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○●Я親鸞仏教質問箱R(その3)●○

1 :神も仏も名無しさん:2007/05/14(月) 21:47:50 ID:IAyvcORH
前スレ
○●Я親鸞仏教質問箱R(その2)●○
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1157628310/
 が512kを超えて書き込み不能になったので、新スレを立てます。

 親鸞の考え方は、仏教全体の考え方でかなり特異です。
 親鸞仏教の考え方に対する質問を書き込んで下さい。回答できそうなものからできるだけ分か
りやすく、試行的に答えてみたいと思います。
 渡海難は、一介のアマチュアです。時間の許す範囲で、自己の独自の仮説的立場から答えさ
せていただきたいと思います。2ちゃんねるには、本派、大谷派の坊さんも常駐しています。教派的
な回答は、おそらくそういう方々から、積極的に寄せて頂けると思います。
 なお、渡海難のカキコは、かなり不連続、不定期になるかもしれません。それでも、私宛の質問
は、遅くなってもできるだけ答えさせて頂きたいと思います。
 宗派が決めた儀式、慣習関係の質問はご遠慮下さい。ここは、あくまで教義に関する質問に限
定したいと思います。

 地球は丸いのに、極楽浄土はどうして西にあるのか。阿弥陀仏は天の神様か。極楽浄土には、
どうして菩提樹があるの?。極楽浄土には門があるが、塀が無いというのは、本当か。死んだら
極楽浄土に行って仏になるって、本当か。念仏だけでどうして仏になるのか。お釈迦様の悟りって
何。お釈迦様は2回悟っている?。念仏はどうしたら称えられるようになるのか。「南無阿弥陀仏」
は嫌だから、「いろはにほへと」と念仏しら地獄に墜ちるか。親鸞は本当に極楽浄土に行ったのか。
極楽って何?。地獄って何?。阿修羅って何?。死んで地獄に行きたいとは思わないが、極楽浄
土に行きたいとも思わないんだが、それじゃいかんのかね?。

 今更聞けない真面目な質問、簡単な質問に可能な範囲で回答していきたいと思います。本派、
谷派のお坊さんも、回答者として積極的にご参加ください。

2 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:50:25 ID:IAyvcORH
前スレの>> 627の続きです。

 輪廻論というのは、釈迦の十二因縁の原理と、考えの本質は同じである。人はなぜ輪廻するの
か。なぜ生死生死を繰り返すのか。これに対し、多くの人は、「欲があるからだ」という。欲を起
こすのが間違いの本であるという。釈迦は反論する。欲を断ち切っても輪廻は続くと。欲を断っ
ても、迷いはあると考えたのだ。釈迦は、無明という概念を立てた。それが十二因縁の原理であ
る。理想主義も破壊主義も何一つ真の解決にならないことを、釈迦は説いている。
 釈迦が悟りとを開くと、梵天と帝釈天が教えを請いに来る。梵天や帝釈天ともなると、世の中
に仏陀が出現したとなると、いち早くそれを察知する超能力を持っている。まさに、梵天や帝釈
天たるゆえんだろう。

 梵天や帝釈天ともなると、人一倍優れた能力を持つ。人並み外れた深い智慧と洞察力をもって
いる。その実力は、釈迦と比べても恐らく遙かに勝っているだろう。しかし、その梵天や帝釈天
でも、釈迦に唯一劣っていることがあった。どうしても釈迦に決定的に劣っている点があった。
それは何か。梵天や帝釈天は、外のあらゆる点で釈迦に勝っていても、実は、自分は何一つ本当
のことを知らないということ、この智慧だけは全く持ち合わせが無かったのだ。あらゆることを
知っている者は、自分が何一つ知らないと言うことを知らない。この事実の認識おいて、梵天や
帝釈天は決定的に釈迦にかなわなかった。自分は真実を何一つ知らないと言うこと、釈迦はその
一点の認識で梵天や帝釈天に決定的に勝り、梵天や帝釈天はその一点で釈迦の前に跪き、教えを
乞うこととなった。僕はそう考えている。釈迦は、三十五歳のとき、十二因縁の原理を悟った。

3 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:51:56 ID:IAyvcORH
 <十二因縁>ああ、俺は馬鹿だった。馬鹿だったんだよ(無明)。馬鹿だったからあんなことを
したんだ(行)。あんなことを考えたんだ(識)。思わずあんなことをしたからこそ、あんな心が
わき起こってきた。そして事物を意識した(名色)。そんな思いが湧いてくれば、ものごとはみん
なそっちの方に見えてくる。耳に心が宿って聞こえてくる。目に心が宿って見えてくる。感情に
心が宿って感情が動いてくる(六処)。耳に不快なものは避け(触)、耳に快い方に向かう(受)。
物事に執着が現れる(取)。それがずっと積み重なる(有)。再起(生)、彷徨・疲弊・挫折(老病)
はそのようにおきてくる。

 挫折(死)・再起(生)・彷徨(病)・疲弊(老)・挫折(死)・再起(生)。人は限りなく、限り
なく迷いを繰り返す。けだものの心でけだものの行為をする者をけだものという。鬼の心で鬼の
行為をする者を鬼という。人は、鬼となり、けだものとなり、有頂天になったかと思えば、地獄
の底に墜ちていくこともある(輪廻)。そのたびに、古い自分が死に、新しい自分が誕生する(転
生)。けだものが人に変わっても、けだものの時(過去世)の自分の行為が、人になったとき(現
在世)で消えているわけではない。今(現在世)、有頂天になっていれば、やがて(未来世)それ
が地獄の苦しみの引き金にならないとも限らない(三世両重の因果)。

4 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/14(月) 21:52:44 ID:IAyvcORH
 <悪因悪果>
 再起・挫折・再起・挫折の原因は、実に、我々自身の愚かさにある。無知にある。その愚かさ、
無知は、私の誕生で始まったものでなく、私の死で終わるものでもない。現在の私の再起・挫折
・再起・挫折は、過去の無数の人々が繰り返し、繰り返し重ねてきた再起・挫折・再起・挫折と
いささかの違いもない。現在の私の再起・挫折・再起・挫折は、将来の無数の人々が繰り返し、
繰り返し重ねていくであろう再起・挫折・再起・挫折といささかの違いもない。今の私の愚かさ
は、無限の過去から無限の未来に向けて連鎖している無限の愚かさの中の一瞬である。その一
瞬の再起・挫折・再起・挫折において私は生まれ、病み、老い、死んでいく。

 <善因善果>
 無明を断てば(因)、輪廻が切れる(果)。一度切れれば、迷いは尾を引かない。さあ、互いに
学びあおう。互いに教えあおう(大乗)。正しい認識(知恵)を、互いの共有財産として利用し、
享受しあおう(布施)。正しい認識(知恵)を得るように努力しあおう(持戒・精進・禅定)。多
少の苦しみは我慢しあおう(忍辱)。そうすれば、必ず輪廻が切れる。迷わなくて済むようになる
だろう(断四流)。

5 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:54:10 ID:m/XbY6hn
 議論がいきなり>>2に入るとわかりにくい。前スレの>> 627まで重複的に紹介する。前スレでこれは
往生の本質を考える前段の議論として提起している。

615 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:52:39 ID:uqYvccsE
 往生は、輪廻を断絶する。まず、分かりやすい輪廻から考えよう。
 獣の心で獣の行為をする者を獣という。鬼の心で鬼の行為をする者を鬼という。人間の心で人
間の行為をする者を人間という。生きとし生けるものには、意思と行動がある。意思を「願」と
言い、行動を「力」という。
 昨日まで人間の心で人間の行動をしていた者が、今日は鬼の心で鬼の行動をしだすことがある。
さっきまで有頂天でいた者が、突然に獣となり、さらには地獄にも堕ちる。地獄の底で真人間に
なることを誓ったものが、ほとぼりが冷めると再び獣となることもある。
 馬鹿だった。馬鹿だった。人はしばしばこのように後悔する。後悔して、後悔して、後悔し、
舌の根の乾かない内に、次の瞬間には鬼の手下になって鬼となる。鬼になって有頂天になること
もある。

6 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:56:16 ID:m/XbY6hn
616 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:53:10 ID:uqYvccsE
 鬼となり、獣となり、あるいは真人間になり、そして地獄にも堕ちる。節目節目で人は意思と
行動が変わる。意思と行動が変われば、人は人格が変わる。人間が変わる。古い自分が死に、新
しい自分が誕生する。新たな人格を持ち、新たな決意で再起し、新たな行動を起こして新たな人
生をスタートしても、やがて人は彷徨する。心は急ぐが、行動が言うことを利かない。何をして
いいのかわからない。あるいは人は疲弊する。行動は惰性で続いていても、心は早々と変わって
しまう。意思が変わり、行動も継続を放棄すれば、挫折する。
 人は、生(再起)・病(彷徨)・老(疲弊)・死(挫折)を繰り返す。再起と挫折を繰り返す。
生・死・生・死を繰り返す。中途半端に再起すればやがて中途半端に挫折する。中途半端な挫折
は、中途半端な再起を生み出すだろう。仏教ではこれを迷いという。

 釈迦の十二因縁の法則は、無明を原点にして生老病死に至る。人は生死・生死を繰り返し、生
死・生死の一こま一こまの中で獣となり、鬼となり、有頂天になったかと思えば、地獄にも堕ち
る。獣が鬼になっても、獣の中の霊魂だけが鬼になったのではない。獣の全人格が鬼になったの
だ。鬼が天を舞うように有頂天になれば、鬼の霊魂だけが有頂天になったのではない、鬼の全人
格が鬼になったのだ。

7 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 09:57:41 ID:m/XbY6hn
617 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/09(水) 17:54:30 ID:uqYvccsE
 人は、自らの無知と無能を本質とし、再起・挫折・再起・挫折を繰り返す。今のこの私の再起
・挫折・再起・挫折、生・死・生・死は、私の肉体の誕生で始まった物ではない。肉体の消滅で
終わるものでもない。今のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質とし、過去、無数の
人々が始めなき始めから繰り返してきた再起・挫折・再起・挫折の無明と寸分の違いもない。今
のこの私の再起・挫折・再起・挫折は、無明を本質として生・死・生・死を繰り返す。無明は霊
魂だけの問題ではない。精神だけの問題ではない。肉体だけの問題でもない。これは、私の意思
と行動の全ての本質である。その同じ無明をもって、やがて今後も無数の人々が寸分の違いもな
い同じ再起・挫折・再起・挫折を経験していくだろう。今、この私が無明を本質として、鬼とな
り、獣となり、地獄にも堕ちていくこの道は、かつて、無数の人々が、私と同体の無明(霊魂で
はない)を本質とし、繰り返し繰り返し浮沈を繰り返してきた同じ道である。今後も無数の人々
が、私と同体の無明(霊魂ではない)を本質として繰り返していく同じ道である。

 私の無明は、決して私で始まった物ではなく、私の死で終わるものではない。無限の過去から
無限の未来に向け、とどまることなく続く同体の無明の一本道の一部を、今、私は私の生老病死
として経過しているのにに過ぎないのだ。

 千年の暗室であっても、一本の蝋燭の火で破れる。無明は一度破れれば、二度と戻ることはな
いない。さあ、光に向かおう。浄土教はこのように、光の世界への移行(往生)を勧めてくる。

8 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:26:53 ID:m/XbY6hn
623 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/12(土) 10:52:27 ID:1+S6sTBS
□□□┃意思│行動│知見│休息│欲望│無明│我│悟┃仏界〔輪廻がない〕
━━━┃━━│━━│━━│━━│━━│━━│━│━┃  (仏・菩薩・二乗)
仏□□┃○□│○□│○□│○□│×□│×□│×│○┃三乗(菩薩・声聞・縁覚)
菩薩□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃一乗(菩薩)
声聞□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃二乗(声聞・縁覚)
縁覚□┃○□│○□│○□│○□│○□│×□│×│○┃三界(欲界・色界・無色界)
━━━┃━━│━━│━━│━━│━━│━━│━│━┃六道〔輪廻がある〕
無色天┃○□│○□│大□│×□│×□│○□│○│×┃(天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)
色天□┃○□│×□│大□│○□│×□│○□│○│×┃天界(無色天・色天・欲天)
欲天□┃○□│大□│大□│○□│○□│○□│○│×┃無色界(無色天)
人□□┃○□│小□│中□│○□│○□│○□│○│×┃色界(色天)
修羅□┃×□│大□│中□│○□│○□│○□│○│×┃欲界
畜生□┃○□│○□│×□│○□│○□│○□│○│×┃(欲天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄)
餓鬼□┃○□│○□│×□│×□│○□│○□│○│×┃三悪道(畜生・餓鬼・地獄)
地獄□┃○□│×□│×□│×□│○□│○□│○│×┃

 悟(十二因縁)  知見(悟を除く智慧)     ○(あり) ×(なし)  □(余白

9 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:27:49 ID:m/XbY6hn
625 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:57:37 ID:Cu6sT2aX
 仏教の輪廻論は六道の本質が分かれば理解しやすい。六道は畜生道から理解していくのが一番いい。
畜生とはなにか。畜生には意思がある、行動がある。特に野生の動物には必ず意思がある。この場合
の意思とは、複数の選択肢を考え、その選択肢に対する選択的思考だ。ライオンは目の前に獲物がい
ても、それを追うか追わないか、必ず選択する。選択して、追うと決めるとそれを追いかける。追わ
ないと決めたのに体が勝手に追いかけるということはない。
 畜生と人間との違いは知見の有無だ。人間には合理的な判断、理性というものがある。畜生にはそ
れがない。裁判所の傍聴席から、被告席に向かっていきなり罵声が飛ぶ。「ケダモノ!」と。一人娘
を殺された親にとって、娘を殺した犯人は人間ではない。人間であれば理性がある。道徳がある。考
えるということがある。既に人間的な知見を忘れた被告席の犯人は、ケダモノ以外の何者でもない。
合理的にものごとを考えることを忘れれば、人はそのまま畜生に転落する。

 畜生には休息がある。ライオンでも、腹が満腹になれば休む。魚でも眠くなれば寝るそうだ。しか
し、人間的な知見もなく、一寸の休みもなく執拗に自らの欲望を追いかけていく者がいる。食っても
食っても常に腹を空かせ、休むことがない。その存在はまさにライオン以下。これを餓鬼という。
 子供を餓鬼と言うことがある。これは、大人にとって、まつわりついてくる子供をうるさいと感じ
たとき、その不快感を込めて言う言葉であり、本当は子供が餓鬼であるはずはない。

 欲望のまま、休み無く動いていけばやがて動きたくても動けなくなることがある。欲望は紅蓮の炎
のように燃えさかり、雪だるまのように膨張していく。しかし欲望実現に向けて体は微動もしない。
これを地獄という。衆生界で行動がないというのが地獄の特徴である。

10 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:28:59 ID:m/XbY6hn
626 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:58:22 ID:Cu6sT2aX
 人間には意思がある。行動がある。知見がある。休息も欲望もある。まさにそういう存在である。
これに対して阿修羅という存在がある。最古の仏典には阿修羅はないそうだ。もともとは人間の一形
態であったが、後に独立した一形態になった。阿修羅と人間との決定的違いは意思の有無である。阿
修羅には意思がない。通常、衆生界は自らの意思で行動する。行動の裏には必ず意思がある。しかし、
その意思を奪われている存在がある。分かりやすく言えばこれは軍人である。行動は他人の意思に支
配される。命令あれば嫌でも戦地に赴き、人間兵器となって敵艦に体当たりしていく特攻攻撃もしな
ければならない。興福寺には阿修羅像がある。阿修羅像は顔が三つある。阿修羅には自分本来の固有
の意思が存在しない。高級軍人は海底の奥深くに住み、下級軍人は山間僻地あり、常に雷鳴に脅かさ
れている。往生要集はそう説いている。高級軍人は通常、ほとんど社会に顔を出すことがない。人民
に顔を出すのは政治家である。下級軍人は国境で警備に当たる。軍人は、命令があれば命に代えて外
敵軍と戦う。

 人間は通常、自らの意思実現に向けた行動に大きな制限がある。しかし、その制限がほとんど無い
者がある。天才は、しばしば意のままに自在に驚異的な絵画を描き、彫刻を表現する。政治家は軍事
力を発動し、圧倒的な力で人民を支配する。これはすべて天である。天の最高位を有頂天という。

11 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:50:01 ID:m/XbY6hn
627 名前:渡海 難  ◆Fe19/y1.mI [] 投稿日:2007/05/13(日) 09:59:40 ID:Cu6sT2aX
 人はしばしば、この六道を廻る。昨日は有頂天であった者が、今日は地獄の底で塗炭の苦しみを受
けることがある。ケダモノとなり、あるいは鬼となる。これを迷いという。
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天、ここには共通点がある。全て欲望を持つ。欲望を断てば迷い
はなくなるだろう。欲を断とうじゃないか。そういう提案がなされる。しかし、欲を断って清らかな
生き方をしても、所詮それは現実性がない。これを絵に描いた餅という。理想主義は現実味がない。
このような理想主義を色天という。形はあるが実行性がない。つまり行動がない。これでは物事は動
かない。色天は、無欲でかつ思考がある。知見がある。意思もある。しかしそこには満足な行動性が
ない。本質的にはこれも地獄・餓鬼・畜生界、つまり三悪道とつながっていた。

 理想主義ではだめだ。理想主義は結局絵に描いた餅。三悪道とつながっている。当然そういう批判
もあるだろう。こういう主張は、しばしば無政府状態になる。反理想主義は破壊主義に走る。そこに
は計画がない。つまり一定の形がない。これが無色天である。理想主義はだめと言って、それでは形
をなくす破壊主義に走れば何か解決があるのか。そこにもなんら解決はない。破壊の限りを尽くして
も解決はない。これも三悪道とつながっている。

 人は、再起・挫折・再起・挫折を繰り返す。今のこの私の再起・挫折・再起・挫折、生・死・生・
死は、私の肉体の誕生で始まったものではない。肉体の消滅で終わるものでもない。今のこの私の再
起・挫折・再起・挫折は、無明を本質とし、過去、無数の人々が始めなき始めから繰り返してきた。
 自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あ
ることなき身である。

 輪廻とは、霊魂が生まれ変わることではない。まさにこのようにして無限の過去から、無限の未来
に向け、とどまることなく再起・挫折・再起・挫折を繰り返すことをいうのである。
 再起・挫折・再起・挫折を繰り返すこの迷いから脱出する道を探そう。これが仏道である。

12 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:51:24 ID:m/XbY6hn
 思わぬ所でスレの切り替えがありました。順序は、>>5-10>>2-4になります。>>4の続きは後日書きます。

13 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/15(火) 10:53:37 ID:m/XbY6hn
>>12
誤 >> 5-10
正 >>5-11

14 :南無大師遍照金剛:2007/05/15(火) 19:08:31 ID:Z60N+B4w
ヽ(´∇`)ノ

15 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:22:48 ID:LP7eGJ1x
双樹林下往生・難思往生・難思議往生            (化身土巻)
諸行往生・念仏往生                    (末燈鈔)
正念往生・狂乱往生・無記往生・意念往生          (安心決定鈔)
即得往生・臨終往生                    (浄土真要鈔本)
体失往生・不体失往生                   (口伝抄)
辺地往生・報土往生                    (歎異抄・口伝抄)
即往生・便往生                      (化身土巻)

 親鸞は往生という概念を様々に説明している。親鸞の考えに即して往生を考えてみよう。

 さあ、生死を超えよう。親鸞仏教も、釈迦以来のこの提案を踏襲していることは当然で
ある。再起・挫折・再起・挫折というこの果てしない連続を根本から断とうじゃないか。
そのためには無明を断てばいい。釈迦はそう教えている。さあ釈迦に学ぼう。仏弟子にな
ろう。仏陀にその道を教わっていこう。親鸞はそう提案している。

