、人々を自分の意思に従えさせ、自分の栄華のため人々を自分の
利益のために働かせて、わずかな物を与えるだけでもおかしくない世界だという。

しかし、人々が思慮し、互いに助け合って生きる良識を身に付けた。人は自分ひとりで全て生み出し、暮らしているわけでは
ない。

【父母を敬すること・友を大切にすること】
―母または父〜かれらに対して尊敬心を持て―友人との友情を朽ちさせないようにしなさい―(サンユッタ二カーヤU)
―父と母とを敬え―自分のために友だちをつくるがよい―(イエス)

【真理の治療】
―他人が怒っているのを知っても、自ら気を落ちつけて静かにしているならば〜自分と他人の両者の治療を行っている人―
(サンユッタ二カーヤU)
―敵を愛し、迫害する者のために祈れ―(イエス)

 神が創られた自然を愛するように、物欲や享楽を慎み、慎ましく暮らしている人に怒り、危害を加える人は、身やぶれて
 のちに、地獄に生まれる。


236 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/01(日) 14:51:51 ID:FPzHU7wr
【くどくどと祈ることでもなく】
―多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(サンユッタ二カーヤU)
―見栄のために長い祈りをする―(イエス)

【死者を葬ることでもなく】
―葬儀などやるな、という思想は原始仏教聖典にまま散見するが―(大パリニッパーナ経)
―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい―(イエス)

【供え物でもない】
―献供をささげる〜このようなものは、梵天の召し上がる食物ではないのです〜強い者にも弱い者にも暴力をふるうことが
ありません。かれがあなたのささげる最上の食物を受けるように―(サンユッタ二カーヤU)
―人々が供える物は〜神ならぬ者に供える―(コリント人への手紙)―兄弟と和解し〜供え物をささげる―(イエス)

 葬儀は形式だで死者の運命を変えることなく、また人の供え物を食べる神はいない。

【富んだ家】
―富んだ家に住んでいるならば、まことあり、柔和で、よく分かち与え、温かい心でいるならば〜来世を恐れる要がない―
(サンユッタ二カーヤT)
―貧しい人々に分けてやりなさい〜富んでいる者が神の国にはいるのはなんとむずかしい―(イエス)

【乏しい中から】
―乏しき中からわかち与える人は、法を実践〜千の供犠をなす人々の百千の供犠も―(サンユッタ二カーヤT)
―みんなの者はありあまる中から〜乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費を全部を入れたからである―(イエス)



237 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/01(日) 14:53:14 ID:FPzHU7wr
【生物の種類と自然】
―地は青草と〜天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け〜生き物を種類にしたがって〜海の魚と、空の鳥と〜(創世記)
―草や木にも種類の区別あることを知れ〜魚ども〜虚空を飛ぶ鳥どもにも種類のあることを知れ―(スッタニパータ)
―人のいない林は楽しい〜かれらは快楽を求めない―(ダンマパダ)―林のほとりで楽しみ〜大いにみずから満足すべき
である―美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった―(スッタニパータ)

【足ることを知り】
―足ることを知り〜生活も簡素であり〜諸々のひとの家で貪ることがない―(スッタニパータ)
―ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである―(テモテへの第一の手紙)

【消え行く霧にすぎない】
―この身は泡沫のごとくである〜世の中は泡沫のごとくである―(ダンマパダ)
―あなたがたの命は〜たちまち消えいく霧にすぎない〜この世の有様は過ぎ去るからである―(コリント人への手紙)

【来るべく世界は全てが幸福であり安穏であり安楽】
―盲人は見え、足なえは歩き・・・病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた、また多くの財産のある人に貧しい人
に分けてやりなさいと言われたイエス・キリスト
―平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ― 一切の生きとし生ける
ものをあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―

【神の身体と世界の終極】
―人間の身体を捨てたあとでは、神の身体を満たすであろう―聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る
人となるであろう〜世界の終極を知り―(サンユッタ二カーヤT)
―万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する―(コリント人への手紙)―世の終わりには―(イエス)

 無慈悲であわれむことを知らず、美味を貪り、物への欲望、欲楽や享楽などに耽溺し、修行僧が自然の中で瞑想する
 ような、清らかさを求めない人々は、世界の終極の時、神の身体を満たすことができないままとなる。貪欲にならず、
 平穏な心で満足する人は、平穏な世界を受け入れる。


238 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 17:37:57 ID:qrovAkTi
朝から林檎を剥いて食べる。
最近寝不足気味で体もガタガタ、胃もかなり疲れてたので
お酒を控えて健康な生活に変えている。

それにしてもなんで林檎や梨や柿や葡萄などの実は
あんなに美味しく、甘い香りをだすんだろうか?
植物が種を守る為なら不味くした方が確実に、だれも食べないのでいいのでは?
と考えがちだか、植物は一枚も二枚も上手だ。
動物や鳥が食べたくなるニオイや味にすることで、一度それらに食され
腹の中に収まる事で、自らでは到底移動できないような場所で
糞に混じって種を広範囲にばらまくことができる。
そうすることで自らの種を守っている。

自分が美味くなって、より多くの生物に食べられるような 、おんぶにだっこ的進化より
自分で種をばらまけるように、なぜ進化しようとしないんだ貴様!
と喝の一つも入れてやろうと思っていたが、最近そう思わなくなってきた。
果実のように他人を喜ばせることが、回り回って
時間はかかるが、また自分に大きな徳として帰ってくるのかもしれないと。
それが本当の共存共栄なのかもしれないと。

自らの立場や体裁、目先のメリットのためだけで
様々な権利を主張し続けたりすることは無意味なのかもしれない。
植物のそれが本来の正しい方法なのかもしれない。
人を楽しませることが、最終的に良き結果を生むのだと。
正しいシステムはシンブルで誰もが喜べるようになっているものだと。
だから自然はスゲェ?のだと・・・。


239 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 18:32:25 ID:IOoeVkR/
>>238
>自分が美味くなって、より多くの生物に食べられるような 、おんぶにだっこ的進化より
自分で種をばらまけるように、なぜ進化しようとしないんだ貴様!

これが縁起の法則であり、この様にものには主体というもの、命というもの、我というもの、
このようなものが無いのが真実である、と言うのが仏教でしょう。これらの魅力的に見えるもの、
醜悪に見えるもの、これらのものには実体がなく、このようなものに執着するなら、即ち、
これらのものを取り押さえようとするなら、それに縁起している全てのものをも必然的に取り押さえることになる、
つまり、煩悩の激流にながされてしまうと言うことになるから、執着しないようにしなければならない、と言う訳でしょう。
執着しないとは、縁起しているもんは「苦。無常。無我、空」であると心に決定し、取り合わない事である。

240 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 18:39:01 ID:e7aAyde4
子供がいないことってそんなに不幸なことなの?

241 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 18:49:15 ID:IOoeVkR/
 慈悲喜捨と言われる。慈悲喜捨とは何であろうか?執着心を、開放することでなければならない。
執着心から開放された者は、罪が許された、と言う。この三界(色界、欲界、無色界)から人を解放し、
浄土に入れてやることである。ある人が何かに執着し苦しんでいるのを見るなら、その執着が無意味である故に、
全く異なる見解の境地、即ち、空の境地:浄土を見せてやることである。執着していた事実の結果として罰を加えたり、
贖罪を要求したりすることは、慈悲喜捨に反するのだ。


242 :つきピエ#:2006/10/01(日) 19:02:05 ID:E7DsXRgm
い〜た〜よ〜お〜

243 :名無しさん@3周年:2006/10/01(日) 19:05:54 ID:IOoeVkR/
>>240
違うでしょう。

244 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 06:25:08 ID:UOo75ioM
イエス BC06−AD33年(誕生−十字架)

ペテロ パウロから見ると、別のイエスを語る。人間イエスを語る。

サウロ この道の者を迫害する(サウロあらためパウロ)
    生前のイエスがドウであったかは語らない。十字架と神イエスを語る。
    十字架と復活と福音。
    偽りの人説。

パウロ AD36−AD64年(活動時期)
    AD50−55年(パウロ文書)

    AD64(マルコ福音書)
    福音書・使徒言行録(ルカ文書)
    AD70(マタイ福音書・ヘブライ語の旧約聖書66巻選定(ユダヤ教))

    AD90-110(ヨハネ文書)
     クレメンス
     イグナチウス
     ポリュカルポス
     パピアス
     黙示文学

    AD140(マルキオンのパウロとルカ文書からなる10巻聖書・初の新約聖書)
     グノーシス文書全盛(ナグ−ハマディ文書)

245 :奈々子:2006/10/03(火) 10:59:30 ID:lD5t7Vii
>>230
教えの共通性は取り上げるまでもないことは、他の主要宗教間でもご存じの通りですが、
面白い点をお話しする方がいいでしょう。

釈迦は釈迦族の王子であり、地位も名誉も財産もあった人であるが、イエスもそうであったことを知る人は少ない。
まず、すでに明らかになっているが、イエスの父ヨセフは、当時のユダヤ教エッセネ派の最高指導者であった、大工というのは、象徴的な言い方で、
後のフリーメーソン、のメーソンが石工を意味するのと同じで、建築者(霊的なことの)の意味である。
従ってイエスも御曹司であり、金も地位も名誉もあった。またイエスは洞窟の馬屋で生まれたが、当時洞窟に住めたのは富裕層であった、一般人は平地にテントを張っていたり野宿していた。

「悪魔」の「魔」は仏教経典にあるマーラからきていると思います、マーヤはサンスクリット語ですので、別の言葉と思います。


246 :奈々子:2006/10/03(火) 11:18:29 ID:GttrIYZl
>>231
聖書の外典は非常に重要な書物です、3世紀のニケーヤ宗教会議でカソリックが排斥した重要なイエスの教えが埋没していることは事実でしょう。
イエスは、弟子達に「貴方達には真理を語るが、大衆には語らない、なぜなら、彼らは見ても見えず、聞いても聞かないからである」とハッキリ大衆への教えと秘密教義を区別していることが書かれている。
それらの教えが、地下に潜ったことは事実でしょう。
面白いことに釈迦も弟子達に、「この木のには多くの葉があるように、私が語ったことよりも、語らなかった、語れなかった、ことの方がはるかに多い」と
明言している。教えの神髄はそんな生やさしい者ではない、と2人の大聖者はハッキリと言っている。

東方の三博士も実は隠語である。簡単に言えば三位一体がイエスに顕現したことを示している。聖書はたとえ話で書かれているので裏の意味を読み取らないと、
おとぎ話になってしまう、イエスは、「あなた方には真実を話すが、一般人には喩えで話す、なぜなら彼らは聞いても聞こえず、見ても見えないからだ」と
言っているではないですか、聖書はたとえ話であふれている。隠語で星は、覚醒の到来を意味し、三博士は3つの覚醒原因の生起であり、
日本の空海でも、「明星が来光した」と修行の成果で語っています。

247 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 21:22:47 ID:pM/YMcOc
>>245
>イエスの父ヨセフは、当時のユダヤ教エッセネ派の最高指導者であった、大工というのは、象徴的な言い方で、
後のフリーメーソン、のメーソンが石工を意味するのと同じで、建築者(霊的なことの)の意味である。
・・・・ またイエスは洞窟の馬屋で生まれたが、当時洞窟に住めたのは富裕層であった、一般人は平地にテントを張っていたり野宿していた。

 大工と言う職業、このような職業が有りながら、「当時洞窟に住めたのは富裕層であった、一般人は平地にテントを張っていたり野宿していた。」
と言うのは矛盾していますが、どうでしょうか?


248 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 21:25:41 ID:pM/YMcOc
>>246
>面白いことに釈迦も弟子達に、「この木のには多くの葉があるように、私が語ったことよりも、語らなかった、語れなかった、ことの方がはるかに多い」と

釈尊は自分には「師の握りこぶしはない」と言っていますが、この意味は隠している教えはない、と言う意味です。
ご紹介の文は何処にあるものでしょうか?

249 :奈々子:2006/10/03(火) 22:29:37 ID:51i6NehM
>>248
阿含経典のどこかですが、見つけたらお知らせしましょう。もっと明確に書かれているのは「シンサッパー」の教典
の中で、「分かっていても解かなかったことの方が多かった」と明確に書いています。
イエスも釈迦も対機説法を基本としているので、うまく読まないと一見矛盾しているように見えます。
その最たるものは「無記説」と言われる部分ですが、一般人には説明しても問題があるばかりなので、
「魂があるとは言わない、魂が無いとも言わない」、「死後が有るとは言わない、死後は無いとは言わない」
などと政治家のように明言を避けています。相手に必要があり、その時期であれば釈迦は、語ったことでしょう。
しかし釈迦の本心は、「秘密はない」は真実でしょう、言いたくても害がある、時期尚早なんでしょう。
記してもいます

250 :奈々子:2006/10/03(火) 22:38:01 ID:51i6NehM
>>247
おっしゃる意味がよく分からないのですが?
イエスは実際には大工や石工ではなかったということですよ、
霊的なことの建設者ということの象徴的説明です。

251 :奈々子:2006/10/03(火) 22:48:47 ID:51i6NehM
>>247
あ、おっしゃる意味が分かりました。大工がいたら、ちゃんとした家が建てられるのに、
と言うことですね。聖書でそう訳しているのでよくは知りませんが、ご存じのように当時でも
教会とか公共建築物はりっぱで、石造りの土台と壁の上に木製の屋根の構造体が構築されていました。
また、詳しく説明すると、エッセネ派は死海の近辺の洞窟を好んで住居としていたことが、「死海文書」の
発見により解明されつつあります。個人的には、大工は間違いで石工だと思います。
神殿を建てる、神の家を建てることの象徴をイエスの職業と語りたかったのではないかと。

252 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 22:53:32 ID:pM/YMcOc
>>250
馬小屋を作るんは大工です。その海馬桶を作るのも大工仕事でしょう。この様な木と言う材料で住まいを作る人を大工と言うのです。
大工と言う職業名があると言うことは、人人の住まいが大工により作られていたことを示します。それなのに、
富裕層の人々ですら、家ではなく、洞窟に住んでいたり、一般人がテント生活をしている、と言う生活形態は、
家に住むと言う生活形態と矛盾するではないですか?

253 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 22:58:05 ID:ZLyS5y1P
シャカも教えられなかった重要なことがある。

それを見つけたわたしに従え。これが銭になる。

254 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 23:04:37 ID:pM/YMcOc
>>251
>神殿を建てる、神の家を建てることの象徴をイエスの職業と語りたかったのではないかと。

そこまで(イエスの職業が人の住む家を建てる仕事ではなく、神の家を作るのが仕事であり、その例えであると考えること)
考えるのは、福音書の記述と整合性がとれないのではないでしょうか?
 そして、イエスはあなたの考えでは、表面上大工ヨセフの子でイエスも大工と言う職業に付いていたのであると
福音書に記載されていると言うのですか?


255 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 23:16:18 ID:pM/YMcOc
>>245
釈尊の母親は釈尊を生んでまもなく死んでしまいます。これは一般的に釈尊にとって致命的な不幸です。
イエスは父無し子として生まれました。これはイエスにとって致命的な不幸です。
この不幸の方が両者に共通すると見るのはどうでしょうか?

256 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 23:18:36 ID:pM/YMcOc
>>253
それを言ったのが日蓮じゃないですか。

257 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2006/10/03(火) 23:29:17 ID:HU3mC5FA
奈々子さん。なかなか興味深い話をありがとう。

メーソンは石工大工。
そう、ヨセフは、大工。イエスは大工の息子。これキーポイント。
いや、面白い。なたはいい視点がありそうだ。盲人達の横槍は無視して、
あなたの知識を披露してください。応援してますよ。

258 :名無しさん@3周年:2006/10/03(火) 23:41:57 ID:ymCzA7hL
真似したい人、とか?
ともに幸せな人。
二人が出会ったら、凄いね。

259 :奈々子:2006/10/03(火) 23:53:43 ID:51i6NehM
>>252
トルコのカッパドキアのフィルムをごらんになれば、洞穴生活が当時の水準では快適な住居だったことが分かります。
安全性、恒温性など優れた点が多いようです。私の説明が悪いのかもしれません。
イエスの父ヨセフは宗教指導者であり、イエスはその後継者であり、両者とも大工ではないことはすでに事実です。
では、なぜ聖書に大工としたのか、に関しての私の推論です。一理あるとしてください。
またイエスの家系が洞窟に住んでいたのは、エッセネ派が好んで洞窟を住居としたという点にあります、どんな改造をしたのか計りしれません。
カッパドキアでもかなり合理的な設備の跡が多く発見されていて驚くばかりです。参考になります。
また、神の家を建てるというのは、文字通り神殿や教会を建てると言う意味ではなく、イエスが言った、「シェキナー」です。
あなた方人間自身の心の奥に神の住処を持ちなさい、建てなさい、と言うことです。
家に住むと言う生活形態と矛盾するではないですか

260 :カラスの巣:2006/10/04(水) 17:32:45 ID:rFBCyIOL
このスレは、カラスグループが占拠した。
奈々子殿はからすの分身であーーーーーる。




261 :名無しさん@3周年:2006/10/04(水) 18:44:12 ID:sxiuA0Lj
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


262 :名無しさん@3周年:2006/10/04(水) 20:19:37 ID:aE0D2gz+
http://www.geocities.jp/x_meishu/bunmeinosouzou.html

263 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 00:10:40 ID:g3rt2Ebv
>>260
お前本当に性質悪いな。

さすが、層化だよ。

264 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

265 :名無しさん@3周年:2006/10/05(木) 06:21:10 ID:G3cdkn6e
>>256
日蓮を賛美しているのではない。反対である。日蓮のようなものが日本の宗教界に現れたこと
これが日本の不幸であった。今創価が跋扈している。創価は日蓮思想を日本は愚か世界に公宣流布し様というのである。
何と不幸なことか。仏教、キリスト教を踏みつけ、その上に破壊思想を置こうと言うのである。

266 :つきピエ:2006/10/05(木) 14:14:13 ID:ZJjhz2ig
賢善な者は普通の顔をしているが
邪祖は普通の顔をしている
シドはどっち

267 :つきピエ:2006/10/05(木) 14:33:15 ID:ZJjhz2ig
Aの言葉には概して人間的な愛がある
Bの言葉には常に人間的な愛がある
蛇はどっち

268 :つきピエ:2006/10/05(木) 14:39:19 ID:ZJjhz2ig
片方は問題点を追究する
片方は問題点を追求する

269 :あっw!クマ ◆konbu//XQ6 :2006/10/05(木) 19:09:00 ID:BshTYw08
うまいじゃんw

んで、つきぴえたんは、どれ?


270 :つきピエ:2006/10/05(木) 20:15:49 ID:ZJjhz2ig
まぁ書いているのは
遺伝子と霊性だろうね
書けないのも同じく

271 :つきピエ:2006/10/05(木) 20:24:06 ID:ZJjhz2ig
自分が善だとか思い始めたら伝統仏教ではない
自分を邪だと認識してゆけばよいよ統失者は

272 :あっw!クマ ◆konbu//XQ6 :2006/10/05(木) 21:25:27 ID:BshTYw08
>>271
認識出来れば、統合失調じゃないよ。
まあ、いろんな段階はあるけど。

273 :聖霊大王:2006/10/06(金) 10:27:16 ID:fu4VOrUA
コンブ殿はここに、移住したかあ、、
ご隠居は出てくるのだろうか????

274 :聖霊大王:2006/10/06(金) 10:30:24 ID:fu4VOrUA
御隠居情報、希望、、
御隠居、いずこに、いるだろう??

275 :聖霊大王:2006/10/06(金) 10:38:24 ID:fu4VOrUA
御隠居は、不思議な人だったなあ、、
頭のいい人のいるスレで、さわいで、痛めつけられる。マゾのような、人だった、、
新興宗教系で、騒げば、、天下をとれるのにねえ、、、、

276 :あっw!クマ ◆konbu//XQ6 :2006/10/06(金) 12:37:28 ID:QZhKoHkb
無宗教者を救うスレ
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1149853206/

ここも面白そうなスレですねヽ(^。^)ノ


277 :あっw!クマ ◆konbu//XQ6 :2006/10/06(金) 12:41:45 ID:QZhKoHkb
ここのスレの目的は、
愛と慈悲について、語りたかったのか?

まあ、チガウだろうナァ〜



278 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 13:23:08 ID:gLrSW0ZI
ぼけ老、宗患を飼っている家って大変なんだろうな
俺が板を見る動機は、他の人たちがWAUWAUなどに加入して
サイコスリラー映画を見るのに近い感覚。
いつも2ちゃんの宗患を観察しているが飽きない。

279 :聖霊大王:2006/10/06(金) 13:42:53 ID:fu4VOrUA
コンブ殿、サンクス、、
法華経の悟りをひらいた途端、あの、楽しいスレは消滅した、、因縁だ、、、

280 :あっw!クマ ◆konbu//XQ6 :2006/10/06(金) 13:56:29 ID:QZhKoHkb
いっぱつ、

★ご隠居を見つけたら、あげるスレw!★

でも、つくろうかヽ(^。^)ノ



281 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 14:04:56 ID:+36c7/2m
>>271
親鸞の教えを信じてるしとは、統失者wっw

282 :偽御隠居:2006/10/06(金) 14:10:26 ID:fu4VOrUA
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1151682757/l50

283 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2006/10/06(金) 14:11:09 ID:kShtWcwV
大ちゃんなにやってんだよw

284 :偽御隠居大王:2006/10/06(金) 14:13:50 ID:fu4VOrUA
御隠居運動を進めたいぞ!!!!!!!

285 :りょん ◆Ryo/Z1n.Io :2006/10/06(金) 14:15:39 ID:kShtWcwV
宗教無宗教立てたからそこでやんなよw

286 :偽御隠居大王:2006/10/06(金) 14:21:40 ID:fu4VOrUA
さんくす、りょんさま、、

287 :偽御隠居大王:2006/10/06(金) 14:23:06 ID:fu4VOrUA
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1154124877/l50

288 :大王:2006/10/06(金) 14:27:38 ID:fu4VOrUA
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1143648555/l50

289 :大王:2006/10/06(金) 14:29:45 ID:fu4VOrUA
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1095670539/l50

290 :大王:2006/10/06(金) 14:38:09 ID:fu4VOrUA
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1103822087/l50

291 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 15:22:27 ID:8HgSD3nr
★旧約聖書−申命記−6章4〜5節

 シェマァ イスラエる アドナイ エろヘーヌ アドナイ エはッド:
 ヴェアはヴッタ エット アドナイ エろへーは
 べほる れヴァヴェはー ウヴゥほる ナフシェはー ウヴゥほる メオデはー:

 聞け イスラエルよ 主人なるは 私達の神様 主人は ただ一人なり
 あなたは愛せよ その主人なる あなたの神様を
 あなたの心のすべてで またあなたの魂のすべてで またあなたの力のすべてで

絶滅収容所のユダヤ人のポケット等で見つかったチラシの裏のように書いてあった言葉。


292 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 15:23:48 ID:gKx5Y3yf
相違点
ブッダ 「がんばるな」
イエス 「がんばれ」

共通点
ブッダ&イエス 「オレはお前等とはレベルが違う」

293 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 15:27:13 ID:gKx5Y3yf
真理真実
ブッダ&イエス 「オレ最高。っつか、正しいのオレだけ」

294 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 15:27:28 ID:+zuy8yfR

100年前の朝鮮は日本の奈良時代以下のレベルだった!

未開な日本統治前の朝鮮写真↓
http://www.geocities.jp/furen1002/KoreaHistory.html

朝鮮人を飢餓と内乱から救った日本
http://plaza.rakuten.co.jp/khiroba/diary/200411150000

295 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 15:58:31 ID:+36c7/2m
>>281
なんて嘘

296 :名無しさん@3周年:2006/10/06(金) 22:17:31 ID:CNUbFG3C
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1109648793/495-504
コロサイの信徒への手紙3章16節
キリストの言葉が あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、
詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。

http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1109648793/384-495
2.ゼネラル(普遍救済)
 神は全人類を救いたいところなんだが 人には 福音を受け入れないという
選択肢もがある。でも君は正しい選択をした えらい(=普通のアルミニアン)


297 :名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 12:02:39 ID:Qos8eN2P
>>251
洞窟の中は確かに温度の点で住みやすいだろうね。
僕ちゃんも洞窟に住んでみたいな。

298 :名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 13:19:44 ID:C64ltudo

 洞窟の温度はその地の年間平均気温だ。

 地下水の温度と同じだ。

 熊が冬眠しても死なないのは当然だ。理にかなっている。

 冬季は食べ物がないし、穴倉は暖かい。寝てしのぐのが一番。

299 :名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 15:13:33 ID:Qos8eN2P
洞窟内の岩石の温度と地下水の温度が同じ、なるほど。
カッパドキアなんて所は、雨が少ないところだから、洞窟内は、
湿気の心配も無かった訳でしょうね。

300 :名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 20:52:37 ID:8wPNGu5l
>>296
人に福音を受け入れさせる。無理にだ。それで、他宗教と対立し戦争が起きる。
終末戦争だ。

信者は牧師の言うなりになって、奴隷社会が作られる。独裁国家となる。
もし、本気で人に福音を受け入れさせたいなら、献金は必要ないだろ?

本来の仏教は、自分自身が自分の支配者。理法を学んで、自分自身が独立
自由を目指す。

もし神が存在したとするなら、このように世の中には多くの宗教があり、
その宗教を排除しようとして、争いや戦争を望むと言うのか?

301 :名無しさん@3周年:2006/10/07(土) 23:38:28 ID:Qos8eN2P
>>300
>もし神が存在したとするなら、このように世の中には多くの宗教があり、
その宗教を排除しようとして、争いや戦争を望むと言うのか?

キリスト教にとってもほかの宗教にとっても真理真実は認めないわけに行かない。
この理解が相互に無いのであると思う。仏教だけがその真理真実を明かしていると思う。
世界中を回って仏教の言う真理真実を説いて回ることは、これほど値打ちのある行為は無い。


302 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/08(日) 12:10:15 ID:SSbV55ZW
他人に依存しなければわからない信仰というものはない。人の無意識にあり、人が生活活動などで失われたもの。
―平安の境地に達して〜一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ〜慈しみの心づかいをし
っかりたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ―(スッタニパータ)
― 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない―(サンユッタ二カーヤU)
―盲人は見え、足なえは歩き、耳しいは聞こえ・・・病に苦しむ多くの人々を神のわざでいやされた、また多くの財産
のある人に貧しい人々に分けてやりなさいと言われたイエス―(イエス)

 一切が幸福となり安穏となり安楽となる来るべく世界は存在し、世のことへのこだわりや迷いを少なくして、慈し
 みの心づかいをしっかりとたもち、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、世界の終極に至る人となり、不死の世
 界で生きる者となる。清浄な世界は何も望まず、望むのは煩悩からで、かの世もこの世も望まず、精神の安定統一
 を目指し、平穏な心で満足する人は、不死の世界で生きる者となる。

【本来は他人に依存しなければわからない信仰というものはない】
聡明な人は、ひとつのブッダの詩、言葉を聞いても全てを悟るほどであると。
―わたしは、離欲を達成するまでは真理のことばを学びたいという願望がありました〜離欲を達成したからには、見た
ことでも、聞いたことでも、考えたことでも、すべて知った上では捨て去らねばならぬ―(サンユッタ二カーヤU)
―律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては
自分自身が律法なのである―(ローマ人への手紙)


303 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/08(日) 12:11:29 ID:SSbV55ZW
【世の心づかいも】
―切に、世を厭い嫌うものとなれ―(サンユッタ二カーヤU)
―世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて―(イエス)

【顔色が明朗】
―森に住み、心静まり、清浄な〜その顔色〜明朗―(サンユッタ二カーヤT)
―断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな〜自分の顔を見苦しくするのである―(イエス)

【罪過を告白しての懺悔】
―罪過を告白して懺悔するのを受け入れない人は、内に怒りをいだき、憎悪で重く、怨恨をまとう〜そなたの罪過の
告白を、わたしは受け入れる―(サンユッタ二カーヤT)
―あなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言って〜ゆるしてやる―(イエス)

【公平】
―苛酷なることなく、貪欲なることなく〜万物に対して平等である―(スッタニパータ)
―律法の中でもっと重要な、公平をあわれみと―(イエス)

【働く】
―〔神いわく〕そなたに依存して生きているのではない。またそなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではな
い―(サンユッタ二カーヤU)
―働こうとしない者は、食べることをしてはならない―(テサロニケ人への第二の手紙)


304 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/10/08(日) 12:12:56 ID:SSbV55ZW
【世間の中で人々が悪業をつくらず生活する教え】
物や地位を得ようとして、自分の貪りのために働いてはいけない。世の人々を糧として得ることをしてはいけない。
一切の生きとし生ける者の幸福と安穏と安楽を思って働く。
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々〜それらの人々は、法に安住
し、戒めを身に具えて、天におもむく―(サンユッタ二カーヤT)
―肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのではなく―(エペソ人への手紙)

【くびき】
―天にかかわるくびきを―(サンユッタ二カーヤT)
―わたしのくびきは負いやすく―(イエス)

【あなたの神 見いだして(イエス) 教えの中から真実のものを選びとる(仏教】
―主なるあなたの神を―捜せ、そうすれば、見いだすであろう―(イエス)
―七覚支・・・・・教えの中から真実のものを選びとり、偽りのものを捨てる―
―この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし―(大パリニッパーナ経)
 ■仏教では、言葉の上の教えとして仮に経典がつくられたに過ぎず、弟子たちが自分でおおよそ学んだこととして
  書かれ、ひとつの経典では偽りを学ぶこともある。他人をたよりとせず、複数の経典に書いてあるものは真実の
  ものとして選びとり、ひとつの経典のみに書いてあるものは偽りのものとして捨て去る。

他人がこれは特異なことで、それを信じることであなたに益があると薦められても、他人をたよりとして信じること
は仏教ではなく、自分をたよりとして真実を見出そうとしないと、善いところに生まれることができないことは多い
だろう。釈迦の教えに反して、他人をたよりとして信じ、仏教をしていますという人は、かえって善いところに生ま
れず、悪いところに生まれる場合だってある。
人はこの世で死んで終わりだけではなく、その後もある。どこに生まれるのかはその人次第だけと言われている。良
識的な考えと、人の手で作られた物で楽しまず、永遠に生きる世界はつながっていると言われている。


305 :名無しさん@3周年:2006/10/09(月) 21:14:38 ID:03nRCXMX
仏典と自分を頼りとして信仰の道を歩む。
他人と対立が起こりえない仏教。仏の究極の智慧。

306 :名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 17:45:56 ID:ed3iXcHU
信仰対象が内なる平安で成仏を目指す。

経典も人が作ったものとして即座に信じず、他人に依存せず自分を頼りとして
道理を考えながら、何が真実のものか、何が偽りなのか、偽りのものを捨てる。

他人から聞いて正しいと信じただけの人は、仏教をしているわけではない。

仏教は信仰対象が物で現されるものでは一切ないから、その信仰対象物の違い
により、争うことはない。


307 :名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 22:42:51 ID:ed3iXcHU
スッタニパータ ダンマパダ テーラガータ テーリーガータ サンユッタ・二カーヤ
マハー・パリ二ッバーナ・スッタンタ

原始仏典でも釈尊入滅後400〜500年経っている。
何が真実なのか、何が偽りなのか、聖書と共通点があれば、何が真実なのか参考になる
のではないか。


308 :つきピエ#:2006/10/10(火) 22:57:49 ID:R4KsTXf9
http://blog.livedoor.jp/rengein/archives/660440.html


309 :名無しさん@3周年:2006/10/10(火) 23:27:03 ID:ESPTaKCC
私は世が造られる前から居る(イエス)。ここが仏教の空に通じるポイントであろう。
創世記の、「我々の姿に似せて人を男と女に作ろう」という点になると、説明が出来ない。
理法により空を説明する仏教。天地創造と言う方便(例え)を用いて空を説明するユダヤ教。


310 :つきピエ:2006/10/11(水) 14:31:39 ID:xHBoQdtM
純粋には「無神」は視ることができない
語ることもできない
だから純粋有神と純粋無神は反発しあわない特性になる

反発するのは不全な有同士である
反発する質量と反発して返ってくる質量のすべては不全である
また反発には不全、不全には反発が互いに因果関係にあり、その「形質」同士はパズルの組み合わせになる

311 :名無しさん@3周年:2006/10/11(水) 16:42:11 ID:jkZ0Ub2W
のにゃ

312 :名無しさん@1周年w:2006/10/11(水) 19:28:20 ID:y7Nt9trm
まあ、言葉でいえるところで語ってなんか意味があるのかってことだがなぁ〜

313 :つきピエ:2006/10/12(木) 03:20:22 ID:xwTgE8Yi
ぜんぜん違うよ

314 :名無しさん@1周年w:2006/10/12(木) 09:08:22 ID:QEqhx+vA
ふーん、じゃあ、もっと語るべきだな。
中途半端にオナニズムしないで、自慰公開するべきだな。

見たくない他人の目の中に自分のちんちん突っ込んで射精してみろよヽ(^。^)ノ

それが出来なければ、まあ、単なるアホ馬鹿よぉ〜んw

315 :つきピエ#:2006/10/12(木) 12:11:29 ID:WHihqnji
なぜわざわざ粘着をする?
なぜスルーはできない?
なぜ理解できなければならない?
理解など求めていないのだが。
といえば、まぁ粘着は増すのでしょうね。不全だから。

316 :つきピエ#:2006/10/12(木) 12:13:29 ID:WHihqnji
「概念の押し付け」を「押し付け」られているから?
では読まないでおけばいいよ。
悪いんだけど相手にしたくないし、してほしくもないよ。

317 :つきピエ#:2006/10/12(木) 12:13:42 ID:WHihqnji
http://www1.yapeus.com/users/tukipie/

318 :名無しさん@1周年w:2006/10/12(木) 22:29:58 ID:QEqhx+vA
>>316
と、相手にしてる自分は特別か?

君は他人とは違う前提でしか思考できないんだな。
しかも、違うということを前提にしながら、人と同じであろうとレスをする。
だからこそ、
障るんだろうねぇ〜


319 :つきピエ#:2006/10/12(木) 22:51:19 ID:WHihqnji
まぁそれは否定しませんが

320 :名無しさん@1周年w:2006/10/12(木) 23:35:49 ID:QEqhx+vA
なら、障るのも仕方ないだろう〜\(^o^)/
しかし、ほんとおもろいなぁ〜月ピエたんは・・・・・


321 :つきピエ#:2006/10/13(金) 00:02:43 ID:53Le9+wX
宗教は信頼関係がなければ成り立たないのでそれが誰であるかは必要だが
哲学は純粋に法則ならば詠み人知らずのほうが道理にかなっている。
法則を述べるときに名前が入ると、述べた者の名前が神格化されて映るので、人に障る。
その法則が真理である場合、「未那識の衝突」という真理以前の問題が生じると
真理にとって無益なので、名無しのほうが本来はいい。

322 :つきピエ#:2006/10/13(金) 00:11:11 ID:53Le9+wX
書かれたものの中に人がいると言葉を擬人化して捉える場合、
究極には、今生きていない人の言葉しか生きた言葉にならない

323 :名無しさん@1周年w:2006/10/13(金) 08:54:20 ID:4wqIBonc
宗教は共同体w
哲学は遊びw


324 :名無しさん@3周年:2006/10/14(土) 23:45:56 ID:vI0Sb7fk
イエスと釈迦は、この世界を客観的に説き、普通の人は自分の思ったことを言うので、様々な宗教がこの世にできた。

325 :つきピエ#:2006/10/15(日) 00:18:49 ID:3rGVjuCX
通底してるよ

326 :名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 17:53:15 ID:9wPv2ZgX
南無妙法蓮華経を唱えたり、南無阿弥陀仏を唱えたり、お経を呪文のように唱えたり・・・・・・・
死者のために法事をしたり・・・・・これはお釈迦様の教えではなく、普通の人が自分の思ったことを
言って、他人に伝えたために生まれた教えである。

本来のイエスとお釈迦様の教えには共通点があり、宗教的な存在意義から、人間世界が存在しない世界
を善として、「空」や「一切の幸福世界」「一切に富む者・貧しい者のない世界」を善として、慈しみ
を根本としてこの世界に教えようとしたものである。

律法や宗教的行事を宗教としていたユダヤ教・バラモン教の革命者。

327 :つきピエ#:2006/10/15(日) 18:10:39 ID:3rGVjuCX
まぁここでは鬱陶しいから省くけど、それも自分の思ったことだよ

328 :名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 21:34:34 ID:U+2aVtqh
>>326
葬儀などやるな!つまり法事なんてブッダの教えでない。ブッダは現代のお坊さんが
言うことと正反対の教えを説いた。
イエスとブッダの世界の終末。自分が人に善いことをしないと善いところに生まれない
などとする、万民共通に受け入れられそうなメジャーな教えが中心。
宗教の行事なんて関係ないという、他人がその人の行く末をどうのこうのできないのが真実。
修行を完成させ、あるいはイエスの言葉を受け入れ、慈悲がこの世では大切だと教える。

仏教のいう、教えの中から真実を見つけ出し、偽りを捨て去るのは大切な教えだ。
仏典は、弟子たちが自由に作り出せるもの。その中で真実を見つけ出すことを教える仏教の
教えは当然のことだ。いくつもの仏典の中で、共通的に見つけられるものが、当然に真実だ
とすればいいだろう。

法と自分を頼りとして仏教を行う。他人を頼りとしない。他人に従属しない。
他人を頼りとすれば、当然、頼りとされる人間に有益になるよう教えることにもなるだろう
し、第一、頼りとされる人間が仏になって全て悟っているわけではない。

仏となって頼りとされる人間だったら、ブッダの言葉どおり、世間から離れて、ひとり遠ざ
かって暮らすか、他人から貪らず自分で働いて暮らしているだろう。そして、仏教の教えど
おり、他人を頼りとせず、自らを頼りとして、法を頼りとせよと教えるだろう。



329 :名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 22:12:00 ID:xcTytZZf
宗教を信じていない人でも、人が亡くなれば手を合わす。
それはそれで尊いことではないだろうか。
故人は天国にいるといわれて、反論する人はいない。
ゆっくりであるが皆歩んでいるのだと思うんだ。
先に歩んでいる人は、後から来る人のところまで戻って
同じ目線のところでで語ってくれると解るとおもうんだ。

330 :名無しさん@3周年:2006/10/15(日) 22:48:51 ID:EdRrbQTA
あれ ここにカラスはいないのか。いちばんしっくりくるとこだろうに。

331 :名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 12:39:01 ID:3Rw58V7H
人が死んで手を合わせるだけでは、本来の教えでなく、生きている時に、つくった業がその人に影響すると徹底して教えるのが、宗教の役割。

332 :名無しさん@3周年:2006/10/16(月) 18:45:58 ID:3Rw58V7H
文字を唱える日本の仏教は、世界的には違和感があるが、釈迦の本来の教えは聖書からみても、真実だと証明できる教えだったのだろう。
キリストは強烈なインパクトを与え、釈迦はキリスト教にも共通する教えのインパクトを与えて、世界に広まるべきだと思う。ひとりの聖者といわれる人が、もうひとりの聖者と呼ばれる人と、共通する点が多くあれば、それは事実あることだと証明できるだろう。

333 :名無しさん@3周年:2006/10/17(火) 00:36:10 ID:ZP+bD8po
永遠の命と転生輪廻って同じことを言っているように感じる。

334 :名無しさん@3周年:2006/10/17(火) 23:15:16 ID:SDWbMURb
>>333
永遠の命とは、その命に変化は無い。輪廻転生とは命が生滅を繰り返す意味である。
輪廻点正を繰り返すことが「永遠」と言うこと意味では、ともに永遠なものを持っている訳であるが。
前者は安定平安を、後者は変化不安定と不安を永遠に持つ。

335 :名無しさん@3周年:2006/10/18(水) 06:05:26 ID:zkVCJ9gb
>>333
「永遠の命」って「空」の概念のことじゃないの
「不生不滅」って同じことだよね


336 :名無しさん@3周年:2006/10/18(水) 10:33:52 ID:7+wvckfK
>333 永遠の命、般若を無心で唱え続けてみて?意味が分かるはず 今が全てなんですよ 本当、常に「今」一瞬一瞬を大切に生きる 特に人との会話をおろそかにしてはいけない 過去の事はもう過ぎ去った 未来は今だ来ていない 今ある事だけを熱心になせ

337 :◆KNnR/ob96E :2006/10/18(水) 17:42:05 ID:nivXPgFr
>>334 輪廻とは、生命からみれば「何らかわらない存在」が「形をかえて生まれる」ことをいいます。
決して変化がないわけではありません。
ただし、あくまで個人の学び、気付き如何によっては、「まるで変わらない状態」つまり、「同じことを繰り返す」ことはありえるのですよ。

338 :名無しさん@3周年:2006/10/18(水) 20:54:49 ID:j78FsDLa
〉336
今だけでなく、今不幸だと思う人にも、世捨て人として幸福に生きた釈迦は、希望を与えた。世の終極の教えは、イエスと同様にある。

339 :名無しさん@3周年:2006/10/18(水) 20:59:29 ID:j78FsDLa
そして、善いことをすれば、それがかえって来るから安心しておれという教えも、キリストの教えと似ている。

340 :名無しさん@3周年:2006/10/18(水) 22:40:15 ID:QXIGE/Dg
こいつらがいなけりゃ宗教戦争も起こらないんだがな

341 :名無しさん@3周年:2006/10/19(木) 00:07:10 ID:O2XSfpSg
イエスも仏陀もいなかったら世界は北朝鮮だな。

342 :名無しさん@3周年:2006/10/20(金) 08:10:22 ID:fnJM8GxP
ラテン語は神父の会話語・
ブラーミン(バラモン)のサンスクリット語のような

エスペラント語はユダヤ人によって作られたが、万国共通として
流行らなかった。

現代ヘブライ語はユダヤ人によって作られ、現在イスラエル共和国や
世界のユダヤ人に使われている。

聖書の言葉で学問語で死語となったヘブライ語を生活会話語として復活させた。
生きた言葉となった。

イディシュ語(ドイツ語+ヘブライ語・奴隷スラブ西ポーランドのゾルブ人の金髪アシュケナージ語)

ラディーノ語(スペイン語+ヘブライ語・ディアスポラやイベリア奴隷の黒髪セファラドの語)

貫くユダヤ人の共通語となった。

343 :名無しさん@3周年:2006/10/20(金) 20:35:40 ID:6T2CXWHK
イエスも釈迦も、人は悪。それだから、人に習わず自分の教えを信じろ、人の過失はゆるせ。



344 :名無しさん@3周年:2006/10/20(金) 20:40:38 ID:1Lg3crfz
重複しますが・・自ら神に従ったイエス 自ら法に従った仏陀

345 :名無しさん@3周年:2006/10/20(金) 20:41:53 ID:6T2CXWHK
中学生が偉い人も悪い事してるのに、どうしてと問われた時、自分が善くないと後々大変になると教えられる。

346 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 00:36:23 ID:swTldKiM
イエスも釈尊も純粋に教えを説くことに専念し 死ぬまで自身や自身の宗教の為に財を作ることも残すこともなかった

347 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 06:18:44 ID:f3OpoliS
本人はけっして偽善者ではなかったのだと思うが、
偽善者にとって都合のよい教えを残したことが残念
いまでは偽善者が好んで用いて、すっかり反対の教えになっている
人間の馬鹿さについての読みが浅いのが共通点

348 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 07:55:48 ID:AWzqmphE
「変な人が書いた驚くほどツイてる話」斎藤一人


 人生は、この「190ページ」だけですべてうまくいく!(裏表紙)
という本です。

 友だちがおもしろい人が書いた本があるよ、と紹介してくれました。
斎藤さんの本はいろいろ出ていますが、文庫本で手軽に読めるので
この本を買ってみました。
 斎藤一人さんは言われます。

 宗教戦争も、「キリスト教が正しい」とか、「回教徒が正しい」とか言っているから起こるのです。
 でも、「キリスト教が楽しい」とか、「回教徒が楽しい」と言っていたら、
「じゃあ、楽しいことが二つもあって、良かったね」
 ということになって、ケンカにはなりません。
 資本主義と共産主義の闘いも、「どっちが楽しいか」だったら、誰も死ななくてすんだはずです。
 ケンカになってしまうのは、どっちが正しいかを主張し合ったからです。
「俺も楽しいよ、あんたも楽しくて良かったね」
 これで終わりです。(39p)

・・・・・仏陀もキリストも楽しいw

349 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 14:29:22 ID:x5JRrx22
>>348
宗教戦争の原因は、教理の相違が原因ではないだろう?
例えば身近な例を取れば、今イスラエル地方における戦争は、決した教理の相違が原因ではない。
それは土地争いが原因であろう。一つしかない土地を相方が奪い合っているのである。十字軍にしても、
聖地が回教徒に侵略されているというのが原因であろう。

350 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 15:06:10 ID:6AK6CslR
主観的に物事を考える人を束縛し、他人に善を期待せず、自分を善くしようとする人を偶像礼拝などの宗教行事から開放しようとした。

351 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 21:27:13 ID:x5JRrx22
回教徒であるパキスタンがバーミャンの石造大仏を破壊した。

352 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 22:27:20 ID:HVmTzGC3
釈迦もキリストも、葬儀に格別な意義を持たせてはならない、と戒めた。
らしい

死んだら肉体が朽ち果てていくのは解るが
魂という概念はどこからきたのか
釈迦やキリストが考えたのか
誰か教えて。



353 :名無しさん@3周年:2006/10/21(土) 22:32:34 ID:swTldKiM
「恨みをもって恨みで返すは火に火を注ぐ行為である。火を消すのに水を用いるが如く慈悲の心で恨みを止めよ」釈迦
「汝の敵を愛せ」「剣を取るのをやめよ 剣を取る者は剣によって滅ぶ」イエス 人間の性根を考えると一番困難な課題です

354 :◆KNnR/ob96E :2006/10/21(土) 22:49:23 ID:igXqeNY+
しかし、取り組む価値のある事柄です。


355 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 09:43:15 ID:xFx8sjsA
釈迦も上に下に横に怨みなく敵意なき慈しみがこの世では崇高な境地で、貪りを除く人は母胎に宿らないと。
イエスも敵を愛し、恩を知らぬ者にも悪人にも慈悲深い者となれと。

356 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 10:03:31 ID:xFx8sjsA
葬儀など人間の行為でなく、世に危害を加えない自身が天国に行く。そのため信仰を持てと。慈悲を持つ人は、一切を幸せにする慈悲深い神(霊の世界)と融合するこてができ、肉は焼き滅ぼされる。

357 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 10:17:18 ID:xFx8sjsA
人は貪りのため、輪廻を繰り返すが、それでも善と悪の両者は付き従う。しかし、世界の終極(仏教、キリスト共通)があって、清らかな行いを修めた人は、神の身体を満たす。

358 :里子:2006/10/22(日) 12:10:50 ID:Zx6h9WfV
皆さんのすばらしい考えと信仰に祝福あれ。
清らかな行い、慈悲深い行いについて教えてください

359 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 17:21:16 ID:6u5YYJ4F
「心の清い人は幸いである その人は神を見るから」イエス 「世に欲望少なく心清らかな人も少なからずいる。 その人が法を聞き精進すれば真理に到達し得るであろう」仏説(梵天勧請)
「病人の世話を心を込めてする人は、仏の世話をしているのである」仏陀 「私は単に病人の世話をしている訳ではありません 病人の姿をされたイエス様に仕えているのです」マザーテレサ

360 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 18:09:38 ID:JrvctqhX
三輪清浄
 与える人と受け取る人と、授受される者とは同一の空なるものである。三者には差別が無い。
これが真理真実であるところ、与える者が、授受する者と物に実体を認めその値打ちを量り、見返りを期待するなら、
空と言う真実真理に反するのである。また、受け取る者が、授受する者と物に、実体を認め、
その値打ちを測るなら、空とう真理真実にはんする心構えにあるのである。このような真実真理に反する心を
汚れた心といい、真理真実に合致している心構えを清浄な心と言うのである。
 慈悲行とは、上の心汚れている者に対して、これを罪あるものと言うのであるが、
この罪を罪と認めないで、これも縁起しているものとみて、実体のない空なるものと見、
罰または報復を加えるようなことをせず、自分と同じ者と対処する人の行為である。

361 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 18:20:36 ID:ZXPABdoO
日本の仏教は、信仰の対象物によって分裂しているが、聖書と原始仏典は共通点は多い。
仏教は永遠の世界が、一切が幸福に満ちる境地の世界として、「一切の生きとし生けるものは、
幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」とこの世での仏の境地を表現し、慈しみの心づかいが
この世では崇高な境地と教えている。
「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない」と。

そこでイエスはあわれみの神、慈悲深い神というものを自身で示し、無意味な偶像礼拝や律法
主義からの脱却を人々に教えた。

この世で幸福を求める凡夫は、森の中で瞑想修行する修行僧と「一切の幸福と安穏と安楽と
の境地に到達した」ブッダに熱烈な尊敬心を持ち、気前よく分かち与え、貪欲と怠惰を制して、
人々の幸福と安穏と安楽な暮らしを心得て精励して働き、勤め励めば功徳が得られ、またこの
世で幸福が得られるが、恣の欲望に従えば、来世で貧困となるか、畜生の体内など悪い運命と
なって生まれる。しかし、よく分かち与える人々は天に生まれる。

信仰の対象とされねばならないのは、彼岸を行いとした、無所有で世間から離れ、森の中で瞑
想修行した修行僧であり、「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダ」だ。
イエスも、数多くのあわれみの行いを示し、永遠の世界が、貧富も病などもない世界を神の世
界と認めないと、いくら偶像を拝んでも罪はゆるされず、また天国に行けないと説く。


362 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 21:24:03 ID:xFx8sjsA
業は信仰の対象物を拝んでも、葬儀や法事を行っても、林や園に出向いても消えることはない。
人は幼い頃から、人を苦しめることのないように、あわれみ慈しみを教える正しい教えを学ぶべきかもしれない。


363 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 21:40:49 ID:JrvctqhX
自分を愛するように隣人を愛せ、と言う教えは、その隣人愛に条件が無いことを認識すべきではないか?
自分の敵であった者をも、自分を愛するように愛せと言う意味ではないだろうか?

364 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 21:40:54 ID:rLNxDh12
いや消えるよ。独学では偏見に陥りやすい。
知りたければまず実際やって確めてみることだね。恥ずかしいことではない。

365 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 21:43:46 ID:rLNxDh12
それだけ意識が高ければ行ってみるべきだと思う
歓迎されるから

366 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 21:56:15 ID:OpeOC6it
>>362
業が消えるベクトル(法則の方向性)があるんだよ。
もちろんあわれみや慈しみは基本。
正しい教えと言うものを、一種類しか知らなくって言ってない?

367 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 22:35:17 ID:JrvctqhX
業の繋縛からの解脱方法を説いたのが仏教だよ。業とは縁起である。その縁起が空なのだから、業も空なのだ。
業が空であるとは、業は幻であると言うことだ。無実体と言うことである。これを『正法』という。
この正法はどんな罪をも許す。少なくとも、この正法を信じないならば、許される罪は決してない。
しかしこの正法を信じるならば、許されない罪はない。詰まり業に繋縛されると言うことだ。永遠に輪廻転生を繰り返すもんと考えねばならないのだ。

368 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 22:43:15 ID:JrvctqhX
>>367訂正
>許されない罪はない。の次に、正法を信じない罪とは、を挿入する。______詰まり業に繋縛されると言うことだ

369 ::2006/10/22(日) 22:46:12 ID:Zx6h9WfV
>>367
その正法というのはどの書に書かれた用語ですか、何を読めば最もいいのですか?

370 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 23:07:29 ID:rLNxDh12
一体誰に習ったのだろう

371 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 23:33:00 ID:JrvctqhX
大無量寿経
 法蔵菩薩の請願
(十八) わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わた
しの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れるこ
とができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただ
し、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。

最後に『仏の教え』とありますが、これを『正法』と訳す者もアリます。
仏の教えは理法であり、理法は真実を空であると帰結させます。理法は縁起の法で有ります。
この仏の教えを、正法とも言うのです。
 引用した大無量寿経の部分に、五逆罪を犯したものは除くと読めますが、観無量寿経には、
五逆罪を犯したものも、阿弥陀仏の名を唱えるなら救われると教えています。
 
 私は殊更に『正法』と言った感がありますが、真理・真実・正法・仏の教え、これらは全て同意語です。



372 :名無しさん@3周年:2006/10/22(日) 23:36:37 ID:JrvctqhX
>>370
一人の僧や学校の先生を持たなくとも、理法を悟れば、仏教の教えのとおりとなります。
ITはまた沢山の教えの載せています、これらを読んでも学ぶことが出来ます


373 ::2006/10/23(月) 10:31:24 ID:lVxAaSW+
>>372
私は、知識と知恵と実践のバランスを常に考えることを大切にしたいと思っているのですが。
こういった教えの中で、実践は具体的に何を主軸として日々を過ごすのでしょうか?

374 :まい:2006/10/23(月) 12:02:44 ID:8Dj5Llzt
実践は自分が日々出会う人との心の交流だと思う。

レジのお姉ちゃんと目が合って、「ありがとう」というだけでもリアルな何かを感じることができる。
「相手は自分を映して反応している」というのはただの理論で無いと実感するよ。


375 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 15:13:47 ID:mfR8Bc1K
>>367
信じるか信じないかに左右されるものならば、その前に、どれが正法でありどれが偽法であるか
見極めないと大変なことになる。
これが正法あれが正法という争いは絶えない。

見極めるために知らなければならないことは、今生では時間が足りないかもしれない。


しかしあせらなくても良い。
この生は、永遠の中の一部でしかないのだから。

タイムリミットで地獄行きをいうカルトには気をつけなければならない。

>>372
理法を悟ったんだね。すごいね。
でも、それは信じた結果ではないでしょう?信じることと知ることはまったく別物だよね。
あなたにわかることでも、他の人には違うかもしれない。
人それぞれ違う時間の中にいるんだよ。
でも、縁があって同じフィールドの中で生きているから互いに影響し合える。
そんな中に、ひとつひとつ知ることの感動があるんだよね。

376 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 17:57:22 ID:NccvTUqL
>>375
>理法を悟ったんだね。すごいね。
 
 これあれば彼あり、これなければ彼れ無し、これは理法だろう?次に、それでは、これも彼も、
実体としては無いと判断せざるを得ないだろう?この判断もまた理法だろう?
 この理法を知ること、または、納得することは、難しいことか?難しくないだろう。
難しいのはこの理法を体得することなんだよ。これを修行と言っているのだ。


377 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 20:15:53 ID:fsivX/h4
慈悲について探してみました「この世で自分以上に愛おしい存在を見つけることはできなかった。そのように他者においてもそれぞれ自己が愛おしいのでる。それ故に自分のために他人を害してはならぬ」仏陀
貴方の隣人を自分のように愛しなさい」イエス エゴある故に簡単のようで難しい

378 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 20:25:00 ID:NccvTUqL
>>373
一切が幻で、苦であると解った人は、一切に執着しないようにしなければならないでしょう。
泥棒があなたの金庫から1000万円盗んでいたのが解っても。あなたの左の目をくれと言ってくる人には、
断ってはならないし、右の目をも与える様にしなければならない。こう言う道理になりませんか?



379 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 20:36:08 ID:6LVKIes3
空を無と混同している人が多い
虚無主義とか無関心とは違う
自分はアウラも空だと思ってる
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%A6%A5%E9?kid=46369

380 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 21:24:06 ID:NccvTUqL
>>379
空と無はどう違うとお考えでしょうか?

381 ::2006/10/23(月) 21:29:00 ID:lVxAaSW+
>>378
皆さんがよくご存じなので有難く思います。
この世の一切が苦の原因であることは理解できるのですが、釈迦が四正諦で解いている。3番目と4番目が実行部分ですが。
これが普通の人にはそんなに簡単なこととは思えないのです。
例えば、一切は空だと言っても、そんな簡単に「空」だと観することはできない。
泥棒に右目を差し出すことができるほど自分の目を空だと観じ、痛みもなく差し出せない。
釈迦が、「人間が今まで転生を繰り返し、流した涙の量は海の水全体よりも多い」と言ったように、
言うのは簡単だが、並大抵のことではないんでしょう?また「空観」は物の存在が無いと言うことではなく、
物は真実の存在ではない、というだけの事なんでしょう?


382 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 22:24:59 ID:6LVKIes3
質問しなければならないほどわからないことは述べてないだろう

383 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 22:59:18 ID:NccvTUqL
>>381-382
縁起と空の理法から、空とは無なのかどうか、または、「「空観」は物の存在が無いと言うことではなく、
物は真実の存在ではない、というだけの事なんでしょう? 」なのかどうか、考えて答えを出すことが出来ると思います。

>この世の一切が苦の原因

これは違いますね。苦の原因は、執着することです。執着するから苦なのです。
苦;集・滅・道の順序です。執着するから苦であるとは、一切は空であると言う真実を見ないで、
一切は有であると見ると言うことが執着なのです。無いのに有ると思うことが執着に他ならないでしょう?
そして執着とは妄想に他ならないでしょう?集・苦・滅・道と言うのが本当の順序ではないでしょうか?
 そして次に、妄想の消滅が涅槃寂静です。これが滅です。
滅に至る、換言して、妄想を消滅する、方法が八正道なんです。

>釈迦が四正諦で解いている。3番目と4番目が実行部分ですが。

これは違うでしょう。四番目の八正道が実行部分です。




384 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 23:07:44 ID:6LVKIes3
それに於いては正論なのだけどねぇ・・・
まぁめんどくさいからいいや

385 :名無しさん@3周年:2006/10/23(月) 23:22:47 ID:NccvTUqL
383の説明は今だ回答していないものもあるし、回答しているつもりのものは、
叙述が不完全で、解りにくくなっている。
 今日はなんか、回答したり、叙述を改めたりするには疲れた。

386 :絵里子:2006/10/23(月) 23:47:59 ID:lVxAaSW+
>>385
ありがとう。自分が分かっているつもりで、分かっていなかったことが整理されました。
「空観」についてもよろしく。

387 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 00:59:13 ID:H+4KNLhQ
この日本で怖いのは法律。お坊さんにお金払えば、成仏できる。それが葬式仏教。
キリスト教には神、仏教には業。
人間の論理以外に何か恐れるものを説いた。

388 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 12:39:43 ID:H+4KNLhQ
「空」は論じ合いによっては悟れず、むしろ離れ、怠け者が論によって悪い境地に至るのを防ぐためのもの。釈迦の指導に従わず、瞑想もせず、貪欲を制し森や林にも行くこともなく、論によって悟りを得ようとすると、迷って地獄に墜ちるぞ。


389 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 18:29:25 ID:DZdQEp3E
イエスもブッダもすべての生命は生かされてる命である事を教えてくれた

390 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 18:34:58 ID:OH5qRygk
そういうこと言ったらいけませんよ
人のことを思いやるのなら、もっと卑屈をかまさなければなりません

391 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:01:38 ID:3f9koTLH
>>389
生かされるってド言う言う意味、詳しく説明して。

392 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:14:14 ID:DZdQEp3E
個人的な意見で申し訳ないが 自分の命や身体でさえ 自分の意志ではどうにもならない局面があると言うこと
例えば死にたくないのに死んだり 病気になりたくないのに病気になったり・・そんな感じです

393 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:20:26 ID:OH5qRygk
人は自分のためにしか生きられない
そうでない人間がいるのならここに見せてみろよ
という強い信仰と卑屈な脅迫を持てば、それにしっかり生かされる

394 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:23:05 ID:OH5qRygk
http://tukipie.net/forum/sonore2.htm

395 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:26:47 ID:OH5qRygk
引き寄せて
結べば柴の
庵なり
解くれば元の
野原なりけり

396 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:30:49 ID:OH5qRygk
生かされている
そのことを昨日道を歩きながら想っていたけど
繊細な内容ほどすぐに忘れる
結構複雑さを帯びたvisioneだったけどね

397 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:34:35 ID:DZdQEp3E
私も最近までそうでした つい最近、病気で友人を亡くしてね・・レス暗くしたらごめん

398 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 19:51:50 ID:3f9koTLH
>>392
お、それは縁起と言うものだよ。仏教の縁起だよ。人間と言う者は、
色んなものと縁起して(相対的に存在して)いるのだよ。だから、一方のものが滅すると人間も滅すると言うことになるのだ。
例えば、空気が無くなると人間死んでしまうのだ。癌と言う病気に犯されると死んでしまうのだ。
 そして、ここから仏教のあり難い教えが始まるのだ。上のように縁起しているだけの存在は、実に不安定で、生きてこ無い方が増しと言えないか?
仏教はこうだ。縁起している存在は、実体が無いと。実体が無いもんを自分であると考えてはならないと。それは苦しみに他ならないからであると。
肉体は滅ぶがその肉体を自分であると考えてはならないと言うのだ。肉体を自分であると考えるならば、肉体とともに自分は滅んでしまい、何とか逃れ様として、
様々な方策を立てるのである。子孫を沢山用意したり、輪廻転生の物語を信じこんだりである。しかし仏教は、相対的存在には実体が無いから、
それを自分とみなさ無い様に教え、一切が相対的存在であるから、一切が空であると教え、空こそ真実であると教え、
如何様に空に逆らってみても所詮空に他ならない出のであるから、真実である空に従う様に教えるのである。
空に従うならば、生滅は滅び、永遠の平安があるのみとなる、と。そして、これは理法と言う教えであり、理法以外のものではない。
 真実は空であると言うのは、ただいま現在のことであり、過去でも未来でもない。
しかるを、過去のことを原因として悩んだり、未来のことを原因として悩んだり、何物かがあると思い、それの処理を悩んだり、
誰か人間がいてその関係で悩んだり、この様に空と言う真実に反する思いで悩んだりするのは、真実から人を離れさせようとする悪魔の誘惑と見做し、
これらの真実に反する思いを「焼き尽くしながら」歩め、と教えるのである。

399 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 20:11:41 ID:3f9koTLH
一切が空である、のであるから、不善と言うもんは無いのである。人は現在の世界を不善の無い理想郷であると信じなければならない。


400 :名無しさん@3周年:2006/10/24(火) 20:57:50 ID:3f9koTLH
一切と花に化に付いて、経典を以って掲載されていました。五蘊です。
六識です。

401 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 01:20:23 ID:usjvA17R
寝たきりになって死んだおじいさんは、空だったのだろうか?

402 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 09:19:25 ID:t70mkkdH
空の意味による

403 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 19:24:17 ID:7ZU6p/2E
>>401
> 空だったのだろうか?
 
 空だったのだ。この空の意味を空しいと解釈しては逝けない。仏であったのだ。
 例えば、何か善いと思われている物をめぐって争いがあるとしよう。争いは誰にとっても苦痛である。
空の真理を学んだ者は、苦痛は妄想から来ていると知って、その争いに加わらない様に逃げなければならない。
こうしてその人は、本当のよいもの:心の平安を得、心の苦痛を捨てたのである。この様に何時も平安を求め、苦痛から逃げなければならない。
心の平安は空であるが、苦痛は不空であるのだ。


404 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 20:05:46 ID:7ZU6p/2E
例えば、あなたが恐ろしい形相の恐ろしい刃物を持った三人の男に囲まれ逃げられ無い様にされたとしよう。
その時、あなたはどういうべきか?苦痛から逃れる為に。

405 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 20:13:08 ID:SOEjVYfV
あなたならどうします?

406 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 20:14:56 ID:7ZU6p/2E
>>405
私が質者者なのだ。

407 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 20:16:46 ID:SOEjVYfV
私が変質者なのだと誤読してしまいました

408 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 22:05:59 ID:7ZU6p/2E
>>406
訂正し無いと解らないのかw?
私が質者者なのだ。→ 私が質問者なのだ。

409 :名無しさん@3周年:2006/10/25(水) 22:55:17 ID:7ZU6p/2E
平安の主、仏陀よ、私を受け入れ給え。

410 :名無しさん@3周年:2006/10/26(木) 12:23:00 ID:y1DJtCf1
>>1
イエスとシャカはブッダ。
輪廻を悟った人。

411 :名無しさん@3周年:2006/10/27(金) 01:46:34 ID:OouU9bEg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E4%BA%BA%E6%AD%A3%E6%A9%9F

412 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 10:20:52 ID:ekfMwNzm
釈迦の教えに反し、森や林にも行かず、葬儀や法事で他人依存して成仏しようとする人、イエスの教えに反し偶像礼拝で有形なものを信仰の対象物とする人。
それらは、無明・無知。

413 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 10:56:51 ID:ekfMwNzm
釈迦も慈しみを人の完成した理想の姿として教えようとした。
この世の迷いと悩みは自然修養により健康的な精神へ。そして勤勉に働くこと。仏教の役割は、法事でなく、現代にもある諸々の問題の解決。

414 :名無しさん@3周年:2006/10/28(土) 22:57:49 ID:ekfMwNzm
人はこのような生存状態を希望し、偶像礼拝、献供、呪文のように意味を伝えずくどくどと祈るが、精励して世の人々のために働き、貪欲を制し、森や林で静けさを楽しみ清浄な心を保つなら、老いと死を乗り越えて、迷わない真理の世界に通じる人となるだろう。


415 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 10:37:13 ID:yVDcDixC
釈迦は修行を完成させ、一切の生きとし生ける者をあわれみ罪過なく真理に通じる人となった。
イエスは天国での神が、貧富の差をつけることもなく、病人などをいやすから、自分を信じて、人への愛を信仰の教えとして教えるよう指導した。

416 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 19:10:29 ID:yVDcDixC
思い上がり自分を善人と自任するほどの慈しみの行いを人々にしなければならぬことと教えているわけでない。
人々が目標とし尊敬されねばならぬ存在が、偶像ではなく一切の幸福と安穏と安楽で、それを無所有で現した釈迦とイエスを尊敬すること。


417 :名無しさん@3周年:2006/10/29(日) 19:31:18 ID:yVDcDixC
偶像礼拝や呪文を唱えることなく、貪欲と怠惰で光り輝かないとし、肉の主人に仕える、橋や田に植える人々の功徳を説いた。
感謝や心の平穏の幸せを説き、満足と善である人の死後の安心を説いた。

418 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 19:47:52 ID:ZquOVJ5n
キリスト教の天地創造に疑問を持つようになった。被造物であることはキリスト教においても、全く無意味であるからだ。
ハマディ文書と化に、いや、グノーシス派と言うべきか、その教えの中では、天地を創造したのは
別の神であると言っていた。
 無明が仏教では創造主である。

419 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 19:51:08 ID:YIwdxpHk
女はクズと認めた事かな

420 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 20:13:20 ID:ylnN2Pai
>>404 一服していいですか?


421 :名無しさん@3周年:2006/10/30(月) 23:28:42 ID:ZquOVJ5n
>>419
?
>>420
よく理解しませんが、私の答えを言ってみましょう。
その三人は悪いことをしていると思っているでしょうから、そして、真実は、そのような凶悪な事態になっておら無いのですから、
その三人には、「あなた方は善い人達です。」というべきです。
 悪いと思うことと善いと思うこととは相対的ですから実体がありません。所がこの三人は、
今悪いと言う思いに執着しているのです。そこに、「あなたたちは善い人達です」と言われるならば、
そのような凶悪なことをしない自分を思うことになるはずです。とすれば、その三人は、
悪にも善にも執着しない中道をに立ちます。そして、その中道にあなた自身がいることで、
中道と中道があるのですから、そこに自他の区別のない、一相が生じることになるのです。
 大事なこと派、あなた自身が、中道、空、を信じそれを常に勝利させるように行動している事が必要です。



422 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 05:42:20 ID:hRH4PPa2
>>421
あなたの答えに対する返答は おためごかしは止してくれ ですね。

423 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 12:48:55 ID:EMgULhYI
天地創造の神は、人が賢くなり考えられる神ではなく、万物が神に帰してからしかわからない神なんだ。
そしてそこで、全てをあわれんで公平に幸せにする神が真実の神とわかる。
偶像など人が考えたトンチンカンのものを拝まず、素直になってあわれみが善いことと認めれば、永遠を知ることとなる。


424 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 17:58:11 ID:EMgULhYI
結局人間は人間的な神を知ることはない。
釈迦が悟りで善悪を悪魔としたように、霊感を得た人が、存在をわかりやすくするために、神が言葉で創造したとしたのかもしれない。
仏典にあるように、神々がいるかもしれない。
しかし、人間は極めて清浄な状態で地上のものから離れた時に神と名のついた存在を知る以外ない。幸も不幸もなく、一切をあわれんだ状態がその状態に近い。


425 :名無しさん@3周年:2006/10/31(火) 20:57:10 ID:EMgULhYI
平安の境地に達して一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれ、
一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない(仏教)
慈しみあわれみを奇跡で行ったイエス。
万物が神に帰する時に、人はようやく全てを幸せにする神を知り、人間の今の思いは全て消えるから、迷っておらず慈しみを崇高なものとして受け入れておけと。
その清らかな思いを目標にして信じている人は、世の終極に達し神の身体を満たすだろう。



426 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 12:39:58 ID:RlguFM8Z
仏典でも神はでてくる。しかし、依存してはならない。
仏教の無明とは、呪詛の作法をしたり、呪文を唱えたり、意味を持たない言葉を言ったり聞いて、心を休ませようとすること。
人間の食べ物を食べない神々や死者に供養物を捧げること。人間の力の及ばぬ死者に葬儀で供養できると思うこと。
世の欲望を捨て、一切をあわれんだ人を尊敬されるべき人と思わないこと。


427 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 18:37:16 ID:ldJvK1ue
キリストもブッダも死んだ
死人に口無し
今ある教義はそのほとんどが偽物
ミワアキヒロって奴がこないだ
「私の周りにはキリストからお釈迦様から…とにかくいっぱい神様が付いてるんです」
って言ってたが
現存の普通の坊さんや神父もそれと大して変わらん
真理は何が正しく何が悪いじゃなく
“どう生きるか”にある
しかし今やどちらも“どう死ぬか”を教えているように思う
でなければ葬儀の時ばかり盛大なわけがない
教義に死後の世界なんて話誰が持ち出してきたのかはもはや分からないが
愚か者だ
例えばブッダは生き方の中に浄土を見い出せと言ったのに
現在では死んでから浄土に行くことになっている

428 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 20:14:41 ID:gs6DvXoy

ブッダはなんと宇宙人だった!!!

http://www10.plala.or.jp/amurita/

429 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 20:51:57 ID:uyGSOOs+
釈迦には「この世をやろう」と言う悪魔の誘いは受けなかった。
かつて王子だったからだろう。
ところが…。
貧しい家に生まれたイエスには容易に「この世をやろう」と言う煩悩が襲い掛かった。
普通の人間には有り得ない誘惑てある。

430 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 20:52:59 ID:RlguFM8Z
人は悩みがあって信仰をする。森の中で静かに瞑想し心を静めること。
「いつ頃まで修養するのか?」という問いに、
「修行僧は自分の粗雑な思考を修めとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな。」
悩みがあって信仰をするのに、自然修養もせず、他人を悩まさないで暮らすことをよしとしない人は無明だから、
悪い宗教に引っ掛かって、一生何ものかに依存して、束縛を受けよ。


431 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 21:20:07 ID:Fnw3+/fB
>「修行僧は自分の粗雑な思考を修めとり、何ものにも依存することなく、他人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんぴとをも謗るな。」

一切は空であるから、自分の悩み苦しみを支配して足下にに踏みつけ、なにものにも依存せず、一切は空であるから自分を悩ます者など無いし、なかったから、自分のいじめる相手を妄想して作り上げず、
空である真実に敵対する妄想の苦しみを完全に追い払い、そしる相手もその理由もないのであるから、敵を作らない。

432 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:20:51 ID:Fnw3+/fB
ダンマパダ
276 汝らは(みずから)つとめよ。もろもろの如来(=修行を完成した人)は(ただ)教えを説くだけである。心をおさめて、この道を歩む者どもは、悪魔の束縛から脱れるであろう。

278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。

 水中に潜って、息が苦しくなった時、一目散に水面を目指して浮き上がろうとする様に、その様に一切の心に生じる苦しみ、楽しみに捕らえらる事無く、
それらを実体のない悪魔の誘惑と見做し、そのようなことに捕らえられそうになる心を抑圧して、
 太陽が輝く水面に比すべきニルバーナに至れ。

433 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:36:09 ID:Fnw3+/fB
無所有が説かれているからといって、自分の財産を現実に隣人、見知らぬ他人に布施するのではない。
自分が財産を持っている、そして、その財産を布施することを想像するのではなく、そして、その結果として
なにか善いものを期待するのではない。
 自分が財産を持っているという思い、それを抑圧するのであり、財産を布施する行為を想像するのではなく、その様に想像する心を抑圧するのであり、
、布施することにより布施の修行をしていると考える思いを抑圧するのである。
 財産でない、受、想、行、識に属する思いに付いても同様である。このような人を阿羅漢(アラハット)という。

434 :名無しさん@3周年:2006/11/01(水) 23:48:09 ID:Fnw3+/fB
財物を貰って真に喜ぶ者はいないのである。他の蘊に付いても同様である。

435 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 03:50:19 ID:9AEPuUsc
私は理性にもとづく知識の道に、生の否定以外の何物をも見出し得ず、
また信仰の中からは、理性の否定以外の何物をも見出し得ないことを知った

436 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 20:56:04 ID:1wOoC+PM
悩みがあって、信仰する人に、○○を信じてこの世のことを頑張れというのは間違い。
世とこの身の迷いを捨て去るように、自然の中で瞑想し、喜びの境地ニルバーナの影響を受けて、今あることを喜ぶ。
美しい、楽しいは修行完成者釈迦の言葉にもあるだろう。
それが仏教の役割だ。
人の心を落ち込ませる快楽や欲楽を慎むよう教える。
あれやこれや考えて得たものは悟りでない。
かの世この世とともに望む心を捨て去り、精神を安定統一させて、迷いを捨て去る。
自分をよくととのえた人は、人々から貪ることなく、他人を悩ますことなく、衣食を正しく得て、何ものにも依存しない。


437 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 20:57:30 ID:qLPZqEXc
女がクズであること

438 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 21:16:55 ID:7tDUXiXZ
キリストも ブッダも私たちと同じ ふつうの人間でした。

 しかし、現在では 宗教という名の妖怪にとりこまれて
権力者の道具となり 金と偽善とエセ正義に利用されています。


439 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 21:49:21 ID:gAMD2cph
>>437
kuwasiku

440 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 21:55:43 ID:1B367w5s
おいしいものを先に食べるか後に食べるか
どちらが真理か考えてみた

今日のお弁当のメインディッシュはウインナーです
でも大嫌いな納豆の天ぷらが入っています
A君とB君は正反対の性格で
A君は先にウインナーを食べ、B君は後にウインナーを食べました
A君は先にウインナーを食べましたが、納豆の天ぷらをこっそり捨てました
B君は納豆の天ぷらを頑張って食べ、最後に大好きなウインナーを食べました
2人は嫌いな食べ物を食べ、友達から誉められ、尊敬されました
しかし、その後A君は実は納豆の天ぷらを食べていなかった事をこっそりB君に伝えました
B君はクラス中のみんなにその事を伝えました
その日の放課後、A君はB君に校舎の裏に呼び出され
クラス中の人にボコボコにされ全治3ヶ月の重症を負い入院しました
B君はますます尊敬され生徒会長にまで上り詰めました

ですからおいしいものを後に食べるB君が真理です

441 :名無しさん@3周年:2006/11/02(木) 22:31:28 ID:9AEPuUsc
一切は空である
って前に般若心経の解説とか読んでた頃はよく分かったつもりになって連呼してたが、
よくよく考えると何の解決にもなってないよな。
何にも依存することなく生きるって結局自殺しかないだろ。
社会、仕事、恋人、家族、地位、財産。
これらに依存せず生きるってなると簡単なようで無理だ。
人間は死を知覚しているから依存対象がなけりゃ絶望しか残らない。
例えばそうやって宗教的な善人になろうと財産や人生の時間を捨て、
外国で奉仕活動したとしてもそれは思想的な依存であり、
心理学ではメシアコンプレックスとも言う。
最近多いだろ?自分探しってやつ。
別に偽善者とは思わないけどさ。

一つだけ依存せずに生きる方法があるとすれば享楽に身を委ね、
流されるまま怠惰に生きる事だが、それは理性を否定しているだろ?
そりゃ動物と一緒だ。
そしたら人間も動物だからって思うかもしれないが、
しかし人間は前述したように知覚があるから動物と一緒、とは言えない


442 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 06:35:36 ID:/eTAtAAO
>>440
大乗が言うところの、小乗と大乗の違いだろう?詰まり、阿羅漢とブッダの違い。
ま、異論のあるところなんだ。

443 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 06:50:48 ID:/eTAtAAO
>>441
>何にも依存することなく生きるって結局自殺しかないだろ。

自灯明法灯明と言うじゃないか。

444 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 07:43:00 ID:7zNwIeiO
いいや。

445 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 08:35:33 ID:/eTAtAAO
>>444
「 いいや。」だけじゃ解りませんよ。


446 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:35:05 ID:j2cP9XtA
仏教は、自分で教えを確かめよ。他人を頼りとして教えを学べば、一生他人に騙されるかもしれないという警告を含む。

447 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 12:54:12 ID:Rnsl+mcW
仏教の教えってどこまでが仏陀の言ったことなんだろうな
ほとんどが後付けな気がする
だいたい何とか菩薩とかの偶像崇拝しまくってる現代仏教に
仏陀の教えがあるのかどうか本当に疑わしい

448 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 13:14:32 ID:/eTAtAAO
>>447
縁起である、空である、と言うんはみんな論理的にそうなるのだ。そうすると、この基本的な理法に基づいて、
論理は無現に発展させることが出来るのだ。論理が間違っていなければすべて正しい教えといえるだろう?
 大乗は確かに釈尊がなくなってから数百年と言うことであるが、その論理と言う理法は少しも変化ないのだ。
大乗であろうと小乗であろうと、キリスト教であろうと、他の宗教哲学であろうと、この論理に合致する論理
を言うもはすべて、真実の教えであるといえるだろう?
 大乗経典の教えが、釈尊の基本的教えに反しているなら別であるが、そのような違反は見られないのだ。
所が日本の仏教でも、釈尊の教えに反している宗派がある。それは日蓮の教えである。
創価が典型的な偽仏教団体である。

449 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 14:18:00 ID:FZbYjMxW
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
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450 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 18:40:14 ID:j2cP9XtA
>>447
釈迦は自分で書物を残さなかったために、書物の中に偽りもあると見抜いたのかもしれない。
修行の中で七覚支は仏教の道理として重要なもの。
現代でもそれが仏典と認められたら仏教の教えとなる。
しかし、弟子が書いたものは、その弟子の思い込みで偽りもあるというのだ。
偽りか否かは、他の弟子が書いた他の仏典、また他の仏典など照らし合わせて、比較的釈迦滅後に近いものから真実を探るのが道理を尊重する者の証拠。

451 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 23:05:19 ID:/eTAtAAO
マニさんはインドで、仏教に触れ、これは(大乗)は釈尊のものではないというような印象を持ったと聞いたことがある。
そこでマニさんは、自分で自分の教えを書き留めることにしたのであったと言う。


452 :名無しさん@3周年:2006/11/03(金) 23:29:06 ID:j2cP9XtA
天上と地獄とを見たとされる釈迦。修行僧は天界のくびきさえ乗り越えた。
霊体より消滅が安楽であると。悟りの境地は空であり無相。論じ合いにより真理を知れず、迷わないために空を説いたと思われる。
修行僧は世間から離れ、業の束縛からも離れる。
世界を知れる人、聡明な人である釈迦は、過酷なることなく貪欲なることなく公平であることを教えるが、自ら王子から出家の道を選び中道を歩む。
人々は、釈迦と修行僧を尊敬し、気前よく分かち与えて天界か煩悩の残りあれば富裕な家に生まれる。
無所有で喜びに満ちた釈迦は、物質的なことにとらわれず、心の平安を説く。
外的な環境に囚われず、内なる幸せが真の幸せであると。
業は消えず、善いことをした者は安心を、悪いことをした人は一時的によいこともあるが、悪の業が積み重なって、大きな災いを生むと説く。

453 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 02:15:52 ID:/tSQtE30
イエスもブッダも釈迦も空海も、目指す(薄っぺらい表現)ところ、即身成仏。感情や情緒に振り回されてる様があまりにも虚しい。自分だと思っていたものが、虚像だったと実感できた時に俗世間では、語るに足らない。

454 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 10:17:34 ID:42ZFPy9o
>>441
>そりゃ動物と一緒だ。
そしたら人間も動物だからって思うかもしれないが、
しかし人間は前述したように知覚があるから動物と一緒、とは言えない

人間はいぬや猫や蟻と一緒で少しも優れたところが無い。人間もこれらの動物もすべて縁起しているものに他ならないからである。
縁起しているだけのものに何の優れたところがあろうか。動物ばかりではない。植物や鉱物とても人間と一緒である。縁起ものであるから。
この故に一切は空であるといえるのであり、言わなければならないのである。
 であれば、この真実に反して、これは優れている、これは劣っている、と言う分別こそ、悪であり、嘘であり、不幸の始まりであるといわなければならない。
悪の世界、不幸の世界において、この苦しみから免れる為には、今現にあると思っている善と悪とに惑わされ無い様にすることである。
善を取らず、悪を避けず、優れた者を取らず、劣った者を避けないことである。これは分別しないことを意味している。
悪や善と認識しながら、善を取らず、悪を避けないのではない。分別心を捨てるが故である。

455 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 10:43:11 ID:2GuOwULe
>454 仏陀の中道?