 人は千差万別である。従って、仏道の参加方法、仏弟子の成り方もひととおりではない。
親鸞は仏弟子の器を二種類に分けている。一つを邪定聚の機とよぶ。もう一つを不定聚
の機とよぶ。聚とは集という意味だ。人々という意味である。機とは器つまり器という
意味だ。器量という熟語に通じる。頑迷牢固に自分の意見に固まってしまっている者、こ
れを邪定聚の機という。自分の意見には決して固まっていないが、何が真実かは見えてい
ない者、これを不定聚の機という。邪定聚の機には、邪定聚の機なりの仏道への入り方が
用意してある。不定聚の機には、不定聚の機なりの仏道の入り方が用意してある。邪定聚
の機は双樹林下往生という形で仏道の世界に入る。不定聚の機は、難思往生という形で仏
道の世界に入るのだ。

16 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:25:11 ID:LP7eGJ1x
 ここをもって、愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化に依って、久しく万行・諸
善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る、善本・徳本の真門に回入して、ひとえに
難思往生の心を発しき。しかるにいま特に方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり、
速やかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲う。果遂の誓い、良に由あるか
な。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩を知れり。至徳を報謝せんがために、真宗の簡
要を拾うて、恒常に不可思議の徳海を称念す。いよいよこれを喜愛し、特にこれを頂戴す
るなり。(化身土巻)

 (私もかつては双樹林下往生しました。しかし)私は、曇鸞大師が書かれた浄土論註を
拝読し、善導大師の勧めにより、ずっと以前に万行諸善を積む(その)双樹林下往生を離
れ、善本・徳本つまり南無阿弥陀仏を称えようという真実の門に入り、永くここに親しみ、
難思往生の心を抱いてきました。しかし、今、方便であった真実の門を抜けだし、選択の
願海に転入しました。真実の門という方便の難思往生の心をできるだけ速やかに離れ、難
思議往生の世界に到達しようと思います。阿弥陀仏は、20願で果遂の誓いを起こしていま
す。必ず成し遂げよう、もし成功しなければ、自分は大乗の仏になったとは思うまい。
そのように誓っています。選択の願海に転入し、先人達の深い心が見えてきました。先人
達の親切と優しさとご苦労に報いるため、真実の宗の核心部分を抜き出し、永遠の偉大な
る世界を称賛し、心に念じたいと思います。

 九歳の春の比(ころ)、阿伯従三位範綱卿 〜、前大僧正〜の貴房へ相具したてまつり
て、鬢髪を剃除したまいき。範宴少納言公と号す(御伝抄)。

 親鸞は9歳の時、養父に連れられて慈鎮和尚の元で出家し、剃髪したようだ。親鸞が、
双樹林下往生したのはこの時のことを言っている。親鸞は、仏教というものを皆目何も分
からない状態で9歳の時に仏教の世界に入ったのだ。

17 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/17(木) 00:27:04 ID:LP7eGJ1x
 何よりも、殿の御往生、〜 山を出でて、六角堂に百日籠もらせ給いて、後世を祈らせ
給いけるに、九十五日の暁月、聖徳太子の文を結びて、示現にあずからせ給いて候いけれ
ば、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、訪
ねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるよ
うに、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後世
の事は、善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべき道をば、ただ一筋に仰せられ
候いしをうけ給わり定めて候いしかば、上人のわたらせ給わん所には、人はいかにも申せ、
たとい悪道にわたらせ給うべしと申すとも、世々生々にも迷いければこそありけめ、とま
で思いまいらする身なればと、ようように人の申し候いし時も仰せ候いしなり(恵信尼手
紙)。

 親鸞は、あるとき比叡山を下り、六角堂で百日籠もった。恐らく常行三昧という荒行を
やったのではないかと思う。現代では、酒井雄哉さんが行っている。このとき、親鸞は聖
徳太子への願文を書いていたようだ。常行三昧では、行者は死の淵まで行く。そこでしば
しば幻覚を見るようだ。示現にあずからせ給うとは、幻覚を見たのだろう。その後親鸞は
いったん法然に会いに行く。しかしそこで決心が付かず、もう一度百日常行三昧を行う。
さらに、その後も六角堂に通う行をやっという。酒井雄哉さんは常行三昧の後、千日回峰
行を行ったようだが、どうやら親鸞は100日間の回峰行をやったようだ。これによって、
比叡山での修行に終止符を打つ決心が付き、法然の下に正式に弟子入りした。
 当時、法然上人はただ念仏せよと教えていた。親鸞は、専一に念仏だけを称えていく善
本・徳本の真門に回入し、難思往生を遂げた。         続く

18 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/18(金) 01:03:11 ID:QdNLEn6d
 往生という概念を知りたければ、双樹林下往生の概念を基本に考えればいい。従来、真宗学で
は、双樹林下往生を釈迦の死と結びつけ、双樹林下往生とは、釈迦のような立派な死に方すると
いうような風に解釈してきていると思う。これでは九歳の時の親鸞の出家と結びつかない。双樹
林とは、祇園精舎の別名だろう。平家物語の書き出しは、祇園精舎が沙羅双樹林の中にあったこ
とを教えてくれている。つまり、双樹林下往生とは、祇園精舎に入学することを言う。親鸞は、
九歳で青蓮院に入学し、その後は延暦寺に登っている。青蓮院も延暦寺も祇園精舎の分校である。
青蓮院で剃髪したと言うことは、このとき親鸞は祇園精舎の分校に入学したのだ。ここで入学し
たのは、親鸞の霊魂だけではない。親鸞は肉体も、精神も、まさに全人格をもって祇園精舎に入
学したのである。往生は、親鸞の霊魂だけが親鸞から離れて入門したと思ったなら、これは大き
な間違いである。
 親鸞はなぜ祇園精舎に入学したのか。親鸞に言わせれば、当時、彼も彼の回りもみな、邪定聚
の機だったからである。まさにここがいい、つまり青蓮院がいい、延暦寺がいいと、邪に確信してい
たからである。青蓮院も比叡山も、そこがいいと信じる人のために仏道の門戸を開いていたのだ。

 釈迦は、三五歳の時、十二因縁の原理を悟った。同時に四諦を悟った。実体を知り(苦)、そ
の原因(集)を知り、原因を克服する方法論(滅)を実践(道)すれば、無明を断てる。互いに
学び合おう、教え合おうと提案した。
 学則(戒律)を守ることを誓った者は入学を許し、有形の真理は智慧という形で、文字で、言
葉で、絵画などで教えた。無形の真理は、禅定法を教え、これによって誰でもがいつでも身近
に手に取れるようにした。釈迦は戒・定・慧を三学と呼び、これを教育の基礎においた。祇園精
舎は釈迦の教育理念をそのまま実践し、祇園精舎の分校もまさにそのように釈迦の理念を実践し
ていた。双樹林下往生とは、まさにそのような釈迦の学校に、霊魂だけでなく、全人格をもって
入学することをいうのである。

19 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/19(土) 00:25:19 ID:QmgtySWY
 親鸞は、延暦寺という双樹林下学校(祇園精舎)の分校に入学した。なお、断っておくが、実
は延暦寺という寺は、本当は存在しない。比叡山一帯にある寺々を延暦寺と仮に総称している。
親鸞は、比叡山のどこにいたかは、現在では分からなくなっている。
 9歳の子供がいきなり青蓮院や延暦寺に放り込まれれば、世界が変わる。このとき親鸞は全く
別の世界に往った。
 それまで、例えばクレヨンしんちゃんごっこをしていた子供が、いきなり戒律を与えられ、こ
れを守れと言い渡されれば、自分の立ち居振る舞い、つまり行動を大きく変えなければならない。
行動を変えるには心も変えなければならない。心と行動が変われば、人は人格が変わる。このと
き古い親鸞が死に、新しい親鸞が生まれた。まさに双樹林つまり祇園精舎の世界に、霊魂だけで
なく全人格をもって往き、生まれた。

 親鸞は、延暦寺では堂僧という地位にあったらしい。堂僧というのは、かなり低い地位のよう
だ。恐らく弁慶などと一緒で、緊急時には長刀を持って強訴する僧兵の一人だったんだろうと僕
は想像している。僧兵には、有髪の兵士と出家兵士とがいた。親鸞は出家兵士の一人だったんだ
ろう。
 僧兵であっても、普段は学問をしている。親鸞が、曇鸞や善導に最初に会ったのは延暦寺での
ことだ。延暦寺で曇鸞や善導に会っているということは、親鸞は浄土系の学派に属していたとい
うことだろう。親鸞は釈迦の教育哲学に基づき、戒律を守り、智慧を学び、禅定を修行していた。
普段修める禅定は、円仁大師が唐から持ってきた五会念仏を修めていたのだろうと思う。僧兵な
らば、恐らく武闘訓練も日課に入っていただろう。

20 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/24(木) 00:46:27 ID:zRfGhVqi
>>19
続きは近日中。

21 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/26(土) 13:18:05 ID:Cz0ClXwT
 親鸞はなぜ法然の下に走ったのか。好きな女性がおり、女の尻を追ったのか。玉日姫の伝説な
どを信じれば、まさにそういうことになるんだろう。親鸞は、女の尻を追っかけて学校を退学す
るような人間だったのか。はたしてそうだったのか。行者宿報などの偈文を信じればそんな話にも
なるんだろう。しかし、玉日姫の伝説は大正時代に恵信尼公の手紙の発見で消滅した。偈文の件
については、僕は確かな証拠がない限り信じない。根も葉もない三流の馬鹿話の類だろうと思って
いる。

 釈迦は教育者であり、大乗仏教は教育学である。教育には様々なジャンルがある。大乗仏教の
先人達は、個人教育と学校教育を重要視した。法然は社会教育の重要性を訴え、親鸞もその社会
教育の重要性に共鳴した。これが比叡山教育学と法然教育学との根本的な違いであり、親鸞は、
比叡山になかった新興の社会教育論に惹かれ、比叡山を下りた。僕はそう思っている。
 法然以前にも社会教育の重要性を感じ、その実践を行おうとした人はいただろう。しかし、そ
の人一代で終わったり、あるいは確固とした哲学がなく土俗の慣習世界に埋没していった。法然に
は哲学があった。親鸞は哲学のある社会教育学に惹かれていった。

 伝教大師・弘法大師はいずれも学校教育学の確立を目指した。伝教大師は延暦寺、弘法大師は
金剛峰寺をその教育の現場に据えた。釈迦以来の戒律と智慧と禅定とを全寮制という枠の中に若
者に教え、次の時代の教育者も育てようとしていた。この考えは、基本的には釈迦の考えと同じ
だ。釈迦は祇園精舎を建設している。

22 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/26(土) 13:21:14 ID:Cz0ClXwT
 全寮制とか学校という枠を出よう。広く社会の人に直接真理を伝えよう。真理を一部の特権階
級の独占物にしてはいけない。これが社会教育の基本的考えである。かつては鑑真和上も同じよ
うな考えを持っていた。鑑真和上は東大寺・唐招提寺との関連が強いが、あの人はかなり全国を
回り、各地で大衆に授戒を行い、倫理・道徳という概念を知らなかった日本の大衆に、仏教の先
進の倫理を伝えている。ただ、日本の律宗は鑑真和上以後、殻の中に入り込み、大衆に仏教倫理
を伝えるという努力を怠ってきているように思う。なお、東南アジアの現代仏教は、大衆に仏教倫理
を伝えるということが重要なテーマになっているようだ。

 釈迦の教育学は、戒律と禅定と智慧とが三本柱である。これは、学校教育では重要なテーマと
なるが、社会教育でもそれが言えるのだろうか。鑑真和上は、日本で最初に社会教育を実践した
高僧だが、そのとき民衆に伝えたのは、戒律だけである。仏教の基本である五戒を伝えたんだろ
うと思う。三学は戒律と禅定と智慧であると言っても、大衆に禅定や智慧まで教えようとしたわ
けではない。

 大衆に仏教を伝える場合、あれもこれもなどということは不可能である。大事なこと一つだけ
を伝えればいい。それならどうするか。社会教育学は、教える側にそのような選択が迫られてく
る。

23 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:26:53 ID:yqP4Dh/L
 しばしば、バスや電車内には市民講座という案内が掲示されている。「市民のための一日源氏
物語講座」などというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんなどが簡単に受講でき、非常に便利な
ものだ。一般に、源氏物語などというとラーメン屋さんやパン屋さんには敷居が高いが、大学の
先生などが大学の一角を市民に一日だけ開放して教えてくれるという機会は意味のあることだろ
う。
 源氏物語を勉強しようと思えば、普通は大学などに入学する。入学するには試験がある。源氏
物語を勉強しようと思っても、入学のためには、数学も物理学も勉強しないといけない。入学し
てからもいろんな勉強が待っている。源氏物語だけではなく、シェクスピアもギリシャ悲劇も勉
強しないといけない。そうやって幅広く勉強していって初めて源氏物語が分かってくる。しかし、
そんなことはラーメン屋さんやパン屋さんには不可能だし、ラーメン屋さんやパン屋さんが源氏
物語を勉強しようと思えば、そこまでは必要はないだろう。大学の先生などが半年か一年に一度、
不定期に市民講座を開いてくれれば、それだけでもう十分なんじゃないだろうか。
 半日、一日の市民講座を受講し、それだけで源氏物語が分かったなどと思えば、それは噴飯物
だろうが、それを受講しなかった場合と比べれば、ラーメン屋さんやパン屋さんのレベルで考え
れば、月とすっぽん、雲泥の差があるだろう。
 市民のための一日源氏物語講座では、シェクスピアの話は出ないだろう。ギリシャ悲劇の話題
も多分無いと思う。源氏物語講座全巻に及ぶ話もない。例えば桐壺の巻だけでも詳しく教えて貰
えれば、市民講座終了後は、源氏物語を自分一人で多少はめくれるようになるだろう。日本の古
典文学に触れるというのは、ラーメン屋さんやパン屋さんの人生にとっても意義あることだろう。


24 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:28:39 ID:yqP4Dh/L
 親鸞仏教も実はそれと同じだ。仏教を勉強するとなると、頭を剃り、衣を着替え、戒律を授か
り、全寮制の延暦寺や金剛峰寺に入学する。こうした道は、ラーメン屋さんやパン屋さんに簡単
にできる話ではない。
 学校式仏教学では、戒律と禅定と智慧の学習が三本柱になる。戒律は価値観である。二千年も
三千年も昔の赤道近くのインドの価値観が、二千年も三千年も経て、雪降る北方のジパングでそ
のまま妥当するとも思えない。智慧は、真理を有形的に示してある。形を持てば真理と雖も時間
と共に古くなる。パソコン会計ついても、簿記についても何一つ解説していない仏典を、今更ラ
ーメン屋さんやパン屋さんが一生懸命勉強しても意味がないだろう。
 ラーメン屋さんにはラーメン屋さんの勉強がある。仏教の智慧はどんなに深くても、パソコン
会計についても簿記についても解説していないものを勉強する必要はないだろう。ラーメン屋さ
んはラーメン屋さん学校の勉強をすればいい。戒律もいらない。国には憲法があり、法律がある。
ラーメン屋さんとして他人から後ろ指さされない生き方をしていけば、もうそれでいい。仏教か
ら正邪の価値観を教わらなくても、正邪の価値観はラーメン屋さんの世界で教わればいい。ラー
メン屋さんには仏教からは禅定だけ教えよう。禅定と言っても全部ではない。市民講座源氏物語
が入口の桐壺だけ教えてくれるように、ラーメン屋さんは禅定の入口だけ教わりなさい。それは、
禅定ではなく、称名念仏という形で教えよう。ラーメン屋さんが源氏物語を教わろうすれば、桐
壺の巻だけ少し突っ込んで教われば十分なように、ラーメン屋さんが仏教を教わろうすれば、称
名念仏だけ教われば十分だ。


25 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/05/31(木) 12:30:19 ID:yqP4Dh/L
 源氏物語の学習には大学に入学して教わるという方法と、市民講座に入学して教わるという方
法とがある。仏教にも二つの方法がある。祇園精舎又はその分校に入学するというありかたがあ
る。それが一つだ。これを双樹林下往生という。双樹林下往生では、戒律と智慧と禅定とを必死
になって勉強しなければならない。シェクスピアもギリシャ悲劇も勉強しないといかんだろう。
しかし、善導大師が市民講座用のもう一つの入り方を開いてくれた。それを難思往生という。ラ
ーメン屋さんやパン屋さんなどが仏教を勉強するための方法である。源氏物語難思往生市民講座
は、半日・一日程度、桐壺だけ解説してくれる。後は、自分で好きなとき、暇があればぱらぱら
と源氏物語をめくりなさいな。仏教難思往生市民講座は、禅定のうちの入口部分、称名念仏だけ
を教えてくれる。後は好きなとき、暇があれば称名念仏を繰り返していけばいい。親鸞仏教は、
まさにそういう市民講座仏教なのだ。

26 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/05(火) 11:17:20 ID:6Ps/IbRq
 親鸞会系のスレは流れが速いから今の内にメモしておく。

 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も
如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし  (和讃)

  称名念仏励 めよ」なんどの教えは、如何に間違っているかが判るであろう。若し、この
ような称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしま
うのだ(白道燃ゆ)。 

 高森さんのこの議論に対し、僕が批判したところ、詳しく教えて欲しいという要請がありま
した。往生論に続いて、いずれここで解説します。

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1179066040/385
名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2007/06/04(月) 01:03:15 ID:dj2o0eB/

「親鸞聖人が聞けばそれこそ転覆してしまうようなデタラメを教え」
どこに根拠があるの?(私、頭悪いから分かりやすく書いてね)

金集めて何が悪いの?
出させて頂く側は好きでやっているんだから。
仮に、ぜ〜んぶ、先生のところへ行っても、いいですよ。
親鸞聖人の御教えを明らかにして下される方のところであれば。。

浄財が、除名者や除名者候補のところに行くのは気に入らないけどね。
(浄財で生かされている本会の職員でありながら、
親鸞聖人の教えを曲げるから除名になるの!)