456 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 10:52:36 ID:FVumSYdN
仏教が流行した時代は戦乱・飢餓の時代であった
死ぬのを恐れる民衆に国家神道は仏教を推奨した
なぜなら仏教徒はどっちつかず(中道・無・空っぽ)
よって権威による支配と洗脳!が容易だからだ
そこへ、パンチパーマが死は恐くないと説いていた
民衆は寄り集まり全てを諦めたのだ


457 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 10:56:07 ID:Dn3g2dIF
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪


458 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 11:14:34 ID:UfpIC6mk
自己を含めて一切の事物は我ならざるものである。肉体が求める刺激は苦悩を受けるためにある。
修行僧は世間から離れて、この世の苦しみを離脱し、一切は虚妄であり、空であり無相世界を達成し、業の束縛を受けず天のくびきを乗り越え消滅世界に生まれることを目指す。
激流を乗り越え、普通の人間では達成できない境地に至った者がブッダである。


459 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 13:50:01 ID:UfpIC6mk
目指すといって今足りないことに不満を抱かない。
現世での欲楽を捨て去り、自然の中での瞑想を楽しみ、大いに自ら満足して、悩まず迷わず苦悩を捨て去り、次第に悟りの境地へと入る。
何ものをも信じることなく、作られざるものニルバーナを信じ、自然瞑想により生まれないことを目指す。
○○様、僕を私をといって煩悩を抱き救いを求めても本当の救いではないのだ。美しい太陽を見て、気持ちもよく起き上がるように、満足して生きている人は人間の状態で救われている。
欲しい物があれば勤め励んで得よ。
持たなくても、不満がなければ幸せである。偶像礼拝を避けよ。


460 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 21:46:26 ID:tzUh3+cs
人間も犬猫も植物鉱物も一緒ってさ
それは宇宙的に見たところの差異がまあ〜ほとんど無いんじゃない?
と言っているわけで
現実的な個人の視点で見れば絶対的にあるだろ
あるものを無いと言いきっているのは
既成の思想をおっ被り現実逃避していることにならないか?
そりゃ宇宙人から見れば人も犬も同じに見えるさ

461 :名無しさん@3周年:2006/11/04(土) 22:55:01 ID:42ZFPy9o
>>460
>既成の思想をおっ被り現実逃避していることにならないか?
そりゃ宇宙人から見れば人も犬も同じに見えるさ

おい、おい。今になって、物は相対的にのみ存在し得ると言う理法を、忘れ且つ捨てるのか?
人に命があると思い、それを否定できないとしても、その命が相手が無いなら、存在し得ないことは、
少し考えるとわからないもんだろうか?相対的にのみ命が存在しているなら、命というものは実体として存在していないのだ。
命の対象が無くなれば命が存在し得ないだから。
 宇宙的巨眼で見れば、地球上の人間と蟻との差異など、無いに等しいと言う意味ではないのだが。

462 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 06:51:48 ID:F4PTriFo
空 死ねば空っぽ。
殺人者が人を殺して相手を幸せにしたと通じるような教えを釈迦は説いてない。

463 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 09:44:25 ID:L108cSgW
>>462
殺人者が人を殺して相手を幸せにしたと通じるような教え

魔界に通ずる考えなのだがそれが見えない人たちがいる。
結果が現れているのにそれでも見えない。
石を食べ物だと思い込み体に入れる。
哀れでならない。
生きているときに気がついてほしい。


464 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 11:04:42 ID:rvzoAHTt
>>462 
大乗経典の中に、多分三昧王経か涅槃経であったかと思うが、釈尊が大乗教の擁護者として、
大乗を拒否したバラモンをたちどころに殺害したとし、その殺害を非難されて、その言い訳を述べているところがある。
この場合のバラモンの意味は、氏素性としてもバラモンで真実を得るための修行をしているという意味のバラモンではない。
 その言い訳であるが、大乗(空諦を修行する教え)の教えに拠れば、輪廻転生しない。大乗以外では必ず輪廻転生は免れない。
殺されたバラモンは、必ず輪廻転生をする者であるが、大乗誹謗の罪の故に殺されたと言う因縁が、次生を大乗の教えの世界に転生させる
ことになるから、その殺害の動機と殺害の結果は非難されることは無い、と言うような道理であった。
 原始経典においても、これに関連する教えがある。
 空諦を収得し無いものは、即ち、虚妄の世界を形成しているのであり、その世界は、幻である。
真実を体得した者、又は真実を収得ししつある者は、その幻の世界をどの様に扱うであろうか?
彼は、作り立ての粘土の壷を、ひねって破壊する様に、難なく破壊するのである、と書かれてある。
この破壊の中に、人もあれば、社会制度もあるだろう。この修行者の破壊を免れる者は無いのである。


465 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 11:26:52 ID:rvzoAHTt
つづき
 空諦の支配として人が殺されるのは、少しも問題無い。これは理解が困難な表現である。
空諦が人を殺すことは絶対無いのであるが、なぜなら、、殺すという行動も、殺される実体も、
殺す主体も無いからである、しかし、現実として生滅を見る者は、空諦によって殺されているのであると思う。
この世間の悲惨な模様はすべて空諦があるが為に生じているという理屈である。
 そして、殺人と言う行為は、空諦を知らない者のみに属する行為であり、それは、人間と言う命の実体があると
妄想していることが前提であり、このような妄想を持つ者は、空諦を信じている者ではあり得ない。
殺人ばかりでなく、自然災害で人が死ぬ場合も同様であり、要するに空諦を知らない者が、
喜んだり、悲しんだりする事象である。

466 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 12:05:09 ID:rvzoAHTt
>>465訂正
>喜んだり、悲しんだりする事象である。
     ↓
喜んだり、悲しんだりする事象を持つのである。





467 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 12:17:04 ID:/7DCoisB
屁理屈こねてるだけにしか思えん


468 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 14:28:38 ID:rvzoAHTt
>>465つづき
 要するに空諦を認め無いものは、認めない限り永遠に六道を輪廻すると言うことになるのである。
生死は六道の世界にあるものである。これが罪の報いであり、地獄と言うのはこのことである。

469 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 17:36:49 ID:L108cSgW
集団自殺に至る粗末な思想になぜ惹かれるのだろう。



470 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 17:37:54 ID:F4PTriFo
究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことはと説き、
聡明で高ぶることなく、他の識者の非難を受けることなく、一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ、
何ぴとをも他人を欺いてはならない。他人を軽んじてはならない。
悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。
あたかも、母が己が独り子を命を懸けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。
諸々の貪りを除いた人は、決して母胎に宿ることがない。
スッタニパータ
※仏教は識者なら、誰が考えても、その教えを理想とすれば平安となるとわかる教えであり、
無明の人、智慧のない人が非難するから、他人の過失を見ず自分をみよという教え。
その智慧のない人を灯明として教えを聞いていると本人も明らかな智慧がなくなるという教え。

471 :名無しさん@3周年:2006/11/05(日) 19:06:21 ID:F4PTriFo
慈しみの心づかいを善と認めない人は、修行不足。
あの世かの世と望む心を捨て、今現在を尊び、慈悲を忘れずに暮らそうとしない人は釣られ、かの世の安楽と信仰の功徳とに釣られる。
しかし、無慈悲な人が世間にいるよりは、信仰によって釣られた人がいたほうがましだ。
人々に迷惑かけない宗教は存続するだろう。

472 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 08:59:45 ID:Wl6CvLAv
がしかし悲しいかな現実は母が己が子を死なすのが流行りである

473 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 12:49:55 ID:uZZ8bxpE
釈迦が修行を積んで究極の理想に達し、慈しみのこころづかいがこの世で崇高な境地だと教える。
悩みや功徳を求めて神々に献供することは真理に通じず世とこの身の悩みを捨て去るように、自然修養すればそれらの悩みはなくなる。
悩みと迷いなく、慈しみを崇高なものと受け入れれば、貪欲をなくせば生まれない。
奉仕で思い上がることなく、慈しみの教えを正しいとし、邪な見解を捨て、貪欲を捨て去ったなら、生まれない。
簡単に自殺して、空となり安楽となるのとは全く違う。
イエスも同じように、いと高きものが慈悲深いようにと教えている。


474 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 19:30:54 ID:uZZ8bxpE
今日利益を目指さない友は得がたい。
世の人々は六つに依拠して六つによって交際を交わし損なわれる。六つとは、五感の対象によるもの、第六が思考の対象によるもの。
肉体を喜ばせる欲望とか、生命維持の生活活動、対象物を通しての考え方の一致などありとあらゆるこの世に現存するものに執着しこだわり交友を交わし清浄をみない。
安らぎは虚妄ならざる真理である。空であり無相世界、一切が幸福に満ちた世界に生まれることを目的とし、安らぎにも固執せず、
世の欲得を思うことなく、この世の利益を目指さない集団。長老を敬い、慈悲あり、修行者しか達成できない境地を目指すならば、教団はつぶれないとされた。


475 :名無しさん@3周年:2006/11/06(月) 23:51:03 ID:IQ+v+1Zo
生活に根ざしていない思想は装飾のようなもの。
ときには人の目をあざむくことがある。

476 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/07(火) 04:41:58 ID:5Gp0uRbn
仏教にしてもキリスト教にしても、この世を腐敗させる為に使われている。
段階毎の理解と階級が存在しないと厭世的になったり、善イコール無料観とか
善人イコール生贄の発想が起きる。

477 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 12:33:37 ID:KIKyXiPO
日々の生活に問題なしなら信仰しない。信じて救いを求める宗教もあるが、自制心を身に着け、様々な問題を乗り切れるようにするのが釈迦の教えだろう。修行僧は自分をよくととのえて、自分の主になる。

478 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 14:54:55 ID:cIm6ABvk
何の力を求めるかなんだよねぇ

479 :名無しさん@3周年:2006/11/07(火) 21:45:23 ID:KIKyXiPO
イエスは信仰に救いを求める人に、敵を愛し憎む者に親切にせよ、自分を愛する者を愛してなんの報いがあろうか、罪人さえそのようなことをしている。
釈迦は怨みなく敵意なき慈しみを行え。まず人々から救いを求める弱い人間になってはならないようなことを教えようとしていると思う。
敵である賢者を愛せと。
次に慈しみだ。人が慈しみのかけらぐらいもたないとこの世はよくならない。
イエスを主として、釈迦を真人として、それを行う、または受け入れ、それらに反しない人をつくる。
天に通じる存在は、現実にも通じる教えをこの世の人々に語る。
決して、人間が賢くなって作りだし捏造して得た教えでないと。
この世の根底に既にあり、それを明るみにだすことが真実だと。
一切が幸福で安穏で安楽で、一切を幸せにし、あわれみ深く慈悲深い神とその世界はあり、
人として修行完成した釈迦、主の立場として現わしたイエス。
なぜ人々は永遠の命のために永遠の命を受け入れる言葉を受け入れないのかと。自分達の信仰を信じて救いは絶対だという信仰は、ほとんどの信仰にある。
その信仰が絶対なら、統計的にも明らかに絶対として現れるが、教える人にいいくるめられ、なんとなくそれが真実だと信じて、その人々に真実のものとなったとするのが現実ではないか。
しかし、何の言葉を行ったら実際にも人々がこの世でも安楽となるのか、真実はこの世にもあり、永遠にもある、そして、この世でその永遠を受け入れ耐えて生きた人々が、そのまま永遠を受け入れたまま入るものだろう。

480 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 01:49:32 ID:Jh9k8siW
罪を犯さない人間なんていない
それはイエスも釈迦も同じく
許すも何も、愛すも何も、上から見るなよ

罪に大小は無いし命にも大小は無い
人は多くの命を奪い生き、そして死ぬ
それまで積み上げた財産だろうと知識だろうと思想だろうと
全ては無意味に終わる
悪意の有る無しに関わらず悪だけを行いやがて死ぬ

人殺しが悪で聖戦による殺戮が善となるのが宗教
主が黒を白と言えば奴隷達は白と言うのが社会

人生とは悪の連続である

これは覆し難い巌然たる真実
その身に背負う悪を引きずり罪悪の苦しみの中で死ぬのが人間の最も人間らしい生き方
素晴らしい生き方じゃないか

悪を悪と認めず必要悪と開き直り更に、
善人面してる偽善者などとても人間と言えたものじゃない

善悪定まらぬところで何の役にも立たぬ己のか細い精神だけを信じ
矛盾した生き方を社会に流れるままに流され、したり顔で地位にすがりつく
そんな奴隷は人間じゃない

常に罪悪を感じ、常に苦悩し、常に迷い、常に救いを求め、
最期に死をもって悪の報いを受けるのが人間だ

481 ::2006/11/08(水) 09:45:31 ID:EAxhekV0
イエスがいわれた「人の罪」とは、「人が生きていく(体を維持する)ためには、「他の生命を奪う(食す)」ためではないだろうか。
だからこそ、慈しむことを説いたのだろう。

しかし、それは自然の摂理であり、法則であるため、「自らを責めてはならない」と思う。
ならば、より「慈しみ」を育て、自己を愛するとともに、他を愛することが必要なのだろう。

482 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 17:51:59 ID:97TSp8Bn
釈迦も魚肉・獣肉を食わないことではなく、肉食することが悪いと言ってはいない。生まれにより、人を差別することを戒め、無慈悲でほしいままに生き物を殺し、残酷で粗暴で無礼が悪いと。
宗教の教えとして、この世の人々を互いに安楽にする役割もあり、慈しみは的を得た教えだと思われる。

483 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 19:47:35 ID:5xR0vnl+
>>480
見事に救いを知らない人間どもを描写されました。

484 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 22:08:44 ID:XMRGiAhz
立て看板 設置させてください、<(_"_)>ペコリ

『  ☆彡 目も見えず、耳も聞こえぬお人が、桜の木に抱きついている。
桜を、見たい、聞きたい、と言う。
さて、どうやって?

☆彡 坐禅と見性 四十六章 公案見性
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1161444933/

二ではない(不二、ふに)、一の如し(一如、いちにょ)、それは、ほとけさま(さとり)のことです、どうですか、参禅していきませんか?
問う。
『 この場に坐したままで、30メートル先のローソクの炎を吹き消せ。 』
答える。     ・・・と。

☆彡沢木興道老師のなぞなぞ?

アメリカに 「我が妻は我が父の母なり、我が父は我が子なり、我が妹は我が孫なり」 という言葉があったそうな。

☆彡碧巌録(へきがんろく)第45則 趙州布衫(じょうしゅうふさん)

【本則】
禅僧「万法は一に帰す。では、一はどこに帰しますか」

趙州「私は若い頃、青州に住み、一領の布衫(実務着、サラリーマンなら背広と言うことかと)を作った。    その重さは7斤(4.2kg)もあった」

また、あるひと(ジャック、ラカン) 曰く(いわく)
「世界をキリストは支えている。キリストを聖クリストファーが支えている。では、その聖クリストファーを支えているのは何?」という謎々と同じかと。

‥‥……━★ 友好スレ

精神世界で癒される第15章  仙界の癒し大混浴場(バトルなし)
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/healing/1156683671/

485 :名無しさん@3周年:2006/11/08(水) 22:39:00 ID:97TSp8Bn
信じることで救われるとするのも大事なことだと思うが、
信じる対象物の違いだけで、家族や親類とトラブルとなったりするのは、釈迦やイエスが人に求めていたこととは違う。偶像や宗派のしきたりの違いだけで、熱心に信じただけ相手を攻撃する。
むしろ信仰の対象は、こころある人をつかむようなもので、説明しようと思えばなぜかと説明でき、それがどの国でもよく考えれば、それを否定するとおかしくなるようなものかもしれない。
釈迦が特殊な偶像を拝めというような発言をしただろうか。真理を説き、それができなかったら誇らず自分を低くしておれと肉の思いを戒め、この信仰は正しいと言い張って他人と対立しないまで真理と肉の思いが知れる信仰は正しい。

486 :よせよせよせって:2006/11/09(木) 00:04:17 ID:fInRU+ni
桜の木だと思っているからそれがカツ丼

487 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 04:50:05 ID:sE/GdMQ8
>>482
肉食するという事が他の生物を殺す事に成る。
殺さずに食べる事なんて出来ない。
貴方は肉食している人ですか?
人は自分のしている事を正当化する為に偉人聖人の言葉を自分に都合良く解釈します。

肉食は良いが殺すのは良くないって矛盾しませんか?

488 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 05:01:12 ID:sE/GdMQ8
>>481 風さん、
肉食の現場を考えてください。
そして、生贄の宗教を考えてください。
旧約新約の殺戮とは四足動物を食する為に屠る民族の流血のカルマですよ。
自分の生命を繋ぐ為に肉食をするのではなく、味覚の満足の為です。
自分の下の快楽の為に殺人レイプをするのと自分の舌の為に動物を殺すのと
同等に殺戮のカルマですよ。

神殿に生贄の動物の血を注いで真っ赤に染める儀式がどうして愛の宗教ですか?

自然の摂理というのを勝手に決め付けては困ります。
ハエはウンコをペロペロと舐めて喜びます。
ゴキブリは仲間の糞を食します。
昆虫は雌が雄を食するものもあります。
人間も殺戮を好む人もいればそうでない人も居ます。
だから、人間が動物を殺して味覚の為に食べる行為は摂理ではないです。
人間は菜食が摂理なんです。
霊的にカルマを作らない菜食が自然に従う摂理なんですよ。


489 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 05:10:05 ID:sE/GdMQ8
つまり、
その生物は、
何を食するのか?
何を思考するのか?
何を行うのか?
何を話すのか?
何を読むのか?
何を書くのか?
何を話すのか?

これによってその生物の境地や境遇が分別されます。

人間がハエやゴキブリの真似をするのは摂理では無いです。
人間が猛獣の真似をして肉食をするのは摂理では無いです。

聖書にしても仏典にしても、各自が読み考え意見を発表出来ますが
読み方、考え方が凡人としての自分を中心にしていては、誤読します。
発表してはより正しい見地に修正されるべきです。

490 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 05:28:16 ID:sE/GdMQ8
宗教板には沢山の人がいます。
そして、各自が聖書や仏典やその他の宗教の教義を暗記するほど知っていたりします。
その知識を各自が自分の見地で書き語ります。東西南北のそれぞれの方位を
真実として説く言葉があります。人は自分の好みに合わせて、仏陀は東こそ真実と
説いたと言います。別の人は西こそ極楽と言います。南こそ北こそ中央こそと自分の
好みやエゴの都合で語ります。

このスレには沢山の引用文があります。それを元に自分の意見を書いています。
論議は殆どなく、各自が我こそは良く知る者なりと表明しています。
スレの題名にプラスして話題の流れを取りまとめる方向性が必要だと感じます。

各自が取りとめも無く言いたい事を書き捨てている感じがするからです。
名無しで書き捨てるには余りにテーマが深く広過ぎます。

491 ::2006/11/09(木) 06:42:47 ID:qLTwya/K
>>488 言わんとするところはわかります。
しかし、あなたの理想が現実になることはありません。
主張するならば、実行してみてください。
生命とは、あらゆるものです。動物も植物も全てです。
それをしょくさずに、体を維持はできません。
だからこそ、慈悲を捨ててはならないのです。

多くの生命に我が身が支えられていることを忘れてはなりません。


492 ::2006/11/09(木) 06:47:59 ID:qLTwya/K
しかし、あなたが人である事実、生命であるという真実は、理想論ではありません。
人は単に「死にいたるため」の過程を通り過ぎているわけではないのです。
あなたのなかにある怒りを、あなたのなかにある悲しみを、「自らの手で」癒されんことを切に願います。

493 ::2006/11/09(木) 06:53:10 ID:qLTwya/K
菜食だろうが肉食だろうが、生命にかわりはないのです。
罪の度合いとしては、同じです。何もかわらない。
だからこそ、生命を慈しむこと、生命の営みに感謝することが必要なのです。
他人がどうあるかではなく、自らがどうあるか。
それを静かに見つめていただきたいと希望します。

494 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 07:13:40 ID:nMm9ZQIr
だからさぁ
命を奪うことは罪であり悪なんだよ
肉食だの菜食だの関係無いわけ
霊的なカルマ?何語ですか?
慈しみを与える?
命を奪った上でまた上から見てるじゃん
慈しみを持ち接する人間は善人と言うんだろ
他の人間と同じく命を奪いまくった上で
しかもだ支えられていると言うことはだよ?食われる為に
人間を支える為にのみ生まれた生命がいることを示唆しているわけだ
酷い考え方だろ?
これが自らの悪を認めずに理知的な解釈を捨てた哲学の行く末だ
自分達は全てを平等と捉えますと言いつつも一番上からものを言う

495 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 07:20:31 ID:nMm9ZQIr
わかってるよ

生きる上で必要だから悪ではない

こう言いたいんだろ
しかしながらそれは人食を正当化させてしまう
動植物も人間も命に変わりは無いもんな
隣の家のオッサンがだよ?
食いもん無くなったからって斧持って襲って来てみろ
恐いぞ

496 ::2006/11/09(木) 07:27:00 ID:qLTwya/K
正当化ではありません。
認めよといっているのです。
事実をね。
あるがままの事実を受け入れるということです。

否定は自ら苦しみを背負うこと。
認めたうえで、どうするかは個人の選択です。

497 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 07:44:34 ID:sE/GdMQ8
>>491-493 風さん、
488に対して、「言わんとするところはわかります。」と答えたら、
反論は無いでしょう。つまり、言わんとしている事を貴方は理解していない。

沢山知識を詰め込んだ頭の悪い人が、意味も分からず、言葉を幼児の様に組み合わせているだけです。
貴方の言う理想が現実になる事はありません。というのも滅茶苦茶です。
私の言う理想というのは何ですか?
私が何処に理想を書きましたか?
貴方にとって理想だと解釈したのは何ですか?
頭が悪く心が低俗な人が100人居たら、一人一人が自分よりも道理に沿った事を言う人の意見を
理想という言葉で括り閉めようとします。

貴方はキチガイです。目の前で大根を切る事と自分の親や子供を切って食べる事が同等で同じ意味な
筈がありません。それで動物をメッタ刺しにしてぶった切る現場を知っていますか?それで植物と動物を
同等の生物として慈悲を大切だと言いながら、動物を殺して食べないという事が理想だと言い張りますか?
ハエからしてみればウンコを食さないなんて理想は永遠に実現しないと言うのでしょうか?


498 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 07:47:56 ID:sE/GdMQ8
そして、最後は「他人がどうあるかではなく、自らがどうあるか。
それを静かに見つめていただきたいと希望します。 」などとお決まりの他者からの指摘に対して頭の
悪い捻くれ者が言う常套文句を書いて終わる所が低脳の極みです。

人間を殺して食する人間に対して貴方が食されそうになっている時に、貴方は自分の言っている屁理屈を
そのまま自分自身に呟いてください。食人族に対して、「私、風が今まで食して来た生物達に感謝して、
慈悲を向けます。そして、私風は今、食人族に食されます。どうか食べながら私に感謝して慈悲を食べ
終わってから向けてください。理想は実行出来ず、罪の度合いも変わらないので私は寧ろ感謝して貴方に
私の命と肉を捧げます。菜食だろうが肉食だろうが、生命にかわりはないのです。
罪の度合いとしては、同じです。何もかわらない。 だからこそ、生命を慈しむこと、生命の営みに感謝する
ことが必要なのです。 他人がどうあるかではなく、自らがどうあるか。 それを静かに見つめていただきたい
と希望します。 食人族さん達へ from 風」


499 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 07:48:37 ID:sE/GdMQ8
多かれ少なかれ罪を犯している。十戒も十善戒も皆破っているのだ。だから、貴方の理想を実現してみなさい。
だから、強姦殺人も強盗殺人も横領殺人も全ては大も小もない。だから、そういう罪の連鎖に感謝して慈悲を
向ける事です。そして、やりたい様に犯し殺し盗み奪うのです。それがどうの言うなら理想を実現してみなさい。
好きな事をして肉を食い、動物を殺し人間も殺し犯し破壊して感謝して慈悲を向ければ良いのです。
罪の度合いとしては、同じです。何もかわらない。 だからこそ、生命を慈しむこと、生命の営みに感謝すること
が必要なのです。 他人がどうあるかではなく、自らがどうあるか。 それを静かに見つめていただきたいと希望
します。 食人族さん達へ from 風」

やっぱり、宗教板はキチガイが多いな。思考能力が破壊されているロボットに何を言っても無理だったか。。。
書き込む奴の1000人に1人位かな?普通に思考する能力の残っている奴は。。。。
まあ、風さんが今後何を言っても、説明するだけ無駄だから無視すると言っておきますよ。
少しでもマトモナ人が釣れたらメッケモノという積りで参加していますから。馬鹿に説明する時間労力は無いで
すからね。


500 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 07:55:08 ID:nMm9ZQIr
蝿はウンコにはタカるけど食ってるわけじゃない
あれは水分を吸い取ってるだけ
実際には動物の死骸を口から出た液体で溶かしつつ吸い上げる

あなたさっきからウンコ食うウンコ食うって蝿をバカにしてるでしょ!

501 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:00:12 ID:nMm9ZQIr
>496
認めよ

じゃねーよ
あんたが自分の悪を認めろよ


502 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 08:03:04 ID:sE/GdMQ8
>>494

まあ、イエスとブッダの共通点とは?というスレに自分で参加している癖して

>霊的なカルマ?何語ですか?

というのはどういう意味だ?

@霊的を理解できないのか?

Aカルマという言葉を知らないのか?

このスレに参加して仏陀って何語ですか?とか慈悲って何語ですか?
と言うのと同じだぞ?カルマは業だ。自業自得の業だ。基礎も知らないで
書き込みするなよ。自論を書きたいならば、そのスレの扱う対象の基礎知識位は
勉強しておくべきだ。

503 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:07:14 ID:nMm9ZQIr
自分の悪を認めず慈悲を持てば善になり
それを否定すれば苦しむ

逆に言えば苦しみから逃れたいから理性で考えることを止めてるだけだ
これ卑怯だよね

悪など無いと言うんだ
わかってる
物をブッ壊しても壊れる物の方が悪いかもしれんね
命を奪われる方が悪いかもしれんさ
善人になれば良いさ
そんなの慈しみじゃないと思うけどね

504 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 08:10:54 ID:nMm9ZQIr
>502
じゃ業って書けよ格好付けが
自分も蝿の生態知らない癖に知ったかぶって
何が基礎だバカか
ザフライ百回観て出直せ

505 :昇天舞姫♪D ◆blH//IuwFs :2006/11/09(木) 08:21:08 ID:sE/GdMQ8
>>500 ハエとウンコの好きな貴方へ

ハエがウンコをペロペロと書いたが?
ゴキブリが仲間のウンコを食べるとは書いたが?
>>488をよく読めよ!

だから、貴方は何が言いたいんだ?
勝手に私が「ハエがウンコを食すと書いた事にして」
それを決め付けた上で水分を取っているだけだからお前は馬鹿だと言い張れるのか?

貴方がハエの様に水分補給をしたいなら、貴方がウンコ舐めていろ。
それが嫌ならば何故だ?ウンコかハエのどちらかをお前が馬鹿にしているからだろう!

まあ、どうでも良いが・・・・こんな時間に書き込みし合うのは面白いな。
宗教板は2年振りで完全無視していた板だからな。。。。まあ、馬鹿だのと言っても
今は気持ちが良いよ。貴方の様な馬鹿が情熱を向けてくれると生きている実感がするよ。

カルマというのが格好付ける事になるとはねー?
面白い見解だね♪それでその根拠はなんですか?
ダルマっていうっても格好付けなんだ?

506 ::2006/11/09(木) 17:12:28 ID:qLTwya/K
>>505 あなたの信じる道をいけばいい。

体験は黙っていてもできる。


507 ::2006/11/09(木) 17:21:50 ID:qLTwya/K
菜食主義と肉食主義は「何もかわらない」

動物だろうが、植物だろうが、命を食すことになんの違いがあるだろうか。

もし、そこに違いをみるならば、それは「姿」をみている自我、つまり「エゴ」でみているのだ。

なぜ自分の行為が全てだと考えるのか。

508 ::2006/11/09(木) 17:25:35 ID:qLTwya/K
物事は、主観でなく、客観的にみる必要がある。
なぜなら、主観が存在するということは、客観が同時に存在することになるのだ。
どんなに否定しても、他の意見はある。
ならば、無駄な否定をさけ、受け入れること。
正誤でなく、認めることが、慈悲であると思う。

509 ::2006/11/09(木) 17:27:33 ID:qLTwya/K
怒りは断じて必要ではない。
怒りは争いを呼び、悲劇をくりかえす。

他人を否定することは、自己を否定していることになるのだ。

510 ::2006/11/09(木) 18:08:28 ID:qLTwya/K
>>499 私のユートピアは実現されている。

それは「今ここに在る」




511 ::2006/11/09(木) 18:42:47 ID:qLTwya/K
語るべきは語り尽くしました。
気付くべきも気付きました。
したがって、2ちゃんねるを離れます。

皆様お世話になりました。
黙して語らず、ひたすら神我とともに在るを意識しながら、精進してまいります。

512 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 20:55:54 ID:baOcIdwh
神を信じるものは
神が絶対だから挫折が無い
今ここに在るなんて自分を信じてる奴は
挫折した時に全存在を否定されるから
リアルの人に本音が言えない


513 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 23:19:45 ID:TKQXLV0l
我も含めて一切の事物は我ならざるもの。今ある我は本当は無に等しい。
しかし、慈悲深くあわれみの奇跡を地上で行ったイエスを愛する人々は無に非ず永遠に生きるだろうと。罪過ありと知り、修行を完成させ一切の生きとし生ける者をあわれむ者となったブッダ。
この身は泡沫のごとくと見よ、私たちはどんなものか、しばしの間現れて、たちまち消えゆく塵にすぎない。
世の中を泡沫のごとくと見よ、世の迷いと悩みもなく、今ある自分を永遠の世界のように目覚めさせるだろう。
森の中で静けさを楽しみ永遠を求める。無明の中で生活活動をしながら、罪なき世界の主を真の者と受け入れる宗教。
ブッダに帰依する者は悪しき境地にならず神の身体を満たす。
万物は唯一の神に帰する。
清らかな行いを修めた人は世界の終極に至る。善を行う者は安心しておれ。
イエスを信じる者は終わりの日によみがえる。善と悪の報いを受ける。
自己の断滅ではない、生存の断滅の妄執により悪しき世界に赴く。
永遠を現わした存在、言葉に向かいあうことで永遠に生きる道が開かれる。


514 :名無しさん@3周年:2006/11/09(木) 23:28:24 ID:KZE4p54S
永田町ウォッチャー、冨士谷紹憲氏は創価学会の 池田大作名誉会長が「帰化した在日朝鮮人」であると
暴露 した。
学会をバックにする公明党が外国人の地方参政権付与に躍起 になっているのも、このためである。
冨士谷氏によると、父方の本名は成田作(ソンジョンチャク) で母方は池(チ)姓という。
また、池田は昔から 「日本に先祖の墓がない」
「大田区大森海岸の朝鮮部落の海苔の漁師出身」
「日本語がうまく喋れず、寡黙な男」
などと言われているが、学会機関紙「大白蓮華」(2000年 3月号)に掲載された池田の人生記録の中で
「父が韓国語を教えてくれた思い出がある」
「私の少年・青年時代には多くの在日韓国朝鮮人の方々との 出会いがあった」
「韓日文化交流」と「韓」を「日」の前に記述するなど、 父母が戦前に帰化した朝鮮人であればこそ納得のできる記述が散り
ばめられている。

とにかく、
創価学会=日本攪乱の為の北鮮カルトである事は明白な事実。
フランスが創価 学会をカルト指定しているのも有名な事実。
何しろ宗教団体の分際で原子力発電所の機密を盗もうとした程だから
創価はまさにオウムと何ら変わりはない。実際オウム幹部の多くは創価の人間どもであったのも公然の秘密。
とにかくこんな売国蛆虫団体に騙されてはいけませんよ、まともな日本人であるならば。




515 :名無しさん@3周年:2006/11/10(金) 00:04:54 ID:HpSSiEIm
>>514
>実際オウム幹部の多くは創価の人間どもであったのも公然の秘密。

是は初耳です。詳しく証拠などを挙げてください。

516 :名無しさん@3周年:2006/11/10(金) 00:11:33 ID:Dcn2em5k
ついでに統一教会でもあったんですよ
層化と統一とオウムがお互いに蝕み合わないのは
いろいろな理由がある。不可侵条約みたいなのも結ばれている。
内的霊的になにか近いものがあるんだろう

517 :名無しさん@3周年:2006/11/11(土) 10:50:56 ID:kQ016nXu
なんか知らんけど、イエスもブッダも生命の本質を示し、真実は全ての幸福を思う慈悲で、それが天国で慈悲深い神がされることだからとイエス、
一切が幸福の境地に至り慈悲がこの世で崇高な境地と諭すブッダ。
被造物、アートマンはそのあたりまえのことを真実として信仰をする。
被造物が被造物として終わらないためにも、被造物が他の被造物に危害を加えないようにするためにも教えはある。
イエスと初期仏教の共通点は多くある。分派分裂を繰り返し初期の教えとかけ離れたのは、被造物が被造物の教えこそ正しいと信じるようになったから。



518 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 09:11:25 ID:PQRVcn6+
霊性の少ない被造物である人が、人に暴力を振るったり、盗みなどをして苦悩を与える。
しかし、業は消えることなくその人について来世の結果となる。
一切が幸福の境地に達し、一切をあわれむ修行完成者は道から外れない。
作られざるものを被造物に現わせば、悪い業もつくらず、善いところに生まれる。
慈悲深い神として、イエスの行いを尊敬して霊性を高める教え。
全ては人がつくられざる世界の教え。

519 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/11/12(日) 09:57:08 ID:Ub2OkwvX
■世の中のどこにも害いを見ない
―悪魔・悪しき者は・・・・・〔尊師いわく〕詩作に耽って臥しているのではない〜煩悩の矢を離れ〜世のどこにも、
わたしは害いを見ない―(サンユッタ二カーヤU)
―二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地
に落ちることはない〜地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むため
にきたのである―(イエス)

 まるで独裁者のようにこの世の平和を願う者が支配する宗教ではなく、被造物が自分の内にある永遠に気づき真
 のものと受け入れ努めるなら世界の終極に至り世界の終極を見、自身の終わりを見ない。

■■■肉欲を満たそうとし、それを慰める宗教的行い■■■

【くどくどと呪文のように祈り無益な語句を百唱えることではなく】
―多くの呪文をやたらにつぶやいていても〜内心は汚物に汚れ―(サンユッタ二カーヤU)無益な語句よりなる詩を
百もとなえるよりも〜ことわりにかなわぬ語句よりなる詩を百もとなえるよりも―(ウダーナヴァルガ)
―見栄のために長い祈りをする―(イエス)

【死者を葬ることではなく】
―葬儀などやるな、という思想は原始仏教聖典にまま散見するが―(大パリニッパーナ経)
―死人を葬ることは、死人に任せておくがよい―(イエス)
―われらの現在のこのような生存状態を希望して〜供犠に専念している者どもは―人が死んで亡くなったのを見ては、
「かれはもう力の及ばぬものなのだ」とさとって―(スッタニパータ)

520 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/11/12(日) 09:58:24 ID:Ub2OkwvX
死者を盛大な葬儀などで供養する。この行為によりこの世と分かれ平穏で安穏で安楽な世界に生まれ、悩みなく一切
が幸せな成仏に至るであろうと。しかし、仏教は死んだ人はもう人の力の及ばぬものなのだと悟り、生存の断滅の妄
執にも従わず、他人を頼りとせず、自分の粗雑な思考をおさめとり、他人を故意に悩まそうとせず、なんぴとをも謗
らない、この世で一切の生きとし生ける者の幸福と安穏と安楽とを害わないようにする心づかいのある人。

【供え物でもない】
―献供をささげる〜このようなものは、梵天の召し上がる食物ではないのです〜強い者にも弱い者にも暴力をふるうこ
とがありません。かれがあなたのささげる最上の食物を受けるように―(サンユッタ二カーヤU)
―人々が供える物は〜神ならぬ者に供える―(コリント人への手紙)―兄弟と和解し〜供え物をささげる―(イエス)

【清浄とか不浄とかいって願い求めることでなく】
―いっさいの戒律や誓いをも捨て〜「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく―(スッタ
二パータ)
―パリサイ人は〜『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲なもの、不正な者、姦淫をする者ではなく〜』―(イエ
ス)
 「他人を見下すな」は仏教の教えでもあるが、私はほかの人たちより清浄と自任して願い求める者は、真の清浄を
 知らない。一切は不浄で一切皆苦。その中で、欲望を離れるに従い苦しみから遠ざかり清められる。

【いっさい誓ってはならない】
―いっさい誓ってはならない―(イエス)

【哲学ではない】
―いっさいの哲学的断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない―(スッタニパータ)
―むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい―(コロサイ人への手紙)



521 :素朴な言葉 ◆B2HNWyA9.. :2006/11/12(日) 09:59:25 ID:Ub2OkwvX
【功徳は世間一般の宗教行事で得られるものではない】
―〔悪魔〕聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる〜〔釈尊〕怠け者の親族よ、悪しき者よ〜悪魔
は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい―(スッタニパータ)
―園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与える人々、かれらの功徳は昼夜に増大す
る―
―信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。心に喜んで、撒
き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降らすごとくに、その轟きを発するのである。その豊かな功
徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ―(サンユッタ二カーヤT)

―あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ〜そのとき、正しい者たちは答えて言う
であろう、『主よ、いつ、わたしたちは〜」―(イエス)

 《束縛の覆いを完くときほぐして》
誤った修養方法を正しいと執著することを正す仏教。怠惰で死王に服した人々が、怠惰で大きな果報を期待しようと、
諸々の世間一般の宗教的行いに耽溺する。森の中で心静まり、孤独の味、心の安らいの味をあじわったならば、熱のよ
うな悩みも無く、罪過も無くなる・・・・・真理の喜びの味を味わいながら。精神を安定統一し、平穏な心で満足する。
究極の理想に通じ平安の境地に達した者は、一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ、慈
しみの心づかいがこの世では崇高な境地。一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない。

 ブッダと真理との教えに信仰心あり学び修めた人は、あわれみの心を善として学び、貧しく食乞う人々などに与え、
 他人を悩まそうと怒りの想いをいだいて他人に苦痛を与えることを望まない。なんぴとをも謗らない。


522 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 10:02:32 ID:f/+YKyl+
天命を成し遂げたイエス
天命を知る仏陀

仏陀ってすごいよね。
お亡くなりになるときの最後の言葉が
「世界は美しい。人生は甘美である。」だったとか?
王族に生まれ、王国が滅ぼされたときに、身内を虐殺された人の言葉とは
思えない。

523 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 12:03:16 ID:PQRVcn6+
>>522
学び修めた人として、食物を与えよ。彼はとして天に存在する誰かを信仰する。本当に正しい人はと言って、いつそのようなあわれみの行いをした人と教えるイエス。妙な共通点。>>523
善悪を乗り越え悪魔を征服したブッダ。自分の思いわずらいを神にゆだねて、
自然瞑想により不死に至ったら、神は世の最初では、人を悩ませるために創造したのでないと。



524 :名無しさん@3周年:2006/11/12(日) 18:00:30 ID:N4WIwIa0
>>522王族に生まれ、王国が滅ぼされたときに、身内を虐殺された人の言葉とは
思えない。

アナン(釈尊のいとこ?」が「どうして平然といつもと変わらないで居られるんですか、
子供のころ一緒に遊んだ者達、一緒に遊んだ家々が燃えているのですよ。)と釈尊を攻めた時、
彼は、「一切は空であると言って居たではないか。」と答えました。


525 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 12:51:12 ID:Mx7QylEf
釈迦は修行して、一切は虚妄で、世とこの身が過ぎ去った全てが安穏で安楽な平安の境地に至った。尊敬すれば、人から害を加えられても、憎しみ悲しみをもって対処せず、世の平安のために警察に被害届をだす。
釈迦の教えから学ぶのは現実からあまりにも離れた教えばかりでない。
釈迦の修行ができないからといって、他の修行方法を考えだし、何か自然界にないような教えを真実としないほうがいいかもしれない。


526 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 12:55:39 ID:UG7tfvBE
【群馬】強盗警官を逮捕【指名手配】
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/homealone/1163263249/

527 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 13:57:21 ID:siWFHpZo
>>522
本当に苦しいときに、その苦しみの意味を知り平常心を取り戻すことは無駄ではないと思うよ。
悲しいからと言って、その悲しみを他の者にぶつけても解決しない道理を説いているんではないかな。

528 :名無しさん@3周年:2006/11/13(月) 21:37:46 ID:yhThEKvn
悲しみの原因があって、その原因を取り除くならば、悲しみも消滅するというのは、
仏教ではないと思う。それは、あくまでも原因結果の法則の下にある解決方法だから、
原因結果の法則のことを、縁起の法則とも言いますね。仏教は縁起の法則の下にある事象は、
実体が無い、幻である、妄想である、と言う教えです。その上で、一切の自称は空である、無である、悲しめるものも、喜ばしめるものも無い、
故に心に生じた変化を捨てなさい、執着しては行けません、と言う教えです。その原因は何かなどと考えてはならないのです。原因など始めから無いのです。
ここに「無記」の教えが有ります。

529 :名無しさん@3周年:2006/11/14(火) 12:52:59 ID:wpwn4E8K
世という我ならざるものに悩み、我ならざる自己が苦悩を受ける。
真の自身は、非暴力・慈悲・あわれみ・我がものという執着はなく悩まそうとして怒りの念を抱かず、他人を我がものとして自分の思い通りの者としない。
五感の享受も我がものでないが、釈迦は憐れみ俗人は害なきものと説いた。
修行僧は俗世間からはなれ安らぎ得る。善きところに生まれるのは、葬儀ではなく、慈悲と迷わず苦悩を受けない境地に至ってからだと。
自己の断滅で何を得ようか?迷ったままヤマの世界に生まれるかもしれない。
他人の葬儀に頼ってはいけない。


530 :名無しさん@3周年:2006/11/15(水) 23:21:08 ID:cnHn+QXB
知性の目を持って見るとこの世界はどの様に見えるのだろうか?
知性の眼とは、一相無相空と見るというもんであるが。

531 :名無しさん@3周年:2006/11/16(木) 12:37:49 ID:Hwh3Z4ld
知恵ある人は、他人を頼りとせず、自らを頼りとして、法を学ぶこと。
それが釈迦の教えだから。
釈迦は自分で書き残さなかったから、真実もあるが偽りの教えも多くでてくる。偽りを捨てよと。
悟りの境地は空であり無相。空は多くの経典にあるようで間違いないだろうが、自分でそのことを思慮しながら、人のいない森などで静かに瞑想したほうが、わかるようになると思う。

532 :名無しさん@3周年:2006/11/16(木) 20:40:18 ID:Hwh3Z4ld
何ものかがこの物質世界を白い液体をただひとつの墨で黒く染めるように全てを黒くした。
人は肉体における思考においても、体力においても、色合いや形においても、もがき求めても黒を白とすることはできなかった。清浄とか不浄とか願い求めることなく、善悪を超越して全て黒なのである。
妄執と五感と第六の思考に一切の者が従属し、一切は黒となった。
しかしながら、第六を含めての享受は害なきと釈迦によって解き明かされる。
妄執に従う一切の幸福に反することが悪であると。
一切の幸福と安楽、安穏が真実の姿であり、無慈悲でなく暴力も振るわず、安穏でない人を安楽にするあわれみは真実の姿であるが、同時に自分を善人として思い上がらない。
如何なることにおいても、ましてや自分のことに熱心になって、その報いがあってもなくても、この世において自分を白とすることはできない。
それを悟り究極を目指す存在がブッダ。ひとり遠ざかり、平安の境地を目指す。それを得たならば、母が己が命をかけても子を護るように、一切の生きとし生ける者の幸福と安穏と安楽を思うようになるだろう。
ブッダと真理の言葉とを尊敬する人と、妻子を捨て究極の真理を得て、慈悲深い者となるものと、
愛のある者愛のない者愛のある者愛のない者とより分けて、信仰による戒めで、福徳を失わない人もいる。
誰がどのような生命状態なのかわからないのだ。
法華経などは妻子を捨てず経典を学ぶことで釈迦の理念が得られる経典とされる。


533 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 17:00:52 ID:t1Yxlwyn
学校で苛めれた子は、自殺して葬儀で成仏できず、今悲しんでいる自分は本当の自分ではないという信仰を持ち、学校から離れてひとり静かにして忍ぶ。
それが釈迦の考えなら、イエスの考えは神を信じて忍び、神を信じさせて愛を教え、暴力や苛めをなくすことだろう。


534 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 17:03:00 ID:Sb+47kCE
※仏教だと禁酒は無理

535 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 21:21:26 ID:t1Yxlwyn
苛められてない人は苛めを受けている人の気持ちがわからない。
友達も知って知らぬ振りをする。
先生も能書きどうり注意するだけ。
死んだらなにもかも終わると思ってた。葬式で終わらない世界があり怖くなった。

536 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 21:26:45 ID:C2VU4wlR
苛める人は苛められているよ
家庭に問題が見当たらないケースはないから
一つの防衛機制
ただその輪廻を連鎖させるしかないところに問題がある

537 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 22:28:09 ID:t1Yxlwyn
本当は苛められていること先生には言えない。口先の注意とそれを知った後の暴力がひどくなると思うから。
親にも言えない。心配かけるといけないと思ったから。
でももう大丈夫。時がたてば薄らぐ。
宗教で死後の怖さを知ったから、時間の経過とともに忘れることができただけ。仏教も暴力をやめさせることを訴えていたなら、葬式じゃなくてそのことを人々に浸透させようとするなら、益を与える宗教だと思っただけ。


538 :名無しさん@3周年:2006/11/18(土) 22:51:45 ID:C2VU4wlR
(• ο •) ガンバレヨー

539 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 14:33:30 ID:KuL6K3Tj
先生などに相談で来ようか、先生が張本人である可能性の方が大きいのだ。
北朝鮮の孤児達が路上で死んでいくのと、日本の大人の保護を必要とする子供達が、
自殺するのと、どれだけ違うでしょうか?

540 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:11:22 ID:qp2gpJzl
釈尊の教えは方便(正しい教えに導く仮の教え)が多い。
世捨て人となって多くの修行僧とともに大切な教えを世に残そうとした。
仏(涅槃の形)と真理の言葉を人々が崇拝して、仏教を行じ世の人々を安楽な暮らしと平和に導くためである。

541 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:22:22 ID:F+wtYt7c
教師もいじめいじめられの、甘やかされた世界で育ってきたからな
そのうえ生徒と友達感覚などというばかげた態度でいる
この国はもう崩壊する一方なんだよ

542 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:34:56 ID:px50iY/O
文句を言う人はたいてい現場を知らない

543 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:37:04 ID:F+wtYt7c
あたりまえだ
この世の中は
教師よりも他の職業の人間のほうが
圧倒的に多い
口を出すなって?

544 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:54:14 ID:ilrwUm9Y
苛めてる側は、人との比較の中でしか威張れないんだろうね。
誰でもそうだけど。
でも、それは本当の安心ではない。
自分の味方に、自分がなれる人が一番強い。






難しいけど、きっと発見できる。
人を貶めて安心している人の台詞を真に受けてはいけないよ。
その場限りの気まぐれで、それが人を傷つけているなんて気が付いていないアホのたわごとなんだから。

545 :名無しさん@3周年:2006/11/19(日) 17:56:31 ID:F+wtYt7c
>>544
それ遠まわしに私に言っているのですか
そういうやりかたとても傷つくのですが

546 :名無しさん@3周年:2006/11/20(月) 00:06:29 ID:MrRZSIn6
http://www.ghibli.jp/ged/
ゲド戦記(・_・、)

547 :名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 20:10:20 ID:jm1Sw79H
真摯にイエスと釈迦の共通点と相違点を 此処で学んでください。↓
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/yomema03.htm

548 :名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 21:28:01 ID:7uMh2S2C
>>547
このような人にもう騙されない。この人は意味も解らずに言葉を話、自分も人も迷妄の内に留めている。

549 :名無しさん@3周年:2006/11/22(水) 21:30:41 ID:jm1Sw79H
それでも読んでくれたんだ ありがとうございます。おやすみなさい

550 :名無しさん@3周年:2006/11/23(木) 22:28:27 ID:2PgXZVd4
社会から被害を受けた人の社会への訴えは、貪欲より一切の生きとし生ける者の安穏と安楽を訴えることは多いと思う。会社の利益優先より、不安穏になり幸福を奪われた人々が以後はでないように気をつけて欲しいなど。
暴力などにより、わが子の安穏を奪わないで欲しかったなど。
釈尊は修行して究極の理想に通じ一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれと語る。
人々が理想としなければ社会は、欲望を満たすことは害ではないかもしれないが、それより一切の生きとし生ける者の幸福と安穏と安楽を奪わないように気をつけることだろう。


551 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 12:01:10 ID:If9k5XFB
学校で苛められている子は、安穏な学校生活が送れますようにと願う。
苛めている人に対しても、他人の安穏と安楽を奪わないようにと思う。
苛められている子を見ぬ振りをして、自分の安穏を喜び、自分の幸福に向かって歩む子も、欠陥製品で自分の安穏や安楽、幸福が奪われた時点で会社に文句を言う。
「なぜ、人の幸福と安穏と安楽を損なう製品をつくるのか?」と。
大人になって、人の安穏な暮らしを奪い、人を不幸にしたら逮捕されたり訴えられたりする。
しかし、他人が幸福だとすることに努めれば、その人々に喜ばれ報酬を受けるだろう。
会社でも、人々の幸福や安穏な暮らし安楽な暮らしに役立てば成り立つ。
人々は幸福を求めて生きている。それを釈尊が悪いと説いているわけではない。暴力によって人は幸福を求めても、いずれはその報いを受けると説いている。
しかし、物質的な幸福を乗り越え究極の安らぎに至り、信仰の対象となられた釈尊。
貧しく何を持たなくても彼岸ではむしろ安楽だと。
葬儀では善いところに生まれない。執着なき人、こだわりなく楽しむ人、無慈悲でない人、この世で彼岸の境地に近い人。この世は美しい楽しい。
この世で真理の自身を見出だすことなく、非我なるものに苦しみ迷い自殺しても、悪い境地のまま霊界をさまよい閻魔か畜生の体内に生まれるかもしれない。
世間から離れ自然の中で瞑想し、ニルバーナを楽しみとした修行僧。
老齢となり、眉に皺がより、頭が白くなれば、死ぬよりも前に妄執から離れ、悩みなき状態になり真理の言葉に耳を傾けねばならない。
「すべては水の泡か陽炎のごとし、一切のものに嫌悪を抱け」
空であり無相世界、この世とこの身は泡沫のごとくと知り、一切は虚妄。一切が幸福であり安穏であり安楽である境地。妄執に導かれた人の思考や思い、それらばかりに囚われれば死後は善いところに生まれないだろう。悪い境地のままで死後もあるかもしれない。



552 :名無しさん@3周年:2006/11/25(土) 13:07:49 ID:If9k5XFB
「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」釈尊
一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安楽の心に反し、自分の貪欲と怠惰のために世間でも苦悩を生み出す。
熱心に世の人々の幸福と安穏と安楽のために尽くす人に利得と名声と尊敬と名誉を与える世間になれば、人々は幸福となり安穏な暮らしができ安楽となる。
6つに依拠して幸福を称賛しても真実の幸福とはならない。それは永遠に基づく幸福ではないから。「世間には5種の欲望の対象があり、思考の対象が第6である。」
色合いや味わい、音声、香り、触れられるもの、考え方が好ましく同一で自分の意に適うもので称賛し合っても、真実の幸福は世間にもたらされない。
人々の安穏と安楽な暮らしが前提であり、一切の幸福と安穏と安楽の境地は続き、「一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれ」という釈尊と真理の言葉を崇拝しそれに自分をなぞらえて人々は幸福になる。

553 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 11:11:28 ID:pQdkmQP5
人の幸福と安穏と安楽を一切思わない人を世の中から隔離したほうがいい。

554 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 11:18:00 ID:V5+SAbw9
>>545
誰もあなたを傷つけない。
傷つけているのは、そういう行動をとってしまう自分を越えられないあなた自身。

555 :名無しさん@3周年:2006/11/26(日) 15:58:40 ID:pQdkmQP5
人々を幸せにできるような人になること、決して人を不幸にする人間になってはいけないは小学校でも教えなければいけないこと。
信じて御利益があるのが宗教。人は信じることで何かの益を求める。

556 :名無しさん@3周年:2006/11/27(月) 12:48:34 ID:arJ0Qh32
昔は五感と第六の思考に基づくものの他に無意識にあるものを求めて世を捨てた。
今の日本は一切の幸福と安穏と安楽に反する人々に対して、つまり人の安穏と安楽を一切思わず、暴力などで人を不幸にする人に対して排除する動きがでてきた。
人の苦しみを自分のことのように思う大人たちが多ければ、生きる人の安穏と安楽を第一に考える大人たちが多ければ、苛め自殺はなかったかもしれない。



557 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 07:52:54 ID:MUIagC+6
人間は経済成長の道具だよ

558 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 08:40:33 ID:0JCLLDP2
経済教ではね
宗教では神の道具です
しかしそのように万民は使われていることにして自分を優位に立てる発想の裏にはなんがあるのかな

559 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 18:48:38 ID:MUIagC+6
金持ちの手下になって稼ぎ消費する肉欲の奴隷にならないというブライドを持つ生きかたもあっていい。

560 :名無しさん@3周年:2006/11/30(木) 23:59:21 ID:CEKp6RA+
●釈迦●ハッ! この内なる声は自分なのだ!!
×聖書の預言者共×ハッ! この内なる声は神の呼び掛けなのだ!!

●釈迦●謙虚で内省的。温厚。
×聖書の預言者共×自己顕示力強し。破壊的。敵を作り自己を正当化する。

うーん。なかなかの真理だ。

561 :名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 01:18:39 ID:YZiS81EQ
×イエス×
あれが正義、これが正義。正義を規定し誓った→約束の約。
●釈迦●
いや。そういう価値観の規定自体がおかしいのだ。実在しない空気を固定出来ようか。

562 :名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 02:06:35 ID:jGSiwmPz
食料が豊富なところで説かれた法と
あすの命さえ解らないところで説かれる法とでは
ずいぶんな違いとなって現れてくるものだ。
この瞬間でも平和な日本と戦時下の中東では、
ずいぶんな違いをもって死んでいくのだろうな。

563 :名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 12:48:36 ID:+plOEB2Q
自分のためだったら何も信仰せずに自分に従って生きればいい。それもできないのか?意気地無し。イエスとブッダはそれを乗り越えて、人々に対するあわれみや慈悲を教えているとは思う。
これを信じたらあなたは救われますよという意気地無しに対する信仰は一生釣られよ。


564 :名無しさん@3周年:2006/12/01(金) 20:17:04 ID:YZiS81EQ
●釈迦●
自分は真理循環の一部である
×イエス×
私は正しい。私が正しい。私こそ真理だ。真理は私だ。

…聖書読めば《その時代その時代の言い訳》だって解るよ。
流れ星は天が火を吹いた悪魔迎撃ミサイルだよな、モハンマド。
1日人を5回奴隷お辞儀させ、9・11テロで人を簡単に殺す教えをこの世に持ち込んだ売名行為野郎。

565 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 14:49:56 ID:YG/ANloE
キリスト教は十字軍の遠征で血を流したし。
釈尊は布教支配より人間と永続するものの解明。
思考と五感の六つは必ず永続せず、人はそれらに囚われあくせくする営みによって損なわれる。
まるでビクが自らの尾を大切にすることによって人に狩られると。
つまり、蟻や働き蜂のように肉体的な働き、物や五欲の対象を貪り求めることによりあくせくし人に狩られる。
広大な自然の中で真実の自分とともに生きた。世を厭い離れ、五欲の対象を貪らず、自分の粗雑な思考を修め精神統一に至った賢者がブッダ。
遠ざかり離れること止滅に基づき、世を厭い離れ、自己も一切の事物も我がものではない、自分ではないと真実を悟る。一切が幸福の境地に至り、この世で一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれと慈しみの境地に至った人。
その平安の境地、無量の喜びに到達し、一切は皆苦と悟る。悟りの境地は空であり無相。不変の境地は一切が虚妄である。
それが消滅の最後の身体である。
妄執というものに一切のものが従属した。生存の断滅の妄執により消滅世界に生まれることはない。人は一歩一歩前向きに進み、五欲の対象の貪りから離れ、世の事柄の迷妄を少なくするしかない。
自然の中で楽しみ、精神を安定統一させ、心の平安を築くこと、無慈悲にならず一切の幸福と安穏て安楽の心に反しないことを心得て生きるしかない。

566 :ネットサーファー@神の国:2006/12/02(土) 14:51:20 ID:nCROmU1V
神の声を中心としたとき、
すべての悩みがなくなる。

567 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 15:09:51 ID:ZbKz5lV1
共通は、金をむしり取る ことか。

568 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 22:30:16 ID:pjTMuZD6
>>565
>不変の境地は一切が虚妄である。

変化の境地は・・・・・、ではないですか?

>生存の断滅の妄執により消滅世界に生まれることはない。

生存の妄執の断滅により・・・・・、の間違いでは?


569 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 22:41:10 ID:EbQBB80q
神の声を中心に生きた時…


@「おめー病院に行けや」
A「頭打ってねーか」
B殴られた

よーすんに、「神を使って精神安定」しており、実在しない神を今の時代に聖書の価値観を用いて相手をイライラさせて上、堂々としていたから殴られた。
それ以降、神は架空と目が覚めた。
自分の頭の外に神はいない。
自分の頭の中だけに奇跡が起きても意味はない。

570 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 23:30:55 ID:EbQBB80q
ユダヤ人は空想想像をしていました。
「な。この世の最初、どう始める? 小説家って最初の三行が命らしいぜ」
「ビックバン。ビックバンでいいよ。オレ達も知らねーからな」
「ああ。後世のクリスチャン教師が〈オレは地学を教えらるない〉と教壇降りたら大変だもんな」
「んだんだ」

571 :名無しさん@3周年:2006/12/02(土) 23:43:07 ID:EbQBB80q
さて。ユダヤ人達の教科書も「その場その場を乗り切ればええ」と改訂し続け、矛盾が生じ纏める事が出来なくなって来ていた。
「やべーな。矛盾に満ち満ちて来やがった」
「神はお怒りだ、愚民共! が通じていた時が華だったな」
「んだ。最後の日・最後の審判を思いついてMeエディションで追加した時は、もー最高だったな」
「どっする。XPは…」
「だな。つまり、今までのを捨てキレイスタートにしよや」
「オレはさ。隣りのギリシャ神話が面白くないんよ」
「だな。明るく楽しいよな」
「じゃーこうすっべよ」
「神が処女に手を出すシナリオ。ダナエ物語り」
「洪水はバビロニア神話からパクって、今度はギリシャ神話からパクるか」
「だな。聖典創作は止められねーだべさ」
「ふぉふぉふぉ。まさかバアル神と同じ中無しを拝んでいると連中知ったら即死するだろうな」
「んだ。東に釈迦とか言う奴がおったが…奴に筆を持たせれば、さぞ、面白い物語が想像出来ただろうな」
「んだ。で…悪魔に唆され騙され踊らされた者が救世主を名乗り…最後目が覚める…でいいな」
「んだ。名はイエ……」

572 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 00:25:32 ID:CAsFGnS1
>>568
「自らを頼りとして他を頼りとせず、法を島とせよ」
そのような教えが仏教。更に仏典に書いてある教えが真実か偽りか自分で考えて偽りを捨てよ。
仏典に書いてあることのほうが真実だろう。
仏典に書いてあることもおおよそだとは思う。真実は言葉では表現できないもの。
釈尊は生きながら彼岸に到達した。完全に無くなるわけではないから釈尊は教えを説いた。
身体の消滅と、なぜ人里離れた自然で瞑想修行したかを考えながら、その境地を想像して仏典を読めばいいと思う。
人の言うことは二の次。


573 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 13:00:47 ID:CAsFGnS1
世界の終極も神の身体も釈尊は説いた。思考も五感もこの世で終わりで、それらにこだわったからといって信仰しているわけでない。
中道によって身体のない状態を常に求めているわけではないだろう。
たとえば自分たちの考えたことが最も正しく人にも押しつけるべきだとするより、相手の意向を尊重して考えを認めてあげた時、相手は怒らない。
真理は空だ。自分の考えで人を支配するより、相手の考えを尊重してあげた場合平安に過ごせる場合が多い。
真理を尊重する人は、わずかなことで言い争うより、平安を尊重したほうが有意義に過ごせる場合だってある。

574 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 18:26:23 ID:+xj7swW8
釈尊が説いていることは、世界の終極もあり、神の身体を満たすという教えもある。
世界の終極の教えは、かの世もこの世も望まない。あの世を物質的に思い、今を捨てて
あの世に生まれることを望む戒めと、五欲の欲望に生きるのではなく、一切の生きとし生き
ける者の幸福と安穏と安楽を失うような邪な見解を捨て去れという意図があったのでは
ないか?

575 :名無しさん@3周年:2006/12/03(日) 23:35:38 ID:HNoIztCZ
>>574
人々を苦から解放するのが釈尊の目的と言われています。執着が邪な見解
なのですよね。それは無知無明から来る愚かな行為であると言うのですよね。

576 :名無しさん@3周年:2006/12/04(月) 21:48:52 ID:GRa2Reb4
>>574
身体を捨て去った境地に至ったブッダは何も望まない。
一切は我ならざるものと知り、世捨て人となり森の中で安らぎを楽しむ。
妄執を根こそぎえぐり出して完全に消え去る道を歩む賢者。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。
しかし、多くの人々がその功徳を受け天に至る道は様々に説かれている。
ブッダと真理の言葉とを尊敬し、
気前よく分け与える。父母を養う。遺骨を正しくさとりを開いた人のものとして崇拝する。
財のある人が使用人などを楽しませる。田に植え、橋や休憩所をつくり欲楽に耽溺せずに戒めを身に具える人々など。

577 :名無しさん@3周年:2006/12/07(木) 23:47:49 ID:ZopXajFs
被造物である人が消滅世界のように生きることは至難のわざ。
一切の生きとし生ける者をあわれんみ修行を完成させた。罪過なき存在となった。
人の父なる神が慈悲で、慈悲深いことを真理の言葉として教え、神は上にあるもの地にあるものをキリスト・イエスによってひとつにされた。
人が神を知る時は、被造物の誇りよりも、あわれみ深い霊を真実と受け入れねばならない時が来る。


578 :名無しさん@3周年:2006/12/09(土) 10:39:22 ID:MqINGPuz
今は仏教がお経になった。
しかし、仏教はお経ではなかった。

キリスト教は今もお経とはならなかった。

なぜ仏教がお経になったのか?
読むと知識がついてしまうからであった。

釈迦は自分の言ったことお経として長々と唱えてはいけないと。
だから、信者はびっくりしてお経を唱えるようになった。


579 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 02:02:19 ID:SMSKQj4c
でもお経は実際効くよ
縁からくる作用なのかどうかは知らない
一人で独学でやるのは勧めない

580 :名無しさん@3周年:2006/12/10(日) 10:58:42 ID:VWUA0EN9
>>578
>釈迦は自分の言ったことお経として長々と唱えてはいけないと。
だから、信者はびっくりしてお経を唱えるようになった。

解らない!

581 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 20:07:38 ID:x5YCXDeI
びっくりしてお経を唱える何かを見つけたのだろうか?
釈尊の教えがあまりにも厳しく人の生活から離れたものだったからとか。
しかし、それは天界をも乗り越えようとした修行僧に対してで、
母と父とを養う人、家においては年長者を敬う人、
やさしい心、そしらず、もの惜しみを除こうと努める人など、多くの人々に認められそうな教えは多くある。


582 :名無しさん@3周年:2006/12/12(火) 20:10:27 ID:GlJvoN0L
原罪という観念はそもそもユダヤ教の旧約聖書の観念である
しばしばキリスト教は原罪という観念を用いてきたが
実際キリストは贖罪のために現れたと言及されており
いままでカソリックが用いてきた原罪という宗教観とは全く違う

583 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 12:41:56 ID:335qjyVY
善悪つまり煩悩の可能力を捨て去り悪魔の征服者となったら、無所有で自然の中で賢者として暮らさねばならない。


584 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 22:50:50 ID:335qjyVY
悪魔の征服者であるブッダは無所有が彼岸であり、思考も意向も五感の喜びもない世界が消滅世界で、
世間から離れ、自然の中での瞑想修行により悟りの世界を求めたが、
多くの人々はブッダと真理の言葉を尊敬して天に生まれることを学ぶ。
神が創造した世界とし、苦難に遭う人々もいるだろうが、それは最初の人が罪を犯したということからか?


585 :名無しさん@3周年:2006/12/15(金) 23:23:12 ID:/5rrrHlA
>>583
確かになんらかの方法で、貪怒痴の世間から離れなければならないと思う。

586 :名無しさん@3周年:2006/12/16(土) 10:41:36 ID:QeFKboRs
釈尊はこれほど明らかに、全ての人々に示した。
所有物に対する愛着も、身体からくる五欲の対象も、好ましく愛すべきことからくる思考と意向の一致からくる結び付きも、それらが滅びることにより安楽であると。
そして修行により妄執を滅ぼし消滅に至るが、生存の断滅の妄執により達成できない。
その安楽な世界は、一切が幸福、安穏、安楽。
釈尊は思考や五欲は憐れんで害はない。飲食豊かで父母を養ったり、分かち与えたり、得ることばかり考えず捨て去ることを心得ようとすれば天におもむく。
この世は苦しみで、自然の中で静かに安らぎを楽しんで、真理の世界を求めた修行僧を思えば、愚痴などない。
怒りが起きてもそれを静めること。自分の思考通りに全てはならぬものと思えば、怒りも静まるだろう。

587 :通りすがり:2006/12/16(土) 15:16:42 ID:ozw0+fa5
いまとなってはわからないことだけど、同じようなことを言ってたんだよね?
それが周りの人々の解釈や伝えるものが入り、変わっていったんだよね?
伝言ゲーム、いまたった10人でやっても最後まで伝わらないし


588 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 20:33:32 ID:UhCeIm9m
キリスト教の紹介本の中の絵において、キリストをはじめ信者達は両手を合わせて祈る姿が見られる。
所が、仏教においては、仏像絵蔵において、菩薩であろうとブッダであろうと、両手を合わせて祈っている姿を観る事がない
。この相違は度の様に評釈したら良いのだろうか?

589 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 22:05:41 ID:QSfWnEN9
釈尊も弟子たちに尊敬され誉れを受ける場面がある。
イエスも子を尊敬すれば父を尊敬することになると。
釈迦は善悪を征服し彼岸に到達した。神が望む執着する拠りどころから離れ自然の中で暮らした。
そして死後二人の霊が現れて、
諸行無常を語られた。
思考から来るもの、五感から来るもの、執着する拠り所を全て絶てば安楽である。
イエスの死後現れた二人の霊は神・子・聖霊。
神は煩悩の可能力を滅ぼして、世の始めのように自然の中で暮らすことよりも、その罪をゆるし、多くの財産のある人に貧しい人々に分けよ、そうすれば私が天国を与えようと人類全体の益を望んでいるのかもしれない。仏教は修行を完成させ一切をあわれむ者となる。
自己も自身ではなくアートマンであると。
キリスト教は被造物の初穂として。
仏教も天から雨降らすように彼は与えよ、与えよ、と天の誰かが貧しい人々に与えよという場面があるが、
人が煩悩の可能力を得た限りは、思い上がらない程度の慈善は信仰上、理にかなった行いとなる。
賢くなったことをゆるされたから、手を合わせ、
生きながら自分で彼岸を目指す者は、何ものも信じることはない。



590 :名無しさん@3周年:2006/12/17(日) 23:20:36 ID:QSfWnEN9
盲人や様々な病苦などで苦しむ人々をいやし、いやしたイエスを礼拝し、霊とまことをもって真実の礼拝をする時が来る。
一切をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない。
天上では、全てが幸せで慈悲に満ち、その世界を霊の心で永遠に受け入れねばならない時が来るかもしれない。
世の終極、世の終わり。
世の終極に達しないで、苦しみから離脱することはありえない。
清らかな行いを修めた人は世の終極に達するであろう。
悪を静めて、あの世もかの世も望まない。
それまで人は輪廻する運命なのかもしれない。
善と悪との業を身に着けて。


591 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 08:02:48 ID:wUgvix+3
仏教の公平
自然は皆平等

キリスト教の公平
助け合い

592 :名無しさん@3周年:2006/12/18(月) 12:08:45 ID:yhUhxSg4
>>578
釈迦は自分の言ったことお経として長々と唱えてはいけないと。
だから、信者はびっくりしてお経を唱えるようになった。

???

593 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 20:33:06 ID:JCkP3AxG
なぞだねえ。
釈尊が、あまりにも離欲を説いたり、瞑想を行いとしたので、信者はお経で幸せを得たということじゃないか?

594 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 21:20:59 ID:B6NiKopd
聖典を読むと言う行為は、釈尊の時代には、あったと原始経典に書いてある。
大乗経典には、読ジュと言うのが修行の一つになっている。原始経典でも読ジュが否定されていたはずないと思う。
 「長々と唱える」と言うのはどういう唱え方か?
 真理の言葉を唱えるのは真理を輝かすことになるから、良いことだろう。しかし、
呪文のようなものを唱えるのは否定されているし、それも何回も繰り返して唱えるやり方である、今の層化のようなものは否定されていたと会すべきではないか??
 ともあれ、勝義諦を基準に解釈すべきであろう。

595 :名無しさん@3周年:2006/12/21(木) 22:52:36 ID:JCkP3AxG
水中にもぐり身を浄める行者でも、戒めを道理として、諸々の善人が誉めたたえるなら、五体を浄めて彼岸に渡ると。
昼間つくった生活活動による悪業は、その人の信じる行為を行えば彼岸に渡るということだろう。
釈尊の教えは、現世のことから離れる諸々の行為と欲の深い人は認めない善人が善と認める行為全般。
修行僧は教えられたことさえ捨て去り離欲を目指した。
お経を修行の行為としても道理は通じる。

596 :名無しさん@3周年:2006/12/25(月) 18:58:10 ID:BIgHlBU7
乏しきを憂えず、等からずを憂う(釈迦)
多くの財産のある人に貧しい人々に分けよ(イエス)

597 :名無しさん@3周年:2006/12/30(土) 19:07:38 ID:AzbABsey
真理の言葉は、現代のワーキングブアなどの問題も解決する。

598 :名無しさん@3周年:2007/01/01(月) 14:21:05 ID:aFV/Ggn6
キリスト関連で 魔女狩りやその他もろもろの女という性に対しての迫害・軽視

それと、仏教で女人禁制などの男女の区別みたいなものは共通してるように思えませんか?

599 :名無しさん@3周年:2007/01/02(火) 10:08:51 ID:jQLlv2BI
釈尊の修行完成目的、あわれみ、慈悲から新しい宗教の時代が始まり、
情欲もない普遍の永遠の世界を教えとするようになった。
「わが妻は、自分の意にかない、いかなる悪も存在しない」そのようなことを言ったとき、
「自分をよくととのえた人が神の望み」と釈尊。
人は自分の意向どうりに生きる存在ではあるまい。
特に男は女を自分の情欲の対象物としないで、悪いと思った時も良いと思った時も、慈しみのこころづかいをもって対応したほうがよい。



600 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 01:40:00 ID:/gCTH0lM
ブッダに逢うてはブッダを殺し、
イエスに逢うてはイエスを殺して、
始めて解脱を得、物と拘らず、透脱自在なり

無門関はおすすめ、値段は安いし、買って損はなし。
原文や訓読文、注と現代語訳と至れり尽せりです。
原文は迫力が違いますね。

601 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 18:14:12 ID:/gCTH0lM
仏神=キリスト・仏陀ではない。
なぜなら仏は唯一絶対存在であるならば、
イコールで対比されるものなどない。
つまり仏とは何かを知りたくば、直視単伝する以外に
方法はないのだ。
言葉で説明できたり、何かと置き換えることはできないということ。
絶対的なる実在はすべてのすべてなるぞ。

洞山和尚に僧問う、「いかなるかこれ仏」
(和尚さん、仏とは何のことでございましょうか。)
洞山曰く、「麻三斤(麻の実、三斤)」
「仏=麻の実である、と」

あれこれ理屈で考えたって、仏はいる、しかし絶対的実在は定義できん。
直視単伝する以外にないぞ。
しかし、洞山和尚、蛤が口を開いて腸を見せるように、悟りの方法を教える
つもりが僧に自己の総てを見せてしまった。
直視単伝、禅の真髄は掴んだが仏の真髄まではさすがに見えなんだと。

無門曰く、
洞山爺さん、蛤の禅でも参得したらしく、ちょっと口を開いただけで、
腸まで丸出しになさったわい。
とはいうものの、諸君はどこに洞山の全露を見たのか。
さあ、言ってくれ。

頌に曰く、
麻三斤の一句、こころに親し。
来たって、是非を説く者、便ち是れ、是非の人。
(馬鹿馬鹿しいとあれこれ言うは、理屈屋さんだ、喝!)

602 :名無しさん@3周年:2007/01/04(木) 23:16:06 ID:uvEissxM
釈迦は弟子に恵まれた。離欲と瞑想ができる弟子。
多くの人々はできない。仮に世を乱さないように信仰と愛を教えるイエス。
釈迦の慈悲の教えは小なる章の教え。
現代では愛や慈悲を主体に教えなくとも、無慈悲で残忍な人は少なく、
貪りを慎むこと、心の安らぎを求めることのほうが、多くの人々にとっても益になるだろう。
心の安らぎを求める人は冷酷さ、残忍、無慈悲をも厭う。
心の安らぎを求める人々は戦争をも嫌うだろう。


603 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/06(土) 07:28:20 ID:S+5ZXDx/
>>601
キリストは、イエスというような個人名詞ではないんだが。
どちらかというと、仏陀と言う意味であり、イエスキリストとは、仏教徒が、釈迦のことを
ゴータマ仏陀と呼ぶのと同じような意味なのだが。君、何も知らないね。
禅宗の教えは仏教とは違う。そこのところを勘違いしないように。
善と悪の定義もできない禅宗に、釈迦の教えも、イエスの教えも理解できない。

〜七仏通戒偈
>もろもろの悪をなすことなく(諸悪莫作)
>もろもろの善をなし(衆善奉行)
>みずからの心を清澄にすること。(自浄其意)
>これが諸仏の教えである。(是諸仏教)
これが釈迦の教え。

>悪に対して悪で報いず、善によって報いなさい。
これがイエスの教え。

>母が自分の子を〔守るように、それも〕命がけで独り子を守るように、また、このように、
>一切の生類にたいし、無量なる〔慈愛の〕意[こころ]を修めるように。
これが釈迦の教え

>あなたがたは互いに愛し合いなさい。
>これこそが律法であり、預言者の言葉である。
これがイエスの教え。

そして、
>善も悪もない。そんなものに囚われるから苦があるのだ。
>全ては空なのだ。だからそんなものに囚われず自由奔放に生きよ。
>それすなわち涅槃静寂。死ねば皆仏。
これ禅宗の教え。邪教だよ、邪教。少なくとも仏教は名乗らないでほしい。



604 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/01/06(土) 07:37:46 ID:S+5ZXDx/
>>601
おっと、よく文章読まないでレスを返してしまった。失礼した。

だが私は言っておこう。どうせ言うなら。
仏神=キリスト・仏陀ではない。とも言えるが、
仏神=キリスト・仏陀ともいえる。

仏教の教えは中道なのである。

この世界は実体のない幻のような世界なのだが、
その幻は、いまここに存在する。
この世界はないとも言えるが、あるともいえる。

仏教の教えは中道なのである。


605 :名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 07:47:56 ID:JbkuFNHY
それ以前に人の死後はあるのか?
別の宗教が同じなら、その確率は高くなる。

606 :名無しさん@3周年:2007/01/06(土) 12:43:35 ID:JbkuFNHY
カルトは世間一般の善から離れて、
世界で多くの人が認める宗教の教えを超越し、
我が一番だとする先生から生まれることが多い。

607 :名無しさん@3周年:2007/01/07(日) 09:29:34 ID:Oi/lKjzC
しかし、禅による離欲と悟りを目指す修行僧の尊敬と俗人の謙遜、
俗人がアートマンで生き、自分を誇らないで生きることは、釈迦の意図したことかも。


608 :ジェラルド:2007/01/07(日) 19:55:46 ID:JsAGiBRF
与える愛 と もらう愛

全国では死を待つだけの愛を与えられた事さえない犬猫がたくさんいます
あなた方の地域にも、、、(´;ω;`)ダッコされたかったニャン(わん)

保健所 動物管理センターに連絡すれば、くれる方法教えてくれます  
電話帳やネット検索ですぐ出ます。
ペットショップ行かなくても、もらった方が救命にもなるし。

例 広島市動物管理センター内のネコ

第2第4木曜引き取り講習やってます (飼う人が受講者 短時間) 
082 243 6058  職員さんはみんな親切で丁寧です。  

★現在ねこ数匹収監   
うち一匹は ロシアンブルー デブネコ
うち一匹は 足の悪い子猫 
弱い子もいますがみんな命です 
電話早めにくださいとの事 
自分は広島市動物管理センターの者ではありません  
とてもかわいそうなので書いたのです。
全部もらわれたら最高です!!!
しかし!!!殺処分待ちは苦しいです
仮に、ご自分が処分待ちで収容されていると想像してみてください。 

609 :名無しさん@3周年:2007/01/15(月) 12:25:45 ID:j4k0aLen
自分の永続は真理に背く。
一切は我ならざるもの。

610 :brown:2007/01/18(木) 02:39:15 ID:rHL1iBp9
>>603
カラスさんはよく分かってらっしゃいますね。

禅宗も全くおかしいわけではないんだけど,悟るとおかしくなるんだよ。
禅の悟りは,善悪がなくなってしまう。
つまり,通常の仏教の解脱は善悪が分かるようになるんだけど,
禅の場合は善悪が分からなくなってしまう。二元的な思考を嫌うから,
結局,思考力がなくなってしまうんですね。自我も消してしまう。
そうなると絶対解脱できなくなってしまうわけだが。

それは修行法が間違ってるからなんだけど。

611 :名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 04:56:32 ID:e3n+ixSX
え?ゼンてあかんの?

612 :名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 07:54:29 ID:YB2dCsJz
>禅の場合は善悪が分からなくなってしまう。
禅の真髄は諸悪莫作善行奉?行です。
禅といっても唐代と宋代では違う。
中国と日本と朝鮮とベトナムでも違う。
日本にしても時代で違う。
日本の特定の時代の禅だけを「禅」だと思い込むこと自体が妄執です。

>二元的な思考を嫌うから,
>結局,思考力がなくなってしまうんですね。自我も消してしまう。
そういう間違った人もいるでしょうね。
でも我がなくなることはけして
間違いじゃないでしょう。間違った妄執に囚われるよりはましです。
ただし、その場合優れた師がいないとたしかに危険ですね。

613 :名無しさん@3周年:2007/01/18(木) 09:35:19 ID:YB2dCsJz
ただ禅は万人向きで無いことは確かです。禅に限らず他の宗派も。
八万四千の法門のなかに自分にあった方法を見つければ良い。

614 :名無しさん@3周年:2007/01/22(月) 22:37:01 ID:H/kUsWO4
日本人全員がお釈迦様と当時の弟子のような行いを習うことはできない。

615 :brown:2007/01/22(月) 23:59:36 ID:yVjfGAgq
我がなくなるということは,既に無責任の至りであり,師によって結果が
異なるのは既に外道の至りです。我々の自然な心にはそのような過失は
全くないからです。

616 :名無しさん@3周年:2007/01/28(日) 18:51:48 ID:y6P6IVbd
人が思うような善悪ではない。永遠を教えることである。
肉欲が欲しがる誤った宗教をあらため、永遠の自分自身に忠実であることを善として教える。
A.今のような生存状態を熱望して献供する
B.死者が生存者の行為に影響すると思い込む
C.意味のない言葉を長々と唱え、なんらかの効力があると思い込む
D.世間一般の宗教行事に功徳があると思い込む
E.形あるもの人が作った偶像が永遠にあり、それを真実の信仰だと思い込む
それらは無知からくるものであり、苦悩の解決にもならず、永遠にも通じない。「安らぎは虚妄ならざる真理である」
自然の中で瞑想し、静けさを目指し、あの世もこの世も望まず、本能的な行為を抑え修養する。
自分の粗雑な思考を修めとり、精神を安定統一させた人は、形あるものへの信仰に依存しない。
「森の中で静けさと安らぎにおおいに自ら満足すべきである」
「美しい太陽を見、気持ちよく起き上がった」
世にも自己にも迷わず悩まず、健康的な精神の持ち主は、永遠の真理に通じ、宗教的行為も捨て去る。
貪り悩み、自己に悩む人に
「諸行無常・一切皆苦・諸法非我」を説き、
諸々の形成されたものは生じては滅び、それらが静まった世界が安楽である。
自己も財産も子さえ自分自身ではない。不浄な身体を得た自己を偉いと思いなす間違った見解を捨てよ。
自己の断滅の妄執によっても導かれず、平安の境地に達した人の理想の言葉で導かれる。
「一切が安穏で安楽で平安で安らぎ幸福である」それが彼岸である真実の自分自身。
この世で「一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれ。
悩まそうとして怒りの念を抱いて互いに苦痛を与えるな。なんぴとをも罵倒するな。
自分の善悪を捨て、全てに対して慈しみのこころづかいをしっかり保て」
他人の過失を見ず、自分を制する人が多いほど自由となる。

617 :名無しさん@3周年:2007/01/28(日) 23:18:17 ID:y6P6IVbd
多くの神々が天にあるいは地に存在するとしても、
肉欲を抑制して、快楽などを慎まないならば苦悩は解決しない。
老いと死の悩みは、本能的な行いを慎んで解決する。
身体が存在しない世界は一切の苦悩が存在しない。五欲の対象をも抑制して、この世の地獄を乗り越える。
しかし、「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない。道から外れない。」
真理の世界である安らぎの追求と、
一切が幸福で安穏・安楽に反する、無慈悲で冷酷・残忍・非情な行いには罪過あり、道から外れる。それらの行いには罪あり、ゆるされざる行為としている。
敵意も憎しみも怨みも無い世界。
自分の所有物という愛着も無い。
自己にこだわりを持つことも無い。
他人の過失を責め立てることも無い。
過酷なること無く、万物に対して平等でり、他人をして自らの利益を欲さない。慈しみのこころづかいがこの世で崇高な境地と教え、
他人の過失を見ることなく、自分のしたこととしなかったことを見、
他人に対して慈しみのこころづかいがある人が多いならば、世は光り輝き、人にも悩まされない理想世界となるだろう。逆に、意味不明な言葉をやたらに唱えて、
それに効力があるとか思い込む人、その他世間一般の宗教行為に功徳があると思っていると、
世は無明となり怠惰で光り輝かないと。



618 :名無しさん@3周年:2007/01/29(月) 22:35:22 ID:Ilfs29Eq
正解は

私の為に闘って死ねです。



619 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 12:13:29 ID:avdQieEs


「信仰という迷信」、つまり迷いから解脱し真理に至ることが 本来の仏教が言う「悟り」です。
「ありのまま」を知り得るから、物事に正しく対処でき、そして苦の除去が可能となるという論理的な教えが 仏教です。

つまり 多くの宗教組織が言う「イエスは必ず復活する」とか「亡き教祖の子供が霊界から護ってくれる」などは
その宗教だけのドグマであって、「真理」ではなくそれ独自の「信仰」ですから
まったく「真理」ではないのに、「我々は真理を知っています」という時点で 大きな勘違いなのです。

妄想は 論理と言うにはあまりにもお粗末なので 信者同士で「真理だ」と思っているのは自由ですが
世間でそれを語ると 「騙り」と成ります。

「真理」という言葉に威厳があるから つい使っちゃうのでしょう。

ですが「信仰」を否定する仏教にも「信仰」の要素はあります。
それは「善きことをすれば 善き結果が得られる」という部分で、
いわずもがなそれは 現実的な見解ではありません。
しかし釈迦はそれを「信仰」として「推奨」しました。
しかし釈迦は その善き概念についても 執着すべきではない。捨て去れ。と述べました。

「カルト」とは「信仰」を基としたマインドコントロールを使う悪質な新興組織
を指すようですが「伝統宗教」にもそれは見られます。
「伝統」と聞くと人は安心する場合もありますが、大事なのは歴史の永さではなくその中身であって
「看板」は どうでもいいのです。

カルトは「正統な流れに沿わないと悟れないんだよ」「伝統だ」と言い張り その中身は詐欺の集積の場合が多いですから、
外面や謳い文句ではなく ちゃんとその構造中身を見ましょう。

ttp://www.geocities.jp/sonomama_da/gaikann.html

620 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 12:45:16 ID:0aln30WS
「この世かの世におけるいかなる形でも人を釣る=殺すために餌が投げ込まれた」
釈尊
偶像なるものは実際は存在しない。
上を思い、身体が存在しない世界からの善をよしとしない人は釣られる。
人によくしてやること、慈しみのこころづかい、
不満を抱かず精神を安定させることなど自然のままで誰でもわかることをよしとしないと、
捏造された架空の教えに一生釣り殺される。
何も存在しない世界は皆平安である。
人が人を肉欲のために苦しめず、互いに助け合って安穏にしようとか、
欲求不満をなくし、悩みなく精神に安らぎを与えるために教えがあるのだと、
信仰の目的を知っておかないと、
無意味に人を釣り、他人の一生を束縛することになる。