27 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/06(水) 09:17:51 ID:MmLn3Y9t
 市民講座などで大丈夫なんだろうか。自分は源氏物語全体を知りたいんだ。ところが、市民講
座は桐壺しか教えてくれない。桐壺だけで源氏物語全体が分かるんだろうか。ラーメン屋さんは
そんな風に疑問を持つ。
 考えてみよう。ラーメン屋さんは、別に、源氏物語で学位論文を通したいと思うんじゃないん
だろう。平安朝貴族の雅な精神に少しでも触れ、その豊かな心が少しでも自分の日常の中で生き
るなら、それで十分なんだろう。平安朝貴族の雅な精神は、源氏物語全体に流れているからこ
そ、桐壺の中にも十分流れている。全編の解説を聞けなくても、桐壺の解説だけで、源氏物語の
精神には十分に触れることができるだろう。
 源氏物語は普通、大学で教わる。しかし、微分・積分も分からない。三角関数もチンプンカン
プン。中国史の義和団の乱も、朝鮮の東学党の乱もチンプンカンプン。そんな人には大学入試は
受からない。大学に入れない。罪悪深重、煩悩熾盛とまでは言わないが、ラーメン屋を切り盛り
していれば、大学などには通えない。市民講座はそんな人のために開かれている。
 市民講座の先生は、大学の学部学生・院生などと市民講座の生徒を区別しない。ラーメン屋さ
んでも、パン屋さんでも、警備員さんでも、源氏物語を教わりたいという人は大歓迎してくれる。
学部学生や院生などは、三角関数を知らないと言えば「なんだお前は三角関数も知らないの
か」と眉をひそめられるが、パン屋さんにはそんなことはない。三角関数を知らないパン屋さん
が「私は光源氏が大好きだ」と言えば、市民講座の先生などは「そうだ。そうだ。私も大好きな
んだ」と言ってくれるだろう。パン屋さんやラーメン屋さんの源氏物語の勉強は、市民講座で十
分だ。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、難思往生だけで十分なんだ。

 難思往生市民講座で、ただ念仏しなさいよと教えてくれているは、天の神様ではない。宇宙の
中心の万物の創造主でもない。善導大師という、中国、唐の時代の高僧だ。パン屋さんやラーメ
ン屋さんの源氏物語講座は桐壺だけで十分。パン屋さんやラーメン屋さんの仏教講座は、念仏だ
けで十分だと教えてくれている。

28 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/06(水) 09:18:33 ID:MmLn3Y9t
 ところがどうだろう。ただ念仏しなさいよと言ってくれているその背景には、先生の心がある
はずだ。大学学部でも、大学院でも、生徒と先生の間には師弟関係がある。市民講座にでも師弟
関係があるだろう。そこには、本物の生徒と、仮の生徒がいるはずだ。念仏申せと言われたとき
だけそれを実行する生徒は、先生の真の心が見えていないロボットのような仮の生徒ではないの
か。それをもし仮の生徒と呼べば、それ以外の生徒もいるだろう。
 市民講座の生徒が、念仏しなさいよと言ってくれている先生の真意が感じられたとき、人は初
めて市民講座の本当の弟子になる。市民講座の先生の生徒になる。市民講座の生徒が、市民講座
の生徒としてやることは念仏だけだけど、その念仏をする中で、先生から拈華微笑され、我が意
を得たりといわれたとき、人は初めて市民講座の本当の生徒になるのではないか。それまでは、
仮の生徒と言うべきだろう。先生と肝胆相照らすそんな生徒になる。親鸞はそれを、難思往生と
区別して、難思議往生と呼んでいる。

 源氏物語市民講座の生徒は桐壺だけでいい。しかしその桐壺を学ぶ中で、先生と肝胆相照せる
そんな精神世界を模索してみようじゃないか。仏教市民講座の生徒は、禅定の入口、称名念仏だ
けでいい。しかしその称名念仏を実践する中だけで、念仏せよと教えてきてくれている先生と肝
胆相照らすそんな関係を模索してみようじゃないか。そのとき生徒は、先生と同一の精神世界を
共有する。市民講座の仮の生徒の枠を越え、本当の生徒になる。人は難思往生を越えて難思議往
生を達成する。

 難思議往生は、別に霊魂だけが肉体から抜け出てどこかにふわふわと流れていくことじゃな
い。まさに身も心も全身全霊をもって先生と肝胆相照すそんな関係を持つようになる。難思議往
生は、肉体から抜け出した霊魂だけの話じゃない。肉体も精神も、あらゆる価値観・世界観にお
いて先生と肝胆相照す先生と同一の精神世界に参入する。これを仏教市民講座の難思議往生と呼
んでいる。

29 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:16:53 ID:CALheV5F
 先生の弟子となって先生の下に入門するなら、形ばかりの生徒じゃなくて、実質のある生徒に
なろう。仮の生徒じゃなく、本物の生徒になろう。本物の生徒とは、自分の方からもこの人こそ
自分の本当の先生であり、先生の方からもこの人は自分の本当の生徒であると、そんな風に言っ
て貰える生徒になろう。先生と生徒が、共に肩を抱き合い、肝胆相照す同一の精神世界を共有す
るそんな世界を求めようじゃないか。
 先生の指示だから、それじゃまあ、言われるままにやろか。そんなんじゃなく、先生の真意が
本当に汲み取れて、先生の心が見えてその教えを守るそんな弟子になろう。難思往生を越え、実
体のある難思議往生を求めよう。

 源氏物語は、桐壺以外にも、帚木、空蝉、夕顔などもやはり読まないと駄目なんじゃないか。
そんなことはない。市民講座の先生が、桐壺だけしっかり読んでご覧と仰っている。ラーメン屋
さんやパン屋さんは、桐壺だけしかり読んでみればいい。そうすればきっと分かるものがあるだ
ろう。ああそうだったのかと、きっと見えてくるものがあるだろうと言っている。それなら、先
生の真意は、桐壺だけをしかり読ませようというところにあるんだろう。

 善導先生は念仏だけ称えてみなさいと仰っている。念仏だけでいいんだと言ってくれている。
しかし本当は念仏以外、いろいろな行をやってみないとだめなんじゃないか。いやいや、そんな
ことはない。念仏だけしっかり称えていけば、必ずやきっと分かるものがあるだろう。親鸞先生
は、善導市民講座でそう仰っている。

30 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:17:59 ID:CALheV5F
 親鸞聖人の時代、先生と肝胆相照すような精神世界に到達した人という人は幾人もいたようだ。
「また、真宗の聞き書き、性信房の書かせ給いたるは、少しもこれに申して候様に違わず候えば、
嬉しく候」。親鸞は性信房の信心について全幅の信頼を寄せていたようだ(血脈文集)。こうい
うお弟子さん達は性信房以外にも、関東にたくさんいたようだ。おそらく真仏・顕智などのよう
な人も、先生とは肝胆相照すそんな世界に入っていた人だろうと思う。だからこそ、親鸞は後顧
の憂い無く関東の多くのお弟子さんを彼らに預け、自分は法然一門の再興を目的に単身で京都に
向かったんだろうと僕は考えている。

 ところが、肝胆相照すようになるそんな人ばかりではない。念仏を称えても称えても、なかな
か「ああそうだったのか」と、膝を叩いて合点がいくようにならない人もいる。なかなか実感が
持てない。実感が持てなければ、様々なさまざまな疑問、疑いがでてくる。先生と肝胆相照す同
一の精神世界にはいたらない。こういう人は、しばしば、念仏が続かなくなる。しかし、それで
も、疑いながらも、疑いながらも、なお生涯、念仏を称えていけばどうなるか。

 先生はきっとこういうだろう。「まさに貴方も、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」。生きているとき、互いに実感を持って肩たたき合い、「そうだ、そうだ」といいあえなか
った。必ずしも肝胆相照すことはできなかった。しかし、念仏の世界というのは、けっして肝胆
相照す世界だけじゃない。念仏を称えようじゃないかという、先生のこの提案を受け、生涯念仏
を称え続けた人は、「そうだ、そうだ、貴方こそ、私の心を本当に理解してくれた一人だった
と」、先生はきっとその生涯を称賛するだろう。念仏を死ぬまで称え続けた人は、その人も、先
生の精神世界と同一の世界にあった人として、その生涯を喜んでくれるに違いない。この人こそ、
まさに、現代における目蓮に同じ、舎利弗に同じ、弥勒に同じだった、そう称賛するに違いない。

31 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/11(月) 09:18:55 ID:CALheV5F
 念仏は、疑いながら、疑いながら称えてもいい。疑っては駄目だと言ってもそれは逆に無意味
なことだ。疑う人は疑えばいい。疑いながら、疑いながらも、生涯称えていけば、まさにその生
涯は、全生涯をもって先生の精神世界と同一の世界に立つだろう。先生の精神世界と同一の世界
に立つのは、肉体から抜け出た霊魂だけの話ではない。生涯を全うした全人格が、身も心も先生
の精神世界と同一の世界に立つことになる。
 難思議往生とは、生涯、死ぬまで称え続けたというその事が、仏陀の称賛をベースに、その人
の全生涯、身も心も、霊魂も肉体も、全てが、仏陀の精神世界と同一の世界に立つことを言う。

32 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:35:53 ID:tWk4nw+b
 極楽浄土はどこにある。阿弥陀仏は、釈迦の教師像を理想化したものだ。教師は生徒の未来を
信じて教育に当たる。生徒は未来を信じて努力する。
 太陽は東から西に移動する。時計の無かった時代、人々は太陽の位置で時間を知った。東は過
去、西は未来を象徴する。
 釈迦は、四つの姿を持っている。釈迦は三毒を抱える病人を直す医師である。人々に未来に向
かって歩ませる教師である。人々に働くことを教え、富をもたらす生産者である。人々に安らぎ
を与える休息所である。釈迦の四つの人格は、それぞれ独立した理想の仏陀像を形成した。東に
薬師仏、西に阿弥陀仏、南に宝生如来、北に不空成就如来を配する。
 阿弥陀仏は、釈迦を理想化した教師である。釈迦は祇園精舎を創建した。極楽浄土は祇園精舎
をモデルとして理想化した阿弥陀学校である。祇園精舎は釈迦の精神界を具現化した。阿弥陀学
校は阿弥陀の精神界を具現化している。
 釈迦の時代から二千年も三千年も経て、しかもインドからは遙かに遠く、ヒマラヤを越え、冬
には雪降る北方のジパングで、三学の内の一つでも、すなわち称名念仏だけでも称えている者は、
その尊さは釈迦の時代の目蓮に等しい。阿難に等しい。釈迦の精神界と同一の精神界を共有する。
それは、釈迦の教育者像を理想化した阿弥陀の精神界も共有するだろう。
 称名念仏する者は、西方極楽浄土に往生する。親鸞の確信は、極めて自然な考え方だと僕は思
う。

33 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:37:10 ID:tWk4nw+b
 先生は念仏を称えよと教えてくれる。二千年も三千年も昔、灼熱の太陽の照りつけるインドで
妥当した価値観で作られた戒律などは、二千年も三千年も後、雪降る北方のジパングのラーメン
屋さんが守らなければならないような内容のものではない。ラーメン屋さんは、ラーメン屋さん
の学校で教えてくれるルールを守ればいい。
 二千年も三千年も昔のインドは、確かに世界の最先端の国だった。あらゆる最先端の知識があ
った。しかし、パソコン会計法も、簿記法も載っていない経典などは、駅前で一杯500円のラ
ーメンをサラリーマンに売っているラーメン屋さんが読まなければならないようなものではない。
500円のラーメン屋さんは、経典など読まなくても、読むものはたくさんある。新聞でもいい。
インターネットの記事でもいい。たまには遠くに遠足に行くのもいいだろう。経典を読む前にす
ることはいくらでもある。
 ラーメン屋さんは、禅定だけ仏教から教わればいいのだ。それも、禅定のごくごく入口だけで
十分だ。禅定のごくごく入口と言えば、それは称名念仏だ。先生はそう思って、駅前のラーメン
屋さんには称名念仏を勧めている。
 これに対し、先生がやれと言うから、先生の指示のまま称名念仏を実践し、言わなくなればや
らなくなるラーメン屋さんがいる。あるいは、先生の指示が休んでも自主的に称名念仏を続ける
ラーメン屋さんもいる。二人は同じだろうか。先生がやれと言うから実践するが、言わなくなれ
ばやらなくなるラーメン屋さんは、まだ先生の本当の気持ちが分かっていない。先生の指示が休
んでも自主的に称名念仏を続けるラーメン屋さんは、先生の本当の気持ちが分かったラーメン屋
さんだ。
 念仏が続かなくなるラーメン屋さんは、本物のお弟子さんではない。先生と価値観を一部では
共有しているが、完全な共有はない。精神界は隅っこで共有しているが中心は重なってない。だ
からこれは本物ではない。借りものだ。だからこれを仮土往生という。
 先生の指示が休んでも、自主的に称名念仏を続ける駅前のラーメン屋さんもいる。これは先生
と価値観が完全に一致している。こういう駅前のラーメン屋さんは報土に往生しているという言い
方を、浄土真宗ではするのである。

34 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/20(水) 00:39:30 ID:tWk4nw+b
 以上をもって往生論は一応完結したと考えます。
>>15の様々な往生概念は、上記の往生観から、その真意も容易に類推できると思います。

35 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/06/29(金) 12:48:10 ID:HFnIhLL4
>>26
  多忙。 近いうちに書きます。

36 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:35:24 ID:L8KWK8YK
>>26
 「白道燃ゆ」の転覆理論を紹介する。発行所 浄土真宗親鸞会 著者 高森顕徹 初版昭和4
9年8月25日、第65版平成9年9月1日
 この本は、つい最近まで親鸞会会員の必読書だったそうだ。

 「念仏か信心か」
 親鸞聖人の御教えは、釈尊出世の本懐である、阿弥陀仏の本願を開顕せられたものである。阿
弥陀仏の本願を離れて、浄土真宗はあり得ない。では、阿弥陀仏の本願とは何か。
 「総ての人々を、必ず救いとる」と言う御約束であるが、それについて三信(信心)と十念
(念仏)とが誓われているので、「信じての救い」なのか、「念仏称えての救い」なのか、本願
だけでは判然としないのである。 こんなところから、本願の真意の判らない人達は「念仏さえ
称えていれば、助けて頂けるのだ」と信ずるようになるのである。
 親鸞聖人、三十四才の時、法然門下に於いて、信行両座の諍論がなされた時に、行の座に迷っ
た連中も、そのように思い込んでいたのである。そこで親鸞聖人は、『教行信証信巻』に於いて、
「横超とは、即ち願成就一実円満の真教、真宗これなり」と喝破なされて、阿弥陀仏の本願の真
意、釈尊出世の本懐、三世諸仏の本意、七高僧の真精神の総ては、偏に第十八願成就文に説かれ
ているのだ、と断定なされた。故に、親鸞聖人の開顕なされた、浄土真宗の信心、教義の一切は
『本願成就文』によらなければならない。

37 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:35:56 ID:L8KWK8YK
 これを伝承せられた覚如上人は、「かの心行を獲得せんこと、念仏往生の願成就の、信心歓喜
乃至一念等の文をもって依憑とす、この外未だ聞かず」(改邪鈔)と断言なされ、真実の信心は、
願成就文のみに明示されていると教えられている。
 更に、「真宗に於いては、いくたびも廃立を先とせり」といゝ、「それについて、三経の安心
あり、その中に大経をもって真実とせらる。大経の中には第十八願をもって本とす。十八の願に
とりては、また、願成就をもって至極とす」と教えられている。
 されば、この願成就文に反することを教えるものは、一切、異解、異安心であり、断じて真宗
の道俗とは言われない。
 では、浄土真宗の安心教義の至極を明示されている、『本願成就文』とは何か。
「諸有の衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへ
り。彼の国に生まれんと願ずれば、即ち往生を得て、不退転に住す。唯、五逆と正法を誹謗せん
とをば除かん」漢字で書けば、四十文字である。
 この詳しい説明は省略するが、この願成就文には、称名念仏が出ていないから「念仏称えたら
助かる」と信じているのは、真宗の信心ではないことが明白になる。
 願成就文では、明らかに、「信ずる一念」で信心歓喜と助かるのだ、と信心正因が打ち出され
ているからである。されば、本願の「乃至十念」の称名念仏は、三信の信心に収まって、こゝに
親鸞聖人によって、弥陀の本願の極意は、唯信独達であることが鮮明になったのである。
 親驚聖人が、この『願成就文』を説明する為に『教行信証信巻』上下二巻に一亘っていられる
御心中も、察せられるであろう。これ偏に、行々相対の称名念仏を破って、唯信別開の絶対門を
打ち樹てんが為であったのである。

38 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 12:36:30 ID:L8KWK8YK
 このような、親鸞聖人の教えに照らせば「念仏称えよ、そうしたら助かる」「称名念仏はげめ
よ」なんどの教えは、如何に間違っているかゞ判るであろう。若し、このような称名正因の教え
を許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしまうのだ。信心正因、称名報恩が、
真宗の正義であるから、念仏は総て信後、報謝の念仏に限るのである。いわば念仏は、信心を親
として生まれる子供であるが、称名念仏さえしていれば助かる、というのは、子供が親を生むと
いう、馬鹿げたことになる。
 我々真宗人は、親鸞聖人の『教行信証』に立ち、覚如上人の『改邪鈔』、蓮如上人の『御文
章』に一貫している信心正因、称名報恩の錦の御旗を、振りかざして進むのである。
 真実、救われる道は、この道一本キリである。これを障げる者は、何者と雖も、容赦なく斬り
捨て、踏み越えて、聖人の真意を開顕してゆくのが我らの聖使命と心得ているものである。

高森氏の提起 論点 
 「この願成就文には、称名念仏の意味が出ていない。だから、『念仏称えたら助かる』と信じ
ているのは、真宗の信心ではない。これは明白である。願成就文では、明らかに、『信ずる一
念』で信心歓喜し、助かるのだと、このように信心正因が打ち出されているのである。」

39 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 13:01:40 ID:L8KWK8YK
論点 1 「白道燃ゆ」は、この「一念」に、称名念仏の意味が出ていない。
論点 2 「称名念仏」が出ていないから、「念仏称えたら助かる」と信じているのは、真宗の
信心ではない。

 「称名念仏」の意味が親鸞仏教で出ていれば、「白道燃ゆ」の思想の方が転覆する。

 本願願成就の文、経にいはく、あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一
念せん。至心に廻向したまへり。かのくにに生ぜんと願ずれば、すなはち往生をえ、不退転に住
す。ただし、五逆と誹謗正法とをばのぞく。 (岩波文庫「教行信証 信の巻」)

 「おほよそ往相回向の行信について、行にすなはち一念あり。また信に一念あり。行の一念と
言ふは、いはく称名の遍数について、選択易行の至極を顕開す。かるがゆえに大本にのたまはく、
仏、弥勒に語りたまはく、「それ、かの仏の名をきくことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんこ
とあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり」
と。已上
  光明寺の和尚は下至一念と云えり。また一声一念と云えり。また専心専念といへり。

 経に乃至と言い、釈に下至と曰えり。乃下そのことばは異なりといえども、その意、これ一な
り。また乃至とは、一多包容のことばなり。専念と云えるは、すなわち一行なり、二行なきこと
をあらはすなり。いま弥勒付嘱の一念はすなわちこれ一声なり、一声すなわちこれ一念なり、一
念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行なり。正行すなわちこれ正業なり、正業すなわ
ちこれ正念なり、正念すなわちこれ念仏なり、すなわちこれ南無阿弥陀仏なり。(岩波文庫「教
行信証 行の巻」)

40 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/01(日) 13:03:12 ID:L8KWK8YK
 願成就文の乃至一念とは何か。乃至一念という概念を、善導は下至一念と言ったり、一声一念
と言っている。
 大無量寿経末で、釈迦は願が成就していることを二箇所で述べている。最初は阿難、最後は弥
勒である。阿難に伝え、弥勒に伝えた一念はすなわちこれ一声という意味である。これが一念で
ある。一念すなわちこれ一行なり、一行すなわちこれ正行である。


 信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし
     (和讃 親鸞) 

 称名念仏さえしていれば助かるんだ。必ず助かる。そう教えているのが浄土真宗だ。
 
 念仏三昧は、これ真の無上深妙の門なり。〜 王いま座禅してただ当に念仏すべし(行の巻)

 念仏三昧してみなさいな。必ず結果出てくるだろう。


「称名念仏はげめよ」なんどの教えは、如何に間違っているかゞ判るであろう。若し、このよう
な称名正因の教えを許すならば、真宗の信心正因の教義は、根本から転覆してしまう。

 親鸞会の教えは転覆した教え。似非真宗。嘘・。インチキ・デタラメ・外道の教えであるとい
うことがわかるだろう。

41 :神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 12:53:03 ID:T3YGf0Gv
親鸞さんは越後に流されたとき、僧籍は剥奪されていたようですが
赦免された後、僧籍は復活したのでしょうか?
(朝廷および天台宗からの視点で)

公式な僧籍があるのと無いのとでは関東での立場も
ずいぶん違ってくると思うのですが

42 :神も仏も名無しさん:2007/07/05(木) 16:13:52 ID:Qt1jVbIF
>>41
ここは掲示板をブログと勘違いしている基地外が立てたオナニースレです。
基地外固定は相手にしないようにお願いします。

質問がある場合はこちらで聞いてください。
浄土真宗本願寺派 [22拍]
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1178984831/
☆ 卍 仏教 @ 質問箱 卍 ☆ パート17
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1166685786/

以後、このスレへの書き込みは厳禁とします。

43 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/06(金) 00:10:49 ID:om8TYQ+X
>>41
 これには面白いことがたくさんある。次回から考えていきましょう。

44 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:12:27 ID:LiQ2ik+/
>>41
>親鸞さんは越後に流されたとき、僧籍は剥奪されていたようですが

 越後流罪の時に僧籍を剥奪されているということは史実のようだ。決定的証拠は、真筆本教行
信証の末尾の記載だ。真筆本教行信証とは、坂東本教行信証、報恩寺に伝わっていた。坂東本教
行信証は、非常に惜しいことに、関東大震災で最初の部分が損傷している。しかし、大部分が残
っている。報恩寺は、親鸞の直弟である性信房が開いた寺だ。
 真筆本か否かと言うことは筆跡鑑定で行う。人は自分の名前を書くとき、ある共通的な癖が出
るそうだ。本人が自分の名前を書いたときにしか出ない癖が、坂東本教行信証の「愚禿釈親鸞」
という名前の記載のところに現れている。そのことから、坂東本教行信証は日頃から自分を親鸞
と名乗っていた人物が書いたという立証ができたということらしい。

>赦免された後、僧籍は復活したのでしょうか?