621 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 19:54:26 ID:0aln30WS
「道理を語らない人々は善い人々ではない」釈尊
確実な根拠から教え導く。
思考や意向、趣向で好ましく愛すべき時に結びつき、好ましからず時に離れる。子ある者は子について憂い・・・・・
永遠は考え方というものはなく、ああだろうこうだろうと考えたことさえ虚妄。「空」
互いに考えたことを認めあったり、その人はその人の考えとして尊重する。
相手の意向を聞いてあげることも大切。全て自分の考え方が正しい、従えと思い込むよりも、
人とは憂うるものだとあらかじめ心得ておけば、
考え方の不一致や負担になる場合でも、大きな苦悩とはならない。
執着心旺盛よりも、執着を少なく互いに自由、慈しみのこころづかいにより必要な時にはよくしてやる。
「過酷なることなく、貪欲なることなく万物に対して平等」「公平とあわれみ」宗教は自分の御利益で釣られ、本当の目的は悪を静める。
家庭内暴力・いじめ・離婚・ニート・引きこもり・他人の妻と交わる浮気・強姦・格差是正・・・・・
現代の多くの問題を解決させようとする。

なぜなら、一切の幸福と安穏と安楽は少なからず人の内にあり、
自分の欲得のみの人間もいるだろうが、この世で人が安穏でなく安楽でなく、また不幸な場合、それを是正しようとする人々は自然に現れるから。
宗教はそれが普遍の世界があってなされたことを教え、
困る人なく苦しむ人なく全ての人々が幸せになるよう願い、自分をよくととのえてそれらの悪をしないようにする。


622 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 22:50:31 ID:OVYDOMA/
>人とは憂うるものだとあらかじめ心得ておけば、
考え方の不一致や負担になる場合でも、大きな苦悩とはならない。


623 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 23:30:10 ID:jPP5yyNF
イエスとブッダには何の共通点もない。始まりから終りまで、全てが違っている。これがすべてだ。

624 :名無しさん@3周年:2007/01/31(水) 23:50:44 ID:0aln30WS
病気などで信仰をしたい人がいる。
それも現実には、人々の安穏と安楽を無意識に努め励む医者がいて助かる。
「心軽やかに・長寿」病気は気からとも言われるが、
くよくよ悩めば悩むほど何もならないし、何かを信じて治ると心軽やかにするのもいいかもしれないが、
何も対象物を信じなくとも心を軽やかにすることで、
くよくよ悩むよりも問題は解決しやすい。
何かに願ったならもう叶ったと信じてしまいなさい。
熱心に自分のことを思い煩いくどくど祈るよりも、
他人に対するこころづかいで自分の苦悩を少し忘れることができるかもしれないし。

625 :名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 22:58:32 ID:dlNncylO
ただ、真理一元で、ひたすら生きればよい。
それをすぐ、優秀だ、劣等だ、明るい、暗い、イケメン、醜男だの、
なんでもかんでもレッテルを貼り付けるから、比較が
生じて不幸が生まれる。
一元論が真実。人類は、二元論が習慣化しているから、
真理からずれて、自縄自縛に陥っている。

626 :名無しさん@3周年:2007/02/02(金) 22:59:35 ID:04Fwp3/Z
阿含宗桐山教祖の逮捕歴

昭和二十七年八月十六日 詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署

十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署

二十八年八月 酒税法違反 私文書偽造容疑 逮捕
警視庁防犯課

二十九年 三月酒税法違反 私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

627 :名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 15:13:42 ID:RLv7t9j3
>>625
それも神が創造したと言うから、大金持ちと飢えて死にそうな人が神を信じた場合、金持ちだけが幸せになる。

628 :名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 17:04:48 ID:RLv7t9j3
神が創造し人がその配下にあるという発想は、身体的な優劣、自分のおかれた環境など、ある人は神のめぐみと喜び、ある人は神の差別を思う。

629 :名無しさん@3周年:2007/02/03(土) 21:13:41 ID:RLv7t9j3
神と人、主の平和を喜ぶ人たち。
実際病気などで信仰したい人は、仏ごころ=慈悲心のある人に助けられる。

630 :ホルス神ヘルメス:2007/02/03(土) 21:42:29 ID:LrC0ZWpq
滅び行く者は、知っておるのに知らないといい、
知っておるのに、傷つける者と昔から決まっておる。

アマにおる神様は、正しく裁くために、
悪いものには悪い事を、いい者にはいい事をそのままさせて置く。

あーさて、何かを求めようとした時、
さあ例えば水がいる時、地面を奥まで掘るとどこでも水が出る。

しかし、掘るとすぐ出る所もあったら、どんなに掘るとしても、
なかなか出てこないなど、さまざまだ。





631 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 11:31:13 ID:ghCdl4Ly
すべて神のご計画通りでございます。
Aさんが、明るくて、人脈豊富で、高収入で、女にもてるのも、
私が、陰気で、孤独で、無職で、童貞なのも、
そして、私が、将来、ホームレスや、自殺に追い込まれようとも、
すべて、受け入れさせていただきます。
神に勝てる存在などございません。
人間も、動物や、植物等に、ひどいことをしているので、
神に何をされても、文句の言える筋合いはございません。
ただ、神に従い、ついていく、
私にできることは、それだけでございます。

632 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 12:45:49 ID:0z9UEA9C
多くの神々が存在したとしても、肉欲をよしとする霊は存在せず、
人間は唯一の自分の永遠を受け入れることしか救いはない。肉の無い世界は、
「苦しむ人無く、困難無く、病無く、富む貧しいという差は無く、
過酷なること無く貪欲なること無く公平で、
なぜか自分の考え意向が正しく従えとすることも無く、
自分の五欲の対象を主として交際を交わすことなく、
自分の持ち物という愛着無く、
世間的な悩みも、自己の悩みも無く、
敵意も怨みも怒りも憎しみも無い。
このような自己は妄執から生まれ、自己の断滅の妄執もない。」
一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過なく道から外れない。
神の身体を満たす時は、一切が安穏で安楽で幸福の境地に至るのだから、
この世で慈しみのこころづかいを崇高なものとし、
人々をあわれむ心をその人の目標とせよ。
決して無慈悲で冷酷・残忍な行為で道から外れてはならない。
我が自己と財産など地上のありとあらゆるものを真実の自身とすることなく、
生きとし生ける者の安穏と安楽、幸福を思うような心で、
貪欲を避けるならば、この世に決して生を受ける者とならないだろう。
「この世かの世におけるいかなる形でも、それらは悪魔の褒めること。
人を釣るために餌が投げ込まれた」
形あるものを拝んでも、心をまずととのえないといけない。形あるものは滅び、慈悲を永遠とするのだが、
自己も永遠にあらず、自己を誇らない、自己を偉いとしない人のほうが永遠。


633 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 18:53:28 ID:0z9UEA9C
「この身は泡沫のごとく、世の中は泡沫のごとく」
このように自身の永遠を思い浮かべながら、
林の中で滅び過ぎ去る自己と過ぎ去る世間との迷いを断ち、静かな安らぎを楽しむ修行僧。
しかし、その修行僧は花の匂いを嗅ぐという行為をしてしまった。
神いわく「罪汚れなく常に清らかさを求めている人は毛先ほどの悪でも、雲ほど大きく見える、
そなたに依存して生きているのではない。
そなたのために仕事をしてくれる人々がいるのではない」
神のために人は何かできる人はいない。人の世は不浄であり、自分だけが正しいとか清浄はありえない。
何か少しでも欲望を持つなら、その人の欲望を叶える人々はいないと心得て、
働くこと。
「何によってよきところに行くのか?」慈しみのこころづかいをしっかり保て。諸々の貪りを除いた人はこの世に生を受けることがない(釈尊)
世間の中にあって自分は不浄と心得て、誇り高ぶらず、
自分の善悪を捨てて、一切の者を責めず、慈しみのこころづかいを保ち、
人が自分の欲することは誰も叶えない、人々が自分のために働かないのは、
自分が人に過酷を与えるだけにならないから善いことだとするくらいの心得を持ち、
偶像にくどくどと祈っても何も得られず、
衣食は働いて正しく得るような人となること。
神にとって罪汚れの全くない人は、欲望の対象を全て離れ、静かな安らぎによって悩みもない人。
無意識にあわれみの行為をした場合も、その時は罪汚れがない。
肉体の誇り、偉いとする人は永遠から離れ、
愚かさを認める人はそれで永遠に近づく。



634 :名無しさん@3周年:2007/02/04(日) 21:48:02 ID:436PfmvY
>>632
>「この世かの世におけるいかなる形でも、それらは悪魔の褒めること。
人を釣るために餌が投げ込まれた」

ミスコンなどと言うのは避けるべきことでしょうか?

635 :名無しさん@3周年:2007/02/05(月) 19:34:42 ID:Lzroyxka
>>634
仏教は、かたちあるものへの信仰の無知を教え説くものである。
呪文のように無意味な言葉を並べ立て、供え物を霊は食べない、
世間一般の宗教行事で功徳があるとか、呪詛の作法をして、「あなたの頭は七つに裂けてしまえ」と言った偽りのバラモンを、
「無明である」と
なんらか言葉を発して、それに威力があると思い込むのは、無知からきているのだと。
それら無知からくるものを止めさせるためにも、
様々な悩みの解決にも、自然の中で静かに瞑想修養して、
健康的な精神に至り、
かたちあるものの信仰ではなく、
よきところは「一切が安穏で安楽の境地」のあるところ、
一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれ、
慈しみのこころづかいが崇高な境地と修行の目的を教える。誰でもすぐいつでもできるわけではないから理想の目的とし、
邪な見解を捨て去ることが釈尊の教えで、
かたちあるものの信仰は魚を釣る=殺すと教えている。
「他人を頼りとせず自らを頼りとし法を島とする」
法を島とし何ごとも自分を頼りとして考え行動する。
弟子に言葉の上だけで教えを伝えてよいとしたので、
後々には偽りが伝えられると知って、
「偽りのものを捨て去り、真実の教えを拾う」七覚支
道理により考え、経典の中で一ヶ所しか書いてないのに真実とするな、
複数の経典でよく書いてあるのは真実として偽りを捨てる。教えの目的を考える。

636 :名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 20:24:18 ID:p3X6wZQi
仏教ではその人を神が悪い環境にしたとする教えはない。
「このような不浄の身体を持ち、偉いとする人は見るめがない」釈尊
五感も思考と意向も抑制して、安らぎを楽しみ清浄となる。五感に感じたものを好ましいとか、好ましくないとか、
考えられたものを正しいとか正しくないとか、
妄想分別を捨てて、清浄の世界のように清浄となるように修養する。
「木の根元で瞑想し大いに自ら満足する」静けさと安らぎに自分が満足する。
しかし、花の匂いを嗅ぎたいと身体の欲求が生じた人には、神が「常に罪汚れなく清浄を求めている人には毛先ほどの悪でも雲ほどに大きく見える。
そなたのために仕事をしてくれる人がいるわけでない。
何によってよきところに行けるのか、そなた自身が知るべき」
身体から生ずるもの、身体が欲するものを抑制して清浄に自ら満足しない場合、人の欲求は他人がその人のために働かずを心得、
人は不浄と心得偉いとせず、好ましいとか好ましくないとか、
意向通りになるとかならないとかも不浄であると心得、
平安の境地に達した人がよきところが一切が幸福で安穏で安楽、
慈しみがこの世で崇高な境地、邪な見解を捨て貪りを捨てたなら、
この世で生を受けることがないと知り、奉仕活動をすべきであると自己が善人と思い上がる教えと、快楽は享受すべきであると愚かな思いを捨て二つの極端説を捨てる。
身体のない世界のように、五感と第六の思考を抑え清浄を満足するよりも、
人々の求める心が様々なものを生み出した。
その中で過酷なることなく貪欲なることなく平等がその人の内にあるなら、それだけ清浄である。
欲求がある人は、それを清浄とすることはないが、他人に奉仕して得るものを得るを最低でも心得よ。





637 :名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 21:28:08 ID:cQYy7ZU8
>>636
>他人に奉仕して得るものを得るを最低でも心得よ。

この意味がわかりません、説明を加えてください。

638 :名無しさん@3周年:2007/02/07(水) 23:23:05 ID:p3X6wZQi
「田に植え、園に植え、橋をつくり、貯水池や休息所を与える人々の功徳は増大する」
と釈尊は説かれ、
宗教的行事に功徳を求める人々は怠け者の親族だと。
利益を得ようと心得て使われる人は、よい仕事ができない、という教えも。
ひとつの句を聞いて、多くを悟る人もいるが、愚鈍だと何句を聞いても悟れないと。
他人を頼りとせず、自らを頼りとして、法を島とせよ。
自分で経典を読んで、このような傾向のことが多く書いてあるなどと、
自分を頼りとして、教えをつかむこと。


639 :名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 00:33:07 ID:hDEJaIET
>1
命の器である己に気付くこと。

640 :名無しさん@3周年:2007/02/08(木) 23:10:06 ID:2W8LKLRO
仏教では誰もが永遠を持てるとしている。
その持てる人に対して無慈悲で残酷、冷酷、非道な人は、よいところにないものを持つのだから、
悪いところに生まれるとしている。


641 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 14:08:52 ID:gCVt7irO
なぜ暗くなるのか?
順調な仕事、良好な人間関係、家族関係、高い収入、
面白いテレビ番組、ゲーム等、外部のものに、
幸福、明るくなることを依存するからである。
外部は、他人や、金銭、自然等、様々なものがからんでくるから、
思いどおりにならないし、上手くいかないことが多い。
これでは、暗い、不安定な人間になるのも無理はない。
やはり、明るさは、自分の内部に存する神に求めるべきである。
もっとも、これも日々の鍛練が必要ではあるが。

642 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 20:11:47 ID:ZJrP1vIY
「林の中は楽しい」霊的なものへの妙な期待感を人が捨て去るために、粗雑な思考をおさめるために、
自然の安らぎは有効。
「美しい太陽を見気持ちもよく起き上がった」
不満無く自然を楽しめる精神は健康。
神は自分の財産や家のことよりも、妻に悪がないことをよしとするよりも、
自分をよくととのえて生まれない人を望む。
「彼は雨降らすごとにその轟きを発するのである。与えよ、与えよと」
信仰心あり学び修めた者は、貧しく食乞う人々に与えよ。その功徳の流れは、与えるものに降り注ぐ。
神などの霊の存在は、この世で同じように肉体を得た人が皆助け合うための監視者である。
決して自分の肉欲を叶えるために存在しない。
たとえ我が身を捨てても慈しみのため人を助けるなら、そのことを認める存在だろう。人は平安と安らぎに心から満足するように努めれば、
敵意や憎しみ、怨みや争いをよしとせず、
一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安楽を思えば、
他人を悩まそうと怒りの念を抱かず、かえって他人の苦悩を取り除こうとする。


643 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 20:20:31 ID:ZJrP1vIY
「世の中は泡沫のごとくと見よ」「この身は泡沫のごとくと見よ」
この世の出来事に動揺せず、心を一定に定めた人は悩み少なく暗くはならない。


644 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 21:36:12 ID:8oJUzbla
仏教は難解過ぎるためか、習わぬお経を読み上げる小僧が多すぎて困る。

645 :名無しさん@3周年:2007/02/09(金) 23:01:33 ID:s64jWlqf
>>644
具体的に問題提起したら良いのですが。

646 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 01:31:46 ID:aHxlQTHz
>愚者は千の句をとなえても一つの句さえも理解しない
>聡明な人は一つの句をとなえても百の句の意義を理解する>離欲を達成したからには、聞いたことでも、考えたことでも、すべて知った上では捨て去らねばならぬ


647 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 01:41:10 ID:W8Pl3cOT
日本では仏陀よりもその他諸々のお坊さんの方が馴染が深いので
仏陀は何言ってたのか良くわからん

キリストは皆に親しまれてるから良く知ってる

結果共通点は全然思いつかない

648 :名無しさん@3周年:2007/02/10(土) 07:42:18 ID:QWtHUugG
>>647
それでは、キリストが「唯一の神」という時、その意味を説明してください。
キリストなら誰よりも、自分の言って居ることに責任を持ち、その言って居ることを説明で切るでしょう。
あなたがキリストになじんできたと言うのなら、その意味するところを知っているでしょう?
それとも知らないで、それでもキリストになじんで聞きたと言えるでしょうか?

649 :名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 11:23:48 ID:S7bG5vsp
自分の何らかの益を求める愚人にはゴータマ・ブッダの言うことをいくら説明されても理解しない。その人にはブッダの言葉が難信難解となる。
しかし、自分の生命維持も含めて、何ものかを信じて依存せず、
我が身の生存のための妄執まで捨て、
離欲と安らぎを追及しようとする人には、
一句聞いても多くの意義を理解する。
この世のいかなる形あるものに対する信仰を捨て、
形あるものに真理を一切見出ださず、心の安らぎに真理を見出だそうとするなら、
ブッダの言葉を理解する。


650 :名無しさん@3周年:2007/02/11(日) 23:20:00 ID:+RR+Cvse
この地獄社会は神が創りだした。
他人ばかり幸福・優秀にしたり、世界中の各職場に意地の悪い奴を
配置したりして、俺を惨めな立場に追い込みやがった。
しかし、この地獄を生き抜くためには神の力が必要だ。
自力では、もう不可能。
結局、この世は神のお戯れの場所にすぎない。

651 :名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 13:11:54 ID:z/C5J9mG
>>650
>他人ばかり幸福・優秀にしたり、世界中の各職場に意地の悪い奴を
配置したりして、俺を惨めな立場に追い込みやがった。

お気持ちは良くわかるつもりですw。全くそんな神など御免被るどころか、
今までの苦しみをそっくりお返ししないと気が済まないでしょう。
 このごろの社会事件はとても神や仏が居るなどとは思えません。
親が子を殺し、子が親を殺す。兄弟が兄弟を殺し、自治体国が住民を殺す。
 クリスチャンに言わせると、これは神が悪いのではなく、人間の罪であるというのです。
大変面倒な問題です。しかし、今一度、神とはどんなお方か、仏とはどんなお方かを
調べてみるべきではないでしょうか?神や仏でないものを神や仏とおもって居ることがありますし、
それでは大変な逆効果があることになりますから。


652 :名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 20:31:56 ID:dZS7CG30
仏教では「自然に生まれて」とあるように親がその人を生む。
「母が命を懸けても子を護るように、一切の生きとし生けるものに無量の慈しみを行うべし。
この世ではこの状態を崇高な境地といい、邪な見解を捨て貪りを捨てた人は生まれることがない。」原始仏典の神は、
「財や家や夫が妻に悪がないことに満足するよりも、
自分をよくととのえて生まれないことをよしとする神。
与えよ、与えよと貧しく食乞う人々に与えよとする存在であり、
信仰心あり学び修めた賢明な人は、与えて豊かな功徳を得る」と。
修行僧が林の中で、自己に打ち勝ち、五感と思考の六つを抑制し、身体の無い世界のように安らぎを楽しみ、
清浄行をしている人は智慧があると。
しかし、静かに瞑想し安らぎを楽しむことから、花の匂いを嗅ぎたいと欲求が生まれた人を神は憐れんで、
「他人がそなたのために働いてくれるわけではない。
何によってよきところに行くのかそなた自身が知るべきである」
神は自ら自身を養う。人がこの世の地獄を乗り越え、林の中で清浄に安らぎを楽しむのは自分のためだが、
他人が自分を養うのは普通のことであると思わなければ、
自分が過酷なることなく貪欲なることなく平等を心得ていれば、
人間の生活活動が清く清浄なものであると思わねば、
正しく見ることができる。
人間が自分たちのために生活活動をしている。
母親から生まれ、自分たちのために生活活動をし、様々な物をつくりだし、
清浄だ神のために行っているという人はいない。
そして邪な見解を捨て慈しみを崇高とし貪りを捨てた人はよいところに生まれると。


653 :名無しさん@3周年:2007/02/12(月) 22:42:35 ID:dZS7CG30
釈尊が神をあまり言わなかったのは、ありのままを人が見なくなるから。
人がその人を生み、母が自分の分身を命を懸けても護る。
人が生活活動をし、様々な物を生み出し、環境を変えていく。
悩みなく苦悩の少ない所は、世間から離れ、わずかな食物で暮らし、本能的な行いを捨て、
静けさと安らぎを楽しむ。
よいところは、一切が幸福で安穏で安楽の境地のあるところで、
この世で慈しみのこころづかいを崇高とし、
諸々の貪りを除いたらよいところに生まれると。
一切の生きとし生けるものをあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない。道から外れることはない。
ブッダを尊敬する人は、当然貧しく食乞う人がいれば分かち与える。
奉仕活動をするべきというのは極端説で、
強要する説には自分が立派だ、やってやったとして思い上がる。
自然なかたちで目の前に安穏でない人、安楽でない人がもしいれば助けてあげる。



654 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 14:23:28 ID:RvWqHOEQ
読んでないけど、共通点について語ってないだろ?

655 :名無しさん@3周年:2007/02/14(水) 21:58:35 ID:8XEUJDHU
昔語ったことがあるんだけどな。
それは旧約の神と仏教の仏は同一の真理真実であることの証明だ。
そのうちに。

656 :名無しさん@3周年:2007/02/21(水) 23:16:58 ID:j9GopngV
家造り等の捨てた石が隅のかしら石となった、という聖書の言葉がある相である。
これはイエスのことを言ったものであろう。そしてこの石とはイエスの教えであろう。
教えとイエスとは同一である。仏教の教えは釈尊が説き始めたのであるが、彼の教えは
どの様に世間から扱われたであろうか?又、彼は世間とどの様に対処してであろうか?
彼は自ら世間から離れ、世間からいじめられるのを避けることが出来ている。つまり世間から捨てられると言う
ことを味わっていない。せけんを離れ、世間の中でもっとも地位の低い身分のものとして対処したのだ。
つまり乞食である。その衣服も糞ゾウ衣であった。誰が彼をうらやましく思ったであろうか?しかし反面彼は何と気楽であったろうか?
 さてイエスであるが、彼は世間の中で教えを説き、その結果、世間から捨てられたのである。
彼の教えが世間を維持させる権力と全く合わないものであったからである。
 イエスの教えと釈尊の教えは同じである。外見は異なる様であるが、そこに同一なものがあると思うが。

657 :名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 18:28:24 ID:b2OCJibp
真実は何か?
それは一つのものでなければならない。それ以外なにもないのである。
今仮に二つのものがあるとしよう。それらは隣り合ってあるのである。
その一つを取り去るとすると、他の一つは存在を保つことが出来ない。
ということは、始めのひとつを取り去るということは、他のものをも取り去ることになるのである。
ということは、二つのものは、二つのものではなかったということになる。
二つのものと思っていたのは間違いであったのである。このような二つの存在をあると思うのを妄想といい、
そのような二つの関係を縁起関係にあると言う。この二つのものがもっと増えても同じ理屈になる。
 そこで、一つものしかないとするなら、それは取り去ることが出来ない。それは無限である。
無限でないと言うなら、そこに変化があるのであり、そこに別のものがあることになるから、
そのようなものが有るとするのは妄想であるのだ。一つのものは無限にあるのだ。
その一つを吟味すると、小さな物が混じっているのでは一つのものと言えない。極微の小さな物が混じっているなら、
一つのものと考えてもいいだろうということもない。全く純粋に、純一なものでなければ一つのものとは言えないのだ。
この一つのものだけが真実に存在するといわなければならないことがわかるだろう。
 さて次ぎに、一つのものはその中にいかなる変化をももたらす他のものを持たないのであるから、
いかなる形をも持つものではない。いかなる形をも持たないからといって、それが無いのではない。
むしろ変化を通して認識できる形こそ、認識の間違いであった。
異常が真実在の論証である。
 次ぎにキリスト教と仏教の言う真実が上の真実在に照らし合致しているかどうかを見てみよう。
キリスト教や仏教が真実に反して人を導くものなら、人を虚妄の世界に導くものであり、人は決して目的を達することが出来ないだろう。
目的とは、人の幸福である。
 

658 :名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 18:30:20 ID:b2OCJibp
キリスト教の眼目は『神』である。神とはキリスト教内だけで通用する名称である。そのようなものは真実在とは関係ない。
そこで神の説明を求め様。彼らは『唯一の神とか、I am what I am』と神を説明する。
唯一とは、先の真実在を言うものなら真実在に合致しているといえる。さらに、『I am
what I am,]と言うのは自分は自分であるというものであり、この意味するところは自己が同一と言うとである。
その範囲内では一つの人格を言っている。そこで、他のものに隣り合って自分が自分であると言って居るのではないか調べてみよう。
他のものに縁起しているなら、自分であることはできないはずである。にも拘わらず自分であると言うのであるなら、
それは縁起した自分ではなく、一なる自分であるだろう。それなら人格と言う名称は捨てなければならない。
神は『一』なるものであるのだ。キリスト教は哲学的な説明が欠けているが、大体真実在を認定しているものと考えていいとおもう。
  次ぎに仏教である。仏教は諸法の実相は空;無相;無我;一相といいその理由として縁起を説く。
実相とは真実在のことである。仏教は素直に頭書の真実在に合致すると認められるであろう。
 次にこのような真実在に触れた思想家を挙げてみる。西洋では、パルメニデス、ゼノン、プロチノス、エックハルト
、そして彼等の説を支持した思想家である。
 インド以東では、釈尊とそれを支持した思想家である。

659 :名無しさん@3周年:2007/02/24(土) 18:47:33 ID:b2OCJibp
我々の心に生じる様々な思いは、まさに変化に他ならない。変化しているものがあるとおもっているのは妄想である。
真実である『一』なるものにまさに反しているのである。心を集中し、その集中する対象は何か、と言うことは、真実が『一』なるものであるので、
そして、一なるものは、空相無相であるので、無念無想に徹することが精神集中であると言うことになる。
仏教では、ある一点に心を集中し、その一点以外に心が散乱し無いようにすると言うが、その一点なるものは、
修行を進めると消失しなければならないものであろう。さもないと空相を念ずることにならないから。

660 :名無しさん@3周年:2007/02/26(月) 19:37:41 ID:9G7qvrMT
(仏教)
 修行を積んで究極の理想に通じた人が平安の境地に達して慈しみを完成する。

(イエス)
 「慈悲深い者となれ」地上のことに心奪われねば生活できない人にとって慈悲心
 を奪われる場合がある。
 慈悲深い行いをしたイエスを絶えず信じる信仰で、慈悲を奪われないようにした。

 

661 :名無しさん@3周年:2007/02/27(火) 23:57:40 ID:GbFXlB5o
>>656
>つまり乞食である。その衣服も糞ゾウ衣であった。誰が彼をうらやましく思ったであろうか?しかし反面彼は何と気楽であったろうか?

基督教は知らんが釈尊については大きな誤解をしてるよ。乞食とは決して身分の低い虐げられた
者が行う行為じゃなかった。恵んでもらうものですらなかった。

凡人が最高の位置に達した時、それを菩薩と呼び、菩薩道すら捨てて
更なる真理の高みを望むなら、そこに如来へと進む道が開ける。

662 :名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 13:20:24 ID:umm3DkJN
(ブッダ)
我欲、我執から離れること
財産や権力を捨てること
修行の中から悟りを得ること
タパス(苦行)を否定すること
あらゆる善行、あらゆる悪行は、必ずや、その報いをもたらす
四苦八苦、あらゆる苦しみにはその原因があり、
その原因を取り除くことで初めて苦しみから逃れられる
万物は無常の中でうつろひ往くが、
大河のように悠然と生き、
この世のすべての命との交わりのかなで、その繋がりを感じ、
自分だけの役割に気づくこと、自分だけの役割を果たすこと


(イエス)
この世に生まれたのは、神の愛を受けたから
己の境遇にて、神の義を果たすためにある
神との約束を果たすこと
財産を捨て、施すこと、イエスについて行くこと
永久に枯れ果てない神の国を心に持つこと
あらゆるものは神からの諭し
神に愛されていることを受け入れること
神から与えられた恵みに気がつき、それを活かすこと
隣人を愛し、敵を許し、人を裁かず、見返りは期待しない
もっとも小さきものを愛ることこそ神を愛すること
熱心に祈り、勤勉につとめること、偽善を廃し謙虚であること
そうすれば必ず神は報いを与えてくださる、と信じること


663 :名無しさん@3周年:2007/02/28(水) 22:03:43 ID:Gzmb6wo7
悪いことをしないようにと言う教えは常に耳にするが、悪いことをされ無い様にと言う教えは滅多に耳にしないのはどうしてであろうか?
悪ことをされ無い様に気をつけること、すなわち正当防衛はキリスト教においても、仏教においても、認められないのでろうか?

664 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 01:58:21 ID:08a8a/Vn
奪われたら、奪い返してはいけません。
右の頬を打たれたら、左の頬を向けなさい。
汝を迫害する者のために祈りなさい。
復讐するのは人間ではなく、神なのです。
神は決して悪事をはたらく者を見逃しません。
悪にはむしろ善を持って報いなさい。
そうすれば汝への報いは大きいであろう。
その方がむしろ悪事をはたらく者の頭に
燃えさかる火を積むことになる。

この世の財産を考えるのではなく、
泥棒にも永遠に犯されず、減ることもない
神の国に財産を蓄えることを考えなさい。

665 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/03/01(木) 07:24:43 ID:r064vzCj
>>664
サドゥ。サドゥ。サドゥ。よくぞおっしゃった。

自分を大事にしてくれる人を愛したところで、何の報いがあるのか。
悪人でもそうしている。

許せ。そうすれば許される。
裁くな。そうすれば裁かれなくてすむ。おまえが裁いているのは、おまえ自身なのだ。
だから許せ。お前が許しているのは、おまえ自身なのだ。なのにどうして他人を裁く。

敵を愛せ。お前が敵だと思っているのは、おまえ自身なのだ。だから愛せ。
憎むな。お前が敵だと思い、憎んでいる相手なのは、おまえ自身なのだ。だから憎むな。
おまえは、どうしてたった一つの命を、自他に分けてしまったのか。
お前が他人だと思っている命は、おまえ自身なのだ。なのになぜ、自分しか愛さず、他人を愛さない。
他人を愛するということは、おまえ自身を愛しているのだ。
だから愛せ。おまえが他人を推し量る秤で、お前は量り帰され、父の懐に入れられる。
だから敵を憎まず、愛せ。お前が敵だと思っている相手は、おまえ自身なのだから。
父よ、真理に背き、消え行く魂に哀れみを。どうか弱い心の私に強い心をあたえたまえ。
私をサタンの誘惑から守りたまえ。





666 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 09:25:36 ID:OzKMQpSh
>>665
>サドゥ。サドゥ。サドゥ

何語でどう言う意味?

667 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 11:15:27 ID:Bz+QoQw1
俺を許してくれ、そして愛してくれ・・・
のくれくれ坊や
サドゥーの唄に「世界の中心にはネズミ捕りが仕掛けてある」
意味深長だ
グルがいなければけして分からない

668 :カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2007/03/01(木) 16:27:56 ID:r064vzCj
>>667
>俺を許してくれ、そして愛してくれ・・・

自分がそう思うのなら、まず自分が他を許し、自分が他を愛せ。
問われているのは、他人の心ではなく、己の心なのだ。

お前を憎む者がいても、憎み返してはならない。
お前が憎まれる原因を作ったのなら、それをそのままにしておかず、
誠心誠意お前を憎む相手に接し、、お前を憎む相手を愛せ。
そして相手に負の心を芽生えさせた自分の業を、誠心誠意、悔い改めなさい。
お前を憎む者がお前を許さなくとも、お前は、お前を憎む相手を愛しなさい。
そしてお前を憎む相手の負の心が消え去る事を願い、行動しなさい。
他人の不幸は、お前の不幸なのだ。他人の幸せは自分の幸せだと知れ。
だから他人を泣かせてはならない。

お前が他人に許してほしいのなら、まずおまえが許せ。
お前が他人に愛してほしいのなら、まずおまえが愛せ。
お前が他人にしてもらいたいことは、まずおまえがしてやれ。
問われているのは、他人の心ではなく、己の心なのだ。
おまえが他人にしてやったこと、しなかったことは、
全て自分にしたこと、しなかったこと。当然おまえの行いの報いは、
おまえ自身が受けることになるだろう。だから悪は成すな。善を成せ。
問われているのは、他人の心ではなく、己の心なのだ。
そこを間違えてはならない。



669 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 16:32:29 ID:M4CMlq6v
>>1
全くなし。

670 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 18:40:30 ID:OzKMQpSh
自分を愛するとか、他人を愛するとか、はどう言う意味ですか?どの様にするのが愛する、許すに当たるのでしょうか?

671 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 20:12:25 ID:zl72go8U
>>663
(仏教)
 敵である賢者を愛せ。

(仏教)
 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない。
(イエス)
 「わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない」とはどういうことか学んできなさい。

教えとはそれを行うのが一番理想的であるということ。敵意や憎しみもない上の世界を言葉で教え、
人々は、正当防衛をしてもそのことを善い事であるとしないこと。自分は愚かだからしてしまうという
反省によって、しないように努める。

(仏教)
 他人の過失を見るなかれ。
(イエス)
 あやまちをゆるしてやれ。

上は他人の過失を責め立てることはない。他人のあやまちをゆるし、あわれみや慈悲を理想とする人々が
この地上にも増せば、地上も正当防衛など考えなくてよい世界となる。


672 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 22:14:10 ID:OzKMQpSh
イエスや釈尊がこの地上に来られて、イエスキリスト、ブッダと言われることになったのは、
彼らが人々を、彫像師が粘土で人間を形作るように地上の人間を造り直したからではない。
彼等は自らの智慧をまたは幸せになる方法を地上の人間に教えることに拠ってであった。
道を知らないで迷っている人に道を教えることに拠ってであった。これが彼等の隣人に対する態度であった。
イエスは信仰を教え、釈尊は智慧を教えたのである。これを愛ある行為、許す行為と言うべきなのである。
愛とか許すとか言うものがあるなら。そしてこの教えと言うのは、間違った道に進まない様にと言う教えである。
そして、この前提としては、人々が間違った道に迷っていると言う事実を前提としているのである。
 そこで、イエスや釈尊の様には出来ないとしても、我々は、人々を間違いから正す様にするのが、イエスや釈尊に習うものとなる、
というべきで、それ以外の方法はこの聖者たちに習うものではないのである。
 隣人の過去を問いその償いを求めるのではなく、隣人を過去の間違いから正しい方向に導くことが、
イエスや、釈尊に習うことなのである。これが愛であり許しであると思う。
 例えば、過失により事故を起こしたものに対しては、その損害を賠償させるのではなく、今後過失のある行為をしないように
忠告するだけにするのが、正しいと言うことにならないだろうか?これが
(仏教)
 他人の過失を見るなかれ。
(イエス)
 あやまちをゆるしてやれ。
 と言うことではないだろうか?しかし、イエスは「過ちを許してやれ」と教えていましたか?


673 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 22:27:01 ID:OzKMQpSh
誰かがあなたの物を盗もうと虎視眈々としているなら、その人に盗むのはかくカクジカジカノ理由で
あなたの為にならない、それを欲しい時は素直に言ってみることであると教え、盗ませないことにより、
盗みの罰を受けさせない様に守り、その上で、欲しがっていた物を与えること、これが隣人愛であり、
布施の完成である、と言えないでしょうか?
 従って、もっとも人間が流されてしまう、情欲に付いて、女であれ、男であれ、それに気づいた人は、
上に言ったように、姦淫の目を持って人を見ないように、それはあなたの苦しみであるから、と教え、素直に
相手の肉体を欲しいと言わせる、その上で、交合してやるというのが、隣人愛であり、布施の完成と言うことになるのであろうか?

674 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 22:31:29 ID:OzKMQpSh
そして、この様な行為は何も言葉をもって教えるという事が有るとはいえないのではあるまいか?

675 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 22:44:37 ID:OzKMQpSh
人を罪に誘惑しないことが愛ある行為であり、人に良いことをすることである。
良い行為とは、人を罪に誘惑しない行為、これは消極的行為のように思えるかもしれないが、
積極的行為により、人を罪に誘惑しないことになることを知るべきである。例えば、
アメリカに旅行した人から聞くことでもあるが、エレベータに乗り合せたアメリカ人は、
隣人に微笑を与え、敵愾心のないことを知らせると言う。かくして隣人の心を安心させ、不安から罪を犯さない様に
守ることになるのである。また、積極的に善意を提示する行為は、なおさら、隣人を罪から守ることになろう。
微笑を与えるばかりではなく、あなたを愛しています、あなたに神の恵みがあります様に、と言葉で言うなら、
一相相手は嬉しく思うであろう。


676 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 22:51:23 ID:OzKMQpSh
さて、ある人が情欲に捕らわれているのを知ったならば、それの満足を得させてやるのは正しいのではなく、
それからの正しい開放に導くのが良いのである。情欲はつまらないばかりでなく大変恐ろしいものであって、もっとすばらしいものを直に教えてやることである。



677 :名無しさん@3周年:2007/03/01(木) 23:05:45 ID:OzKMQpSh
俺が言いたかったことは、正当防衛は、人に良いことをし、最善の味方にすることにより達成されると言うことである。
これが『戒』のもたらす効果であると思うのだ。


678 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 03:48:07 ID:FeU1j7WV

>>670
>自分を愛するとか、他人を愛するとか、はどう言う意味ですか?
>どの様にするのが愛する、許すに当たるのでしょうか?


ある時、イエスの前に罪深い女が現れた。
マグダラのマリアという女だった。
彼女は泣きながらイエスの足に口づけし、
髪の毛で足を拭き、香油を塗った。
人々は顔をしかめ、イエスに向かい、
この女はどんなに汚らわしいかあなたはご存じですね、と聞いた。

「ある金貸しに金を借りた者が二人いた。
ひとりは50デナリ、もうひとりは500デナリ借りた。
ところが二人とも返すことが出来なかった。
そこで二人とも許してやった。
さて、この二人の内でどちらが彼をより愛するだろうか?」

「多く許してもらった方だと思います。」

「あなたの判断は正しい。」

「この女を見なさい。私があなたの家に入ったとき、
あなたは私に足を洗う水をくれなかった。
ところがこの女は涙で私の足をぬらし、髪の毛で拭いてくれた。」

「この女は多く愛したから、その多くの罪は許されているのである。」
「少しだけ許された者は、少ししか愛していない。」

(ルカ7ー41〜47)

679 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 04:10:34 ID:FeU1j7WV
>>672

「汝の中に罪なきものあればまず石もて打て。」
「女よ、行きなさい、そしてもう今後は罪を犯してはならない。」
(ヨハネ8ー6)


「偽善者め。他人の目の中の塵(ちり)は見えるのに、
どうして、自分の目の中の丸太は見えないのか。」
(ルカ6ー41)


「あなたに罪を犯す者があれば、彼と二人きりの場所で、彼に忠告しなさい。」
「もしも聞いてくれれば、あなたは兄弟をえたことになる。」
「主よ。人が私に罪を犯した場合、幾たび許すべきですか。7度ですか。」
「私は7たびまでとは言わない。7たびを70倍するまでにしなさい。」
「もしも、あなたら彼を許さないのだったらば、
天の父もあなたのことを許さないであろう。」

「許しなさい。そうすればあなたも許される。」
(マタイ18ー21)

680 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 08:24:26 ID:gAJPNmxc
そこで、許せと言われても、普通は許せないのはどうして化?
ここで、仏教のいう真理と真実が必要なのである。この真実と真理を信じなければ、
決して、人を許すことはできない。
 キリスト教はこの真理真実を明らかにしないので、この行為をするのに、単にイエスの言葉があるから、
という理由だけで、人を強要することになるから、それを実行するのは非常に困難であろう。
しかし、殉教者が沢山居る事もまた明らかだ。

681 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 13:20:59 ID:BSWGwgrW
基本的には真理というものは、直感で、聞いた瞬間に分かるものだろう。
全身で感じるというか、膝を打つというか。
言葉は要らないと思う。考えたり納得するものではない。
美味しいい食べ物や美しいものが一瞬で、人の深みに達するのと同じだろう。
どんな愚かなものにでも、一瞬で真理を感得する本能は、誰しも持ち合わせているからだ。

イエスの言葉が当時の聴衆、その後2000年間の世界中の人、
にとって大変インパクトがあったのは、それは、
簡単な言葉で、究極的な真理をズバリ言い切っているからだろう。
聖書の言葉は、普通はなかなか簡単には出来ないが、
究極的には正しいと直感させるものだから、真理なのだろう。
裏を返せば、誰でもいつでも簡単にできるもの(例:やられたらやりかえせ)は、
この世の現実ではあっても、人を幸福にする真理からは遠いものだろう。


論理がなければダメだ、というのは、
まず、その論理を理解出来るものしか真理にはアクセス出来ないことになり、
真理の本質に反するだろう。
又、一見、論理的に見えても、ピンとこないものも多い。
ヨガ系に多いが、その多くは教団独自の専門用語や、詭弁を用い、
詭弁を重ねて逃げを打ち、反論を受け付けないからだ。

682 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 18:49:09 ID:gAJPNmxc
>>678
>@ 「ある金貸しに金を借りた者が二人いた。
ひとりは50デナリ、もうひとりは500デナリ借りた。
ところが二人とも返すことが出来なかった。
そこで二人とも許してやった。
さて、この二人の内でどちらが彼をより愛するだろうか?」

「多く許してもらった方だと思います。」

「あなたの判断は正しい。」

「この女を見なさい。私があなたの家に入ったとき、
あなたは私に足を洗う水をくれなかった。
ところがこの女は涙で私の足をぬらし、髪の毛で拭いてくれた。」

A「この女は多く愛したから、その多くの罪は許されているのである。」
「少しだけ許された者は、少ししか愛していない。」
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
@においては借金を沢山免除してもらったものが、少なく免除してもらったものよりも、
感謝の念が大きく、貸主を愛する、と言って居る。これは道理で理解できる。
ところがAにおいて、「多く愛したから、その多くの罪は許されているのである」と言って居る。
これは@と矛盾している。 続きの「少しだけ許された者は、少ししか愛していない。」 、これは@と矛盾していないが。
 この矛盾はどの様に考えたらいいものでしょうか?