 伝言の伝言で申し訳ない。読んだ本の名前も忘れてしまった。ある本の中の記載で、明治時代、
日本の過去の僧籍名簿を研究した人がいたらしい。徳川時代まで、僧籍の認証は朝廷が行ってい
た。明治になってそれが廃止された時、それまでの僧の全名簿が公開された。恐らくそれは、現
代でもどこかにあるはずだ。国会図書館か、国立大学の書庫にでも眠っているんだろう。

45 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:13:03 ID:LiQ2ik+/
 それを研究をした人が親鸞不在論を発表した。親鸞の名前は僧籍名簿に存在しなかったという
のが論拠だ。研究者は、鑑真和上来朝以来の日本の全ての僧籍名簿を閲覧し、親鸞あるいは善信
という名は存在しなかったというのだ。まあ、鎌倉時代初期を当たればいいわけで、奈良時代か
ら江戸時代まで全てをサーチしたわけではないだろう。当時、この研究は、社会に対しかなりの
インパクトがあったそうだ。

 同じように流罪になった法然の名はあったかどうかは興味のあるところだ。多分、法然という
名の独立した項目は無いだろうと思う。しかし、法然は戒師を行っている。法然が授戒した僧は
たくさんいるわけで、法然から受戒した僧の名のところに、法然の名は沢山でているだろう。し
かし、親鸞にそのような経歴はないから、僧籍名簿から完全に抹消されていた。
 僧籍名簿に親鸞の名前など存在しないのは当たり前の話だろうと思うが、親鸞は僧だったとい
う信じられないような誤解が世の中に蔓延している。親鸞は僧ではない。在俗の人だった。この
ことは、僕が2ちゃんねるで騒ぎ出したことだ。まあ、2ちゃんねるに来るまえから僕は言って
いたが、中学・高校の歴史の教科書を見てごらん、親鸞は僧だったと書いてあるだろう。親鸞は
鎌倉時代の僧ということに、文部科学省検定の教科書では書いてある。在俗の男だったとは書い
てない。

46 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/08(日) 11:13:50 ID:LiQ2ik+/
 親鸞は、肉食を行い、我が国で最初に公然と妻帯した僧である。梅原猛さんなんか、本の中で
大まじめにそう書いてる。最近は梅原さんも吉本隆明さんも、親鸞関係の書物の出版が止まって
いるようだ。僕が盛んに2ちゃんねるで独自の親鸞論を主張しているから、支離滅裂なおかしな
議論が書けなくなって出版がとまっているんだろうと、勝手に僕は想像している。違うかな?
(笑)。

 まあ、冗談はどうでもいい。親鸞不在論を終息させたのは、大正時代、西本願寺の書庫で発見
された恵信尼公の手紙だ。これが見つかって、親鸞実在論は不動化し、続いて親鸞の肉筆の教行
信証が見つかり、その後続々と親鸞肉筆の古文書が古い寺から見つかってきた。親鸞肉筆の消息
集は、坂東本教行信証の筆跡とを比較して同一人物という認証を与えているんだろうと思う。

 親鸞は僧籍を失っているという証拠はある。それは教行信証の記述だ。現代では親鸞実在の証
拠も無数にある。しかし、その中で、僧籍を復活していたということを示す証拠は一つもない。
僧籍を復活していなかったことを示唆する証拠もたくさんあると僕は思っている。具体的には教
義の中に散在している。親鸞に僧籍があれば、決して主張されるはずのない教義たくさんある。
そこから、親鸞は死ぬまで一在俗者だったと僕は確信している。

 親鸞は僧であったと考えると、「我が国で最初に公然と妻帯した僧」という梅原流のハチャメ
チャ論になる。親鸞は、在俗者であったという彼の社会的立場をしっかり認識し、親鸞の書き物
を読んでいくことはとても大事なことだ。

47 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 21:48:17 ID:N1meuLXd
>>44-46
詳しい説明ありがとうございました。なるほど・・・。

親鸞、善信はともかく範宴、綽空とかも無かったんでしょうね。
そうなると削除されたままということなんでしょうか。一度、
その現物を見てみたいものです。

渡海氏は越後に流されてから恵信尼さんと結婚した、という説を
とっているのですね。そうなると、僧籍剥奪された俗人・藤井善信の時代に
結婚したことになりますから、公然妻帯の先駆者ではなくなるわけです。

ところで、親鸞さん61歳前後に北条家の館で一切経校合に加わっていた、
という「口伝鈔」の記事が注目されているそうです。
これが正しいとすると、僧籍があったということになると思います。

48 :神も仏も名無しさん:2007/07/10(火) 21:49:39 ID:N1meuLXd
このあたりのことについては、まだいろいろ考えられそうです。

49 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/11(水) 00:31:14 ID:LRCLnFjX
>>47
>そうなると、僧籍剥奪された俗人・藤井善信の時代に 結婚したことになり
>ますから、公然妻帯の先駆者ではなくなるわけです。

 そうそう。ここは一つ理屈が飛んでいた。公然妻帯説を否定するには、最
低限もう一つ条件が入るんでしたね。忘れていました。
 京都結婚説というのがありましたね。僕はあれは、全く問題にしてないん
だけど、公然妻帯説を否定するにはその問題を説明しなければいけなかっ
た。公然妻帯説否定論は別の機会にきちんと議論しなければいけない
と思います。ここで触れるような問題ではなかったと思います。

 一切経校合では、古田武彦先生が面白い研究を発表しています。ご存
知でしたか?。もしご存じなければ、見ておくといいですよ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku1/j1shinra.html

 なお、親鸞は関東で僧としての待遇を受けていたようです。関東の仏教
環境は、京都とは違うものがあったんだろうと思います。
 少し書いてみます。


50 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/13(金) 09:58:55 ID:oS8HIqJy
 阿弥陀仏とは何か。その本質を論議してみました。 ↓

 http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1171637950/368-370

51 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/18(水) 01:13:20 ID:sVRL3IKl
 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養恭敬をすすめ
しむ(愚禿悲歎述懐)

 親鸞の現実の社会的環境は、この和讃が全てを語っていると思う。親鸞は無戒だった。無戒で
あれば、僧ではない。親鸞は、自分は無戒であると断った上で自らを名字の比丘という。名字の
比丘とは、名前ばかりの僧という意味だ。
 僧として受戒しても、いったん還俗すれば、再び受戒しなければ僧ではない。親鸞は流罪の時、
俗名を給わって配流となっている。その後、僧として受戒していれば、自分のことを無戒である
とは言わないだろう。
 しかし、関東では親鸞は僧として処遇されたようだ。1233年、北条泰時は、北条の館で一
切経校合を開いた。北条政子の追善供養のためであり、その時の経典は、後に北條家から園城寺
に寄進されている。この辺の歴史的事実は古田武彦氏が研究している。親鸞はこの時、その校合
役の一人として参加した。親鸞は袈裟を着て出かけている。
 親鸞の時代、恐らく鎌倉は、京都文化圏に対向する文化圏の創設を急いでいたと思われる。そ
の場合、比叡山で三十年近くも修行していた親鸞などは、仏教の専門家(僧)として迎えられて
も不思議はないと思う。恐らく関東には、親鸞以上に経典に明るい人材は恐らくいなかったろう。
かつて、法然の下には熊谷直実が入門している。法然と北条政子とやりとりをした手紙が残って
いたはずだ。法然教団と鎌倉政府とは交流があった。親鸞を招いたのは、流罪事件後、京都で法
然教団を率いていた隆寛律師からの推薦があったのではないか。

52 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/18(水) 01:14:38 ID:sVRL3IKl
 親鸞は、僧の仕事には強い愛着があったようだ。僧は、人々を教育指導するのが仕事である。
法然は、社会教育者として人々に念仏を説いた。親鸞は、そんな法然に惹かれて法然門下に入っ
た。無戒名字の比丘という言葉の裏に、受戒の僧以上に自らは実質的に厳格に戒律を守ろうと
している親鸞の姿が僕には浮かんでくる。例えばそれは、親鸞真筆の「浄肉不浄肉の文」に現れ
ていると思う。あるいは、愚禿抄の「内は愚にして、外は賢なり」という言葉に象徴されている。
「内は愚にして、外も愚なり」とは言っていない。はっきりと「外は賢」と言っている。親鸞の
姿勢は、内は愚でも外は賢を立てていくのだ。

 しかしその親鸞は、自分が正式な僧でないというアイデンティティに苦しんでいたようだ。そ
んな心境は「末法濁世の世となりて 舎利弗目連にひとしくて 供養恭敬をすすめしむ」という
言葉に非常に良く現れていると思う。

53 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/19(木) 10:13:06 ID:T3uumbC0
 親鸞は僧という職業に非常に愛着があったようだ。流刑囚として配流されていた北陸では僧と
しての仕事はできなかったろう。恵信尼と夫婦になったのも、いちじは僧に戻ることを本気で諦
めたそんな北陸時代だ。
 しかし、流刑を赦免されると、僧の仕事ができる可能性が出てきた。僧は、親のいない子供を
集め、食べ物を与え、寝る場所を与え、読み書きを教えて社会に送り出す。人々には文字を教え、
暦を教え、病を治し、加持祈祷を行い、托鉢をする。教育者であり、医者であり、カウンセラー
であり、治山治水コンサルタントであり、農業指導者だった。
 親鸞は、配流赦免後もただちに全てが無罪放免になったのではなかったようだ。京都に戻ろう
としても、都払いの処分は続いていた。関東に行こう。親鸞がそう思ったのは自然なこと
だったのかも知れない。僧籍を失って還俗したとしても、吉水時代の人脈が全て消えた訳ではな
いだろう。法然教団は源氏とのつながりがつよかった。熊谷直実の人脈が親鸞を関東に誘ったの
かも知れない。報恩寺のホームページでは、開基の性信房が親鸞を誘ったと書いてあった。性信
房とは、関東出身で吉水時代から親鸞に付き添い、後には横曽根門徒の代表になった親鸞の一番
弟子だ。性信房が親鸞を関東に誘ったという可能性は強いだろう。
 関東には、京都と違った雰囲気がある。関東には、比叡山延暦寺がない。東大寺も、唐招提寺
もない。受戒して僧になろうとしても、国分寺・国分尼寺などは、将門の乱以後、既に廃寺とな
っていただろう。本式に僧になろうと思う人は、奈良・京都に行く。そういう人は地元に戻って
こない。そんな環境の関東には、戒律の縛りのほとんどない多くの私度僧がいたと思われる。京
都・奈良と違い、関東ではそういう人も僧として受け入れていただろう。実際、一遍上人なども、
全国行脚には妻を連れて回っている。僧としての社会事業を関東で本気でやろうとすれば、単身
者よりも妻帯者で夫婦力を合わせた方がやりやすかったろう。親鸞は妻を連れて関東に行き、そ
こでは僧として処遇されている。

54 :神も仏も名無しさん:2007/07/25(水) 21:58:07 ID:wo09RIKm
親鸞の人間観について教えてもらえないでしょうか?

55 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 00:25:00 ID:1wT1Aokg
>>54
> 親鸞の人間観について教えてもらえないでしょうか?

 話がもう少し具体的になりませんか。
 人間観と言えば、余りにも広すぎる。
 「親鸞の」と言われても、僕は親鸞じゃない。僕の人間観なら言えそうだ
けど、他人に成り代わって代弁するなどという離れ業はできない相談だ。

 貴方が聞きたいところがどこにあるのか、どうもよく分からない。

 親鸞の人間観について教えてもらいたいと思ったきっかけでもいい。もう
すこし書いて欲しい。

56 :神も仏も名無しさん:2007/07/26(木) 11:06:31 ID:gUT1no6T
授業で習ったのですが、親鸞という人物に興味を持ちまして…

親鸞の人間に対する考え方を知りたいのです

57 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 19:55:19 ID:1wT1Aokg
>>56
> 授業で習ったのですが、親鸞という人物に興味を持ちまして…
> 親鸞の人間に対する考え方を知りたいのです

 貴方は、中学生か高校生でしょうか。授業というのは、日本史?あるいは倫理・社会?。その
辺で親鸞の名に触れたのでしょうかね。
 親鸞の人間観というテーマに合っているかどうか分からないけど、恐らく学校の授業では教わ
ることのない親鸞の重要な考えを紹介しようと思う。悪人正機説で凝り固まっているような人は、
目を覆いたくなるような考えだと思う。でも、非常に常識にかなった親鸞の重要な合理的な考え
だから、若い人には知識として知っておいて貰いたいと思う。
 親鸞の考えには、自然法爾とか、信心正因とか、悪人正機とか、名前の付いた思想がたくさん
ある。でも、十代、二十代の若い人で、これから親鸞を勉強しようと言う人には、入口としてこ
れから紹介する考えを原点にすることを勧めたい。ここには極めて常識的なことを書いてある。
親鸞の教えというのは、まるで常識を否定する思想のような誤解があるようだ。親鸞の思想は、
常識を忘れて読んではいけないということを知って貰うために、紹介しておきたい。

58 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 19:56:02 ID:1wT1Aokg
 先に、経過を紹介する。
 親鸞は、29歳で京都吉水にあった法然の門を叩き、35歳の時、政府の弾圧を受けて法然と
共に流罪、親鸞は39歳で赦免となるが、都払いは続いていて京都に戻れず、茨城の笠間地方に
居住したようだ。ここで社会教育者として約二十年間、多くの人々に念仏行を教え、多くのお弟
子さんを育てた。俗に二四輩といわれるけど、この二四人の代表的高弟の外、当時、数千人の人
がいたんじゃないかと僕は想像する。

 流罪後、法然も数年で赦免になり、法然は京都に戻るが、その直後に入寂。京都の法然一門は、
法然の高弟達が指導者になったようだ。しかしやがて、法然一門は二回目の大弾圧を受ける。法
然の墓は暴徒に荒らされ、高弟の隆寛律師は流罪となる。京都教団の立て直しは自分の責任だと
思ったのだろう、親鸞は混乱の京都に戻る決心をした。関東での事業については、このとき既に
高弟の性信、真仏など、安心できる高弟達が育っており、彼らに任せることにした。性信は京都
吉水時代から親鸞について回っていた最古参の弟子だ。性信は親鸞より十五歳若い。性信には、
直筆の教行信証を渡した(坂東本)。

59 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/26(木) 20:01:29 ID:1wT1Aokg
 隆寛の流罪は親鸞五五歳の時、親鸞が京都に戻ったのは、その五年後、僕は六〇歳の時だろう
と思う。この期間は、機会を待っていたのかも知れないかも知れない。長旅が可能な、遅すぎる
位のぎりぎりの年齢だったと思う。この時代、道元53歳、日蓮60歳、栄西74歳、頼朝52
歳で死んでいる。親鸞も、明日死んでもおかしくない年だった。

 親鸞八〇歳の過ぎ、巨大化した関東一門の中で様々な異説が出、性信らの手に負えない状況
が出現した。このころ、性信は六五歳、京都には関東からたびたび手紙送られ、直接お弟子さん
も上京してくる。歎異抄第二章は、そのころのことを題材にしている。

 親鸞は、もう関東に戻れない。そこで善鸞という人を自分の代理として関東に送ったようだ。
善鸞は親鸞の子だ。親鸞が善鸞を送り込んだことは、火に油を注ぐ結果になった。善鸞は奇想天
外の説を立て、関東の教団はさらに混迷していく。

 このころの手紙の一つを紹介する。   (続く)

60 :神も仏も名無しさん:2007/07/27(金) 22:04:53 ID:yKkeJnwv
>>51-53
なるほど。興味深いです。


61 :神も仏も名無しさん:2007/07/28(土) 22:17:24 ID:Q1b5h6w8
質問です
全ての人の命は同じだというけれど、
命の軽重さは世間にあふれています。

例えば、豚く人

この場合、仏教ではどのように説明するのですか??


62 :南無大師遍照金剛:2007/07/28(土) 22:36:09 ID:unD8zcfR
>>61
質問です
全ての人の命は同じだというけれど、
命の軽重さは世間にあふれています。

例えば、豚く人


(°∀°)そうなの?
何故そう思うの?
思い込みじゃね?
ペットの豚さんより
他人の命の方がカスだと思う権力者もいるんじゃね?
昔お犬様の時代も有ったし

63 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:48:11 ID:iZOt7ilA
>>59 訂正

誤 親鸞八〇歳の過ぎ、巨大化した 〜 さらに混迷していく。


 親鸞が去ると、数年後、関東教団に青天の霹靂のような事件が起きる。鎌倉幕府が念仏禁止
令を出したのだ。
 どうやら、善証坊という人物が問題の発端らしい。善証坊は親鸞もよく知っていた人物で、親
鸞の教団に出入りしていた。善証坊が鹿島・行方地方の人々との間で一悶着起こし、鎌倉幕府に
訴えがあった。その結果、鎌倉幕府は念仏禁止令を出した。
 このとき、教団責任者の性信が奔走し、結果的には事なきを得た。そのことは親鸞にも報告が
行った。親鸞は京都から手紙を送ってきた。

64 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:48:46 ID:iZOt7ilA
 なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の
放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべ
くも候わず。

 どんな理由があるにしても、聖教の教えをも知らず、浄土の教えの真意も知らないにも関わら
ず、非常識な自分勝手な人々に対し、「悪いことは自由にやっていいんですよ。他力ですからね。
他力本願、悪人正機です。悪人こそが阿弥陀様のお目当てです。悪は自由にやっていいんです。
悪しかできない。善はできない。罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがためのご本願です。お助
けですよ。どんな悪をやってもいいんですよ。私たちはそんな宿業の存在ですからね。ああ、有
り難い。有り難い」。などと仰る方があれば、これは大変な間違いです。法・倫理・道徳は、正
しく守らなければなりません。

 北の郡に在りし、善証坊と言いし者に、遂に、合い睦るること無くて止みにしをば見みざりけ
るにや。

 思い返せば、私が関東に居たとき、北の郡に住んでいるあの善証坊と、私は、最後まで心を許
すことことがありませんでした。そのことはお気づきになりませんでしたか。

 凡夫なればとて、何ごとも思う様ならば、盗みをもし、人をも殺しなんどすべきかは。

 「人は所詮凡夫ですから。自由にやっていいんですよ。他力本願でみんな助けて下さる。私た
ちが凡夫であることは、阿弥陀様は十分に分かって本願をたてて下さっています。ですから何を
やってもいいんですよ」。

65 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 00:49:50 ID:iZOt7ilA
 凡夫であれば何をやってもいいというなら、泥棒をしてもいいのか。人を殺してもいいのか。
そんなことは決してない。泥棒はいけない。人殺しはいけない。法・倫理・道徳は、正しく守っ
て行きたいものだ。

 本、盗み心あらん者も、極楽を願い、念仏申すほどのことになりなば、本僻うだる心も、思い
直してこそあるべきに、その徴もなからん人々に、悪苦しからずということ、努々あるべからず
候。

 本来、盗癖のある者でも、浄土の教えを聞き、極楽を願い、念仏を称えるようになれば、自然
に元々の歪んだ心を改心するようになってこそ当然だと思います。そんな様子の無い者に、「悪
人正機ですからね。他力ですから。罪悪深重でいいんです。お助けです。人は努力などできませ
んよ。努力はいりません。ありがたい。有り難い」などということは、決してあってはいけませ
ん。

 煩悩に狂わされて、思わざる外に、すまじき事をも振る舞い、言うまじき事をも言い、思うま
じきことをも、思うにてこそあれ。

 煩い、悩み苦しみ、外に選択の余地が無く、全く不本意ながら、してはいけないことを行い、
言ってはいけないことを言い、考えてはいけないことを考えてしまう。そういう場合は、やむを
得ないと思います。