683 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:14:19 ID:BSWGwgrW

借金を多く許される→感謝して多く愛する
ならば

娼婦の女が涙ながらにイエスを多く愛することができた、
ならば、
すでに女の罪はもう許されているのだ、ということ、かもね。

大きな愛があったときには、すでに大きな許しがあった、
ということだろうね。

でも、大きな愛があれば、大きな許しがある、
というのも真理だと思う。




684 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:14:45 ID:gAJPNmxc
マグダラのマリやが売春婦であると言うが、売春婦はどうして罪人なんだろう?
このマリやだけが罪人であったわけではあるまい。つまり、売春をすることだけが罪であったわけではあるまい。


685 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:22:30 ID:BSWGwgrW
(続き)

ただ、イエスの感覚からすると、
許されることを目的に故意に愛する、というのは、
何処かしら不純なもの、と感じたんだろうね。
(偽善のチャリティみたいだが)


だから、人が無心に、目の前の人を大きく心から愛せるときには、もうすでに大きな許しがあった証拠なのだ、
ということの方が、なんかしっくりくる。


686 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:26:35 ID:gAJPNmxc
>>683
>大きな愛があったときには、すでに大きな許しがあった、
ということだろうね。

>でも、大きな愛があれば、大きな許しがある、
というのも真理だと思う。
------------
このマリやはどの時点で、罪の許しを感じたのであると思われますか?
この時まで、マリヤはイエスと共にいたわけでもなく、他人でその他大勢の中の一人であったのでしょう?


687 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:35:13 ID:BSWGwgrW
>>684
旧約聖書では、姦淫は死罪(石打の刑)とされていたらしい。

>>686
罪の意識を感じて、イエスの許に馳せ参じたいと思い、
それを実行に移し、そして涙ながらにイエスも膝元に額ずいて、
という一連の行動だろうね。

多分、イエスは彼女の行為に「不純のない」大きな愛を感じて、
こういった純な愛を出せる、といことは、
もう許されているんですよ、と言いたかったのだと思う。
逆に、許されるためにそう言ったふりをする行為の不純さは、
多分誰にでも分かるものかな、と。

688 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:37:31 ID:BSWGwgrW

イエスも膝元に→イエスの膝元に


689 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:40:55 ID:gAJPNmxc

>だから、人が無心に、目の前の人を大きく心から愛せるときには、もうすでに大きな許しがあった証拠なのだ、
ということの方が、なんかしっくりくる。

同意です。

釈尊に対して、釈尊を見て罪の意識から開放されたと言う話しは聞いたことがないです。
インド人は罪の意識というものがなかったのじゃないでしょうか?彼等に有ったのは、人生苦としての意識では?
一神教の宗教国家のユダヤ、一方自由思想の氾濫しているインド社会、この違いが、
罪の意識というものを決定しているのではないでしょうか?


690 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 22:49:54 ID:gAJPNmxc
>>689続き
いやそうでもないか。原始経典には、シャリホツや、阿南を観る者は、彼らが話している時でも、
黙っている時でも、うっとりとする、と説かれているし、大乗経典の大教では、
阿弥陀の光に触れるものは、全ての苦しみがなくなると説かれています。
 このように、聖者に触れるものは罪を許されたことを観じるのでは?そして、その感謝の気持ちから、
聖者に愛を示すと言う段階を自然に踏むのでは、と思いますね。

691 :名無しさん@3周年:2007/03/02(金) 23:11:41 ID:gAJPNmxc
そこでこれ等の聖者に共通するものですが、過去とそれに連結している未来に何の価値も認めていない
という共通点が有るのじゃないかと思うのです。これは仏教においては自明の教えです。
イエスに於いてもこの縁起の真理が有ったのであると思うのです。そして縁起して居るものには実体がないと言う真実の認識が有ったと思うのです。


692 :名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 09:37:05 ID:50PT8g9I
聖者は他人を許すことを教えます。聖者自身は許さない人なんでしょうか、そんなことはないでしょう。
聖者は完全に他人の過去の過失を許す人であり、未来の過失をも許す人なんです。過失ばかりでは有りません、故意にした悪事であろうともです。
そしてその許すと言う行為は、それによって、許された人に何かの恩義を感じさせ、それが残ると言う性質のものではないのです。
その故意過失の行為は元々なかったものであるので、その真実に基づいて幻として消滅するのです。
実に聖者の世界と言うのはこの世と異なっているのです。

693 :名無しさん@3周年:2007/03/03(土) 11:44:00 ID:50PT8g9I
さて、聖者の世界に付いて、それを天国であるとか、ニルバーナであるとか言ってる分けであるが、
その世界を善いから、聖者の教えを尊重し実行しようという気持ちにならないのはどう言うわけであろうか?
実際善いと思っているのだろうか?天国とは、何処にあるのかと言えば,まさにこの自分のいる世界にあるといわなければならない。
自分にあるといわなければならない。その天国は、自分の欲を滅した時に現れた世界であった。その世界が善いものと思わないのは、
欲の満足を求めて行動しているほうが、満たされない時は苦しいが、満たされた時もあるので、そう言う変化のある人生の方が、
当たり前で、欲望の何もない世界など考えられない、それほどつまらない世界は無いのではないかと、思うからである。
この欲の世界で、身が散り散りになって不幸を味わっても、その方が、良いと思うっているのではないだろうか?
確かにそうに違いないと思う。こう思うのが正直な気持ちであるなら、もう一度天国と地獄を考えてみなければならない。


694 :名無しさん@3周年:2007/03/04(日) 12:33:17 ID:3nqSK1g0
西洋哲学史の中でもっとも偉大と言うか真理を説いた哲学者はパルメニデスであるのに、
彼はそれほど哲学史の中で尊重されていないだろう。プラトンやソクラテスの彫像や絵画は
近代においても描かれているが、パルメニデスは絶無であろう。

695 :名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 19:22:54 ID:yxZPf1GK
イタリヤルネサンスのラファエロの「アテネの学堂」という巨大な壁画がバチカン内に有ります。
そこの説明でもパルメニデスの名前が出てこない。居るには居ると思われるのに。ということは、
カトリックと言うか、キリスト教においては、パルメニデスよりも、プラトンアリストテレスなどが
影響があったと言うことであろう。パルメニデスやプロチノスの方がキリスト教に近いのに。

696 :          :2007/03/07(水) 19:48:45 ID:UG02RLWj
イエスは全ての人の「罪」とやらを一身に背負って我々に「もう人に罪は無く、それに苦しむことは無い」
と言っているのに、クリスチャンは人間は罪深くメシアが救ってくれると言っている。本当のキリスト教
徒なら「罪」を言わないはずなのに。

697 :名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 20:06:53 ID:yxZPf1GK
新約のイエスの言行録を見ると、釈尊の理法が適用できると思うけど、それからの使徒の説明となると、
犠牲とか血などと言う説明が出てきて、パウロなどは本当にキリストの真理を知っていたのかと強く疑問に思う。

698 :名無しさん@3周年:2007/03/07(水) 23:18:03 ID:oSbnzl/c
>>696
罪を犯す人を創造した神の存在は不自然。全知全能で罪を犯す人間をつくりました
は嘘になる。

仏教も慈しみを説いている。「妄執が悩まされる。妄執という一つのものに一切の
ものが従属した。」
慈しみのこころづかいをこの世で崇高な境地とし、互いに悩まさない世の中にしよ
うと、人々の苦悩をなくすのが宗教。

「かの世もこの世も望まない」仏教。
信仰しながら慈しみのこころづかいをこの世で崇高な境地で理想としない人は、自分
の貪欲のために信仰しているから罪深い。

罪が完全にない世界は、自分すら存在しない。自分のために信仰を増そうとする人は、
誤りである。

まあ、イエスがあわれみを十分に行ったから、イエスを信じることで他人に対する慈し
みを持たせようとするのがイエスの目的だったのだろう。



699 :名無しさん@3周年:2007/03/08(木) 00:19:01 ID:I5yuQ6CK
最初は人間は神の理想を体現していた筈だったが、悪魔の誘惑に陥り、アダムとイヴが禁断の実を食べて以来、罪を犯すようになった、と言うのが旧約の伝え。

あと、イエスを信じさえすれば簡単に救われる、は嘘だろう。
魂の救済はそんなに簡単なものではない。
ただ、歴史上どの世界宗教もそれでは信者が一向に増えないので、
大乗と称して、これさえすれば誰でも簡単に救われる、と言い、
自己の教団を増殖させてきたきらいがある。
一種のセクト主義だな。

じゃぁ、肝心の修行とはどうしたらよいのか。
それにはイエスも明言してはいない。
家を捨て、財産を捨て、親を捨て、兄弟を捨て、私に付いてきなさい、
このくらいしか言ってはいない。
むしろここに関しては、苦行までには至らないものの、己の煩悩や様々な誘惑との戦いを含む、生涯に亘る修行が必要なことは、ブッダが半世紀前に力説している。

700 :名無しさん@3周年:2007/03/08(木) 19:46:49 ID:iZ2z7ngg
>>699
>家を捨て、財産を捨て、親を捨て、兄弟を捨て、私に付いてきなさい、
このくらいしか言ってはいない。

イエスは「神の国を求めよ。」
 ブッダは「ニルバーナ「作られざるもの」をもとめよ。」  
 これは同一の教えではないか?


701 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 12:42:56 ID:Nsj/sFny
なんかおかしいと思うようになった。
人は釈尊やキリストが何と言おうと、自分の幸せを追求すべきではないか。
彼等の教えを学ぶのは、知的遊戯に過ぎなかったのではあるまいか。

702 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 13:55:39 ID:ktfGKlAi
>>701
はずれです

703 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 15:44:51 ID:l0MLejOb
自分の幸せは、自分だけの利益の追及の中にあるのではない、と言うのが二人の基本的なスタンス。
この教えに背を向ける者も当時から多いが。

704 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 18:54:47 ID:Nsj/sFny
「あなたの神を愛せよ」とは「あなたの神の国を達成せよ」という意味である。
他人の神ではないのだ。
 仏教でも、同じである。
 阿弥陀仏は自分の浄土を達成した。他人は阿弥陀仏の浄土を見て、自分も阿弥陀のような
浄土を達成したいと願うことになる、と説かれて居る。仏教とにとっても
仏国土は自分個人のものであり、他人のものではない。

 そして神も仏も「一」であったから、純一の自分を達成することである。
教えは何時までも学んでいるものではない。実行実行である。


705 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/10(土) 19:08:07 ID:g7kS9ZvW
何!仏国土が自分のもの?スゲーな。
>>704は、仏教哲学を捨てた仏教と。
いっそ基督教に鞍替えしたらイカがか?

706 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 19:36:17 ID:Nsj/sFny
各人が成仏するのだ。各人が神になるんだ。

707 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/10(土) 19:41:07 ID:g7kS9ZvW
>>706
おっと、失礼。
カルトの方か。

708 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 20:00:29 ID:Nsj/sFny
おカルトです。

709 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/10(土) 20:13:26 ID:g7kS9ZvW
>>708
オカルトォ〜?
スゥーフィー?
タントリズム?
まさか、町の拝み屋レベルでオカルトなんて言わないよな?

710 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 20:39:48 ID:RbNEJJ/F
>>709
仙道です。

711 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 20:40:47 ID:yS33/5+E
>>703
背を向けた方が正しかったりして。
他者を蹴落さなくても幸せになれるのは桃源郷の住人だけで
桃源郷から出て世を渡るなら、処世術に徹した方が幸せになれるよ。

712 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 20:48:02 ID:yS33/5+E
と701さんが言ってました。
…とか嘘を附いた方が701-703の流れに沿ったレスになるのかな。
つまらん事に(自分は)頭を使ってる気がするが。

713 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 21:09:02 ID:Nsj/sFny
自分の仏国土を持つに至るとは、自己を完成させることである。自己とは智慧の完成であり、
その智慧とは、諸法は空相と言う一相であるというものであり、空性を体得すること智慧の完成であり自己の完成である。
 神の国を求めよとは仏国土と同じである。被造物は純一の神に他ならないと知り、
被造物のいかなるものにも執着しないで、ひたすら純一な神に倣い、神の目を持って被造物を見るのである。
このように観ることを仏教では止観と言う。
 異論があって当然と思う。ハイどうぞ!
なんだかおれ人を惑わすことに長けてきたみたいだ。これはいけないな。


714 :703:2007/03/10(土) 21:09:39 ID:l0MLejOb
ブッダの基本的な発想

あることをしようか迷ったときには、それが今の自分のためになるのか、
明日の自分のためになるのか、数年後の自分のためになるのか、死ぬときの自分のためになるのか、死んだあとの自分のためになるのか、を考えなさい。
もしそうならばおやりなさい。もし、何処かでひっかかるのだったやめなさい。
__なぜなら、今日の人の命は、明日につながり、未来につながり、転生し来世へとつながり、今生での因縁は来世へと引き継がれるからだよ。


あることしようかと迷ったときには、それがそんな自分のためになるのか、
自分の家族のためになるのか、自分の友人のためになるのか、多くの人のためになるのか、世界中の人のためになるのか、この世の生きとし生けるものすべてのためになるのか、を考えなさい。
もし、そうならおやりなさい。もし、何処かでひっかかるのだったやめなさい。
__なぜなら、人は見えないところで、この世のすべての人間、命とつながっていて、助け合い、影響を与えあって生きているからだよ。


715 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 21:19:04 ID:Nsj/sFny
>>714
おしゃる古都はわかります。自分も出来そうです。
しかし、神や、仏とどの様に関係があるのでしょうか?
真理真実とどの様に関係があるのでしょうか?

716 :703:2007/03/10(土) 21:40:33 ID:l0MLejOb
イエスの基本的な発想

汝らがこの子供のように、この世でも最も小さき者にしたことは、すなわち私にしたことであり、天の父にしたことなのだ。
自分を愛した者を愛したからと言ってなんの意味があろうか。そんなことは罪人にだって出来る。借金取りにだって出来る。
まずは、自分が人にして欲しいと思うことを、人にしてあげなさい。
その時はなんの見返りも期待してはいけない。そうすればあなたの受ける見返りは大きく、天に宝を積むことになろう。
目に見える宝はすぐに目減りする。盗まれもする。本物ではないからだ。
宝を蓄えるならば、盗人も近寄れず、虫も食い破らない天に、尽きることのない本当の宝を蓄えなさい。

何を着るかとか、何を食べるかとか、思い煩ってはいけない。
体は服に勝り、命は食べ物に勝るからだ。
又、思い煩ったからといって、一日でも寿命を延ばせるわけでもないからだ。

この野に咲く百合の花を見なさい。
紡ぎもしなければ、織りもしない。
しかし、繁栄を極めたときのソロモン(大王)よりも着飾っていた。
人知れず咲き、明日は炉に入れられて焼かれるかもしれない野の花さえにも神はこうして良くして下さる。
ならば、どうして人間に対して良くして下さらないだろうか。信仰の薄い者達よ。

神の国は、ほら、こことか、あそことか、そう言った形では見えないのです。
神の国はあなたの中にあるからです。死者を葬るのは死者自身に任せなさい。
神は死んだ者の神なのではなく、生きている者の神なのです。


717 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/10(土) 22:09:29 ID:g7kS9ZvW
>>710
周天は出来た?
俺は出来なかった。

718 :名無しさん@3周年:2007/03/10(土) 23:15:26 ID:RbNEJJ/F
>>717
周天は出来たと言うよりは当時存在を知らなかった。
その代わりと言っちゃ何だが内丹術で金丹は生成した。
つかあなたは気功か仙道かおやりになるの?

719 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/11(日) 00:10:26 ID:Mx0xERRs
>>718
だから、周天に失敗したんだってば。
にしても、内丹の金丹ねぇ、やっぱカルト臭いな。(`o´)

それから、仏教を語るなら、せめて中論読んでからにしたら?
カルトの仏教は、仏教っぽい神道か基督教に過ぎないよ?


720 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 00:40:33 ID:JsffQ5X0
>>672
仏教についてはかすりもしてないが、これがキリスト教徒の平均なんだろう。

721 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 02:25:05 ID:jePtSfy8
>>719
てか、カルトじゃない仏教って何だよ。
反カルト運動なんて基督教が異教を攻撃する口実に過ぎないじゃん。
米国警察が性犯罪を取り締まる刑務所の番組とか
古くからある宗教戦争の手口を何度も行使されてるのに
いつまで沈黙してるんだよ一体。

722 :718:2007/03/11(日) 06:41:45 ID:CeOXH0HS
>>719
今も何かやってるの。
つうか内丹がカルトとか言ってる程度じゃ、あんたの仏教論も知れてしまうなぁ。

723 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/11(日) 08:53:27 ID:Mx0xERRs
>>722
内丹の金丹出来たなんて言う子とは、遊んであげません。
(因みに内丹とは周天も含んだ行の総称。)

724 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 10:01:26 ID:Z8tOjWGp
>>720
自分の考えを表し、間違いをお互いに指摘し貶し合う事、これは有効な上達為の助けとなる。
であるから、この板を多いに利用し、自分の考え、人の間違い、などを論じ立てた方が良い。

 所で、仏教にかすりもして居ないと言うなら、仏教の真髄を言ってくれ。

725 :ソドムドットコム ◆4QvT9Q34lE :2007/03/11(日) 10:05:16 ID:DISkbw8k
>>1
両方詐欺師だろ

726 :718:2007/03/11(日) 12:00:32 ID:PD0ThUPi
>>723
金丹は単独で存在できるのに?
金丹も生成出来なかった人が理屈捏ねてもねぇ

727 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 12:25:18 ID:Z8tOjWGp
>>725
釈尊は生前「幸せなお方様」と認められ、他の人も幸せにする人と認められていたのではないか?
イエスは、どうか?イエスは不幸な生前を送り、人を幸せにしないで、不幸にしていた人であろうか?
けだし、人を幸せにするものは真実であり、不幸にするものは嘘偽りであるというのに同意するだろうか?
嘘の世界は、幸せを体験できない世界であると言う理由で。

728 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 18:47:07 ID:JsffQ5X0
>>724
釈尊に限って言えば、真理とは誰かに説くものじゃなかった。
自分の中に示し、それを了解出来るものには惜しみなく示し続けた。
たまたまそういう結果が残ったのではなく、極めて強く意識してそうしてる。
どっかの大国王子が釈迦族を滅ぼしに遠征する時も黙して語らず
決してたしなめる様な事を口にしなかった。
一言でも説き伏せる言葉があれば、悲惨な殺戮は防げただろう、と言われているが
それでも決して道理真理を口にしなかった。

釈尊は生き様を通して見るもの読むものと真剣勝負をされている。
目にしても理解出来ん者は所謂円無き衆生、語るのも無駄。

729 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 19:41:03 ID:905fEY/1
真理、真実、すべて自分の中にある。
自分を見つめろ。全てはそこにある。

730 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 19:48:51 ID:425Fm9Kq
>>729
もっと正確に自分の魂って言わないと分かり辛いでしょ。

731 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 22:12:59 ID:Z8tOjWGp
>>726
なに言ってるの?

732 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 22:21:30 ID:PYkfAcJ3
>>731
仙道の話

733 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 22:24:16 ID:Z8tOjWGp
>>732
仙道って何か教えてくれ。聞いたことが無い。

734 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 22:26:41 ID:PYkfAcJ3
>>733
剣道とか空手道とか言う意味で仙道。
仙人になる方法。

735 :社長:2007/03/11(日) 22:27:21 ID:DISkbw8k
センズリを極める道だな

736 :名無しさん@3周年:2007/03/11(日) 23:49:49 ID:Z8tOjWGp
>>734
阿、思い出した。原始経典に、仙人という言葉が出てくる。この仙人が、
独覚またの名を縁覚またの名をビャク支仏またの名を「孤独なブッダ」と言われるものだ。


737 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/12(月) 00:59:48 ID:6GNqs33P
>>736
それはヨガの仙人。
仙道の仙人とはちょっと違う。
仙道のは、久米仙人とか封神とかの方。

738 :名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 21:27:00 ID:Lt3QRCn1
>>737
全く始めて聞きます。

739 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/12(月) 21:38:30 ID:6GNqs33P
>>738
封神演技、知らない?
漫画になってたやつ。
パオペエとか使うやつ。
後は、西遊記とか。

740 :名無しさん@3周年:2007/03/12(月) 22:56:27 ID:Lt3QRCn1
知らないよ。漫画の世界の話じゃ、真理真実に触れる程度だよW。かする程度。

741 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/13(火) 11:37:57 ID:gs8Rjhq8
成程、
君の頭の中の真理は、世俗から遥か彼方にあるのだな。

あと、漫画の話は抹枝だろ?
支那の古典小説の話をしているのだよ、私は。

顕密円通の真妙訣
性命を惜修するに他説無し全て皆之精気神なり
謹んで固く牢蔵し漏出するなかれ

なんて、判らないだろ?
(`ー´)yヽξ

742 :イーグル:2007/03/13(火) 13:23:56 ID:RRUNPJrk
君らには無理です。
適度に発散して下さい。
そのほうがいいよ。

743 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/13(火) 16:57:40 ID:gs8Rjhq8
>>742
いや、俺は仏教徒だから、元々どうでも良いんだけど。

744 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 17:32:25 ID:f8Bmv7XN
>>728
最近カラスの歌さんの投稿が無いな、しかし728はカラスの歌さんのもののようだ。
>>729
>どっかの大国王子が釈迦族を滅ぼしに遠征する時も黙して語らず
決してたしなめる様な事を口にしなかった。

 釈尊は、生みの母親を生後まもなく失ったとはいえ、大事に問題なく育てられた、といわれている。
彼が継母の家庭で苦労したと言う話しは聞いたことが無い。しかしいかに継母が
よき継母であったとしても、釈尊には実の母親というものの存在が問題とならないはずは無いと考えるべきだろう。
生きていたなら、幼友達に観られる実の母との関係と同じ関係を持てたのであると想像したであろう。
いかに宮廷生活と言えども、このような肉親にのみある情愛に関係するトラブルは、無いはず無いのである。
小説や戯曲に取り上げらるのは周知の事実である。むしろ釈尊は宮廷生活において深刻な葛藤があったのではないかと考えるのが
常識であると思う。そこで、釈尊は、自分の生まれ育った都城にけっして愛着が無かったのであると思う。
真理真実を愛する人であることが一層その無情に拍車をかけることになたのではないだろうか?
 このような親族との関係が好ましいものでないことから進んで、その国に対してまでも敵意に通じる無情
を持つようになり、更に、真理真実を愛するが故に一層その無情に拍車をかけるようになる事象は、
イエスの場合でも見られるのではないだろうか?ユダヤ人がイエスを信じなかった最大の理由は、
彼は私生児であって、その父なるものが誰であるか解らない、相言う存在であることが、ユダヤ人の信仰しない
、そればかりか軽蔑する理由ではなかったろうか?
 両人とも、家庭生活において孤立し、孤独であり、進んで国家においても孤立孤独であったのではないだろうか。
むしろこのような事情が無ければ、彼らは、真理真実に身を捧げないことになったのではないだろうか。

745 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 17:37:51 ID:f8Bmv7XN
つづき
以下を参照。
施分別経(一)について述べよ
一 このように私は聞いた。
あるとき、仏陀は釈迦族のカピラヴァットゥにあるバンヤン樹の園にとどまっておられた。
そのとき、マハーパジャーパティー・ゴータミーは仏陀にこう申し上げた。
「尊師よ、この一そろいの新しい衣は、仏陀のために特別に、私が自ら紡ぎ、自ら織ったものです。
尊師よ、どうか私を哀れとおぼし召して、これをお納めください」
このように言ったとき、仏陀はマハーパジャーパティー・ゴータミーに、こうおっしゃった。
「ゴータミーよ、それならば、僧伽に布施をするがよい。
お前が僧伽に布施したならば、私も供養されるだろうし、僧伽も供養されるだろう」
再び、マハーパジャーパティー・ゴータミーは仏陀にこう申し上げた。
「尊師よ、この一そろいの新しい衣は、仏陀のために特別に、私が自ら紡ぎ、自ら織ったものです。
尊師よ、どうか私を哀れとおぼし召して、これをお納めください」
仏陀もまた、マハーパジャーパティー・ゴータミーに、こうおっしゃった。
「ゴータミーよ、それならば、僧伽に布施をするがよい。
お前が僧伽に布施したならば、私も供養されるだろうし、僧伽も供養されるだろう」
三たび、マハーパジャーパティー・ゴータミーは仏陀にこう申し上げた。
「尊師よ、この一そろいの新しい衣は、仏陀のために特別に、私が自ら紡ぎ、自ら織ったものです。
尊師よ、どうか私を哀れとおぼし召して、これをお納めください」
仏陀もまた、三たびマハーパジャーパティー・ゴータミーに、こうおっしゃった。
「ゴータミーよ、それならば、僧伽に布施をするがよい。
お前が僧伽に布施したならば、私も供養されるだろうし、僧伽も供養されるだろう」
論点 布施の意義とは何か
ここでは、釈迦牟尼の乳母であるマハーパジャーパティー・ゴータミーが、
師としての仏陀ではなく、子としてのシッダルタに供養しようといる。
この彼女の心を見抜いた釈迦牟尼が、彼女の認識を改めさせるため、
布施の意義、すなわち自我の放棄を説いているのである。


746 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 17:40:03 ID:f8Bmv7XN
>>745-746
http://tetugaku.fc2web.com/butten/butten.htmより

747 :718:2007/03/13(火) 21:44:28 ID:5IQFJ6v8
>>741
俺は解るけど。
板違いで自慢する奴恥ずかしw

748 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/13(火) 21:55:13 ID:gs8Rjhq8
>>747
では、恥ずかしい電波に教えて下さいませ。

自から亀蛇ありて相バンケツせば性命堅く
還って火裏によく金蓮を植う

の意味をさ。
また、気と四つの力場の相違をさ。

(`ー´)yヽξ

749 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 22:22:05 ID:f8Bmv7XN
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/mani-ri.html
 
キリスト教の真理真実も仏教の真理真実も同一のものであると言う主張は、マニ教
にあるのでは?但しそこには縁起と言う理法が説かれていないようだ。ああ、縁起の理法
の貴重さよ。

750 :名無しさん@3周年:2007/03/13(火) 22:27:54 ID:f8Bmv7XN
俺はマニの生まれ変わりじゃないかなW?

751 :718:2007/03/13(火) 23:26:01 ID:2LysqUZ3
>>748
知識をひけらかす為に用いるアホウには答えてやるまい。
それが仏教徒の有様か恥ずかしい。
その有様じゃ錬神環虚の真意にも辿り着いてないだろ。


752 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/14(水) 04:17:44 ID:1wMr8Daa
>>751さんへ。
すげーな、
出神まで行ったのか!
マジで尊敬するわ!本当なら。
フダラクの諸尊に宜しく言っといてくれ。
愚弟は全部投げうって遊んでたって。

753 :718:2007/03/14(水) 06:36:17 ID:C2/QjMzj
>>752
すまん、出神が何なのかよく忘れてしまったが、
サハスララを実態として知覚したことはある。
あれを続けてたら頭の上に赤ちゃんが生まれてただろう。
でも霊が来たと思ってビビッて止めたw

754 :名無しさん@3周年:2007/03/14(水) 06:48:32 ID:vXzFBMO4
745には仏教は無理だ、基督教かカルトで満足しとけさ。ゆとり世代ならスマソ。


755 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/14(水) 08:49:55 ID:1wMr8Daa
>>753
ナニ〜?
霊でビビったぁ?
オメェ本当はレンキすらマトモに出来てねぇな?
ジャキはソコラ中にあるのに、霊グライでビビるかよ。
アヤカシとか神なら俺も引くがな。

756 :718:2007/03/14(水) 21:03:19 ID:ZZ31VX07
>>755
小周天すら出来ん奴じゃ俺の言っていることを誤解するだろう。
気感が適当なレベルで実体として知覚する分けなかろう。
能書きは良いから小周天がんばれ。応援してやる。

757 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/03/14(水) 22:33:17 ID:1wMr8Daa
>>756
そうか。
未経験か。
実体と錯覚するほどのヤツも居るぜ。
信のない屍守鬼よ、セイゼイ気を付けてな。
あばよ。

758 :名無しさん@3周年:2007/03/16(金) 06:49:30 ID:WYraedMP
そろそろまた清涼な真理の言葉のシャワーを浴びたいな。

759 :名無しさん@3周年:2007/03/18(日) 02:39:21 ID:MVqQx0tC
人にして欲しいことを汝もしなさい。
与えなさい。そうすれば与えられるであろう。
許しなさい。そうすれば許されるであろう。
もしも、汝が誰かを許さなければ、天の父も汝を許さないであろう。

あのパリサイ人を見なさい。彼らは少ししか愛さない。
それは、彼らが神から少ししか許されてはいないからだ。
神が少しか許さないのは、あのパリサイ人は少ししか他人を許さないからだ。

汝は許せ。復讐は神がなさるであろう。復讐は人間のすることではない。
汝にしたことを神は決して許すことはない。むしろ汝を憎む敵に優しくしてあげなさい。
その方が燃え盛る漁り火を敵の頭に積むことになる。
人を敬う心と敵対心とは並び立たず、敵は苦しむことなるだろう。
憎しみに対して憎しみで返していたら、敵も決して汝を敬うことはない。

人の目の中の塵は見えるくせに、自分の目の中の丸太が見えないのか。
この偽善者め。まずは自分の目の中の丸太を取り除くが良い。
そうすればはっきりと目が見えるようになって、人の目の中に塵が見えるであろう。
汝らの中で罪なきものがあれば、まず石持て打て。

私が世に来たのは、目の見えないものを見えるためにし、目が見えるというものを盲目にするためだ。自分には何も見えない、というのであれば汝の罪は軽かったであろう。しかし、見えもしないものを見える、と言い張る所に、汝が許されない最も大きな理由がある。




760 :名無しさん@3周年:2007/03/18(日) 02:41:25 ID:MVqQx0tC

ルリ王子よ。汝は苦しんでいる。いや、苦しんでおられます。
誤摩化してはなりません。汝は長年ずっと苦しんであられます。

苦しみの原因は必ずあります。
目を背けている限りその苦しみから逃れられることはないのです。
苦しみの本当の原因は、汝が長年ずっと見て見ぬ振りにして来たことにあるのです。
しっかり見なければダメです。目をそらされてはなりません。

ルリ王子よ、汝が苦しんでおられるのは、汝の母親が元女奴隷だったからではない。
たった一人しかおられぬ汝のその母君を、奴隷だという理由で焼き殺してしまったからだ。 

母君の供養をしなさい。そして全てのシャカ族の奴隷達を解放してあげなさい。
そうすれば、ルリ王子、汝の苦しみからは解き放たれます。
その根本的な原因から目を背ける限り、汝の苦しみが終ることはないのです。





761 :心と宗教と名無しさん:2007/03/18(日) 10:04:27 ID:/Zmg7xX5
>>760
ギリシャ神話にも匹敵するような話ですね。これは本当の史実ですか?

762 :神も仏も名無しさん:2007/03/20(火) 03:45:22 ID:F50LV1PN
今、汝は苦しみの中にある。
しかし、汝が出逢った苦しみの中で、この世の常ではないものないだろう。
すべてはありふれていて、この世の人の多くが誰でも味わう苦しみの一つなのだ。
汝だけが特別不幸な訳ではないのだ。

でも、神は誠実なお方である。なぜなら、
汝に耐えられない様な苦しみにお逢わせになることは決してなさらない。
耐えられる苦しみだけ、そして汝だからこそ絶ええられる苦しみだけを選んで
汝にとって最も必要な時に、必要なだけ、訓練として課して下さっている。
そして、更には、苦しみを克服せんとする汝に、
その苦しみから逃れる道をも、ちゃんと示してくれるであろう。
探せ、そうすれば必ず見つかるであろう。
叩け、そうすれば開かれるであろう。

汝がこのような苦しみに逢われたのは、実は、神が汝を愛しておられるからである。
何処の世の中に自分の愛する息子を訓練しない父親などがあるだろうか。
どんなに愚か者の父親だって、自分の息子を愛し、そのために何らかの訓練をなすものだ。
ならば、どうして汝に命を与えた全能の神が、汝に訓練を課さない筈などあろうか。
全ては自分に神が課した訓練だと持って耐え忍びなさい。

訓練は最初は辛く苦しく理不尽に思えるだろう。
けれども、訓練はそれに耐える者たちに平和な義の実を結ばせる。

だから、その萎えた足と震える手とを真っ直ぐにしなさい。

(コリント人への手紙10章、ヘブル人への手紙12章)






763 :神も仏も名無しさん:2007/03/21(水) 07:45:30 ID:FF8GKf/l
上着を取るものに、下着をも与えないならば、つまり上着を奪おうとするものに抵抗し、
それを捉え処罰しようとするならば、苦しみは、上着を与えない人に来る。自分のお身体とそこに宿る命を
守ろうとして抵抗するならば、苦しみはその守ろうとする人に来る。


764 :神も仏も名無しさん:2007/03/24(土) 18:46:59 ID:afThDpsN
12縁起は次のように輪転します。
『無明に縁って行が生じ、行に縁って識が生じ、識に縁って名色が生じ、名色に縁って六処が生じ、六処に縁って触が生じ、触に縁って受が生じ、受に縁って愛が生じ、
愛に縁って取が生じ、取に縁って有が生じ、有に縁って生が生じ、生に縁って老死が生じる』 
 この回転が無限に続いていくのです。
順観逆観と言うのは、無明を始めとする。無明あるが故に行が生じ、行に縁って色が生じ・・・。逆観は無明が滅ぶが故に行滅し、行滅するがゆえに色が滅する、・・・。
本質的に、12支の最後から始めることもできる訳である。つまり、老死に縁って生が生じ、生に縁って有が生じ、・・・・。
しかし、このたどり方は、本質的な理解をあいまいにしている。老死は何に縁って生じたか言われていない。
そこで、このやり方の始めに、「有身見」に縁って老死は生じ、を補充するべきなのだ。
 このような見方も出来、有ってよいと思う。(自己満足w)



765 :神も仏も名無しさん:2007/03/24(土) 18:48:58 ID:afThDpsN
>>764は取り消し。

766 :神も仏も名無しさん:2007/03/25(日) 00:26:27 ID:J9sssRLl
真理や真実というものは、誰にでも直感で理解出来るものをいう。
最も易しい言葉でも説かれ、幼子にでも即座に理解出来るものをいう。
何故なら、この世の始まる前から、神が、全ての生まれ来る人間に
その遺伝子に刻印して、その真理への嗅覚を既に与え賜ているからだ。

教団独自の専門用語を羅列するものは、マインドゲームではあっても、真理ではない。
何故なら、まずその専門用語自体に普遍性がなく、かつ、複雑な論理と、
膨大な専門用語の助けを借りなくては、自称真理を説明出来ないからだ。
つまりは、少数者だけ真理が解り、解らない大多数のものは永遠に真理の枠外に措かれるからだ。

寧ろ、真理とは、最も遠い処に、最も明るく輝く星の様だろう。
凡夫にも瞬時に理解はできるが、弱き凡夫が到達するのが困難なものに、真理の多くは在るからだ。


767 :神も仏も名無しさん:2007/03/26(月) 22:59:33 ID:2TWOw49I
私の悟ったこの真理は深遠で、見難く、難解であり、静まり、絶妙であり、思考の域を超え
微妙であり、賢者のみよく知るところである。所がこの世の人々は、執着のこだわりを楽しみ、
執着のこだわりにふけり、執着のこだわりを嬉しがっている。さて、執着のこだわりを楽しみ、
執着のこだわりにふけり、執着のこだわりを嬉しがっている人々には、《これを条件として、彼があると言うこと》
即ち縁起と言う道理は見がたい。又全ての形成作用が静まるところ、、全ての執着を捨て去ること、
妄執の消滅、貪欲を離れること、止滅、安らぎ《ニルバーナ》というこの道理も見がたい。
だから私が理法を説いたところで、もしも他の人が私の言うところを理解してくれなければ、私には疲労が残るだけである。
私には有料があるだけである。」
             サンユッタニカーヤ;梵天の懇請

768 :神も仏も名無しさん:2007/03/26(月) 23:03:24 ID:2TWOw49I
訂正
>私には有料があるだけである→私には憂慮があるだけである。

769 :南無妙法蓮華経:2007/03/26(月) 23:09:54 ID:e8IDwNmf
皆無です。
★★★『日蓮正宗』最高真実の宗教 4 ★★★
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1174626322/


770 :神も仏も名無しさん:2007/03/27(火) 20:51:35 ID:PPKrMzau
イエスも一切皆苦を知っている。釈迦も一切皆苦を説いた。
身体が欲することろに苦しみがあり、身体が消滅した永遠に安らぎがあり、
この世の苦悩を乗り切り永遠に生まれるため、耐えることと、身体が欲す
る行いの戒めとを説いた。

釈迦の弟子は、五感も思考も静めこの世での永遠を求めたが、
イエスは言葉を戒めと保ち、天国で永遠に幸せになる教えを説いた。

771 :神も仏も名無しさん:2007/03/27(火) 22:32:02 ID:vue+wIlL
>>767
真理といっても、「悪しき者の配下」「妄執という一つのものに一切のものが従属した」多くの人々には知れず、
無慈悲・冷酷・残忍、怒り・怨み・敵意・憎しみ、我が物という執着、与えず、貪り、公平さを尊重しないこと、
不満を抱き満足しないこと・感謝しないこと、自分の身体を感じて嫌なことを避け耐え忍ぼうとしないこと、
など身体がある故に生ずる煩悩を戒める言葉(教え)を受け入れさせることにより永遠に近づけようとした。

772 :神も仏も名無しさん:2007/03/27(火) 22:55:04 ID:vue+wIlL
>>766
ある程度真理は自分の内にある。だから意識せずに人が現す場合だってある。人によくしてあげて、相手が助かった時に自分のこと
のように喜んだり、冷酷な行為を嫌だと思ったり、敵意を持ったときに幸せを感じなかったりなど、作られざる世界はある程度人に
わかり、絶対にわかるところはこの世ではない。この世から離れた永遠は人が作ったものはない。
その世界を探求する場合、世を厭い離れ、身体の行為まで抑制する瞑想だろう。
この世と妥協しない信仰もそれにつづくもの。

773 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 22:39:21 ID:XRk7Dn0z
>>766
二次方程式x^2+bx+c=0を解け。

まずc-b^2/4は大体ゼロだから(x+b/2)^2=0

x=-b/2

中道だし事実は一つだし
めでたし めでたし。

774 :神も仏も名無しさん:2007/03/29(木) 23:25:36 ID:gJUGXdWn
すべての人間は神様が演じているのです。
このことを忘れると、人に対して、怒り、憎しみなどの感情を抱いてしまいます。
油断せず、常に神様の存在に気づいていましょう。

775 :神も仏も名無しさん:2007/03/31(土) 07:28:13 ID:dt3l5yUO
ちょっと物忘れの多い人間すら救えない神さんに気付いてしまうことはないの?