66 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:07:42 ID:iZOt7ilA
 障わらぬ事なればとて、人のためにも、腹黒く、すまじき事をもし、言うまじきことをもいわ
ば、煩悩に狂わされたる義にはあらで、わざと、すまじき事をもせば、返す返す、あるまじきこ
となり。

 大丈夫なんだ。全く関係ない。何をしてもいいんだ。こんなふうに思い、他人に対し、悪意をもって
悪事を行い、故意に言ってはならないことを言えば、これはもう煩悩の問題ではありません。煩
い、悩み、苦しみ、七転八倒して遂に外に選択の余地が無く、全く不本意ながら行うということ
と、故意に悪事を行うと言うこととは全く意味が違います。故意に、悪意をもって行うことは、
煩悩の問題ではないのです。これをもって、阿弥陀様がお救い下さるとか、悪人正機などと言え
ば、これはとんでもない間違いです。
 故意に悪いことをするということは、どんな場合でも許されることではありません。

 鹿島・行方の人々の、悪しからん事をば、言いも止どめ、その辺の人々の、殊に僻うだること
をば、制し給まわばこそ、この辺より出で来たる徴しにては候わめ。

 鹿島・行方の人々が、念仏者達の目に余る狼藉に不満を述べ、鎌倉政府に直訴したことは、念
仏者の特に間違ったことを正そうというそういう思いであったろうと思います。

 ただ、したからん事をばせよ、振る舞いなんども、心に任せよと言えると候らん、浅ましきこ
とに候。

 「したいことしなさい。行動も、自由気ままでいいんです。偽善はいけません。阿弥陀様のお
助け、悪人正機です。浅ましい我々を救おうというそういうご本願ですから、自由でいいんです
よ。自力はいけません。使命感・努力・正義感・克己心、みんな自力です。みんな捨てましょう。
さあ、お助けの阿弥陀様に救われましょう。御宗旨は浄土真宗ですからね」などと、もしも、こ
ういうことを言っているとしたら、これは真に情けない限りです。

67 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:08:24 ID:iZOt7ilA
 この世の悪きを捨て、悪しきことをせざらんこそ、世を厭い、念仏申すことにては候に、年頃、
念仏をする人なんどの、人のために悪しき事をもし、また、言いもせんは、世を厭うしるしもな
し。

 浄土を求めるとは、正しいことを行うということです。世を厭うとは、悪はしないということ
です。厭離穢土、欣求浄土。穢れた現世を嫌い、極楽浄土を求めると言うことは、悪いことは何
をしてもいいということではない。その反対なんです。悪いことはしない。正しいことを実践す
る。これが厭離穢土、欣求浄土の心で念仏を称えると言うことなのです。
 最近、念仏を称えるという人の中には、これをはき違え、他人に対し平気で悪いことを行い、
悪い言動をするという人がいるようです。これは、穢れた現世を嫌い、浄らかな浄土を求めると
いうその思いが全く無い人のことです。

 されば、善導の御教えには、「悪を好まん人をば、敬いて、遠ざかれ」とこそ、至誠心の中に
は、教え置かせ在わしまして候え。

 そういえば、思い出すのが善導大師の教えです。悪事を行う人には尊敬の念を忘れずに、しか
も近づくなということです。これは、至誠心を教えている中の言葉でした。

 いつかは、我が心の悪きに任せて振る舞えとは候。

 いったいどこに、自由気ままに悪い心そのままに行動せよなどいう話があるでしょうか。そん
なことがあるわけありません。

68 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 01:09:49 ID:iZOt7ilA
 大方は、経釈の文をも知らず、如来の御ことをも知らぬ身にて、ゆめゆめその沙汰あるべ
くも候わず。

 推測すれば、経典や解釈書の文章も知らず、如来のことも全く知らない人でありましょう。間
違ってもそのような振る舞いがあってはいけません。

 また、往生は、何事も何事も、凡夫の計らいならず、如来の御誓いに、任せまいらせたればこ
そ、他力にては候。

 また、極楽浄土への往生については、凡夫の自由になる問題ではありません。これは、如来の
誓いによるものであり、如来の誓いによるものである以上、如来に完全に委ねるほかありません。
それが他力ということです。

 様様に計らい合うて候らん、可笑しく候。あなかしこ、あなかしこ。

 往生について、ああでもない、こうでもないといろいろご心配なさっているようです。笑いた
くなってくる感じが致します。あなかしこ。

十一月廿四日 親鸞

69 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/29(日) 08:31:26 ID:iZOt7ilA
<続く>
 なお、カキコは2,3日後。  多忙

70 :神も仏も名無しさん:2007/07/30(月) 06:29:08 ID:UPM4NELw
西村眞悟 無罪論ってなんですか?

71 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:24:22 ID:aoIfbV5K
 親鸞の手紙を読んで分かる親鸞の人間観を考えよう。四つの原理に注目したい。

1 善証坊と言いし者に、遂に、合い睦るること無くて止みにし

 心をゆるすことができない人物が親鸞にもいた。親鸞は機械的平等主義を実践する人ではなかっ
た。
 仏の慈悲に差別はない。人は全て平等であり、差別があってはいけない。こういう考えを、もし
硬直的に持っている人がいれば、この言葉は参考になるだろう。

2 放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、ある
べくも候わず。

 自分勝手な行動を取る者には、言っていいことと、言って悪いことがある。悪人正機というのは、
自分勝手な行動を取る者に説いている話ではない。法は、常に、相手の器に合わせて語られなけれ
ばならない。

72 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:25:42 ID:aoIfbV5K
3 煩悩に狂わされたる義にはあらで、わざと、すまじき事をもせば、返す返す、あるまじきこと
なり。 

 煩悩に翻弄されると言うことは、故意に冒す場合を含まない。故意に悪行を行った場合、それは
わざと行ったのであり、煩悩に翻弄されて行ったのではない。

 凡夫は煩悩の深い存在であると言うことは、行動にあたって自由な選択幅の少ない存在である
と言うことである。ここでは、過失と緊急避難と正当防衛という概念を考えるべきだろう。

 a 煩悩とは過失である。
 どんな場合でも、人は常に過失を犯す危険性を孕んでいる。過失とは、幾重にも注意を払った上
で、なおかつ誤った判断をする心理現象である。
 注意義務を怠たり、防止できる危険を防止しなかったほとんど怠惰な故意に近いような心理現象
は、親鸞が言う煩悩には含まれない。それは自己責任である。

 b 緊急避難・正当防衛である。
 やってはいけないことは認識しながら、外に選択の余地なく害悪を引き起こすことがある。
 注意義務を怠たり、防止できることを防止しなかったほとんど故意に近いような事象は、煩悩に
含まない。それは自己責任である。

73 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 11:26:43 ID:aoIfbV5K
 自制すれば防止できる害悪事象を、自制を放棄して引き起こすことがあれば、それは煩悩の問題
ではない。宿業の問題でもない。それは自制の問題である。
 常識で考えれば当然行うべき事、使命感・責任感・倫理観・克己心・向上心、こうした人として
当然の精神を放棄して不幸な結果をもたらした場合、これは煩悩の問題ではない。罪悪深重・煩悩
熾盛の衆生を助けんがための仏の本願とは、全く関係がない。これは宗教の問題ではないのだ。
 親鸞が煩悩に関わる宗教の問題として扱うのは、過失・緊急避難・正当防衛の問題である。親鸞
仏教の根本原理として認識しておきたい。

4 この世の悪きを捨て、悪しきことをせざらんこそ、世を厭い、念仏申すことにては候

 厭離穢土、欣求浄土。穢れた現世を嫌い、極楽浄土を求めよう。
 厭離穢土、欣求浄土とは悪いことはしないということである。正しいことを行うということであ
る。
 使命感・責任感・倫理観・克己心・向上心をもって正しいことを実践する。もしこれと異なれば、
それは厭離穢土、欣求浄土ではない。
   
5 往生は、何事も何事も、凡夫の計らいならず

 極楽浄土に往生できるだろうか、できないだろうか。そんなことは人が考える問題ではない。

74 :神も仏も名無しさん:2007/07/31(火) 12:59:58 ID:GFzgZ0aQ
やはり親鸞聖人は菩提心という点にかなりこだわったんですね

明恵上人からの批判に理論的に反論し、本願念仏こそ末世の真の仏法なり、
と証する課題を負った聖人であったがゆえに

75 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/07/31(火) 23:38:33 ID:aoIfbV5K
>>74
  誤解があるようです。数日したら書きます。

76 :神も仏も名無しさん:2007/08/01(水) 00:19:19 ID:3lv6FIBI
真宗大谷派門徒です、そう父の死後過去帳に書いて頂きました。従前から御論拝読し
親鸞聖人の真の思想、教えを自分なりに摂取出来、有り難く思っております。ときに、お尋ねしたいのは
私が今生業としています「知的障害者」についてです。彼らにとっての浄土とはどのように考えるのが
良いのでしょうか。

77 :失礼する:2007/08/01(水) 21:40:59 ID:u2GXw6GP
残念ながら浄土には縁がないでしょう、だが彼らの為に変わって祈ってあげたいですね。そういう気持ちが仏縁を繋げる事につながって行くように思われます。

78 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/02(木) 00:30:21 ID:HI2TQgYG
>>73
 倫理・道徳の問題は、浄土真宗では簡単ではない。歎異抄には、親鸞の手紙とは全く違ったこ
とが書いてあるからだ。二つの矛盾をきちんと説明しないと、浄土真宗では倫理・道徳の問題を
明らかにしたことにはならない。

 問題提起をしよう。

 弥陀の本願不思議におわしませばとて、悪を恐れざるは、また、本願ぼこりとて、往生叶うべ
からずということ。この条、本願を疑う、善悪の宿業を心得ざるなり。

 阿弥陀仏の救いがあるからと言って、平気で悪行を行なえば、これは本願誇りという。本願誇
りは往生できないという考えがある。これは、阿弥陀仏の本願というものを疑っているのであり、
善悪の宿業を心得ていない証拠である。

良き心の起こるも、宿善の催すゆえなり。悪事の思われせらるるも、悪業の計らうゆえなり。

正しい心が起きるのも、これは過去に行った善の賜である。悪い心が起こるのは、悪い定めが
作用している結果である。

故聖人の仰せには、「卯毛羊毛の先にいる塵ばかりも作るつみの、宿業にあらずということな
しと知るべし」とそうらいき。

親鸞聖人は言っていた。兎の毛、羊の毛の先に付いている埃ほどのわずかな罪も、過去からの
結果でないものはない。全て過去からの結果であって、人の自由によるものではない。そのよう
に言っていた。

79 :神も仏も名無しさん:2007/08/03(金) 20:16:36 ID:aVhXvTb4
菩提心云々よりも、諸行往生を明確に否定するところに
教行信証の眼目があるのではないか。真門より入り真如門へ。
これが親鸞の専修念仏であろう。


80 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:12:13 ID:yAyGcs7e
 歎異抄は悪行肯定論であり、消息は悪行否定論である。これをどう考えるか。浄土真宗教学に
とっては非常に重大な問題だ。消息を読んでみよう。

 なにごとよりは、聖教の教えをも知らず、また、浄土宗の真の底をも知らずして、不可思議の
放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしと、仰せられ候なるこそ、返す返す、あるべ
くも候わず。  〜  その徴もなからん人々に、悪苦しからずということ、努々あるべからず
候。

 親鸞は、消息の中で、聖教の教えの中に悪行肯定論があることを認めている。悪行肯定論につ
いて親鸞は原則を明記している。

1 「浄土宗の真の底を知らず」に言ってはいけない。
2  不可思議の放逸無慚の者共の中に、悪は思う様に振る舞うべしという話をしてはいけない。
3 歪んだ心が直っていく兆しの無い者に言ってはいけない。

 つまり、宿業論、悪行肯定論は特別な場合にだけ主張されるものなのだ。まず原則は悪行否定
論である。

 悪行が肯定される場合はどういう場合なのか。親鸞の真意は教行信証から拾うのが原則である。

81 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:14:59 ID:yAyGcs7e
 もし汝父を殺して当に罪あるべくは、我等諸仏また罪ましますべし。もし諸仏世尊、罪を得た
まうことなくは、汝独り云何ぞ罪を得んや。(阿闍世 段)

 父を殺し、母を牢に幽閉した阿闍世が、慚愧に堪えかねて病となる。釈迦はその阿闍世に向か
って言う。
 阿闍世よ、貴方には罪はない。もし、父王の死に対し阿闍世に罪があれば、現代のこの国の様
々なリーダー達、釈迦を含めて皆、殺人に罪があることになる。殺人について、もし、リーダー
達に罪がないということならば、どうして阿闍世に罪があると言えるだろうか。父王の死に対し、
現代のリーダー達には罪がない以上、阿闍世よ、貴方には罪はない。
 釈迦はそのように言う。

 大王、たとえば涅槃は非有・非無にしてまたこれ有なるがごとし。

 大王よ。永遠の真理は、非有である。つまりそんなものは存在しないのだ。しかし、同時に非
無である。つまり無ではない。つまり存在すると言うことなのだ。

 殺もまたかくのごとし。非有・非無にしてまたこれ有なりといえども、

 殺すということもそういうことだ。殺すことは悪であるという真理、そんなものは存在しない。
つまり殺すことは悪いことではない。しかし、またそんなものは存在しないというわけではない。
つまり、殺すことは悪であるという真理は存在する。

82 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:16:35 ID:yAyGcs7e
 慙愧の人はすなわちすなわち非有とす。無慙愧の人はすなわち非無とす。

 だいじなことがある。それは慙愧している人には、非有という。つまり人を殺したことを、天
に恥じ、地に恥じ、自分は大変なことをやってしまった。二度と繰り返すまい。そのように悔い
ている者には、殺すことは悪であるという真理は存在しない。殺人を責められることはない。
 しかし、人を殺しても慙愧しない者には「殺すことは悪であるという真理」は存在する。その
ものには、物事の道理を正しく教えなければならない。

 果報を受くる者、これを名づけて「有」とす。空見の人は、すなわち「非有」とす。

 悪行を行って慙愧の無い者。これは必ずやその報いを受けるだろう。こういう者には殺すこと
は悪であるという真理が存在する。つまり責めを負わなければならない。空見の者、見つまり間
違った見解が空の者、つまり正しい考えを持っている人には、殺すことは悪であるという真理は
存在しない。つまり、責めを負うことはない。

 有見の人は、すなわち「非無」とす。有有見の者は、また名づけて「有」とす。

 間違った見解を持っている人には、非無つまり殺すことは悪である。

 何をもってのゆえに、有有見の者は果報を得るがゆえに、無有見の者はすなわち果報なし。

 間違った見解を持っている者は、間違った見解を持っている報いを受ける。間違った見解を持
っていない者は、悪の報いを受けることがない。

83 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:18:07 ID:yAyGcs7e
 また下品下生の中に、五逆を取りて謗法を除くことは、それ五逆は已に作れり、捨てて流転せ
しむべからず、還りて大悲を発して摂取して往生せしむ。しかるに謗法の罪は未だ為らざれば、
また止めて「もし謗法を起こさばすなわち生まるることを得じ」と言う。これは未造業について
解するなり。もし造らば還りて摂して生を得しめん。 (抑止門)

 大無量寿経では、五逆の者も誹謗正法の者も、極楽に入れないと書いてある。しかし、観無量
寿経で下品下生段を読むと、五逆の者は極楽浄土に行くと書いてある。誹謗正法の者については
触れてない。これはどういうことか。誹謗正法の者は、絶対に極楽浄土に行けないのか。
 そうではない。観無量寿経の下品下生段の悪人は例示である。それは、たまたま五逆の罪を冒
したが、まだ謗法の罪は冒してない者を例示している。この者はまだ、謗法の罪は冒してないか
ら、謗法の罪を冒さないようにするするために、「謗法をすれば極楽に往生できないぞ」と説く。
 かりに、謗法の罪も冒してしまえばどうなるか。「やはりこの者も極楽浄土に往生する」。

 親鸞の主張は極めて明確である。
 悪を冒してない者には、悪をおかしてはいけないと教える。
 悪を冒してしまった者は二つに分ける。慚愧している者はゆるされる。慚愧の無い者はゆるさ
ない。

 歎異抄の宿業論は、まさにこうした論理を背景にして読まなければ、とんでもない間違いを冒
すだろう。悪人正機も同じである。「浄土宗の真の底を知らず」に軽々に論じてはいけない。

84 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/04(土) 00:20:01 ID:yAyGcs7e
>>76

後日コメントさせてもらいます。

85 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 01:02:21 ID:zE52Vy9G
     ____  
   /      \
  /  ─    ─\ 
/    (●)  (●) \ よく考えたらこのスレいらないな
|       (__人__)    |  
/     ∩ノ ⊃  /
(  \ / _ノ |  |
.\ “  /__|  |  
  \ /___ /

86 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 14:39:17 ID:FdeKNQpo
>>41
「称名念仏に励めよ」は法然上人、親鸞聖人に共通する教えですね。
教行証から教行信証へ。行から生まれる信とはどんなものかというのを、
法然上人に代わって、きっちり跡付けたのが親鸞聖人だと思います。

87 :神も仏も名無しさん:2007/08/04(土) 19:35:49 ID:yAyGcs7e
>>85
 しばらく前に比べたら、アラシが極端に少なくなったね。以前はすごかった。
アラシが減ると言うことは、当方としては歓迎なんだが、教団の中で通達で
も出たのかい?。


88 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:22:01 ID:CyFkHlSB
>>54
 何か感じるものをもっていただけましたか?。


>>74
> やはり親鸞聖人は菩提心という点にかなりこだわったんですね

しかるに菩提心について二種あり。一つには竪、二つには横なり。また竪について、また二種
あり。一つには竪超、二つには竪出なり。「竪超」・「竪出」は権実・顕密・大小の教に明かせ
り。歴劫迂回の菩提心、自力の金剛心、菩薩の大心なり。また横について、また二種あり。一つ
には横超、二つには横出なり。「横出」は、正雑・定散・他力の中の自力の菩提心なり。「横
超」は、これすなわち願力回向の信楽、これを「願作仏心」と曰う。

 横超     願力回向の信楽
横出     正雑・定散・他力の中の自力の菩提心
竪超・竪出  権実・顕密・大小の教

 親鸞は菩提心をこのように分けています。明恵上人の主張する菩提心はどこに当たるのか、親
鸞の教行信証では必ずしも明確ではないけど、多分、横出に当たるんだろう。少なくとも横超の
菩提心ではない。つまり、明恵上人が言う菩提心こそが真の菩提心であると言えば、親鸞はそれ
と別概念に対し菩提心という名称を付与し、真の菩提心は必要がないというのが親鸞の考えです。


89 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:23:59 ID:CyFkHlSB
 明恵上人が言う菩提心は、浄土真宗には必要がない。つまり、菩提心は必要がない。浄土真宗
では、称名念仏によって覚(おし)えざれども自然に真如の門に転入する。信楽が願力によって
回向されてくる。親鸞はそういう立場に立ちます。

 菩提心とは何か。
 もし諸仏の為に護念せらるれば、すなわちよく菩提心を発起す。もしよく菩提心を発起すれば、
すなわちよく仏の功徳を勤修せしむ。

 「仏の功徳を勤修せしむ」とある。「せしむ」は親鸞の常套的な言い換えと考えれば、本来の
菩提心、つまり明恵上人流の従来の菩提心とは「仏の功徳を勤修しよう」という心でしょう。

 この無上菩提心は、すなわちこれ願作仏心なり。願作仏心は、すなわちこれ度衆生心なり。度
衆生心は、すなわちこれ衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。

 「度衆生心」つまり、多くの人々に、正しく真理を認識する認識観を公開する。真実を正しく
認識する認識界に到達させよう。人々を正しく教え、育てよう。そう言う心、これが明恵上人流
の従来の菩提心と考える。

 度衆生心すなわちこれ衆生を摂取して安楽浄土に生ぜしむる心なり。この心すなわちこれ大菩
提心なり。

 「安楽浄土に生ぜしむる心」とある。「せしむ」は親鸞の常套的な言い換えと考えれば、本来
の菩提心、つまり明恵上人流の従来の菩提心とは、安楽浄土つまり、哲人達が抱いている精神界
・認識界と同一・共通の認識界に生まれ変わっていこうという心を言う。

90 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:26:48 ID:CyFkHlSB
 明恵上人流の従来の菩提心は必要がないとはどういうことか。駅前のラーメン屋さん、表通り
の建築現場でダンプカーの往来の監視をしている警備員さんには、「度衆生心」は必要がない。
多くの人々に、正しく真理を認識する認識観を公開し、真実を正しく認識する認識界に到達させ
よう、そういう心は全く必要がないと言うことを言っています。

 十年後には東京の新宿にラーメン屋の支店を作ろう。そう思って日々、自転車でラーメンの配
達をしている鹿児島のラーメン屋さんには、法を守り、倫理を守り、道徳を守ることが必要です。
法を破れば、十年後どころか、明日の営業もできなくなるでしょう。商道徳を破り、肉まんに段
ボールの破片を入れれば、客は直ちに来なくる。仁・義・礼・智・信を守れ(蓮如上人)という
ことは、鹿児島のラーメン屋さんにとっても、北海道のラーメン屋さんにとっても、とても大事
なことだ。
 しかし、ラーメンの配達には菩提心は必要がない。菩提心をもってラーメンを配達されても、
客は喜ばない。「あのラーメン屋さんは、菩提心をもってラーメンを配達してきたよ」と言われ
れば、「あいつは頭がおかしいんじゃないか」という皮肉を込めた誉め言葉の裏返しとなる。ラ
ーメン屋さんに菩提心は全く必要ない。ダンプカーの往来の監視をしている警備員さんにも菩提
心は全く必要ない。

 顧客に対する思いやり。使命感・責任感・向上心・克己心、こういう心は必要だ。特に、鹿児
島から東京に支店を出そうと思えば、人一倍頑張らないといけない。しかし、どう転んでも、菩
提心は全く必要がない。絶対に絶対に必要がない。総持寺であるいは永平寺で座禅の研鑽に励も
うという人には菩提心が必要だ。円覚寺、建長寺で座禅の研鑽に励もうとすれば、菩提心がなけ
れば一日にも過ごせない。延暦寺で千日回峰行をしようと思えば、菩提心は絶対に必要だ。しか
し、念仏宗のラーメンさんにそんなものは全く必要がない。

91 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/06(月) 10:32:44 ID:CyFkHlSB
 東京に支店を出すのが十年後であれば、その間に何があるかわからん。人生は山もあれば谷も
ある。上り坂もあれば、下り坂もあるだろう。進退窮まるときもある。そんなときはどうするの
か。
 相談相手があれば、その人に相談に行く。図書館に調べに行くのもいいだろう。鹿児島の市役
所に相談に行くのもいい。東京新宿の区役所に相談窓口があれば、そこに行くのもいいだろう。
しかし、いつもそれが可能とは限らない。
 調べる方法がない。相談相手がいない。万事休すとなったらどうするの。出店を諦めるのもい
いが、諦めるまえに一つやってみることがある。座禅を組み、呼吸に合わせ、南無阿弥陀仏・南
無阿弥陀仏と称えてごらん。多くの先人達がこの方法で窮地を切り抜けてきた。日本海の荒海を、
命がけで中国に教わりに行ったのも、この方法を教わるためだ。やってみるがいい。きっと何か
が見つかるだろう。

 安楽浄土つまり、哲人達が抱いている精神界・認識界と同一・共通の認識界に生まれ変わって
いこうなどと、ラーメン屋さんがそんな思いを持つ必要は全くないんだ。ラーメン屋さんは、東
京で支店を持とうと思えばいいんであって、仏様になろうなどと思う必要はない。だから、仏の
功徳を勤修しようなどと、そんな大それたことを考える必要はない。全く必要がない。もっとも
っと楽な気持ちで南無阿弥陀仏を称えてみるがいい。親鸞はそう教えてくれている。
 やってみればおもしろさが分かってくる(信楽回向)。おもしろさが分かれば、自ずからやっ
てみたくなる。そんな思いで、気楽にやってみればいい。
 ラーメン屋さんが念仏を称えても、全人類の救済にはならん。しかし、進退窮まった自分の足
下くらいは少し明るくなるだろう。

92 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:34:56 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
         _,,l゙-:ヽ,;、、             、、丶  ゙i、,,、
        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
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  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
渡海

93 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:35:55 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
   氏ね

94 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:36:38 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
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   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
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           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
      糞が

95 :神も仏も名無しさん:2007/08/06(月) 12:43:08 ID:5z8aLxZf
               |    丶 _    .,!     ヽ
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    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
      カルトアンチのくせに

96 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/07(火) 09:22:35 ID:2CvSmA0/
>>76
>「知的障害者」についてです。彼らにとっての浄土とはどのように考えるのが良いのでしょう
か。

 知的障害者と言っても色々あるでしょう。相手の話が分かる。日常の意思の疎通には全く問題
の無い方から、意思の疎通が全くだめな人までいる。

 日常の意思の疎通に問題の無い人であれば、仏壇の前で一緒に座禅を組み、腹式呼吸をしなが
らその呼吸に合わせ、一緒に声を出し合い、ゆっくりと南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称え合う
という作業をしてみるといいでしょう。
 死んだら極楽に行けるとか、仏になるとか、ましてや悪人正機だ、自然法爾だなどという話は
全く必要ありません。「称えていればきっといいことがある」とそれだけ言えばいいでしょう。
気分はきっと落ち着いてくると思います。大事なことは知識ではありません。ゆっくりとゆっく
りと腹式呼吸をしていくその肉体的動きから、体の生理作用にきっと顕著な変化が見られるはず
です

 5分も、1分もじっとしていられない人にはこれは無理でしょう。日常の意思の疎通も不自由
という相手にもそのようなことは無理でしょう。

97 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/07(火) 09:24:00 ID:2CvSmA0/
 そのような人にとっては、極楽浄土は全くの架空の世界と考えればいい。全くの絵空事の世界、
空の中の空、空の空の空、それが極楽浄土です。
 歌謡曲に大変興味があり、歌が大好きで、自分も是非歌手になりたいなどと考えている人にと
って、歌謡界とはまさに実在の世界です。しかし、歌などには全く興味が無く、関心がない人もい
ます。そういう人にとって、歌謡界などは架空の世界です。歌謡界などはどこにあるんだい。
そんなものは絵空事の世界だ。きっとそういうでしょう。
 絵が大好きで、自分も描いて、あるいは美術館にも出かける人には、画壇はまさに実在の世界
です。しかし、絵などには全く興味が無く、関心がない人もいます。そういう人にとって画壇な
どは架空の世界です。

 極楽浄土とは仏道の世界です。仏道修行者の世界です。仏道などには全く興味が無く、関心が
ない人にとっては極楽浄土などは全くの架空の世界です。
 物事には、客観的存在物と主観的存在物とがあります。日本には富士山がある。富士山は客観
的存在物です。これは、万人にとって存在するでしょう。パリにはエッフェル塔があります。エ
ッフェル塔は客観的存在物です。しかし、歌謡界・画壇・極楽浄土、こうしたものは全て、人の
主観に依存する主観的存在物です。決して観念的存在物というつもりはありません。歌手を目指
している人、歌手で生活している人にとって、歌謡界はまさに生活の場です。しかし、そんなも
のは架空の絵空事の世界だと言う人がいてもおかしくありません。極楽浄土もそれと同じです。

 知的障害者は「世の光」としたいものです。弱い者が生きていけない社会は健全ではありませ
ん。強い者が弱い者を助けるとき、弱い者は強い者の心の救いとなって助けてくれるでしょう。
 弱い者を支えているものが、浄土を学び、念仏を称えることを学び、人生の困難に遭ったとき
の脱出の道を獲得したなら、その者によって支えられている弱い者も、共に極楽浄土の喜びを分
かち合うことでしょう。

98 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:29:55 ID:fl1OtPBf
>>96-97

渡海難は知的障害者である、まで読んだ。

99 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:37:01 ID:fl1OtPBf











渡海は地獄行きで

100 :神も仏も名無しさん:2007/08/07(火) 09:37:36 ID:fl1OtPBf















糞スレ100ゲット!

101 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 22:42:07 ID:tZi37u+0
「帰命無量寿如来 南無不可思議光」とは、「救われたら喜びの声を上げずにはおれない」ということを指した筈。
しかし、聴聞の昼休憩にいつもある「体験発表」では、誰一人として「私は救われました」と発表した人を見たことがない。
これはつまり、「誰一人として救われた人はいません」ということを自白していることに等しいのでは?
土蔵秘事じゃないんだから、救われたことを公表していい筈なのに、何故、誰も救われた「体験発表」をしてくれないんでしょうか?
仮に、救われた人がいるというのであれば、教義と矛盾するのでは?
どなたか、説得力のある解説お願いできませんでようか。

102 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 22:45:01 ID:iUSCnUfy
救われた人がいても教義とは矛盾しないですよ

103 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 23:12:53 ID:7mWLBx9r
                             γ___     ..........
                  ,〜((((((((〜〜、 /      \   /::::::::::\
                (   (((((((((_ )/        ヽ (::::λ::::::::::)            ,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.,.
                 |/~^^\)/^^~ヽ|( ((|__|____|__||_| )) (|=| |=||)           ,,川川川川川|ll、
                 |  _ 《 _  |( ((  □━□  )  | ̄し ̄/           川|川  /Z\ |
        / ̄ ̄ ̄\  (|-(_//_)-(_//_)-|)(6    J   |)   ヽ ∀ ノ          ‖|‖  ---  --|
       | 」」」」」」」」」) |   厶、    |   ヽ ∀  ノ ( ̄ ̄`´ ̄ ̄) )))川川((( 川川‖  ,,,,,,,コ,,,, l←渡海 難  ◆Fe19/y1.mI 教祖
       |(6ーB-B|ノ   / ̄ ̄ ̄ ̄\(::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/(三三◎三三)(三三三三三)川川  | ∴)д(∴)
       |:::|ヽ   .> |  彡彡ノ((((^^)))))|::/ ノ   ー|ミ _  _ ミ(6 ー□-□-|)川川    川川川
       |ミ   (=)/  彡ミ ー○---○ |(6ー[¬]-[ー].|(∴ ` 」´ ∴)|__ ´ つ )川川\_川川川川
     / ̄ \;;;;;;;;;/ ̄\ミ(6    ( 。。) |/∪   ^^  |/\ ( へ) / |ドリ天| ∀ / ↓Option
     |  |       ||ミ (∴   (三)∴)  :::: )3 ノ   (___) (⊃    |__/|「| ̄[]   / ̄ ̄ ̄ ̄\
     |  | スープラ命 / ̄ ̄ ̄\,,,,,,,,,,,,,,ノ ̄\__/ ̄ ̄ ̄ ̄\ / ̄ ̄ ̄\ .| ̄|⊃ ⊂|\(# ノノノノノノノノノ )

104 :神も仏も名無しさん:2007/08/08(水) 23:13:28 ID:7mWLBx9r
    / ̄ ̄ ̄ ̄\ ( ((((((^))))))´ ̄ ̄ ̄ ̄\(# ノノノノノノノノノ)|___A_|.´ ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ)  .ノ ー◎-◎|ノ
   (  人____).|ミ/ \=/| ノノノノメノナノノ)  ノー◎-◎|ノ川 ノ  ー))/))ナ)))ナ)ヽ,)彡ミ) \  つ|ノ
    |ミ/  ー◎-◎-)(6ー[¬]-[¬] ノー□-□-|リ(彡ミ)\   っ |ノ川 ー●-●| ノ  ⌒ _ ⌒ |ノ .彡ミ)、 | ∀ ノ ノ
   (6     (_ _) )|    、」 |川) ∴)`_´(∴)ゝ彡ミ)、 | ∀.ノリ|   (・・) |( ///)  3 (//)  ミ.ノ \___,ノ\
  _|/ ∴ ノ  3 ノ \  (ー)// \___/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)/:|   (三) |)ヽ____ノ()_|      |__|
 (__/\_____ノ_|  \___/ |_|        | ノ三三三三|/::::::::\___/ヽ.      ヽ().| |. 180SX命 | |
 / (__))     ))| | ランエボ命 . | |  セリカ命 (6ノー⊂⊃⊂⊃:::::::::::::FD命::::::::::|ノ.シルビア命.(())| |     .  | |
[]______.| | GT-R命ヽ  |        .| |       |彡    ・・  |:::::::::::::::::::::::::::::::::::/| LOVE☆ )(__),_____,|__)
|]  | |______)_)三三三国 (__)____ノ彡   (ー ノヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/_)_____))/〜・〜・〜\
 \_.(__)三三三国三) \:::::::::::::::/ . \::::::::Y::::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 三三[国])、 _/)_/)_\∞∽∞∽∞∽\
  /(_)\::::::::::::::::::::| ̄ ̄|:::::::|:| ̄ ̄ ̄ ̄|::::|:::(⊃ ハチロク万歳 ⊂):::::::::::ヽ;::::::(∴)◎∀◎(∴) \ ・〜・〜・〜・〜\
 | 日産 .|:::::::::/:::::/   .|:::::::|:| トヨタ  .|::::|:::::|________|´,):::::::/ ⊂) ̄ カーヲタ ̄ (つ ̄~|~|~⌒~|~|⌒~⌒~
  |____|;;;;;;/;;;;;/_______|;;;;;;;|;|____|;;;;|:::::::/;;;;;;__.へへ__;;;\/;;;;/;;/(~ ̄ ̄ ̄) ̄ ̄~)~⌒(二)_  (ニ)_
     (___|)__|) ..(___|)__|)..(__|  (;;;;;;;;;;;___||__;;;;;;;;;;)_|)_|) (____)___)

105 :神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 00:03:21 ID:tZi37u+0
102さんへ。
教義云々よりも、信心決定できたなら黙ってられないはずなのに、誰も体験発表しようともしないのは不自然じゃないですか?ってことを聞きたいんですよ。

106 :神も仏も名無しさん:2007/08/09(木) 09:50:08 ID:pGVk6tfV
         __, -‐― ´ ̄ ― 、
       /           `ヽ
      /     _ ,,       ヾ i
      /, /   /  | , .| | i i    |
      | |  / -‐- |/レ┼t-| |.iっ   |
      И /| ,. ‐、   , ‐ 、 ル|~, i !.|
        V| | !(.,)   (.,),! レヽ |  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       |!.{///  、    ////ノ |  | ねえ、渡海さん
        !, \ (⌒⌒)  /i! ,i,l.| .< いつまでこすってればいいの…って
o O 。。  ~^^ `г― i´ ^^~     | やだっ、何これ〜っ!?
  。O o  。 -/ \ _/ ヽ―,- _    \________________
ドピュッ  /| | \/|o|ヽ/ | | i ~ヽ
  || o/∩| |   | |  _|_ |_|   ヽ
 ||./二ニヽ|||シュッ | |  |6年3組|    |
 ||| ―-、)ヽ||シュッ|o |  | 西 村 ||    |
 ||| 二ヽ)_ノ||   | |   ̄「 | ̄||    |
シュッゝC| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ./⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) < ああ先生ぇ〜、現役小○生の手コキこそ至福ーっ!
 /  _  ゝ___)(9     (` ´) )  \_______________
/  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
  )           (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)
_/           \____/

107 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/09(木) 10:04:15 ID:9tZ/l0M1
>>79
>教行信証の眼目があるのではないか。

 「教行信証の眼目は何か。」
 面白いと思うので、この問題について書いてみます。2,3日後。


108 : ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/08/09(木) 10:20:41 ID:s3CdFJ7x
   /::::::::::::::::::::::::::\                  _
  /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\             /  ̄    ̄ \
  |:::::::::::::::::|_|_|_|_|           /、          ヽ はぁ?黙ってろカス
  |;;;;;;;;;;ノ   /,, ,,\ ヽ          |・ |―-、       |
  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      |
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)          ノ_ ー  |     |
/|   <  ∵   3 ∵>          \. ̄`  |      /
::::::\  ヽ        ノ\           O===== |
:::::::::::::\_____ノ:::::::::::\        /          |

109 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 10:35:05 ID:yq9R8kON
歎異抄の第9章に「よろこぶべきことをよろこばぬにて」というのがありますが
「おなじこころにてありけり」親鸞聖人はよろこびを得てなかったのでしょうか?
(教行信証には信心を得た歓喜の言葉と取れる個所が数箇所あります)

この歎異抄の記述を取り上げて、親鸞聖人は示寂にいたるまで信仰の喜びを
得ることができなかった、とか最後まで「不信」であった、というふうに
結論する著作者もいるみたいです。

110 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 16:49:42 ID:NEL8gD/g
  皆様へ

このスレは年寄がたてました
手の混んだ質問は
御遠慮下さい.
又最近ぼけも始まり
目も悪くなりました.
御書込は大きな文字で
お願いします.
もし間違ったレスが出ても
笑顔でお読みになって下さい.
あと何年生きるかわか
りませんが,これからも
末長くよろしくお願い
いたします.

     スレッドオーナー

111 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:36:47 ID:5gRUT8Ss
>>105
体験発表の時間がある法話会に参加したことがないのでわからないです。
休憩時間は10分くらいしかないし・・・

112 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 18:46:18 ID:HWpMiqj9
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 .|        ::|_________     川|川. /  \ |〜
 .|        ::|| 一般ゴミ    火金|    ‖|‖-=・=-=・=-|〜
 .|        ::|| カンビン     水 |    .川川‖ U ( oo)U ヽ〜
 .|        ::|| 渡海難     毎日|.    川川  <∴)3(∴>〜
 .|        ::| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄    川川  ヽ     〜 /〜
 .|____......|.                 川川‖     〜 /‖
 ||:| :| ::| ::::|::|:||                川川川川\__/‖
 ||:| :| ::| ::::|::|:||    ヾMMM/        ヾMMM,,,;;;;;;,,,.MMM/
 ||:| :| ::| ::::|::|:||   / / ヽ \      / / /  ヽ ヽ  \
 ||:| :| ::| ::::|::|:|| ./  /     \   /    /       ヽ  \
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 ||:| :| ::| ::::|::|:|| .!            ! 真性レス乞食 渡海 難  ◆Fe19/y1.mI







113 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/10(金) 19:59:26 ID:dxIhg/nw
>>109
>親鸞聖人はよろこびを得てなかったのでしょうか?