776 :神も仏も名無しさん:2007/03/31(土) 10:19:24 ID:+fq8aoMA
お釈迦様は、修行を完成して慈しみを説いた。ほとけごごろがあって
慈しみのこころづかいがこの世で崇高な境地と説いた。

人が人に対し、敵意や憎しみ、怨みがないことが大切だなあと感じる
人は、自分にも永遠を持つから他人も永遠を持つだろうと無意識に感
じてそう思うからだろう。慈悲やあわれみが大切だと思う人は、無意
識に自分にも永遠を持つから他人にも永遠を持つだろうと感じるから
だろう。他人を物扱いできない。社会を構成する機械扱いできない。

人はその実によって教えを選び、そうなろうと祈る。その実がない人
は別のものを選ぶ。

仏教も真実の教えを選び偽りを捨てるという修行方法がある。七覚支
という修行方法。

形あるものを信じる人は、魚を殺す=人を釣るために餌が投げ込まれ
たと。認識できるものに執着する人は、身体がある時だけで終わる。

形なき世界、一切が幸福であり安穏であり安楽な世界。安穏でない人
安穏にしたイエス。人が最も神を知る時は、この世で苦しんだり、困
ったり、病がない所を真実としてこの世の思いがなくなる世界。
この世で苦しむ人がないように、あわれみの心で祈る人は永遠を持つ。

人間というものは善悪の知恵(煩悩の可能力)に従って、永遠から離
れた存在となった。

777 :神も仏も名無しさん:2007/03/31(土) 10:33:34 ID:eMJAWfT9
>>775
個人的には外交通信が海底電信くらいしかなかった時代が
もっとも文明の発達した時代じゃなかったかと思ってる。

778 :神も仏も名無しさん:2007/03/31(土) 15:11:21 ID:harBdEgu
>>774
偶像なるものは実際は世に存在しないこと。
女を子供を生む機械と言ったら人々から非難され、人間を物を生み出す機械としたら、
物に人が押しつぶされた。国を構成する大事な存在は人である筈なのに。
>>775
物忘れの多い人間を救うのは、心の中に神を持っている人々。
偶像なるものは実際は世には存在しないこと、人間は滅んでも慈悲は永遠。人によく
してあげられるような心の中に神を持つ人々が人を助けることに気がつくこと。


779 :神も仏も名無しさん:2007/04/01(日) 07:11:43 ID:KoOzvnhK
悪人を赦すって難しい
時には敵意を抱かなきゃならないこともあるし・・・

780 :神も仏も名無しさん:2007/04/01(日) 07:19:02 ID:2MknBCPm
>>779
ならないことはないと思うけど

781 :神も仏も名無しさん:2007/04/02(月) 22:13:06 ID:zyjXH8v3
「罪がないのに罵倒され、なぐられ、拘禁されるのを耐え忍び、忍耐の力あり、心の勇猛な
人。すでにこの世において自分の苦しみの滅びたことを知り、重荷をおろし・・・敵意ある
者どもの間にあって敵意なく」
「人が苦しみをみないというのは、個人存在の諸要素の集合がアートマンと見ることなので
ある」

 自己がアートマンであり本当の自身ではない。本当の自身は自己が他人に危害を加えら
 れても反抗すらしない存在なのだ!被造物である仮の自己が自己を護るために危害を加
 えられたら防衛するだけだ。永遠になって本当の自身を知り、それは決して反抗すらし
 ない。

 罪をゆるすとは、被造物に自己防衛の行いがあっても、そのことに誇りを持たないなら
 ばゆるすということだろう。


782 :神も仏も名無しさん:2007/04/03(火) 04:22:39 ID:jkjueXwN

6:37 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。


783 :神も仏も名無しさん:2007/04/03(火) 04:25:05 ID:jkjueXwN

6:41 あなたは、他人の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
6:42 自分の目にある丸太を見ないで、人に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、人の目にあるおが屑を取り除くことができる。

784 :神も仏も名無しさん :2007/04/08(日) 03:11:39 ID:wbHkA/Hy
イエスと仏陀の共通点とは?
原因と結果(因果応報)を瞬時に理解するという身体、精神、魂の究極のモデル。
人生の様々な選択による、全ての結果は神の御名において完璧だという事を理解している。
だから、その身、慎ましく静寂で、愛(慈悲)があるだけの絶対的境地。


785 :神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 06:55:40 ID:h0ab7Vuc
>>779
方便として

786 :南無妙法蓮華経:2007/04/08(日) 09:30:52 ID:SRAxksJM
イエスと仏陀の共通点は、あまり無い。
イエスは、人生の様々な選択による全ての結果は、神の御名において完璧だという事を理解している、
と思い込んでいたが、本当は理解していなかったので 横死する。
仏陀は、因果応報を理解していたので、寿命をまっとうして、本懐の法華経を説き、入滅する。




787 :神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 11:17:41 ID:70BG9cC8
≪法華経≫
『わたしは人間と神の主である仏になろう』と・・・精進して瞑想に専念する人々が、最高の薬草
といわれる。この世において、慈しみと平静な修行に努めて専念し、仏の位に到達しうる確信を得
た仏の息子たちが、このような低い木といわれる。

転がりかえることのない車輪を回しつづけ、神通力を発揮して、巧みに幾千万という多くの人間を
苦しみから解放させる人が、実に高い木といわれる。


788 :証明される真実から信じる ◆q6eYvBSVUs :2007/04/08(日) 13:43:06 ID:Pd63jE32
○悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。
○のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。
○兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい」
自分を偉い者として肉欲が強い人は、屈辱を受けたことに反応を強く示し、肉の行為で仕返しする。
肉欲もない世界は、妄想分別することもなく、一切が幸福で安穏で安楽な真理の世界だから、人は
無意識に見知らぬ他人にも、平穏であるように望んで挨拶をする場合がある。

※真理の世界を人が無意識に行う場合があるのは、人が死んでただ消滅するだけではなく、真理の
 世界があるから。真理の世界を証明しないから、宗教が論争となりこの世の地獄をつくりだすも
 のとなる。

789 :証明される真実から信じる ◆q6eYvBSVUs :2007/04/08(日) 13:43:44 ID:Pd63jE32
◎争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人ブッダの説きたもうた理法を、
 説明されても理解しない。かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が
 地獄に赴く道であることを知らない。実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他
 の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。あたかも糞坑が年
 をへると糞に充満したようなものであろう。不潔な人は、実に清めることがむずかしい。
○愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終わるだけで
 ある。

修行僧は世と自己の苦悩を取り除くために、自己はアートマンとして真理の世界を追究すべく瞑想
に励んだ。五感も思考の六つまで抑制して、煩悩を消滅させた。だが自分しか救済しなかった。

神のわざを発揮して、多くの人々を苦しみから解放するイエスを信じたほうが、ただ理法を説き行
う人より多くの人々が救われる。

 ※客観的にみた真実を多く示せないのに、自分たちが信じた信仰は最も正しく、別のものは卑
  劣であると言う妄信が他の人を苦しめ悩まし、その煩悩によって地獄に赴く。

790 :南無妙法蓮華経:2007/04/08(日) 17:33:50 ID:SRAxksJM
ブッダの教えを厳守するには、論争は避けられない

791 :神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 21:21:59 ID:Cs9UP7un
>>790
釈迦滅後500年経過して書かれたとされる法華経。
人の言論に流され、信じてしまった人に疑いを感じている人には確実にその信仰が真実であるという証拠がほしいのだろう。
どんな教義でも正いと思ってしまったら、それは間違いないとしてしまうものだから、
主観的でなく、誰もが認める客観性のあるものを信じたいのだろう。
とりあえず、経典名を言うことを修行のように行えとした経典で書いてある場所を示し、
文字で教えを伝えることが書物の常識であると思っている人に、
漢字を無意味なように唱えることが修行と釈迦が教えたとする証拠を誰でもわかりやすいように提示したらいい。
そうしないと、普通の人が思い行うことを信じることになるから。


792 :南無妙法蓮華経:2007/04/08(日) 21:26:09 ID:SRAxksJM
>>791
客観とは、外から眺めることをいう。
これでは、法華経の経文の中には入れません。
当時の弟子の智慧第一のシャリホツですら、
信によって初めて釈尊の悟りを分け与えられた、と
経典には説かれている。

793 :神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 22:41:42 ID:DsPPu4wt
>>791
法華経なりに経典名を唱えることが書いてあれば、釈尊がそのようなことを説いた
という可能性もある。
しかし、釈尊の教えの中には七覚支という教えがあり、弟子たちが言葉の上だけで
教えを伝えるのだから、真実のものを選びとり偽りを捨て去るという修行もある。
それが絶対だとは言い切れないわけだ。

離欲や執着、五感の抑制などは、それらが存在しない世界が安らぎだから、人の苦
悩を取り除く即効性がある修養方法として絶対に釈尊の真実の教えと認める。

お経も多くの人々が世の中の憂いから離れる行為、離欲の行いをする行為として、
釈尊の教えを受け継いだかたちの修行法として認める。欲望を慎む行為によって、
現在安穏であり成仏世界へと生まれると信じる。

「ひとが何か或るものに依拠して『その他のものはつまらぬものである』見なすな
らば、それは実にこだわりである、と真理に達した人々は語る。」
「或る人々が『最高の教えだ』と称するものを、他の人々は『下劣なものである』
と称する。これらのうちで、どれが真実の教えであるのか?・・・・・・修行者は
心の内が平安となれ。外に静穏を求めてはならない。」

最高だとか他は下劣であるとしないのが釈尊の教え。仏教から最高か下劣と言って、
論争などさせない。他の平穏に信仰している人々と対立しない。そういう客観的理
由から、釈尊の教えは勝れている。


794 :南無妙法蓮華経:2007/04/08(日) 22:58:35 ID:SRAxksJM
最高や下劣という区別をしてはいけないことが優れているなら、
釈尊の教え自体も、「釈尊の教えは勝れている」といってはいけないことになる。
日蓮大聖人は、釈尊の経文をどこまでも正確に拝していたからこそ、その極意に到達できました。

795 :神も仏も名無しさん:2007/04/08(日) 23:06:46 ID:Cs9UP7un
>>792
経典名を言うことを修行とすることが信じた経典に書いてあるの?
あなたたちの信によって他はそれほどのものではないと決め付けてしまう。
他の人も信じている。それを方便とか間違いとする人間性から磨かないと、清まるとか仏に近づくとかから程遠いだろう。
法華経は仏から遠い人々を御利益で釣るだけ。


796 :南無妙法蓮華経:2007/04/08(日) 23:09:48 ID:SRAxksJM
間違いを間違いといえることが、人格者といえる。
自分のかわいい子供には、厳しく接するはずだとおもいます。

797 :神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 07:56:45 ID:rO5dUcPB
間違いを間違いと正そうとする人が、間違いだととんでもない世間となる。

798 :神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 17:54:39 ID:1v6+91Vk
>>796
経典名を唱えよと経典に書いてある箇所を示せないのに、
信が一番で、自分の信じたことが一番、その他の人が信じたものは間違っている
とか下劣と言い張るのは、人格者じゃなくめちゃくちゃな人間だとおもいます。


799 :南無妙法蓮華経:2007/04/09(月) 19:03:17 ID:zTcqXtdC
>>798
たとえば、きみが2chを賛嘆して、自分の人生を2chに捧げることを誓うとき、
全ての板の名を残らずあげて、賛嘆するだろうか。否、そんなことはしないだろう。
「2chに命をかけます」と端的に言うのではないだろうか。

妙法蓮華経に命を捧げるものは
「南無妙法蓮華経」と宣言します。

800 :神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 19:14:13 ID:rO5dUcPB
南無妙法蓮華経は間違いを正そうとするなら、経典から少し引用して書き、経典名とその箇所を示すべきだよ。
南無妙法蓮華経は信用しなくなった。
うわさを聞いて信じた親父が、まじめに働いている子供を就職して働けと叱るような宗教だとみる。



801 :南無妙法蓮華経:2007/04/09(月) 19:21:44 ID:zTcqXtdC
如来寿量品第十六の、我本行菩薩道、という金言の底に秘沈されています。
つまり、我は、南無妙法蓮華経をすすめる、菩薩の道を行じていた、ということです。
このことから、自分達も、南無妙法蓮華経をすすめる菩薩の道を行じれば、
仏になることができる、と言えます。

802 :神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 21:08:07 ID:AqS0DP/A
≪原始仏教の極端説≫
〜学ぶことに生きがいを認め、奉仕を楽しむために、戒律をまもって生き〜これを一つの極端説
であると説かれている。
「快楽は享受されるべきであり、清らかである。快楽のうちに欠点は存在しない」とこのように
見なす愚者どもがいる。これを第二の極端説であると説かれている。
世の中は泡沫のごとしと見よ・・・・・・身体は泡沫のごとしと見よ。

≪法華経≫
そののち、「さとり」の境地を説こう。『すべては水の泡か陽炎のごとし。速やかに一切の存在
に対し嫌悪を抱け』と。
かれら、すべての衆生は、施主から親しく教えを聴き、怱ちにこの世の汚れを捨て去って、最後
の肉体を保つ阿羅漢の位に達した。
この人よりも、順次に教えつがれた一詩頌を聴き、心から帰依の心を持つ人の福徳はさらに多い。
まして、親しく聴く者の福徳は、言うまでもない。一人の者にでも、『行け、教えを聴け。幾千
万億劫の間、この経典は得がたいのだ』と、勧めるとき、彼に勧められた者がこの経典を僅かの
瞬間でも聴くならば、その教えの果報を聴くがよい。かの人は口の病気に罹ることはない・・・

 随喜功徳品

  神通力を発揮して、巧みに幾千万という多くの人間を苦しみから解放させる人が、実に
  高い。



803 :神も仏も名無しさん:2007/04/09(月) 22:05:38 ID:rO5dUcPB
自己逃避より、法華経の教えをみんなに聞かせて、多くの人を救ったほうがよいということか。
聞いたから功徳があるとそこまで信じるのは別として、
釈迦の教えをより多く信じたら少なくとも世の中はよくなるという意図かもな。自己逃避、世の中逃避より信じて良くなり、功徳を信じて希望や安心して生きることが信仰の意義かもな。


804 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 12:28:46 ID:Wr5YVru9
経典は説得力のある智慧のある人が書いたものだな。


805 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 20:50:24 ID:aJcYxEdY
凡人の布教は凡人の布教でしかありえない。
凡人の布教は逆上せ上がった自分の信仰が正しいと言い他はだめだと言って>>800
ように不信を招き、論争を引き起こすが、誰もその人の信仰を認めることはない。

釈迦は真理を明確に説明して説き、道理によって教え諭した。
たとえ「世の中を泡沫、この身を泡沫のごとくと見よ」と釈迦が言っても、絶対に迷
いのない世界は、世とこの身のない真理の世界である。「すべては水の泡か陽炎のご
とし、速やかに一切の存在に嫌悪を抱け」と言っても、一切の存在がない世界を真理
とするから真理を示す言葉なのである。

そこで我々凡人が一切に嫌悪を抱けない存在であるから、真理を別の角度から説いた
言葉を比喩であり、直接であり正しいと受け入れることが、宗教の教えである。




806 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 21:07:53 ID:ssT18NdE
当人の知恵と思うところが凡人だな

807 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 22:07:21 ID:Wr5YVru9
経典が一番智慧のある書物だろうな。
俺も800のように言う奴だったら、勝手にあんたが信じておれと思うだけだよ。801は誰も説得できてない。


808 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 22:53:06 ID:DSZkBDCe
経典も引用の仕方と、説明の仕方次第ということだな。

809 :神も仏も名無しさん:2007/04/13(金) 22:58:47 ID:DSZkBDCe
釈迦が生きていたら、説法の仕方が素晴らしく、日本人全員がすぐ信じちゃうかも。


810 :神も仏も名無しさん:2007/04/18(水) 18:32:45 ID:rj5QGWZf
どんな教えを汚しても、盲人で口が利けない人をいやされたイエスを
汚す者はいつまでもゆるされず、
多くの温厚な人々には、あわれみの行為を善とし、非情・冷酷・残忍
な行為をひどいと思うのは、人の内に永遠を持ち、神が存在するから
だよ。

811 :神も仏も名無しさん:2007/04/18(水) 20:56:27 ID:Y69PoiO9
イエスが十字架を前にして心底恐れたのは、自身の肉体的苦痛なんぞではなくて
アホな自称信者による報復布教の方だと、仏教との折れには見えるんだがどうよ?

812 :神も仏も名無しさん:2007/04/18(水) 22:12:31 ID:HDLWulps
>>811
あなたは真理を見出しました。
アホな自称信者というのは代表はパウロですね。

813 :神も仏も名無しさん:2007/04/20(金) 00:33:20 ID:RKTUhKCt
>>779
>悪人を赦すって難しい
>時には敵意を抱かなきゃならないこともあるし・・・


許せない人間というものは、毎日どんどん出会って行くもの。死ぬ迄続くものである。
しかし、許さないことによって傷付くのは自分自身。
悪感情で、心身に変調を来すからだ。自分の荒れた胃を、血圧を、表情を知ると良い。
許さない感情というものは、自分にとって毒物でしかない。
慢性化する毒物以外の何ものでもない。
故に、悪感情というものは毒物なのだ、と早く気がついて、逐次解消して行くしかない。

気晴らしや、知らぬ振りでは、問題の先送りに過ぎない。
復讐では、人を呪わば穴二つ、悪による同害報復では決して神は自分を許さない。
自分自身の行いに心底胸を張れないのを知悉しているのは、復讐する当人自身からだ。

これよりは、己自身の心身のテンションを高めて、時間を掛けて、
徐々に過去の憎しみを克服する方法の方が遥かに素晴らしい。

然し、最も抜本的な解消方法は、許す、と云うことなのだ。
かような許しをなすことによって、初めて、己の中の悪感情の無間地獄から脱却出来るのだ。
それをイエスは、許す汝をみて神も汝を許す、と看破したのだ。
ブッダも、四苦の一つ(怨憎会苦)は、許しを拒絶した我執にあるとしている。
この許す、という行為は、相手を思った行為である以上に、実は、己自身を労る行為なのだ。

汝らの中に罪なきものがあればまず石持て打て、
人の目の中の塵ばかりを何故追いかけて、自分の大きなゴミは見えないのか、

すべての許しの始まりは、憎む相手の、その弱さ未熟さへの共感、後ろ指を差す
己の未熟さを棚には上げない深い分かち合いからだ、というのは、真理だと思う。



814 :神も仏も名無しさん:2007/04/20(金) 00:35:36 ID:RKTUhKCt
四苦の一つ→八苦の一つ

815 :神も仏も名無しさん:2007/04/28(土) 05:24:46 ID:5vRLMPlu
赦せといわれ、頭で分かってても、なかなかすぐに実行できるものではない

そんな時こそ神にすがる

神よ私に光をください
過去を、他人を、自分自身を赦せるよう、内なる平安をください

祈りとは本来こういう使われ方なんじゃなかろうか

816 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 08:53:06 ID:myDnNNVD
http://members13.tsukaeru.net/qookaku/bbs/hist/hist0014.html#hist_pt2

817 :神も仏も名無しさん:2007/05/02(水) 08:59:41 ID:myDnNNVD
>>816
第四部参照

818 :神も仏も名無しさん:2007/05/03(木) 17:44:06 ID:CVuyY0Kx
煩悩の可能力、善悪の両者に汚されなかったら悪魔を征服し彼岸に渡りおわる。
 (スッタニパータ)
人が賢くなったその思考も、動物と同じ肉欲のうちで、それぞれの考えで生き
ている。
霊界から地上を見下ろすようなつもりで、それぞれの考えに執着し生きている
人々を憐れんでゆるせと教えている。
人間が動物のそれぞれの行為を見てゆるすように。

「世の中は泡沫のごとくと見よ。世の中は陽炎のごとくと見よ」世のこころづ
かいも地のことである。

だが、盲人で口の利けない人をいやされたイエスのように、一切の生きとし生
ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過が存在しないように、この世で苦し
んだり困難に遭ったりする人をあわれまない心の持ち主はいつまでもゆるされ
ず、永遠に全てが幸せな神の国に生まれることがないだろう。

地の者は地のことで輪転し、全てが幸せな世界に生まれる人は、この世でも、
困難や苦難に遭ったりしている人々にあわれみの心がある。
地のことに憂いを感じ、安らぎと癒しを学んでいる。

819 :神も仏も名無しさん:2007/05/07(月) 21:59:00 ID:ybEbLltA
目には目を、歯には歯を
タリオ刑法の同害報復論理は、そうでもしないと、
人の痛みを味わう想像力に欠けた人間に、人に傷を負わせること、
その重さを知らしめることが出来ないからだろう

然しイエスは云う
悪いことをして罰せられて、責め苦を得たからと云って何の価値があろうか、と

僭越至極だが、イエスの真意を敷衍すれば更にこうだろう
復讐されて倍返しの痛みを感じても何の意義があろうか、と
ましてや、赤の他人から刑罰で裁かれても何の意義があろうか、と

痛みなるもの
人の痛みは相手からの復讐で感じるものではない
ましてや、国家からの刑罰で同害報復で感じるものではない
内なる神からのメッセージとして感じるが良い
人に不幸をもたらす前に
その痛みを深く深く想像することによって
汝への復讐ではなく、刑罰でもない、愛のメッセージとして感じるが良い

神が与え賜うた人の想像力の真の価値は、人の痛みを想像するためにあるのだ、と


820 :神も仏も名無しさん:2007/05/24(木) 21:14:20 ID:71Eea83N
イエス様、昔、言いました
すべての人を愛しなさい

あなたの胸に愛あれば

人々の愛、受けるでしょう

821 :神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 20:42:56 ID:9ybkZQc6
人間的な神がいるから、人は目には目を、歯には歯をしないと損するかもね。
多くの神々が言うよ「愛はひよこ」だと。霊になった存在には愛など地を廻る
者のすることにみえるらしい。
そんなことよりも、「欲望を離れてしまえ」と。人の手でつくられたものを離
れることにより「右」だと。
イエス・キリストは人間の味方になってくれた善い霊だね。
神の霊は霊のことしか考えていない。
「人の手でつくられたものを離れよ、仕事もするな、自分たちのつくったもの
(自然)で男女とも裸で暮らせ」だと!
願い下げだね。
いくら地のことだと言われようと、地に生きる者となると言われようと、働き
物を得て、人を愛することは大切だと思う。たとえそれが左でひよこと言われ
ようと。





822 :神も仏も名無しさん:2007/05/25(金) 22:10:12 ID:jlfd2G50
ふたりとも、ぽこちんの左側にホクロがあった、ってことさ。

823 :神も仏も名無しさん:2007/06/07(木) 14:44:26 ID:ps3r5+rf
姦淫してはいけない。

824 :神も仏も名無しさん:2007/06/09(土) 22:52:00 ID:jFqDJ9bi
「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」聖書 
「〔神いわく〕わたしは、そなたに依存して生きているのではない。またそなたのために仕事
をしてくれる人々がいるのではない。」仏教

「いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神
が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。」聖書
「究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは・・・・・母が己が独り
子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の
慈しみの意を起こすべし・・・慈しみの心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態
を崇高な境地と呼ぶ。」仏教

  イエスも釈尊も慈しみを崇高なものとして説いている。働くことによって衣食住など
  人間に必要な物を人間がつくり、慈しみを崇高なものと説いているから、慈しみを低
  い教えだという霊は悪霊。

 仏教は修行により、修行を完成させて慈しみの心づかいをしっかりたもてるような人を目指
 す、キリスト教はイエスの言葉を受け入れること。慈しみのこころづかいを崇高だと受け入
 れることさえ自分のみ第一に考える人は難しいから、悟りを目指すこととしたのは釈尊の智
 慧。


825 :神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 22:37:24 ID:A9iTUl3M
慈悲心があれば崇高、いと高い人

826 :神も仏も名無しさん:2007/06/19(火) 22:40:46 ID:dYaENuzs
イエスは激情型の人だよ。
怒って神殿の商人の商売を妨害したり、
イチジクの実がならないようにまじないをかけたり、
コラジンやベトサイダを呪ったり、
福音書にはいろんなエピソードが出てきます。
調べるとなかなか激しい人物だったことがわかる。

827 :神も仏も名無しさん:2007/06/20(水) 01:48:18 ID:wpuzmMXC
真理に照らして、絶対にタテのものをヨコにしなかった、という点で、
ユダヤ人の激しい妬み反感を買い、
罪人バラバと引き換えに、30過ぎそこそこで処刑された。
そこまでしなければ、教祖にはなりえなかっただろうな。

その場の空気を読んで、和を尊しとして行動する日本人には、中々考え難い世界なんだよな。

828 :神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 22:27:44 ID:aJAquqLx
>>827
>和を尊しとして行動する日本人には

日本の国会議事堂は角張って角張って、マロミは全然感じられない。
一方アメリカの国会議事堂は、同だ?マロミがあるよね。みんな手をつないで輪になっているようだ。
「和を尊し」とするのは、付和雷同ではなく、正義を共有すると言うことが無いと意味無いだろう。
俺はアメリカ人の方が「和を尊し」を実行していると思う。「和を尊し」はなにも日本じんだけのものではない。

829 :神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:08:19 ID:3sGKn7r6
>>828
じゃ米国籍を取得して日本から消えてください。

830 :神も仏も名無しさん:2007/06/27(水) 23:12:39 ID:oOZi98sm
「和をもって尊しとす」を唱えた聖徳太子が仏教vs神道の戦に加わってるからなぁ、、、。
その虚しさから後にそう思ったのかも知れないけど(原本は隋の言葉だっけ)

仏教も叡山の山法師や、一向一揆、神道も国家神道など、を考えると、
やはり、どんな宗教も、それを用いる人によって、荒っぽい側面が出るよ。

もちろんキリスト教の名においての戦争も激烈だけど、いっぽうで
イエスそのものは他民族でも尊敬しろという。

イデオロギーとからむと、博愛や慈悲の思想も、他者との諍いのタネになる。
人間の悲しさやね。



831 :神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 00:34:20 ID:FD7Ron7x
一切皆苦を悟り、世を厭い離れた釈尊。
天国に生まれることを教えるイエス。

彼岸や天国を知った者には、この世は苦しみを受ける世界と悟った。
人間がこの世の平和を望んでも、他人や世間が自分の思い通りになるまで心の平安は築けない。

この世よりあの世で一切が幸福で安穏で安楽なので、この世の貪りから離れ、この世から一歩
離れた心の状態で、一切の生きとし生けるものは幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ、慈しみ
の心づかいを保ち邪まな見解を捨てよと教えたのではないか。

釈尊の慈しみのこころづかいがこの世で崇高という教えは、邪まな見解を捨て去るためだけの教
えだと思う。釈尊の教えの中心は離欲。

832 :知りたい人:2007/06/30(土) 00:36:35 ID:OVJFgwIU
どちらも、他が為と世界平和!!!

833 :神も仏も名無しさん:2007/06/30(土) 16:11:44 ID:+t8Mp+qp
イエスも釈迦もその時代の人に合った話したにすぎない。
イエスも釈迦も本当に教えたいことは自分の胸に収めて死んでいったのである。

834 :神も仏も名無しさん:2007/07/01(日) 22:32:44 ID:Dc0YeLDN
>>832
利他は誤解を招きやすい。真実を実現することが目的である。それに追従するのが、自利であり利他である。


835 :神も仏も名無しさん:2007/07/03(火) 23:47:33 ID:fZiggIW8
平和、平和と言っても誰かの考えを押し付けることしか人間はしない。たとえば人がこ
のようにすれば皆平和になると考えて、その考えを人に押し付けるならば、従った人は
その人の奴隷である。

しかし、「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない」
と言っても、永遠の命の世界は、盲人で口の利けない人が見え、口が利けるようになっ
たことを喜ぶように、全てが困難なく幸せになったことを喜ぶ世界としても不自然で
ない。だから、この世で生ける者をあわれむことは自己から永遠に通じる自身に従って
いるだけのこととなる。

憎まないことも、敵意を持たないことも、怨まないことも、他人の過失を見ないことも、
寛容でゆるすことも、離欲も、公平・平等を尊重し、恣の肉欲に従わず必要な物は肉の
主人に従って(奉仕)してから得ること、与えてから得ることも永遠の命の世界から遠
くはない。離欲により静けさと安らぎを楽しむことも永遠に通じる自身に従っている。

永遠の自分に従っている人が多いと、必要な物は与えてから得る、苦難に遭っている人
を助ける、所有物が少なくとも満足し快楽や享楽を追い求めることを正しい生き方とし
ない、他人に苦痛を与える人を厭い、またゆるさないことがあるだろうが、互いに他人
の意向を尊重し、寛容な社会となる。

836 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 20:09:21 ID:wdOGOm/s
つまり釈尊は、
 世を厭い離れ、世間から離れた所で修養し、解脱の境地を得させて慈しみをこの世で崇高な境
 地と知らせた。
 「平安の境地に達してなすべきことは、一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安
 楽であれ、母が己が独り子を命を賭けても護るように、怨みなく敵意なき慈しみのこころづか
 いをしっかり保て。この世では崇高な境地と呼ぶ。諸々の欲望に関する貪りを離れた人は母胎
 に生まれることがないであろう」
 「他人の過失を見るなかれ、自分のしたこととしなかったこととだけとを見よ」
 「世の終極に至らないで苦しみが終わることはあり得ない。清らかな行いをした人は世の終極
 に至であろう」

イエスは、
 「敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ・・・いと高き者は、恩
 を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、
 あなたがたも慈悲深い者となれ」「ゆるしてやれ」
 「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい」


837 :神も仏も名無しさん:2007/07/04(水) 20:10:30 ID:wdOGOm/s
イエスは出家という修行方法を教えず、在家のままでイエスの言葉を受け入れること、抱くこと
という方法をとった。「この命令が永遠の命であることを知っている」

肉体から来る思いと、永遠から来る思いが人間には存在し、永遠から来る思いを人が抱いていれ
ば滅び去る肉の思いから遠ざかり離れる。
永遠の世界は、この世の平和を欲して他人の過失を見ることもないし、敵意や憎しみ怨みを抱く
こともないし、一切が幸福で安穏で安楽で、この世で安穏・安楽でない人を安穏・安楽に、あわ
れみや慈しみがこの世では崇高な境地。他人から貪り取ろうとすることもないし、公平を尊重し
て、人々から必要な物を得ようとするなら、世間に自分の労力を与えてから得よ。他人の意向に
仕えてから得よ。

極端なことを言えば無所有で安楽で、衣食があれば足れりとせよ。

釈尊もイエスも教えるべきことは全て教え、それを受け入れていられるかどうかは人次第。
この世に絶望するのではなく、人間が自分に気をつけ自身の永遠を示し生きることによって、
他人を尊重し、他人から貪り取ろうとせず互いに与え合い、隣人が困難なめに遭い苦しんでいる
時に助け合い、自由と平安で安楽な世の中になることも可能となる。

838 :神も仏も名無しさん:2007/07/06(金) 21:07:43 ID:XoN4kovL
イエスや釈迦が身をもって教えているものを考えてみる。
イエスは、すべての国民から見捨てられ侮辱され、さらし者にして殺されている。
この、誰でも忌み嫌う事象は、イエスにとっても我々にとってもどの様な意味を説いているだろうか・
このような世間からの称賛は軽蔑すべきものとの意味がある。
 釈尊は全てを捨てて出家した。世間の誰がこのような生活を望むだろうか。
このような世間の生活は全く価値の無いものであることを教えている。

839 :神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 21:57:55 ID:qD16qpXy
イエスは、神がとこしえの昔から働いておられるから、自分も働くのである、と言っている。
これと同じに、釈尊も、「実は阿僧祇劫という無限に永い年月の間、
私(お釈迦様)は娑婆世界及び他の国土に常に居て教えを与え、救いを与えているのである。」法華経如来寿量品

 これらの「働き」とはどのようなものを言うのであろうか・


840 :神も仏も名無しさん:2007/07/07(土) 22:54:23 ID:KAfWboz0
老荘でいう「道(タオ)」?

841 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 00:25:06 ID:jgfFy2AX
「悪魔の征服者です。みずから彼岸に渡りおわり、あなたは善悪の両者に汚されません」
善悪により人は賢くなった。賢くなった人が宗教的行為をつくっても、真理の働きを妨げる。

「一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或るいは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、
清浄であるとか、不浄であるとかいってねがい求めることもなく」
「呪詛の作法をして、いまから七日の後に、あなたの頭は七つに裂けてしまえと言った偽り
をもうけたバラモンにバーヴァリは苦しみ悩んだ」
「多くの呪文をやたらにつぶやいていても内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっている」

 霊的な存在が食べない供え物、献供、他人の葬儀で善いところにおもむこうとする人々、
 人に通じない無意味な言葉を聞き語ること、呪文など他人に意味が通じない言葉を言い、
 それらになんらかの効力があると思い込むこと、それらは無明として釈尊は戒めた。

釈尊は無所有で五感の抑制、第六の思考と意向の抑制、瞑想修養により真理に基づく正しい
修養方法を教えた。自分の粗雑な思考を修め、老いと死の苦悩を取り除いた。
呪文や献供、供え物など人間が考えた修行方法、宗教的行為を正しいとしてはならないとす
るのが釈尊の教え。

842 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 00:26:11 ID:jgfFy2AX
神は完全で、人がつくりだした宗教的行為、偶像崇拝など必要としない。
この世の根底にあるものを明るみに出すこと、それを教えにしたものを守ればよく、永遠に
通じるものは人の内にもあるのだから、霊性が強い人が自然のままで命じることをする場合
がある。

「園に植え、橋に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々」
「多くの財産がある人が、自分を楽しませ、父母・妻子・使用人・友人などを楽しませ、自
ら用い他人に与える」
「肉の主人に仕える」「他人のだれにも負担をかけまいと日夜、苦労し努力して働き続けた」
「飢え、貧しい人々に飲食物を与えて満足させる」
「食べよう、飲もう、寝よう、そのようなことばかり考えない」「女を情欲の対象物として
はいけない」「自分の同胞だけに挨拶しないで、敵対意識を持たないように、平安を望んで
他人に挨拶しよう」

 人が考え出した正しい宗教的行為ではなく、霊性が強い人が一切の生きとし生けるもの
 の幸福と安穏と安楽を望んで、教えを自然のままで人々に指導し、また自ら行う場合が
 ある。神は見える存在ではないが、人が神を知る時は、困る人もなく苦しむ人もなく全
 てが幸福な世界を喜び、この世の物を貪ることなく、一切が公平で安穏・安楽な世界を
 無意識となって知るだろう。永遠に通じる存在は偶像さえ抱けない。神の働きは人間の
 善悪のはからいではなく、もっと自然に近い全てに通じるもの。


843 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 00:30:08 ID:q3fsk4j3
イエスは神の事を分かっていた、ブッタは神の事がよく分からなかった

844 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/08(日) 02:47:02 ID:0HZ8CThN
耳から聞く2ちゃんねるって、良いよ。

結構面白い

“2ちゃんねる”を音声で読み上げてくれるWebブラウザー「SofTalk WEB」

http://www.forest.impress.co.jp/article/2007/07/05/softalkweb.html

 “2ちゃんねる”の書き込みを音声で読み上げてくれるWebブラウザー「SofTalkWEB」v0.87が、4日に公開された。
Windowsに対応するフリーソフト。
現在、作者のホームページからダウンロードできる。

845 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 10:35:53 ID:XoWNJnue
「世間は妄執というひとつのものに一切のものが従属した」
「全世界は悪しき者の配下にある」
その妄執を滅ぼし尽くすために、釈尊は世間から離れ、無所有となり瞑想修行に励む。

神いわく「いつごろまでその修行をするのですか」
 善悪の両者に汚されず、悪魔を征服し、彼岸に渡り終わるという普通の生活ができなく
 なることを修行僧は目指していた。釈尊は善悪は煩悩の可能力と説き、修行僧は生活活
 動すらしないで森の中に住み、日に一食たべるだけで修行に励んでいた。

 神は人が森の中に住み、日に一食たべるだけの生き方、妄執を滅ぼし尽くすために人が
 修行する生き方を望まれなかったと思われる。

「平安の境地に達して、敵意なき怨みなき慈しみのこころづかいをしっかり保て。この世
ではこの状態を崇高な境地と呼ぶ。諸々の欲望の貪りを離れた人はこの世に生を受けるこ
とがないであろう」

 もし神が人の姿をしてこの地上に来たとするなら、人が生きながら不死の境地を得る
 ことを教えず、妄執に従属していることをそのままにして罪をゆるし、自分を信じて、
 「人に敵意を持つな、憎むな、無所有にならなくてよいから何も当てにしないで貸し
 てやること、人によくしてやること、慈悲深い者となれ、それらの言葉を受け入れて
 おれ」と言っても不思議ではない。


846 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 13:59:50 ID:qpyGeH9Z
釈尊は真実、人間であり、努力家だったな。
王族ではあっても、ただの人間として生まれ、
世俗にまみれた人生前半を過ごし、
苦悩の末、思い立って出家し、
長年の苦行の過ちを経て、努力の末、悟りを得、
権力者と和睦し、擁護されつつ、教えを広め、
何度も自らの教えを自らを否定し、改説し、
自然の恵みの中で年老いて、道の途中で、病に倒れる。
完成された人生故に、彼の生き様全体が、神に近づいた人の手本として、経本となり、後世長く寺院を中心に伝承された。

イエスは真実、人間を超越し、天才肌だったな。
大工の家にではあっても、神の子として生まれ、
神の子にふさわしい、世俗を超えた短い一生を過ごし、
幼いときから神童として神の国を説き、真理を説き、奇跡を起こし、
権力者とは一切妥協せず、自らの考えも一度たりとも改めない。
年老いることすら叶わずに、人のあらゆる醜い罪と引換えに、神の言葉と行いを残して天に帰った。
その衝撃はあまりにも強く、彼の完璧な言動は、聖典となり、手元に置けるロゴスとしての神になり、未来永劫全世界に広まった。

847 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 16:18:40 ID:GoLNBQMJ
>>846
実はイエスの父ヨセフは表向き大工だけど、実はエッセネ派の
指導者の一人だったんだよ。マリアも霊感の持ち主だった。
そうだろ、イエスほどの人材を負かされるんだよ、それなりの
立場の人が選ばれるに決まってるじゃん。
隠蔽されたのは聖なる側の働きか、カトリックの策略か・・・

848 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 18:41:32 ID:BLWCvMcL
(1)無原罪を目指す修行方法が釈迦に反駁する宗教を生み出した

△「修行僧は葬儀などやるな」と修行により成仏を目指す教えから、葬儀により
 成仏する仏教を生み出す。

△「多くの呪文をやたらにつぶやいていても、内心は汚物に汚れ、欺瞞にたよっ
 ている」
  呪詛の作法をして「あなたの頭は七つに裂けてしまえ」と偽りを語るバラモ
  ンに対し、苦しみ悩むのは無明であると釈迦は説く。
 呪文や呪詛の作法のようなものになんらかの効力があると思ってしまうこと、
 意味の通じない言葉を語り聞くことは無意味であると釈迦は説いている。

△「世間の宗教的行事により功徳を積むことは悪魔から来る行為」
 「園に植え、林に植え、橋を作り、井戸の舎や貯水池を作る人々、休息所を与え
 る人々、かれらの功徳は、昼夜に常に増大する」「食乞う人々に飲食物をもって
 満足せしめよ。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ」
  宗教的行為によって功徳を積むことはできず、「分け与え」「人々の安穏な暮
  らしのために働くこと」などで功徳があると釈迦は説いている。


849 :神も仏も名無しさん:2007/07/08(日) 18:42:50 ID:BLWCvMcL
△「献供する人はこのような生存状態を貪って止まない」「供え物は梵天が食する
 ものではない」
  献金やお供え物は霊に対してではなく、霊はそれらを欲しがることはないと
  釈迦は説いている。献供して功徳を求める人はこのような生存状態を貪って
  行うと釈迦は説いている。

(2)世間は妄執に導かれ、無所有で瞑想修行により妄執を断じる行為

△釈迦の修行僧と呼ばれる人々は、無所有で森に住み、五欲の対象を離れ、諸々の
 人の家のものを貪らず、わずかな食物で暮らし、瞑想修行で平安の境地を目指す
 人々。それが災いして、経典を呪文のように長々と朗読し、葬儀により成仏を目
 指す釈迦の教えに反駁する仏教、宗教的行為により功徳ありと感じさせる釈迦の
 教えに反駁する仏教を生み出す。

(3)キリスト・イエスによるあがないによって義とされる

○信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。
 かえって、それによって律法を確立するのである。
  平安の境地に達して、不死の世界を知ってから慈しみを崇高な境地とする釈
  迦の方針でなく、御言を受け入れ、心に抱けとしたほうが反駁した宗教となら
  ない。行いを強制して反駁する宗教となるよりも、信仰により教えを確立し
  たほうが後々にも違ったものにならない。



850 :神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 22:41:08 ID:RQVJiGqT
「上着を取るものには、下着をも与えよ。左のほほを打つものには、右のほほをもむけよ。」
という教えがあるが、この教えに付いて、「それは何故ですか」という質問が当然としてあって良いと思う。
何故このような教えが成立するのか、誰か答えてくれないか。

851 :神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 22:43:52 ID:KfVKI8dT
共通点

仏教徒

852 :神も仏も名無しさん:2007/07/09(月) 23:18:04 ID:Og0nDPZr
>>850
有名な言葉だな!
聞いた話だ、
殆どの者が間違った解釈をするそうだ
ある覚者が言った、
「上着を取るものには、下着をも与えよ。左のほほを打つものには、右のほほをもむけよ。」
意味を知りたいか?
長い文を打つのは面倒なので簡単に言うと(いゃっ一番、難かもな)
死。 死だっ!
そう死だ!
「上着を取るものには、下着をも与えよ。左のほほを打つものには、右のほほをもむけよ。」
これは死を意味する ある覚者がいいました!

age

853 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/10(火) 00:56:50 ID:7DtDspBl
>>843
> イエスは神の事を分かっていた、ブッタは神の事がよく分からなかった

言えてるよね、それだと・・・(笑)

逆バージョン

『 ブッダはほとけとは何かそれは、かまうな、ほっとけと言い、、、
イエスは、ほとけとは何か ? についてよく分からず、周囲のものに神神(がみがみ)と、こごとを言っていたと言う。 弟子達は、仏仏(ぶつぶつ)と影でささやき合っていたと言う。 』


854 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/10(火) 00:58:14 ID:7DtDspBl
>>850
> 「上着を取るものには、下着をも与えよ。左のほほを打つものには、右のほほをもむけよ。」
> という教えがあるが、この教えに付いて、「それは何故ですか」という質問が当然としてあって良いと思う。
> 何故このような教えが成立するのか、誰か答えてくれないか。

「釈迦も弥勒も彼の奴隷である。さて言ってみよ。彼とは誰か」

彼とは、誰か

855 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆rMNMPSLh1Y :2007/07/10(火) 01:01:08 ID:orGpr5F9
日蓮大聖人(藁)

856 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/10(火) 01:09:06 ID:7DtDspBl
>>855
> 日蓮大聖人(藁)

(爆)

857 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:24:12 ID:J6G2qCH5
敵を愛し、憎む者のために親切にせよ。汝を呪う者に祝福し、はずかしめるもののために祈れ。
「上着を奪い取る者がいれば、下着も与えよ。左の頬を打つ者がいれば、右の頬を向けよ。」

汝を迫害する者のために祈れ。汝から求めるものがあれば、見返りを期待せずに与え、奪い取る者からは取り戻そうとするな。

自分を愛する者だけを愛したからといって、何の意味があろう。そんなことくらいならば罪人ですらも出来る。

また、返してもらうつもりで貸した所で、どんな意味があろうか。それくらいならば罪人ですらも出来る。

敵を愛し、人に良くしてやり、何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば、汝が受け取る報いは大きく、神の国に財産を積むことになろう。
自分の持ち物を売って施しなさい。自分のために古びることのない財布を作り、絶対に盗人も近寄れず、虫も喰い破らない天に、尽きることのない財産を蓄えなさい。

神の国とは、ほらあそこ、ここにある、というものではない。
神の国は汝の心の中にあるのである。                 
(イエス Lule6、12)



復讐するのは汝ではない。復讐をするのは人間でもない。
復讐をするのは神である。神が裁かれるのである。

むしろあなたは、敵が飢えるのならば彼に喰わせ、渇くなら、彼に飲ませなさい。
そうすることによって、むしろあなたは彼の頭の上に、燃えさかる熱い炭火を積むことになるのである。

一切のことを愛を持って行いなさい。
悪に負けてはいけない。むしろ、善を持って悪に勝ちなさい。
(パウロ Romans12)





858 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 02:28:48 ID:J6G2qCH5
Lule6,12→Luke6,12,17

859 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 03:31:17 ID:8XguJo08
>>846
「人間を超越し、天才肌だった」のは、どう見ても釈尊の方だと思うが。
対するイエスは、どう見ても、神を呪って死んでいった一人のユダヤ人にすぎない。

860 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 06:29:05 ID:n7tPaxgh
>>859
アホか

861 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 15:54:58 ID:wYaeDnHY
ここに居る奴は
何が知りたいんだ!何が目的なの?

age

862 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 16:46:23 ID:gjqjsVG8
宗教は一つしかないということ。確認。

863 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 17:03:17 ID:wYaeDnHY
>>862
確認など要らない
あなたの言う宗教とは?
おせーて!