 難しいな。僕は心理学者でもなければ、精神科医でもないんだ。僕と親鸞聖人とは、800年
の隔たりがある。彼とは直接遭ったことがない。歎異抄から類推しろと言われても、歎異抄は唯
円のフィルタがかかっている。唯円フィルタを通してその向こうの親鸞を見ろと言われても、乗
れる相談と、乗れない相談がある。

 「他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼ
ゆるなり」
 歎異抄の親鸞は一応こう言っている。まあ、僕は、個人的にはここに注目しているけど、これ
だって唯円のフィルタがかかっている。親鸞はどうだったの?と聞かれても、僕は神様じゃない
んだと答える外はない。

>教行信証には信心を得た歓喜の言葉と取れる個所が数箇所あります
ウムなるほど。いろいろ議論も出るところだろう。

 親鸞でなく、渡海難は自身はどうなんだと聞かれた方が僕は答えやすい。

 親鸞(他人)の心を心配するより、自分の足下を明るくする工夫をしたいものだ。

114 :神も仏も名無しさん:2007/08/10(金) 22:22:08 ID:xXEEFw/r
111さんへ。
とぼけなさんなよ。

115 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/15(水) 10:35:52 ID:2xUZnyW1
 教行信証の眼目は何か。考えてみよう。教行信証はいつ完成したか。教行信証に「末法に入っ
て六八三歳」という記載がある。西暦一二二四年頃、親鸞は教行信証を盛んに書いており、恐ら
く、このころは佳境に入っていただろう。親鸞は、関東に移住して十年以上過ぎている。親鸞は
五十二歳である。吉水時代から親鸞に離れずについて回ってきていた一番弟子の性信は三十七歳、
二番弟子の真仏は十五歳である。親鸞が法然に出会ったのが二十九歳のとき、法然と別れたのは
三十五歳の時である。性信は、既にこのころ親鸞の完全な後継者として完成期に達し、真仏など
有力な若者が続々と門を叩いていた。

 このころのことは、歴史家の古田武彦先生が研究している。吾妻鏡によると嘉禎四年(123
8年 親鸞六十六歳)七月に鎌倉の北條家から園城寺へ、一切経五千余部を奉納している。これ
に先立ち、寛喜三年(1231年親鸞五十九歳)七月にも一切経絵が行われたという記録がある。
 親鸞聖人正統伝では、親鸞が六十一歳の時、北条家の一切経校合の法会に出たと書いてある。
親鸞聖人正統伝は、徳川時代、高田派の資料を整理したものらしい。正統伝は、古田氏の研究で
史実と全体が2年のずれがあるが分かったそうだ。2年のズレをシフトすると、親鸞は五十九歳
の時一切経校合の法会に出た。これは吾妻鏡の記録と一致する。
 五十九歳の時の法会は、一切経校合の一つの段落が終わった打ち上げ式かも知れない。経典の
校合は、一年や二年でおわるものではないだろう。親鸞は五十代において、西蕃・月支の聖典、
東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得、聞きがたくしてすでに聞くことを得ている。

 当時の親鸞は、関東での実際の念仏布教活動は性信などに任せることができる余裕が生まれ、
自らは将来のために浄土真宗を体系的に示しておこうという意欲に溢れていた頃だろうと思う。

116 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/15(水) 10:36:23 ID:2xUZnyW1
 「真言を採り集めて、往益を助修せしむ。何となれば、前に生まれん者は後を導き、後に生ま
れん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさ
んがためのゆえなり、と。」

 教行信証の末尾のこの言葉は、当時の親鸞の心境を如実に表していると思う。そんな折り、親
鸞の元に重大ニュースが京都から飛び込んできた。京都吉水の同門に大変な事件が起きたのだ。
隆寛律師が流罪になったのだ。

117 : ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/08/15(水) 10:41:43 ID:Pg2JBf+k
                        _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'  
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !      
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
        /:;;/ |;;;''::;;|   丶\  `__>-ー´   !;;;:'''::iヽ、
          i/   |'::;;;;''|      三 ―''"       !''::;;;;| /ヽ
        /⌒ヽ  |;;''':::;|       \            !;;::''|/  i
         /     \{'';;;::''}          ̄二ニ=    !::;;|   |
        /ヘ     |;;:::::;{            ‐-      !/   |
        /  i     |:::;;;''!             ー       !  / |
     /   l     |;;'';イ                   }   {、
     〉、      ∧テ{ ヽ  _   _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_   ノ __,イ´
      / \_    //レ!      ̄           ̄ { ̄  |
    /    `ー::v'´/ | i                     i    |
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    i       /    ||                         ヽ  |

118 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 12:39:25 ID:IsWKXfLD
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119 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 14:56:41 ID:0N38rsA9
親鸞聖人は隆寛律師と安居院法印聖覚の著作に親しんでいる。
彼らは聖人と同じように天台僧であり、また同時に妻帯者だったという。


120 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 16:52:37 ID:d5SQZ9Zo
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121 :神も仏も名無しさん:2007/08/15(水) 16:53:32 ID:d5SQZ9Zo
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122 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/16(木) 18:06:50 ID://W0esU9
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) ) <ブログ(http://www.propatent.jp/)で弁理士制度に疑問を投げかけています。
   ノ|/ ∴ ノ  3 ノ、   人気ブログランキング(社会経済全般部門)で、
 /   \__ /"lヽノ  ヽ   皆様のおかげで遂に念願の50番内に入りました。
/   ,ィ -っ ( ,人)   ヽ   http://blog.with2.net/rank1550-0.html
|  / 、__ う |  | ・,.y  i  まあ、瞬間的かも知れませんが、今後もできるだけ50番内に入れるよう、ま
|    /    |  ⊂llll   |  たそれが持続
 ̄T ̄     |  ⊂llll /   するよう、鋭意努力をしていきます。
  |       ノ  ノ 彡イ   
  |   ヽ、(__人_)_,ノ|    今後ともよろしくお願いします 
  |      人    |
  ヽ、__ノ__ノヽ_
    ヽ ̄ ̄ノ^ | ̄ ̄ i

123 :神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 20:28:57 ID:q+/OyE+a
親鸞は結局現世で悟りを啓けなかったのにどうしてこれほど名僧として
伝えられているのでしょうか?


124 :神も仏も名無しさん:2007/08/16(木) 22:06:50 ID:z0gI95kH
>>123
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125 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:35:13 ID:DKP3BpJ0
>>119
 ちょっと脱線するようですが、今後の議論を左右するので、こちらに先にコメントしておきた
いと思います。

>彼らは聖人と同じように天台僧であり、また同時に妻帯者だった 

 隆寛は妻帯者だったという説があるようだけど、聖覚にもそういう説があるんですか?

 僕は、基本的に現代の歴史家妻帯僧が、中世の坊さんを指し、みんな「妻帯者」だったという
この説を余り信じないことにしている。朝鮮の坊さんも、日本の統治が始まる前は、みんな独身
だったそうだ。韓国で妻帯僧が出現するのは日本による統治以後であり、現代でも韓国には独身
僧が多いと聞いている。

126 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:36:05 ID:DKP3BpJ0
 例えば、蓮如上人は非常にたくさんの奥方がいたそうだけど、みんなそれが肉体関係のある奥
方だったかは、極めて疑問だ。徳川家康だって、肉体関係のない妻がいた。秀吉の妹だ。あれは
正妻というのは名ばかりで、実態は人質だった。家康との肉体関係はなかったろう。
 蓮如は非常に多くの歌を残している。その中に色恋を歌ったものがほとんど無い。無骨な仏法
の歌ばかりだ。あれだけ筆まめな蓮如の手紙の中に、色恋を表現している文章がない。おかしな
話だ。
 蓮如の時代は、応仁の乱から戦国の時代だ。戦に負ければ、大将だけでなく、妻子も一緒に殺
され、血が絶やされる。そんな時代、負けを悟った大将が予め女・子供を離縁し、蓮如に預けた
ということがあっても不思議はない。現代で言えば偽装結婚という形で本願寺がかくまったとい
う例が多いのではないか。蓮如の子供はみんな寺を作っている。戦国の武将達が血筋を守る最良
の方法、それが蓮如との偽装結婚、寺の建設ではなかったか。そのとき多額の支度金が本願寺に
払われたと考える。この辺は僕は歴史家の意見を聞きたい。

127 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/17(金) 00:36:52 ID:DKP3BpJ0
 隆寛に肉体関係のある妻がいたということも、僕はすぐには肯定できない。律師というからに
は、戒律僧であり、戒律僧として多くの人から尊敬を受けていた。その人に、肉体関係のある妻
がいたということは、僕は信じられない。
 確かに、隆寛には実子がいたそうだ。しかしこの時代、実子と養子とはどんな違いがあったん
だろう。
 空也上人の地蔵和讃を読むと分かるが、中世の坊さんは親のいない子を受け入れて育てること
が重要な仕事だったようだ。近親・血縁の子を預かり、その子を実子のように育てると言うこと
はあってもなんら不思議はない。実子がいたということは、実子のように育てた子がいたという、
当時の僧として極当然の事実があったと言うことだろう。しかし、だからといって、それは肉体
関係のある妻がいたということを意味するものではない。
 もし、隆寛に肉体関係のある女性がいたというなら、隆寛が歌った色恋の歌、恋文などを紹介
して欲しい。

 中世の僧、特に京都・奈良の僧はほとんど妻帯していなかっただろうと僕は思っている。それ
は、親鸞が妻帯していたことのいいわけに覚如が非常に苦労しているという事実の裏返しから、
僕はそう確信している。

 中世の僧は、肉体関係を持つ特定の女性は持っていなかった。僕はそういう仮説の上で自分の
議論を進めてみます。

128 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 14:08:08 ID:Dmvca3E9
大乘経全部学ぶの一生ではたりない そのため 抜粋する だから はたしてすべてを 理解するひとはいるのかね

129 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 15:34:01 ID:xnZtn4Ni
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130 :神も仏も名無しさん:2007/08/17(金) 19:57:37 ID:HQO5AtMq
法然上人は一切経を何度か読破されたそうです

131 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/19(日) 10:27:12 ID:0ooT+F9K
 親鸞が京都に戻ったのはいつか。教行信証の真筆本(坂東本)を性信に渡しているから、教行
信証が完成してからだろうと思う。少なくとも、坂東本は関東で書き上げ、その後に京都に行っ
たのだろう。
 親鸞は五九歳の時、熱病にかかる。この時のことを恵信尼は克明に記録しているので、この時
は親鸞は恵信尼と一緒に暮らしていたようだ。親鸞は恵信尼を京都に連れて行ってないと思われ
るので、この時はまだ関東にいたのだろう。すると、親鸞が京都に戻ったのはそれ以後と思う。
 天福二年(1234年 親鸞六二歳)、鎌倉幕府は念仏禁止令を出している。その時の状況に
ついて、親鸞は関東に手紙を送っている。つまり、この時は親鸞は京都にいる。関東から京都ま
での旅に耐えられるのは、年齢的に限界がある。せいぜい、この熱病が快癒したすぐ後ぐらいで
はないか、多分、六十歳の時ではないかと僕は想像する。
 恵信尼は京都に行ってない。これは、彼女の手紙から推測できる。恵信尼の手紙は「もんぞも
やかせ給てや候らんとて申候(下人の送り状まで火事で焼いてしまったそうなので、もう一度手
紙をお送りします。)」という一文がある。建長八年の手紙だ。この時は親鸞は八四歳、健在で
ある。
 恵信尼は、親鸞が関東から京都に向かった後も、孤児達の面倒を見る仕事をしていたのだろう。
その中には、身分の低い者もたくさんいたと思う。男子で、頭も良く、健康ならば、関東武者と
して仕官する道があったのだろうが、成長しても就職口のない者もいたのだろう。親鸞もいよい
よ高齢化してきたことで、恵信尼は下人として親鸞の元(実際には覚信尼〔親鸞の娘、本願寺創
設者〕)に数人の者を送っている。
 親鸞は京都に単身で向かった。あるいは、覚信尼が随行人だったかも知れない。京都に戻ろう
としたのが隆寛の流罪だったとしたら、親鸞は少なくとも数年間は関東で時がくるのをじっと待
ち続け、その後、いてもたってもいられないでまさに必死の思いで京都に向かったというそんな
姿が浮かんでくる。その時の心境は、教行信証の後序から読めてくる。教行信証の後序は坂東本
の中にも書かれているので、関東在住時に書いたものだろう。教行信証の眼目は、この後序から
うかがえると僕は思う。

132 :神も仏も名無しさん:2007/08/19(日) 11:34:01 ID:6BQ0nwSf
               _,. -‐1    ,. - ‐:‐:‐:‐:‐- 、
          _,. -‐:'´: : : : : |  , :'´::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.::.丶
     ,.イ ,.-:'´: : : : : : : : : : : ! /::.::.::.;.ィ::; ヘ::.::.::.::.::.::.::.::.::.:\
      /: ∨: : : : : : : : : : : : : : :l'/l:/::./ ,':/  i::.:ト、::.l、::.:!::.::.::.::.',
  ,. -:' : : : : : : : : : : : : : : : : : : : -┴-'.._l/    l:| i::| i::l::.::.::.::.::i
 ー‐ァ: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :`ーァ  l|  l|  l:|::.::.::.::.::|
   /: : : : : : : : : : >>1: : : : : : : : : : : : : : : :/  ー‐‐---、!ヘ::.::.::.::| 
  ,': : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :/    ┬--、  }::.:/::.!
  ! : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : ;.イj     {辷リ ′/::/!::/ >>1 ここはテメエの日記帳じゃねえんだよ。
 ノ: : : : : : : : : : : : : : : : : : :.:.:.:.:.. : :、/     ;         /〃ノ:/
´. .:.:.:.:.:.:.:.: : : .:.: : : .:.:.:.. : : :.:.:.:.:.:.:__:.:.ヽ   r―-,    /-:'´::;′   チラシの裏にでも書いてろや。
`ー---;.:.:.:..:.:.:.:.:..:.:.:.:.:.:.:.:...:.:.:.:.:.:.:.V ̄`ヽ、 `ー‐'   ィ;、:::∧:{
    /:.:.:.:._:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.|'´ヽ  rく` ト、. -‐'´ | `:く `
   厶-‐'´ |:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.|  _,.-‐! \  __,,. -‐''´ }‐:、
       _l;.ィ´ヽ:./ヽ:|'´ ,>‐'´: : く    ∨       > \
   _,r{`7  ̄{ ̄} ̄¨`‐く__ヽ_;,: -‐; :\       _,.-:'´: : : : : :>、
 ,.イ | 〉´ ̄ ̄ ̄:  ̄`ー‘v'´>‐_く : : : \___,,. -‐:'´: : :ト-、_;,.-'´  ヽ
r'l ! ,し′: : : : : : : : :}_ノ/ __,,.ヽ: : : : : : : : : : : : : : V       l
,Jー'´: : : : : : : : : : :`辷'_,,、 '; : : ∧: : : : : :_; -'´         |
  l´: : : : : : : : : : : : }´   l  l`ー':.:.:`ー:.'"´:〈         v'

133 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/26(日) 00:10:37 ID:w3PNv4P8
 教行信証の読者
 これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死
罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。

 流罪事件があったことは知っているが、流罪以前の親鸞を知らない。

 自己紹介
 僧にあらず俗にあらず。
 親鸞は僧ではない。しかしこれは、冤罪によって不当に僧儀を剥奪された結果である。自分か
ら僧位を放棄したものではない。
 
 僧儀を剥奪されているから形式的には僧ではない。しかし、この処分は不当なものであり、正
当性がない。従って自分は、形式的には非僧であるが、実質的には非俗である。

 このゆえに「禿」の字をもって姓とす。
 自分は禿と名乗っている。僧は剃髪する。剃髪者といえば僧である。しかし、髪を落としてい
ても、これを禿といえば僧ではない。
 形式的には禿という名を以て非僧を名乗るが、本質は剃髪者つまり僧である。



134 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/26(日) 00:11:34 ID:w3PNv4P8
 正当性のない処分によって形式上は僧ではなくなっているが、教行信証は、実質的な僧という
アイデンティティで自分の考えを述べる。

 教行信証の読者
 流罪処分は正当性がないということを言えば受け入れて貰える人に向かって教行信証は語られ
ている。
 流罪処分はなんら正当性がないという主張を受け入れて貰えるのは、法然亡き後の法然教団の
人々をおいて外にない。
 
 その後の法然の消息
 建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空(源空)、洛陽の東
山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入
滅したまう。奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。

 教行信証の読者
 赦免後の法然の消息を知らない人が含まれている。親鸞は消息を知っているということを明記
し、法然と深い関係のある者であることを証拠づけている。

135 :神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 04:37:58 ID:x+gIRcTa
性欲について質問します。親鸞の交わりは生涯、妻だけだったのですか?

136 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:27:34 ID:6tWczCO3
 自分をどうか信用して欲しい。私は決して怪しい者ではない。仏教の正規の修行を積み、見性
を得、法然上人から印可を得たも同然の人間です。どうか信用して欲しい。

 教行信証は、高僧から印可を得た僧であるかを問題視する集団に向かって説かれている。指導
者として信頼に値する人物かどうか、これを問題にする集団に説かれている。親鸞という人物を
全く知らない集団に説かれている。

 法然教団で隆寛が流罪になると、このとき幸西、空阿弥陀仏という僧も流罪になったらしい。
隆寛は当時、80歳である。承元の法難のとき処罰を免れた数少ない高弟の一人だ。法然が流罪
になると、法然教団は隆寛の下に教団を作っていた。

 80歳は、当時とすれば大変な高齢である。法然教団には、親鸞を知っている者などほとんど
いない状況だったと思う。親鸞は、この法然教団を立ち直らさなければならない。それが60歳
になった親鸞の新たな仕事である。親鸞はまず、自分がどのような人物であるか、それを人々に
必死に訴えることから始めなければならなかった。


137 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:28:12 ID:6tWczCO3
 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
 私は、建仁元年、1201年、比叡山を下りて法然上人の門に入りました。

 印可を得たも同然の僧であるとは何を根拠にするのか。それは、自分は選択集の書写を許され
た者である。親鸞はこれを根拠にしている。
 選択集とは外でもない。法然上人が関白藤原兼実の命により書いた念仏の奥義書のことである。
法然上人の教化を受けた者は非常に数多いが、その中で、選択集を書写させて貰えるような人は
非常に数が少ない。それだけではない。自分は法然上人の肖像画を描かせて貰っているのだ。そ
のよう者は、さらに数が少ない。
 法然上人からは印可を得る機会を得られなかったが、法然上人からここまで認められていたの
は自分が専念正業の徳、つまり真剣に念仏を称えてきた徳の表れであり、自分が往生決定したも
のであることの現れである。どうか、どうか自分を信用して欲しい。悲喜の涙を抑えて申し上げ
る。

 元久乙の丑(1205年)の歳、恩恕つまり法然上人の許しを得て『選択』つまり選択集を書
写しました。その年、初夏中旬、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往
生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字とを、上人自らがこれを書いてくださいました。
 その日、法然上人から上人の肖像画を描くように命じられ、それを書くと法然上人は、「南無
阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当
知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書きこんでくれました。

138 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/28(火) 09:29:10 ID:6tWczCO3
 また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢
りぬ。
 また、夢のお告げがあった言って、綽空の字を改め、善信という名を書いてくださいました。

 これは、師匠が弟子に印可を与えるときの行為とほぼ同等というべきでしょう。これはまさに、
決定往生の証拠であります。悲喜の涙を抑えて申し上げます。

 印可を得たも同然とは、印可を得ていないと言うことだ。僧籍がないということと、印可を得
ていないと言うこと、ここが親鸞の苦しいところと言うべきだろう。


>>135
>性欲について質問します。親鸞の交わりは生涯、妻だけだったのですか?