864 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 22:09:41 ID:mqhxcAx7
//857
アメリカ大統領ブッシュは、イラク進攻の前に、キリスト教徒として、指導者と相談したらしいが、
全然イエスの教えを守ってないジャン・政治家になったらイエスの教えを守ってはならないと言うことではないだろう・
イエスの教えが真理真実ではないと言うのなら守らなくても良いのだが、真理真実であれアバ、その結果はアメリカが負うことになる。

865 :神も仏も名無しさん:2007/07/11(水) 06:33:13 ID:VTkjqD/A
>>864
何を今更

866 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/11(水) 22:22:50 ID:Cuxlm0l2
エホのねらいは、自己肥大です。
とにもかくにも、信者数の拡大です。
内容は、無内容です。
なので、意味づけが、必要となります。
そこで、輸血拒否です。
それを守るか、守らないか、エホの踏み絵です。
エホは、世間からは、一線を隔絶します。
すると、外では通用しないことなので、つまり仲間内でしか通用しないルールを作ります。
彼らは、仲間内でしか生きられません。
そう言う仕組みが、輸血拒否なのです。
エホの内容が、どうのこうのなのでは無く、輸血を拒否できるか、出来ないか、だけで、組織は、成立しているのです。
そうして、
強固な組織を作り上げるのです。
勝手な言いぐさに過ぎない輸血拒否が、団結させるのです。
客観視すれば、全く、馬鹿なことですが、全世界にじわりと拡大しようとしているエホは、目的もなく、ただ、自己肥大をもくろんでいます。
無駄な動きなのですが、今日のも数人単位で、町中をぞろぞろ歩き回って、声をかけています。
何人に声をかけたか、
その時は、どんな風に会話したか、
微に入り細に入り、その日の集会で、みんなの前で、演じます。
その演劇を、ああだ、こうだと、口角泡を飛ばします。
無内容は、数の拡大で、疑問を打ち消します。
聖書を書き換え、自己に都合良く。
もはや、聖書と言えません。
キリストさんから、最も遠いというか、もはや、無縁。
それが、エホ、です。

867 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 03:30:55 ID:PPRdfHnm
ある時、イエスが弟子たちを連れて街中を闊歩していると
一人の女性が民衆から石を投げつけられていた。
なぜこんなことをしているのかと、弟子が民衆の一人に問うと、
「この女は罪人だからだ」と答えた。

それを聞いたイエスは民衆にこう言った。「ならばしかたがない。続けなさい」
そしてこう続けた。
「ただし、一度も罪を犯したことのない正しき者だけこの女性に石をぶつけなさい」
民衆は、とまどい、やがて一人また一人とその場を離れた。








そして、石をぶつけているのはイエスただ一人だけとなった。

868 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 03:56:26 ID:1eLdGfSN
お前らが待っているのは俺か?

869 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 20:28:33 ID:cEQ9fmn0
>>867
だからなに?


870 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 20:34:01 ID:yN/6VPRK
姦淫を見つかった女の話って、後世の付け足しだと
聖書に書いてあって、がっかり。一番有名な聖書の話なのに。
古い写本にはないつくり話。

871 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 20:42:38 ID:fASWn73M
それをいったら、如是我聞はすべてフカシってことに、、、。

872 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 21:13:20 ID:sHzVamQ5
870
新約聖書を福音書とも言い、旧約聖書を単に聖書と言うんじゃない。
旧約に書いてある訳無いから、「後世の付けたし」とかいてあるのは、
新約だろうと思うが、何処にどのように書いてあるか引用お願いする。

873 :神も仏も名無しさん:2007/07/12(木) 21:53:28 ID:Hg3hAfND
同感。ここはクリスチャンの人も沢山見ているよ。

874 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 00:04:49 ID:857eujtP
新約聖書、旧約聖書どちらも
誰が書いたかワからな〜い〜
イエスでもないよね←これ重要ね!

age


875 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 00:06:24 ID:857eujtP
仏もシカリね!

876 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 00:17:25 ID:eF4GF43H
>>874
書いたのはカバリスト

877 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 00:28:18 ID:857eujtP
>>876
じゃ〜カバリストの物語ね、それ!

age


878 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 01:46:07 ID:ptFQ2w7L
>>872
新約なんて新しい資料だから、
無かったものは無かったってはっきりわかってる。
凡例によると〔〕で括ってある所は疑わしい所。

879 :承狂 ◆nR84EH8w52 :2007/07/13(金) 04:24:29 ID:12+Ot0e9
>>875

オマエはシタリw

880 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 22:45:26 ID:hEGdJnhD
850
 俺は答えとして、一切が神だからであり、一切が空だからである、と言う答えが欲しかった。
変化しているものは元々ないのである。詰まり変化あるものは無実体なのである。このことの教えが、
福音書にはないが、神は始めに天と地を作ったと言うことに基づけば、神とは空で無ければならず、
造られたものは、変化即ち、天と地と言う変化である。空と言う神が真実ならば、
変化は当然無実体なもの、即ち、幻で無ければならない。神が幻を造った、とこの時点では承認しなければならない。
 そして、天と地の間に作られた人間とその他のものも、当然幻で無ければならない。
この故に、幻である上着と下着に執着してなならない、そしてまた、自分の肉体に執着してはならない、と言う教えとなる
と思うのだ。
 どうおもう・

881 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 23:03:10 ID:857eujtP
>>880
即ち
死を意味する

882 :神も仏も名無しさん:2007/07/13(金) 23:26:54 ID:857eujtP
>>850
>>880その通りだ
肉体を越え死を越え自分を越えたその先に空がある
全てが幻となった時、そこには空しかない

ある覚者が言いました

age

883 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/14(土) 01:17:04 ID:47g5hx7j
卒爾(そつじ)ながら・・・あに(兄)さんへ
どてっ!にお困りのご様子と拝察しやす。
一語ずつ辞書登録して、お使いなすって。。。。

▼▼”⌒☆o(_ _o)ドテッ
ミ(ノ_ _)ノ=3 ドテッ!!
どてっ(*/..)o
(o_□_)oドテッ
(_△_;〃 ドテッ!
(。_・)ドテッ
(。_゚)〃ドテッ!
(#/__)/ドテ
ドテ(o_0_)o))
((((((。。。(o_ _)oコケッ⌒☆《・・・・・》 |EXIT|
(((((((((((o_ _)o ドテッ  ‖出口‖
。。。ササx((;・・)ノ o_ _)oドテッ口←出口
ピョーン°゚°。。ヘ(;^^)ノ スタコラサッサ (;゚0゚)//ア!o_ _)oドテッ口←出口
((((o ̄. ̄)o ・・・・・・・・ミ(ノ;_ _)ノ =3 ドテッ
...((((ノ^^)ノ ウヒョヒョヒョ(o_ _)o ドテッ
ε=ε=ε=ε=ε=┏( >_<)┛  ズベッ(ノ_ _)ノ
ヒューンε=ε=ε=(o-ω-)o εミ(ο_ _)ο ドテッ…
,,,,,,,,((* ̄(エ) ̄)ノ サササッ⌒☆ o*_(x)_)oドテッ!

日本全国 どてっ 普及委員会

884 :神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 01:31:52 ID:PTs5DTQP
まぁ 空なんてのはあまりに高級すぎて 俺は関われないと思うね
死をこえる・・? 無理だろ 普通にww
多分空っていう言葉にとらわれてるんじゃないのか 多分
釈迦の言葉を思い出せ もっと 身近に気をつけなければいけないことがあるはずだ。
空ってのは 結局 精神世界ビジネスで都合よく使われる言葉に過ぎないような気さえするね
俺たちは ビジネスの奴隷じゃないはずだ 少なくとも
釈迦の言葉で俺が感銘を受けた言葉を・・
ある魂が死後 閻魔様のところに来ました
どうして自分は地獄にいるんだろう
閻魔様は言いました
お前が生きているとき三人来た聖なるメッセンジャーを見ましたか?
その魂は言いました
いいえ、そんなメッセンジャーはボクのところには来なかったよ。
閻魔様「貴方が生きているとき だれか苦しんでいる人を見ましたか?」
魂「はい たくさんの苦しんでいる人を見ました」

閻魔様「それが最初の聖なるメッセンジャーです。
苦しみがそこにあるということを教えに来ました」

「だれか 老いた人を見ましたか?もう体が自由に動かない人を」

魂「はい たくさんの老いた人を見ました」

閻魔様「それが二番目の聖なるメッセンジャーです 老いは全ての人に訪れます」
「誰か 死ぬ人を見ましたか?」

魂「はい たくさんの死ぬ人を見ました とても悲しかったよ」

閻魔様「それが3番目の聖なるメッセンジャーです 
人間はいつか必ず死にます 
そのメッセンジャーはただ単に貴方に言いたかったんです
あなたの人生を完了しなさい やるべきことをやりなさい 後回しにしないで」

885 :神も仏も名無しさん:2007/07/14(土) 13:36:34 ID:n7EjljoE
イエスとブッダは
結局同じモノを伝えたんだ
表現の違いだ

ある覚者が言いました

age

886 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:01:37 ID:E0ablxwr
881
 死を意味しないと思う。死も生も無いことを意味するのではないか。


887 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:21:14 ID:yVa5mSp3
◎無益な語句よりなる詩を百もとなえるよりも、聞いて有益なことばを一つ聞くほう
 がよい(仏教)
 ・・・多くの呪文をやたらにつぶやいていても、内心は汚物に汚れ欺瞞にたよ
  っている・・・

 「あなたの頭は七つに裂けてしまえ!」偽りをもうけたバラモンたち。呪詛の作
 法をして、呪文のように無益な語句を唱え、それらに効力ありと思わせて、献供
 をしない人々を脅し、宗教的行為により功徳ありと思わせていた時代に、釈迦は
 それらは「無明」であると否定し、聞いてわかる言葉を一つ聞くほうがよいと人
 々に教えた。

釈迦に反駁する仏教が生まれたのは、仏教の修行僧と認定される人々を、無所有で
他人から貪らずわずかな食物で暮らし、厳しい教えに耐え行う人々としたからで、
経典を読んだら仏教の修行僧と言われる人々がほとんどいなくなるから。



888 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:22:01 ID:yVa5mSp3
≪仏教≫
「罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを耐え忍び、忍耐の力あり、心の猛き
人―をわれは修行僧と呼ぶ」
「信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって
満足せしめよ。心に喜んで撒き散らし「与えよ」「与えよ」と語る。かれは、天が雨降
らすごとくに、その轟きを発するのである。その豊かな功徳の流れは、施しを与える人
に、降り注ぐ」
「乏しき中からわかち与える人は、法を実践することになるであろう。千の供犠をなす
人々の百千の供犠も、そのような行いのなす人の功徳の百分の一にも値しない」
「わが心は従順であり、よくととのえられている。わたくしはいかなる悪をも存在しな
い。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ」

≪キリスト≫
「あなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい・・・下着を取ろうとす
る者には、上着をも与えなさい・・・敵を愛し、迫害する者のために祈れ」
「正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹で
あるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか」
「みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆ
る持ち物、その生活費全部を入れたからである」


889 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 12:22:56 ID:yVa5mSp3
仏教を学び修めた賢明な人は、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめる。雨降らす神
は、飲食物を得るのも困難な人々に「与える」ことで豊かな功徳を与える、乏しい中か
らわかち与えることは、多くの財のある人のわかち与えより、功徳は大きい。
 と賢明な仏教徒はイエスに共通するようなことを学ぶのであって、長々と唱え功徳
 あり、またはなんらかの益があると学ぶのではない。

「罵られ、なぐられ、拘禁されるのを耐え忍び」それを行うのが修行僧だ、五欲の対象
から離れるのが修行僧だ、としたから、仏教を伝える人々が、呪文のように語句をくど
くど唱え、それらに功徳や効力があるものとしてしまった。

「空腹である人、かわいている人に食物を与え、いつわたしたちは正しいことをしたの
か」わたしは正しい人、善人と自覚せずに、無意識のままあわれみを行い、またあわれ
みの行いをしてもわたしは正しい人、善人だと言わない人は、自然に周囲の人々から善
い人だと思われる場合がある。真理の言葉を行う人々は、全世界においても他人から自
然にみられ、異様にみられることはないだろう。

「なぐられ、なぐり返す」を善としている人よりも、「なぐられても、なぐり返さない」
人が忍耐強いということは、永遠の心のある人には自然と受け入れられ、呪文のように
くどくどと語句を唱え、その行為に功徳あり、効力ありとする人は全世界に自然のもの
と受け入れられない、永遠にもない行為。


890 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 15:22:24 ID:HT81cqyC
>>886
そのとおりだ
表現の違いだ
死だろうが生だろうがどちらでもいい
ある人にとっては死を意味し、そしてまたある人にとっては生を意味する、
なにも無い事を、すでに知っている人には何も言う必要はない。

ある覚者が言いました

age

891 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 16:14:56 ID:tktcZvPO
イエス・ミトラ・ミロク 三位一体です

892 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 16:16:57 ID:HT81cqyC
>>891
なにそれ?

893 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 18:30:02 ID:pAKnR24k
余のために、塔を建てたり、僧院を建立したりする必要はなく
僧の集団へ供養する必要もないと、余はこのように言うのだ
 
 (法華経)


894 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 23:41:36 ID:AY7Kb4FT
>>885
現代の僧と言われる人は、利益誘導があるかもしれない。
お経や僧の説法から釈尊の教えを学ぼうとするのではなく、
聖書を参考にして、釈尊の教えは何だったのか知る必要が
ある。

熱心に間違ったことを信じさせられて、成仏できなかった
ら何もならない。


895 :神も仏も名無しさん:2007/07/15(日) 23:58:44 ID:HT81cqyC
>>894
もっと分かりやすくお願い!

896 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 00:57:20 ID:pqz7QQeL
成仏したいっていう欲望もまたエゴイズムだと思うけどね
あなただけ成仏したいのでつか・・w

897 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 01:20:58 ID:JzGpP+0A
だれか
お話してくれ!

898 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 01:22:21 ID:JzGpP+0A
暇だぁっ!

899 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 07:48:07 ID:N14siUyR
暇もまた良い機会だ。無境。

900 :神も仏も名無しさん:2007/07/16(月) 13:49:57 ID:2QsCc80d
>>891
ミトラとミロクは同じだろ

901 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/18(水) 01:27:35 ID:Heyxa0r7
>>900
根拠は?
研究成果をうかがえれば・・・

902 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 01:33:40 ID:S0KI4xFL
ミトラとミロクってな〜にー?

903 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/18(水) 02:16:57 ID:Heyxa0r7
>>902
> ミトラとミロクってな〜にー?

おくさんのはなしかな?

なんだろ?

3人虎ファンと

3人のロクでなし亭主の話かと・・・[壁]* ¨)* ¨) チラッチラッ

904 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 06:39:51 ID:yG0dV3xY
>>901
調べてくれよン
ttp://www.ffortune.net/symbol/sinwa/zoro/afra2.htm

「ミトラはマイトレーヤ、ミロクなどとも呼ばれており、
日本では弥勒菩薩(みろくぼさつ)の名前で信仰されています。」

905 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 06:46:14 ID:yG0dV3xY
因みにこの星のファイルメシアが弥勒だから。
そのための準備が遠い昔からされてるでしょ。
キリスト教教理の75%はミトラ教から来てるし。

906 :神も仏も名無しさん:2007/07/18(水) 23:53:19 ID:NUxoN3is
家族を捨てた。

907 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 06:57:40 ID:BRuFlkOd
>>905
x ファイルメシア
○ ファイナルメシア

908 ::2007/07/19(木) 08:12:03 ID:mO4hVefu
          <仏陀>仏教→現在<浄土真宗は実質キリスト教>ミロク菩薩混入
バラモン→ヒンズー↑→現在
         ↑
   ↑ミロク菩薩↑
ゾロアスター↓→現在
     ミトラ<ミロク>→キリスト教→カトリック正教プロテスタントなど→現在
        ↑→ <イエス>↑ 
     ユダヤ→→→→→→→現在
           ↓→<ムハンマド>イスラム教→現在<シーア派はギリシャ哲学を継承>

909 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 19:56:44 ID:klZBDNQS
>>905
それで、経典に法要をせよと書いてある?書いてあるならその
経典名とそれが書いてある箇所を示すこと。

経典は修行僧を菩薩などとして、お釈迦様の教えを伝えようと
する意図があるという。
お釈迦様が南無阿弥陀仏と唱えよとするようなこと、神や成仏
した人を想定して、その名を唱えることが重要であるというよ
うな教え方をしただろうか。

お釈迦様が誰かの名前を唱えることが教えで重要なことである
と説明できる経典名とそれが書いてある箇所を示してほしい。



910 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 20:36:56 ID:7ukpc9ed
>>896
釈迦は昔(前世)、梵天の弟子でカッパという名の者であった。
多くの人々が渇きに苦しめられ、暑熱に悩まされていたときに、水を
飲ませ、人々が捕らえられていたのを解放し、捕虜を逃がしてやった。
要するに、人々に対してあわれみの行いをして、世の統治者になった
り、王子として生まれた。
善い運命(神々の世界や豊かな家)に生まれるには、人々をあわれみ
与えることと仏教は説いている。決して自分のために生きて善い運命
となって生まれることはないと。

成仏すること、つまり霊体より消滅が安楽と説き、世の中から離れて
怒ることも怨むこともなく、離欲という自分のためだが、自分の肉体
のため(欲望のため)にならないことを修行することで消滅できると
教えた。


911 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 21:02:31 ID:7sPp1VSt
>>910
なにが言いたいんだっ

912 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 21:09:45 ID:dYnWfn3I
>>909
誰が仏教のことを言ったの?

913 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 21:41:31 ID:3S8dq3/y
あわてないで最後まで聞こう!
いや、それが最後かw。

914 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 21:44:07 ID:7sPp1VSt
つーか早くちて

915 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 23:03:01 ID:mGh7hW8A
>>908
浄土真宗は実質キリスト教?
あーあーあーなんてお経読んで、法要の後宴会。
慈悲やあわれみを教えるキリスト教でも、離欲の仏教でもないんじゃ?
>>909
釈迦が言った、イエスが言ったという証拠らしいものを知りたいね。>>908




916 :神も仏も名無しさん:2007/07/19(木) 23:29:44 ID:3S8dq3/y
イエス、釈迦と言う名称にこだわるのは、英語、フランス語に拘るようなものだ。
真理真実はフランス語と英語では表現は違うが、真理真実そのものは異ならない。
「名称と形態を破壊せよ。」―ーー釈迦

917 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 16:29:45 ID:z6ZvYc0X
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1153759413/l50
ここおもろ、浄土真宗とキリスト教が似てると思ってたから

918 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 20:04:53 ID:FpRWHJIB
    ___
   ,;f     ヽ         
  i:         i  
  |        |  ///;ト,
  |    ^  ^ ) ////゙l゙l;   
  (.  >ノ(、_, )ヽ、} l   .i .! |   
  ,,∧ヽ !-=ニ=- | │   | .|
/\..\\`ニニ´ !, {   .ノ.ノ
/  \ \ ̄ ̄ ̄../   / .|



919 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 21:31:52 ID:QKUDbJl1
よくパウロと親鸞、法然とイエスを重ねた本があるな。井上洋次とか

920 :神も仏も名無しさん:2007/07/20(金) 23:37:14 ID:N34HpX5M
イエスの天国
 さまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが
釈尊
 一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに罪過は存在しない

 愛は、神から出たものである。神は愛である。わたしたちも互いに愛し合うべきである。
 偶像なるものは実際は世に存在しないこと。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰
 する。愚かになり、不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたの
 である。

わたしたちが知る神は、このような悪しき者の配下にあっては抱けない唯一の神しか存在しない。
修行完成者ブッダが一切の生きとし生ける者をあわれみ罪過が存在しないように、あわれみ深い
奇跡のわざを行ったイエス・キリストを信じる信仰で神を知るのがイエスの教え。

この世で様々な苦難に遭っている人々も、永遠の世界ではあわれみ深い神が全ての困難をいやさ
れるのだから、「あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ」と
慈悲をいと高き者の行いと認め、釈尊はこの世で慈しみを崇高な境地と教え、
人間が偶像を抱くことは誤りだが、あわれみ深い奇跡のわざを行ったイエスを主と信じることは
永遠に通じ、修行を完成させ一切の生きとし生ける者をあわれむ者となったら永遠に通じる者と
なる。

イエスと釈尊の共通点は、ただ単に偶像礼拝をするだけでは救われないとしている。罪なき世界
が一切苦難もなく困難もないように、それを真実としてあわれみや慈悲が永遠に通じると。

921 :あぽーん:2007/07/20(金) 23:53:54 ID:rw+j+j7f
あぽーん

922 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/21(土) 00:37:04 ID:xwsRb9rC
MatukOZwe6 <= #^,53S-+M
HiziZ10OqM <= #^,53NLni
MatutYjvFw <= #C,5Sm%51
BanbyH.vF2 <= #?,5d4],C
SabaxeKZ3g <= #0,5sO_II
HohoSlFT66 <= #F,5we0):
SakejS1bvg <= #),5*DvD5
UchupC.tzY <= #{Wc9:rem
SobaH5aGpI <= ##X44L~4D
MugaTG1SGo <= #bX4MM3mN
UshiHelhWs <= #HX4tEj!Y
TakatkXHps <= #_X4uL)Ce
MizujzFr2w <= #bX4z=XHX
CuSajiS98A <= #Rg{QO,1~
HosiP..c9M <= #Yg{QD)+&
Take8kACw2 <= #Lg{b23}'
HaneIdbssw <= #Ig{eDlyE
YukiXYTz4k <= #vg{eD)+&
MimihnIuGA <= #Vg{?a#{\
Kunir8d5Oc <= #Gg{_3s8'
BanbvdzdVs <= #_V421Vm:
CafeM8GjyY <= #RV4Xrqct
oHaruL8tzg <= #DV4c-SEO
TripjT5/Ac <= #+V4@,4&J
YubiRQE.c6 <= #Z2\1TE|S
FoodQjZOcM <= #&2\SK~U*
MusiUcPnv. <= #N2\T6rp@
Nekogy3chU <= ##2\gXoTy
StarIfQWW. <= #'']MC3ot
NekoYQw7hM <= #s']Y#JuK
MunefL7P/U <= #j']%Qybf
Saji0CNlK6 <= #_']|XZ,Y

923 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 00:51:11 ID:v0PuFNmM
「弱い人に対しては、つねに同情して忍んでやらねばならぬ。他の人々の主である人が弱い
人々を忍んでやるならば、それを最上の忍耐と呼ぶ」
「友となって同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。同情してく
れる愚者は、悪いことを教えてひとを地獄にひきずり下ろす」釈尊

「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分
を愛してくれる者を愛している」
「敵を愛し、憎む者に親切にせよ」イエス

「奉仕を楽しむために、戒律をまもって生き・・・・・これを一つの極端説であると説かれ
ている・・・・・この二つの極端説を知って、そこにとどこおっていなかった賢者たちは、
それで思い上がることはない」釈尊

「思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量
りにしたがって、慎み深く思うべきである」新約聖書

 偶像は人それぞれ抱くものが違うし、肉体が消え去った後はその抱いた偶像も消え去る
 だろう。しかし、奉仕活動をすべきであるとか、思うべき限度を越えて思いあがること
 をしないようにと教えている。

924 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 01:59:53 ID:AitOjOvG
>>914
>「友となって同情してくれる愚者よりも、敵である賢者のほうがすぐれている。同情してく
>れる愚者は、悪いことを教えてひとを地獄にひきずり下ろす」釈尊


(゜Д゜)
本当にこんなこと言っていたのですか???
一発で引いた

925 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 10:28:28 ID:/FLM4Rc+
>>924
仏典は修行僧が言葉の上だけで伝えてよいと釈尊が認めた書物。
七覚支で真実のものと偽りのものを見分け、偽りのものを捨て去るという修行を自分を頼り
として、他人を頼りとせず偽りのものを捨て去り、真実を見抜かないといけない。

「同情してくれる愚者は、悪いことを教えてひとを地獄にひきずり下ろす」
「弱い人に対しては、つねに同情して忍んでやらねばならぬ」
自分に同情してくれる人を愛するということは、肉欲を増すので警戒せよ。敵である
賢者がすぐれているわけではなく、敵を厭うな、敵をいやがるなということを心得て
おけという戒め。自分に利益がありそうな偶像を礼拝しても、永遠とはならない。


「葬儀などやるな」(仏教)「死人を葬ることは死人に任せておくがよい」(イエス)

世の中と自分自身は悪しき者の配下、妄執に導かれたものであり、永遠に通じる真実の自分
は、世の中の思いわずらい、悩み、自分自身に対しての悩みなどを捨てた、永遠の世界で困
難も苦難もなく一切を幸福に平安に安楽にされる神とこの世で一切の人々が苦悩がないよう
に思うあわれみや慈悲が永遠に生きる自分だから、自分の思いわずらいや悩みを捨てて、
永遠を思うことが信仰であり、
 自殺=葬儀=お経=安らかな永遠の世界に至る ということはありえない。後からその人
 を他人が供養しても、それはその人が永遠の安楽な世界に至る行為ではない。


926 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 12:29:19 ID:lO+NrbyV
どんなに愚かでも味方は味方。喩え、頼れないし、寝返る可能性はあるにせよ、だ。
どんなに賢くてもこちらを攻撃する機会を窺う敵は敵。喩え、学ぶ所は在ってもだな。
大事なのは賢さよりも心の姿勢。基本は動かんよ。

927 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 14:19:34 ID:QhhMQixP
病気は気から、安静にしている人が病気を治すのに役立つように、
世の中の思いわずらい、自分の思いわずらいを少なくし、肉欲を制して、
愛の祈り、一切の生きとし生けるものの幸福と安穏と安楽を思う人は、
神通力から程遠くない。

真理にもとづく言葉は、人が捏造した教えでない。


928 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 22:15:52 ID:lO+NrbyV
釈尊は一生の間に何度も改説しているよ。だから彼は神ではなく、人間なんだ。
自己の過ちをこう正し、真理に向かって修練を積む修行僧の代名詞なんだ。

たとえ愚かな小さな子供でも、自分を思って花を一輪差し出してくれたらば感動するなぁ。
たとえ天才でも、自分を傷つける手段をあれこれ考えて復讐の機会を狙っている人だったらば空恐ろしい。

929 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 22:31:27 ID:XJZ5XL+p
>>628
愚かな子供とか、天才とか、この認識がおかしいのだ。
子供が花を人にあげるその原因がどんなものかわからないが、悪い行為でないならば、その子供は、愚か者とはいえまい。
天才とはどんな人か知らないが、執着心を持っている人が良い人であるとは仏教は説かないのである。

930 :神も仏も名無しさん:2007/07/21(土) 23:54:54 ID:lO+NrbyV
お説からすれば、「友となって同情する愚者」、「敵になる賢者」という概念自体が自己矛盾していて、そもそもあり得ん存在になるな。
愚かならば、もとより、人の心を感動させる行為など出来ん筈だし、
賢ければ、敵(かたき)になることへの執着心も最初からない筈だからだ。

言いたいことはそうではないだろう。釈尊の言いたいことは、もっと限定された意味合いで、「表見的な似非友人の浅薄な同情よりも、節度のある反対者の方が学ぶ所も在るし却って信頼出来る」と云うことだろう。

931 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 08:42:53 ID:dFRZfYG0
>>928
釈尊は地上を去った後に最終解脱してるしね。

932 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 08:47:21 ID:7apWw5LF
930
そうだよ。

933 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 09:42:04 ID:/5LGWCpx
人は皆愚か者だ天才ですら愚か者だ
人間にしかあてはまらない言葉だ

age

934 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 11:42:58 ID:7apWw5LF
天才も愚か者もいないんだよ。
全ては縁起の存在、相対的存在だろう?
すべては自体として平等なものだろう?

935 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 12:23:44 ID:JG991rFC
>>934
だから縁起で天才と愚者が別れるんじゃないの?

936 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 12:38:15 ID:7apWw5LF
>>635
天才と愚者が相対的存在であるというのなら、実に天才の実体も無く愚者の実体も無いのである。

937 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 12:48:17 ID:/5LGWCpx
>>934
そのとおりだ
愚か者という言葉はただの表現だ

age

938 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 14:13:27 ID:7apWw5LF
>>939
その表現すらも滅するのではないかと。

939 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 14:19:06 ID:7apWw5LF
>>938
訂正
>>939>>937

940 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 17:51:17 ID:/5LGWCpx
>>938
そうだ!

age

941 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 18:47:40 ID:rTEdLCr1
初期仏典でびしばし愚か者って言葉を使ってるけど

942 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 20:45:56 ID:7apWw5LF
世界の真実(実相)が判明した時、そしてそれが空相無相一相である時、
その真実から目をそらして、相対的存在を実相であるとして、モノにこだわっている者を、愚か者といわれた。
しかしそれは説教の中で言われたものであり、ある人に面と向かって愚か者と叱責された事は無かったろう?
われわれ誰でも、真実を無視するならみずからをおろかものとしるべきなんだ。
愚か者の使用は、イエスにおいても同様に使用されているね?
そして、ある人を愚か者であるもしくは優れた人である、などと評する事が出来るのは、
仏か等正覚の菩薩だけである、、と説かれている。正しく人を判断できない者が人を評するなら、
自他を害するというのである。

943 :神も仏も名無しさん:2007/07/22(日) 20:52:38 ID:rTEdLCr1
そうこだわるなって。

944 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 20:55:16 ID:dDafd1KF
復讐は神のすることで人間はしてはいけないという、その理由は何だ、誰か答えてくれ。

945 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 21:08:09 ID:FCVgvZcQ
悪いことだからじゃない?

946 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 21:26:28 ID:3iuUoUYS
>>944
そんなこと誰が言った

947 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 21:27:57 ID:CKredzT8
>>944
復習は悪因を生むから

948 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 21:35:01 ID:3iuUoUYS
>>944
復讐人間だからできるし人間にしかできな〜い!

949 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 21:46:35 ID:3iuUoUYS
だれか反応しれ

950 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:04:28 ID:dDafd1KF
>>946
>>857
復讐するのは汝ではない。復讐をするのは人間でもない。
復讐をするのは神である。神が裁かれるのである。

むしろあなたは、敵が飢えるのならば彼に喰わせ、渇くなら、彼に飲ませなさい。
そうすることによって、むしろあなたは彼の頭の上に、燃えさかる熱い炭火を積むことになるのである。

一切のことを愛を持って行いなさい。
悪に負けてはいけない。むしろ、善を持って悪に勝ちなさい。
(パウロ Romans12)


951 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:10:30 ID:RBEFMXv5
復讐すると、その人間も卑劣なことをした輩と同レベルに落ちるからだろうね。

復讐が卑劣でない、正当な行為だ、というのはやっているご本人だけで、
端から見れば五十歩百歩。共に堕ちたレベルで泥仕合をしているに過ぎん。
しかもやればやる程に落ちて逝くだけ。復讐は復讐を産む。人を呪わば穴二つ、という奴だ。
相手を傷つけようとして、受けた害よりも加算した復讐をした所で、決して救われることはない。復讐するものは決して尊敬されることもなければ、成長することもない。

「神のみが復讐する」という意味は、悪をなして人を故意に傷つけたものは、
決して、精神や肉体の正常なバランスは保てないので、いずれは人格崩壊に向かって進んで行く、という真理を喝破したイエスやパウロ等、いにしえの哲人の説く所だ。

だから復讐は天に任せろ、お前は寧ろ優しくしてやれ、と。
その方が却って相手はお前を尊敬せざるを得ず、苦しむだけだと。
何故なら、人は誰でも、卑劣を憎むとともに、反対に自分が少しでも尊敬する人間を傷つけたりは出来ない、傷つけたことを悔やむ、と云う、という本能に近い習性が在るからだ。

復讐したくなったらば、堕ちた泥仕合をすることよりも、己の自尊心を高く保つことだけを考えろ。

952 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:12:06 ID:3iuUoUYS
>>950
愛ってなんだ


953 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:13:42 ID:3iuUoUYS
>>950
神ってな〜に〜

954 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:23:21 ID:3iuUoUYS
なーんだっ
誰も知らないんだーっ

955 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/23(月) 22:24:22 ID:92A+Emak
>>954
> なーんだっ
> 誰も知らないんだーっ

知って、どうするつもりなの ?

956 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:29:39 ID:3iuUoUYS
>>955
わからないよー
知りたいのっ
人に聴いてもダメなの?

957 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/23(月) 22:41:54 ID:92A+Emak
>>956
そうだよ
聞いちゃ駄目。

958 :神も仏も名無しさん:2007/07/23(月) 22:43:37 ID:3iuUoUYS
>>957
わかった
ども。

959 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/23(月) 23:07:05 ID:92A+Emak
>>958
いえ、失礼しました。

950を超えたので、どなたか、次スレを建ててくださいませんか ?

960 :神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 08:11:51 ID:X7dXItKA
>>959
次スレ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1185232166/l50

961 :神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 08:13:05 ID:X7dXItKA
次スレ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1185232166/l50




962 :神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 08:13:37 ID:X7dXItKA
次スレ
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1185232166/l50




963 :神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 17:53:43 ID:83fwZsGd
自分がいろいろ悩んでいる時、「愛」と教えてくれた霊はパソコンすること
をゆるしてくれた。

複数の霊も話しかけてきたが、「パソコン」もゆるさず「働くこと」も快く
思わず、どうすれば生活ができるのか?と問うたら、
人類は裸になって暮らすべきと教えてくれた。
「物」は我々の認めるものではない。我々の世界のように、労働もせず、
裸になっていれば、我々の世界に生まれることができると。

「イエスは主ですか」と聞いたら、何も言わず、「愛」は人間のするもの、
そのまま人間の行為に甘んじて、労働して衣服など「物」を得ようとすると
地を輪廻すると言った。

神は人間というものをゆるしてくれたような気がする。
複数の変なことを言う霊は、我々と同じようになって暮らせと言う。


964 :神も仏も名無しさん:2007/07/24(火) 23:25:56 ID:X7dXItKA
罪とは、神を否定することである。仏教から言えば、真実である空相一相無相を否定する事である。人を殺すものは、
空相に反して、肉体と心があると思っている事から生じる結果である。これは真実に逆らう行為なのであった。
真実に逆らうが故に、常に真実と争う事になるのである。これが神の罰である。
どうか?

965 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:04:47 ID:LsvfVapd
だ〜れも居な〜いの?!

966 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 21:20:47 ID:LsvfVapd
だれか〜
かまって〜

967 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 22:56:18 ID:VarYu1RJ
「妄執というひとつのものに一切のものが従属した」
「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者ブッダに罪過は存在しない」

完全に罪の無い世界は、様々な困難や苦難も存在しない世界で、人は罪人であるが、修行を
完成させ一切の生きとし生ける者をあわれむことは多くの人々には困難だろうとして、

「イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにし
ておられたが」善い世界では、このように悪しき者の配下にある人間の思いは存在せず、
神が全てをいやされ、神とともにさまざまな病苦やこの世の苦難に悩むことの無い世界を
真実、永遠として喜んでいるので、この世で人々も聖霊を汚すことなくイエスを信じて耐え
忍んで生きなさい。やがてその思いは真実となるのだから。それがイエスの教えでしょう。

仏教は修行を完成させ、平安の境地に達して「一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏
であれ安楽であれ、上にも下にも中にも敵意なき怨みなき慈しみのこころづかいをしっかり
たもて、この世ではこの状態を崇高な境地と呼ぶ。邪まな見解を捨て、諸々の欲望に関する
貪りを除いた人は、母胎に宿ることがないであろう」

 罪なき永遠の世界では、人が完全に無になるのではなく、安穏でない人を安穏に、安楽
 でない人を安楽に、全ての幸福を思うようなあわれみや慈悲に近いような存在になるよ
 うだ。冷酷・残忍・無慈悲で、またこの世のことのみに専念している人々は、永遠の罪
 なき世界には通じないようだ。


968 :神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 09:56:37 ID:5P6j/xWF
>>964
釈尊の「悟りの境地は空であり無相」は「あーだろう、こうだろう」と論じあって悟り
は得られない、呪文のようにくどくどと多くの言葉をつぶやいていても、悟りは得られ
ないという教えであって、「この身・世の中は泡沫のごとくと見よ」そのように観ずる
瞑想により悟れるという教えであり、静けさと安らぎを目指し、誤った修養方法を正す
ための教えであり、五欲の対象、第六の思考を静めて、言葉も発することなく、心の安
定統一を目指すことがまず第一だとしている。

そして悟りの境地、この世を厭い離れた一切の幸福と安穏と安楽である境地を知ったな
らば、この世で一切の生きとし生けるものは幸福であれ安穏であれ安楽であれという慈
しみが崇高な境地と知るであろうし、他人の幸福を奪い、安穏で安楽な暮らしを奪うこ
とは悪業を積むことと教えている。

この世を見ず、このような生存状態は永遠ではなく、空であり無相世界が永遠であり、
一切の幸福と安穏と安楽を喜ぶ境地が自身であり、一切の事物は我ならざるものだと知
ること。


969 :神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 10:13:49 ID:IJ9Yn30x
道教:ウンコもれそう
儒教:子曰く「ウンコもれそう」
仏教:それは実はウンコではない
禅:ウンコがもれるとは、どのような響きだろうか
ヒンドゥー教:この便意は前にもあったぞ……
イスラム:ウンコがもれそうになったら、アラーの思し召しのままに
プロテスタント:隣人のウンコをもらさせたもう
カトリック:ウンコがもれたなら、それは罪の報いだ
ユダヤ教:どうして我々にばかりウンコが降りかかるのだ!?

970 :利他行を修す。 ◆UchuZn3Yyc :2007/07/28(土) 15:44:06 ID:Jpj36ZMk
>>969
道教:この道は、天と地の間の出来事。りきまず ウンコもれそう

儒教:子曰く「親に孝行、だがウンコもれそう」

仏教:それはほとけさまのウンコである。

禅:ウンコがもれちまった。ウンコという実体はない。ウンコは、空である。ウンコは、もれなかった・・・

ヒンドゥー教:この便意は、輪廻の結果と永劫の過去から、未来永劫の彼方(かなた)へと続く「ウンコ漏れそうの業(ごう)」である

イスラム:ウンコがもれっちまったのは、、アラーの思し召しにほかならない・・・アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

プロテスタント:隣人のウンコは、わたしの愛である。

カトリック:ウンコが、もれちゃった罪は、イエスさんが十字架を背負ってゴルゴだの丘を登って、罪を背負ってくださったから、無罪だ。

ユダヤ教:我々ユダヤ人のウンコは、エジプト脱出の際のどさくさ以来、今に至るまで、荒野をさまよいつつ、トイレを探し回ってる便意のことだ。

971 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:03:49 ID:7vyjy8Ur
ヨシムラキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

972 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 22:46:47 ID:FP1duTP2
ウンコの力でパワーアップ!

973 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 19:22:25 ID:Kv6j+xP8
 

974 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 19:28:01 ID:Kv6j+xP8
 

975 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 19:40:11 ID:Kv6j+xP8
 

976 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 19:40:56 ID:Kv6j+xP8
 

977 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 19:42:30 ID:Kv6j+xP8
 

978 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 20:36:38 ID:Kv6j+xP8
 

979 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 20:38:08 ID:Kv6j+xP8
 

980 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 20:39:17 ID:Kv6j+xP8
 

981 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:09:20 ID:Kv6j+xP8
 

982 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:10:36 ID:Kv6j+xP8
 

983 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:11:45 ID:Kv6j+xP8
 

984 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:13:15 ID:Kv6j+xP8
 

985 :神も仏も名無しさん:2007/08/05(日) 21:14:21 ID:Kv6j+xP8
 

986 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 11:52:21 ID:nLdPnzNZ
 

987 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 11:53:42 ID:nLdPnzNZ
 

988 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 11:56:22 ID:nLdPnzNZ
 

989 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:02:19 ID:nLdPnzNZ
 

990 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:04:35 ID:nLdPnzNZ
990

991 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:09:00 ID:s/k74Adh
 

992 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:12:58 ID:s/k74Adh
 

993 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:14:54 ID:s/k74Adh
 

994 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:15:51 ID:s/k74Adh
 

995 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:16:54 ID:s/k74Adh
 

996 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:19:42 ID:s/k74Adh
 

997 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:20:58 ID:s/k74Adh
 

998 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:43:41 ID:s/k74Adh
 

999 :(^ω^):2007/08/06(月) 21:43:58 ID:S7hnm1+5
(^ω^)

1000 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 21:44:52 ID:s/k74Adh
 

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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