 妻帯の問題は、後日に議論しましょう。

139 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 03:14:47 ID:SSI0MyXz
>>136>>137>>138
この流れ結構いい。
教行信証は本気の人に書いたんだ。
和讃を掘り下げて貰えたら嬉しいのですが。

140 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 09:29:00 ID:rJKgnOK/
>>139
名無しで自作自演するな

141 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:17:26 ID:bwGYjrJS
 隆隆寛流罪後、法然教団を指導したのは、西山浄土教の祖の証空である。証空は、法然教団の
2度の法難でも流罪を免れた法然の高弟である。親鸞より五歳ほど若いが、法然教団では親鸞の
先輩である。一貫して法然に学び、法然から円頓菩薩戒を相伝している。宮中で貴族達に授戒を
行っている戒師である。当然、法然から印可を受けていただろうし、法然教団の中では明らかに
親鸞より上席である。
 京都に戻った親鸞は、最初にこの証空を尋ねたはずである。証空を介して人々に紹介して貰い、
教団の中では証空を補佐するという立場に立ったと思う。

 親鸞は京都で何をしようとしたのか。二度の法難で壊滅的な打撃を受けている人々をまとめ、
都での称名念仏の基盤の立て直しを図ろうとしたのだろう。
 前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざ
らしめんと欲す。無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり、と。
 教行信証末尾の親鸞のこの言葉は、当時の親鸞の心境をそのまま表していると僕は考えている。

 それでは、親鸞の思惑は功を奏したのか。鎌倉時代には本屋もなければ製本業者もいるわけで
はない。教行信証を人々に配布しようとすれば、人海戦術で書写し、証空の手を介して配布する
だけである。果たしてそれは可能だったか。関東時代には、それも可能と考えて執筆してきたの
だろう。しかも、親鸞は七十四歳の時に自力他力事(隆寛作)を書写し、八十二歳の時に一念多
念分別事(隆寛作)を書写している。隆寛の文書類が京都に戻ってから入手したものであれば、
証空教団とは、少なくとも当初は一応、親密な関係ができていたと考える。しかし、親鸞の方か
ら教行信証を配布しようすれば、証空などは抵抗したのではないだろうか。証空のほどの人物で
あれば、教行信証の論述を正確に読むことはできたと思う。しかし、その思想は、証空が法然か
ら受け継いだ思想と大きく離れている。

142 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:18:17 ID:bwGYjrJS
 広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑問を至してついに明証を出だす。
誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を
加うといえども、疑謗を生ずることなかれ、と(信の巻)。

 大無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経という三経を前提に、私は浄土論を読んできました。その
中で一心という本質を突く言葉に巡り会いました。一心は、阿弥陀経にも出てきます。阿弥陀経
が言う一心、世親が言う一心はどういう意味だろう。どうしてこれは三心ではないのだろうか。
法然上人は、大無量寿経の三心と観無量寿経の三心は同じであると言い、三心をもって極楽浄土
に往生すると教えていました。私は、しばらく疑問を抱いていたのですが、やっと経典と世親菩
薩の真意が分かりました。これもみな、先人達の偉大な働きによると考えます。
 私の考えは極めて突飛で、常識を越えているかも知れません。これを公表すれば、人々からど
のような批判を浴びるかも分かりません。しかし、私は批判を恐れず、敢えて公表したいと思い
ます。極楽浄土を求める方々、穢土を離れようとする人々よ、の考えに、何かを付け加えたり削
除したりするという批判は構いませんが、それを超え、法そのものに対する疑い・謗りだけは無
いようにしていきたいものと思います。

 親鸞は、自分自身が流罪を経験し、その流罪を原点に独自の思想境地を開いている。法然も流
罪を受けているが、証空は流罪前の法然から浄土教を学んでいる。まさに、法然浄土教の本流に
立っているというべきものだろう。京都に戻り、証空と再開したとき、親鸞は自分の考えが、京
都の法然・証空教団とは、思想的に大きく乖離していたことに改めて気づいたのではないか。親鸞
の三心思想は、証空から見れば法然の思想をラジカルに事実上解体していると映ったろう。

143 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:20:27 ID:bwGYjrJS
 親鸞思想は無戒の仏教なのだ。親鸞思想は、形式的には無戒という立場に立ち、実質的には現
実的に堅固に戒を守る。法然・証空は、形式的には有戒に立ち、実質的には大衆の破戒は広く抱
擁する。表向きで証空は親鸞を迎えただろう。親鸞は証空を補佐しただろう。表面的には極めて
和やかな雰囲気があったと思う。しかし、法然在世中とは異なり、思想的には互いに距離のある
関係ができていたと考える。

 関東から命がけで帰京した親鸞は、恐らく証空以上にラジカルに念仏を説こうとしただろうし、
また証空に対しては一歩下がって人々に接していたに違いない。証空は、弾圧をしたたかにかい
くぐる穏健さがある。親鸞のように証空までがラジカルに念仏を説けば、また弾圧を受ける。親
鸞と証空とは考えの立場が異なる。証空ではなく、親鸞に共鳴する人々が一人二人と生まれてく
れば、自ずから親鸞と証空とは、傍目にも距離が見えてくるようになったろう。

 証空は、宝治元年(1247年)に亡くなっている。当時親鸞は七五歳、関東とは頻繁に手紙
の往復を行っており、極めて壮健である。善鸞事件はまだ十年も先である。しかし、親鸞は、法
然・証空教団の後を継ぐことなく、むしろ関東に向けて盛んに著作活動を行っている。このころ
は証空・法然教団との実質的交流はもはや無くなっていただろう。

 建長八年、恵信尼は親鸞に数人の下人を送っている。複雑な事情で生まれた子供達を預かって
育てるのも僧の仕事である。関東では親鸞も恵信尼もそのような児童社会福祉事業を行っていた。
京都に戻った親鸞は下人を受け入れても養っていけるだけの経済的余裕があったようだ。日野家
との関係が復活していたのか、あるいは親鸞を支持する念仏者集団が京都の中で生まれていたの
かも知れない。
 「われはこれ賀古の教信沙弥の定なり」親鸞はそのようなことを言っていたようだ。教信沙弥
は、興福寺の僧で、還俗後、兵庫県加古川で川越人夫などをしていた人物だそうだ。京都の親鸞
も、そのような社会的事業をしながら半僧半俗の中で、旧法然教団とは距離のある独自の念仏道
を人々に説いていたと思われる。

144 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 10:47:28 ID:bwGYjrJS
>>139
>この流れ結構いい。
  喜んでくださっているようで、光栄です。

>教行信証は本気の人に書いたんだ。

 当初、関東では門弟用に念仏思想の体系書として書きだしたんだろうと思います。
 やがてそれは、帰京後の法然教団内での自分の復権の足がかりとしようとしたんで
しょう。法然教団では、高弟達が非常にハイランクの論文を発表し合うという雰囲気が
あったんだと思います。

>和讃を掘り下げて貰えたら嬉しいのですが。

 教行信証の眼目ということで書き出したのですが、一応ここで終わりとします。
 和讃は別の機会とし、親鸞の妻帯の問題を先に考えてみたいと思います。


145 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 11:12:15 ID:DIrEGb/N
                , -―- 、           |
           /-‐¬::r‐-:、丶      | 渡海のおっさんよ
           /:::, -‐┴'‐-、::::::::\     | 
        (:::/        _ ,丶::::::::)     | 精神安定剤やるから
         /  / /!   i ┐〈 \:'     / 
          /  /l_l |l  ハ._ l   ヘ,    ̄| 失せろ
          l /| l ィ'´勺´ ィ'´勺 l  丿     |
      ほ  \!ヘl.└ー┘ └ー┘l イ フ   \
      れ   Z/|〈 "   _  "ノヘ | フ        ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         /´ |/::゙' ‐ ゙=='..::'´:::::ハ|\
         / ̄\\::::::::▽::::::::/ 、 ヽ
      .厶、   l \/\/    l  |
     ∠、  l  /    l__l     |  |
  t_‐┴ 、 \  /――┴‐┴‐tー、'´  /
  / ⊂⊃ l__|/――-、, -‐と⌒\\ /
  し'uuu' /       |    (__ノー'
         /       |       ヘ
        '´ ̄ ̄ ̄ ̄´ ̄ ̄ ̄ ̄´`

146 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 11:53:41 ID:qt8ZreBI
      /     \
     /  / ̄⌒ ̄\
     /   / ⌒  ⌒ |   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    | /  (・)  (・) |   | てめーなんだよこの糞スレは!!
  /⌒  (6     つ  |   | てめーは精神障害でもあんのか?
 (  |  / ___  |  < 何とか言えよゴルァァァァァァ!
  − \   \_/  /    \__________________
 //  ,,r'´⌒ヽ___/     ,ィ
   /    ヽ       ri/ 彡
  /   i    ト、   __,,,丿)/        ζ           
 |    !     )`Y'''" ヽ,,/      / ̄ ̄ ̄ ̄\        
  ! l   |   く,,   ,,,ィ'"      /.         \ 
  ヽヽ  ゝ    ! ̄!~〜、       /           |    
  ヽ  / ̄""'''⌒ ̄"^'''''ー--、 :::||||||||||||||||||||||||||||||||| 
  Y'´          /    """''''〜--、|||||||||||||||||) 
   (      丿  ,,;;''  ....::::::::::: ::::r''''"" ̄""ヽ   |
   ゝ   ー--、,,,,,___      ::: ::,,,,,ー`''''''⌒''ーイ  ./
     ヽ      \  ̄""'''"" ̄   \____/-、
     ヽ       ヽ  :::::::::::::::::::: /          `ヽ
      ヽ  丿   )       /    ノ   ゝ ヽ ,〉
       ゝ      !      /            ∀
        !     |      /   人     ヽ   ヽ
        |     ,;;}      !ー-、/  ヽ _,,,-ー'''''--ヘ
          |ノ    |      |  /    Y        ヽ
         {     |      |   j      )  渡海    ヽ

147 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/08/30(木) 12:40:46 ID:bwGYjrJS
>>143
誤 抱擁
正 包容


148 :神も仏も名無しさん:2007/08/30(木) 15:06:07 ID:/XulXttB
さっさと親鸞の女性関係について書け!

149 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/31(金) 09:29:22 ID:Te/+m4SV
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>148 人に対してその言い方はなんだバカタレメー。
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   「さっさと書け」じゃなくて「教えてください」だろうが?。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  馬のションベンで顔洗って出直してこーい!
   (__/

150 :渡海 難  ◇Fe19/y1.mI:2007/08/31(金) 09:32:04 ID:Te/+m4SV
      。ρ。      
         ρ      
         mドピュッ
        C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
      /⌒ヽ⌒ヽ___   |  ∴ヽ  3  ) ああ、先生、逝くっハァハァ・・・
     ./  _  ゝ___)(9     (` ´) ) >>145-146 お前らもだ!
    /  丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|   馬のションベンで顔洗ってこいよ。
    _/ )          (   Y ̄ ̄ ̄ ̄)  2,3日カキコ不能、と言いつつまたすぐ来ます。
   (__/

151 :神も仏も名無しさん:2007/08/31(金) 17:33:00 ID:69yU1nOL
社会福祉家というのはちょっと賛同しかねるが、
帰洛後の親鸞と法然教団の関係(証空)を推察した
記事に出会ったことがないので面白かった

証空には「即便往生」という考えがあって、親鸞の即得往生とどう違うのか
など気になるトピックがたくさんある。




152 :神も仏も名無しさん:2007/08/31(金) 17:41:52 ID:jBzGFiAl
>>151
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153 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/01(土) 13:21:46 ID:rEsgPVeh
>>151
>社会福祉家というのはちょっと賛同しかねるが、
>帰洛後の親鸞と法然教団の関係(証空)を推察した
>記事に出会ったことがないので面白かった

 喜んで貰えたようで光栄です。妻帯論では、歴史家の古田武彦氏
の親鸞論を批判するところから入り、福祉家という点も含めて考えて
みたいと思います。

 2,3日カキコ不能です。

>証空には「即便往生」という考えがあって、親鸞の即得往生とどう違うのか
>など気になるトピックがたくさんある。

 証空論はパスします。僕の手に負えない。


154 :神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 19:47:32 ID:AVybkzQm
渡海難の進化
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |::::::::::::::::       |
       |::::::::::::::: ∪ \,, ,,/)
       |::( 6::ー──◎─◎)
       ..ノ::: (∵∴∪ ( ・ ・))
     /      ∵    3 丿
    /\    U   ___ノ
  /   .\     ____ノ\
        \______ノ  .\

           ↓
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
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       |::( 6::ー──◎─◎)    
       ..ノ::: (∵∴∪ ( ・ ・))
     /      ∵    θ丿      
    /\    U   ___ノ       
  /   .\     ____ノ\    
        \______ノ  .\



155 :神も仏も名無しさん:2007/09/01(土) 19:48:49 ID:AVybkzQm
           ↓
          ____
         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |::::::::::::::::       |
       |::::::::::::::: ∪ ノ  ヽ )  
       |::( 6::ー──◎─◎)    
       ..ノ::: (∵∴# ( ・ ・))
     /      ∵    ο丿      
    /\    U   ___ノ       
  /   .\     ____ノ\    
        \______ノ  .\

156 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 19:03:55 ID:pCNDOBzc
法然って死ぬ間際に念仏では救われないって言ったんだよな。
とんでもない裏切り者だよなw
それに騙された親鸞は地獄に堕ちたんだろうか。

157 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 20:16:24 ID:BS4Nd44K
言ってないし

158 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 19:03:13 ID:ZKqUrby+
インポ親父こと渡海難が包茎手術を受けた!
       ↓

    彡川三三三ミ
   川出 ::::::⌒ ⌒ヽ
  出川::::::::ー◎-◎-)
 ..川(6|::::::::  ( 。。))
 出川;;;::∴ ノ  3  ノ  < 手術前
   ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
  ( *  ヽー--'ヽ )
  (∵ ;)  ゚ ノヽ  ゚ ):)
  (: ・ )--―'⌒ー--`,_)
  (___)ーニ三三ニ-)
  (∴ ー' ̄⌒ヽωニЗ
   `l ・  . /メ /
    ヽ ∵  /~- /.
    (__)))))_)))))

    彡川三三三ミ
   川出 ::::::⌒ ⌒ヽ
  出川::::::::ー◎-◎-)
 ..川(6|::::::::  ( 。。))
 出川;;;::∴ ノ  3  ノ  < 手術後
   ノ\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
  ( *  ヽー--'ヽ )
  (∵ ;)  ゚ ノヽ  ゚ ):)
  (: ・ )--―'⌒ー--`,_)
  (___)ーニ三三ニ-)
  (∴ ー' ̄⌒ヽωニЭ
   `l ・  . /メ /
    ヽ ∵  /~- /.
    (__)))))_)))))

159 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:56:05 ID:t3LgcCvb
 親鸞妻帯論とは何か。親鸞妻帯論とは、仏教の戒律をどう考えるかという問題である。釈迦は三学
を立てた。すなわち戒・定・慧である。仏教は悟りを求める。禅定の無い悟りは存在しない。智慧の
無い悟りも存在しない。同じ論法で、持戒のない悟りも存在しないのだ。
 僧は結婚できない。これは、仏教の基本的な戒律の一つである。親鸞は妻帯していた。これは、歴
史上、ほとんどゆるぎない事実として考えていいだろう。親鸞の妻帯は、破戒なのか無戒なのか。戒
律の肯定なのか、否定なのか。念仏をベースに、戒律の本質を考えてみたい。私生活を覗き見主義的
にあげつらうことには、僕は興味がない。歴史上の人物である親鸞は自分と同じような人間だったの
か、違うような人間だったのか。そんなことは興味がない。僧は結婚してもいいのか、わるいのか。
そんなことは、親鸞に聞くような問題ではない。

 なお歴史的には、親鸞妻帯論は、親鸞が自分たちの師となりうるかのかという、師としての資質を
問うことに大きな問題があった。非僧者も破戒僧も、自分たちは師と仰ぐことはできない。仏法を他
人に語りかける資格はない。親鸞の妻帯論を考える場合、そのような教理史的な意味も忘れてはなら
ない。

 親鸞妻帯論を考える場合、教義的な議論の前に、歴史的客観的事実関係を明確にしておく必要があ
る。歴史的客観的事実関係の明確化は歴史家の仕事だ。インターネットに格好の問題提起が公表され
ている。親鸞は流罪前の京都時代から結婚していた。比叡山を下りるように誘った女性がいる。それ
は恵信尼である。そんな仮説が提示してある。提起しているのは、著名な歴史学者の古田武彦氏
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku3/j3shin7.html)である。古田武彦氏の仮説を見聞しなが
らこの問題を考えていきたい。

160 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:56:56 ID:t3LgcCvb
 恵信尼の手紙を紹介する。
 原文
 たヾごせの事はよき人にもあしきにも、おなじやうにしやうじいづべきみちをば、ただ一すぢにお
ほせられ候しを、うけ給はりさだめて候しかば、しやうにんのわたらせ給はんところには、人はいか
にも申せ、たとひあくだうにわたらせ給べしと申とも、せゝしやうじやうにもまよひければこそあり
けめとまで思まゐらするみなればと、やうやうに人の申候し時もおほせ候しなり。

 漢字書き替え
 唯、後世の事は良き人にも悪しきにも、同じように生死出ずべきみちをば、唯一筋に仰せられ候い
しを、受け給わり定めて候いしかば、上人の渡らせ給はん処には、人はいかにも申せ、喩ひ悪道に渡
らせ給うべしと申すとも、世々生々に迷いければこそありけめとまで思い参らする身なればやと、様
々に人の申し候いし時も仰せ候いしなり。

 意訳
 常に、いまの環境は何時激変するか測り知れない可能性があります。いまの行動・いまの思いがこ
れ以上一歩も続けられなくなり、自分はもう生まれ変わって人格を変え、全く別の思い・全く別の行
動を選択して行かなければならなくなるときがくるものです。それはいつ来るかわからない。同じ人
格ではいられないような「後の世」というものは、善人にも悪人にも同じように起きてくることです。
 法然上人は、生(再生)・死(挫折)・生・死を繰り返す危機を克服して行く手段を、ただひたす
ら仰っておられました。親鸞聖人は、法然上人からそういうお話を伺い、決意を固めたのです。法然
上人に、どこまでもどこまでもついていこう。他の人が押し留めようとしても、自分は法然上人が向
かうところには、どんなところにもついていこう。仮に法然上人が、地獄道・餓鬼道・畜生道に向か
えば、自分もそこについていこう。そう決意していたのです。

161 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/06(木) 10:58:03 ID:t3LgcCvb
 知恵が無く、ひたすら欲望だけに突き動かされていくけだものの道に法然上人が向かえば、自分も
そこについて行こう。欲望に支配され、しかも腹が満たすことのない飢えた鬼のように、一瞬の休み
無く欲望に追い立てられていく餓鬼の道に法然上人が向かえば、自分もそこについて行こう。欲望だ
けがひたすら膨れあがるだけで、身は微動もできない地獄の道に法然上人が向かえば、自分もそこ
について行こう。
 自分の身をふり返れば、自分はそれと同じような世界にいたわけです。生(再生)・死(挫折)・
生・死を繰り返し、地獄道・餓鬼道・畜生道と紙一重の世界にあったわけではありませんか。法然上
人がそこに向かうと仰れば、お供しない理由はありません。
 色々な人が、親鸞聖人にいろいろお話ししてきたとき、親鸞聖人はこのように切り返してお話にな
っていました。

 原文を見よう。「候し」という言葉が4回でている。この「候し」は、恵信尼の使用例でみると、
必ず叙述者の過去の直接経験を示している。つまり、これは恵信尼が 過去に直接経験した事実の表
記であるという。

 「唯一筋に仰せられ候しを、受け給わり定めて候し」は、恵信尼が過去に直接経験した事実である。
言い換えれば、伝聞ではない。恵信尼の文例で考えると、伝聞の場合は「きゝ候し」という言葉を使
っている。

 親鸞が善鸞を義絶したときの書状の中に、「(親鸞は)まゝはゝにいゐまどわされたる」「(親鸞
を)まゝはゝのあまのいゐまどわせり」とある。継母とは、善鸞からみた恵信尼を指す。

 恵信尼は、娘に親鸞が比叡山を脱出したときのことを話している。比叡山脱出のとき、恵信尼はそ
の経緯をそばにいて直接目にしていた。恵信尼が親鸞を比叡山から誘い出し、そこで結婚した。古田
武彦氏はそう言う仮説を立てている。

 この問題を考えてみる。

162 :\                              /:2007/09/06(木) 10:59:37 ID:tp8gcxvW
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。 
     /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::)
     (::::::::::/  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
    (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)
   (::::::::::/彡彡彡彡彡。臭 ミミミミミミミ :::::::::::)
   ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
    | =ロ -=*=-    ‖ ‖     -=*=-ロ===     
    |:/ ‖    / /ノ  ヽ \     ‖ ヽ|ヽ
    |/  ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ.   ..| |
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   ( 。;・0”*・o; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o )
   (; 8@ ・。://□ ̄ ̄■□\:\.”・:。;・0.)
.   \。・:%,: )::::|.       | ::::(: o`*:c /
    \ ::: o :::::::::\凹□ 凹/  ::::::::::   /
      (ヽ  ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_   ノ
        | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/| 

163 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/07(金) 22:31:39 ID:2hz3yRvq
 古田氏の主張によると、親鸞の比叡山脱出のとき、恵信尼がその経緯をそばにいて直接目にし
なかったとしたら(通説:越後結婚説)、4箇所の「候し」は伝聞となるべきで、「・・・・・
と仰せ候し由、聞き候しなり」といった文形にならねばならぬという。

 4箇所の「候し」のどれが「聞き候し」になるのか。全部が「聞き候し」になるのか、この辺
はよく分からないが、そのような主張をしておられる。

 僕はこの恵信尼の手紙を読んで、全く違和感がない。「たヾごせの事は 〜 思まゐらするみ
なればと」の全文が、「おほせ候し」ということなのではないか。つまり、「たヾごせの事は〜 思ま 
ゐらするみなればと」いう話を、親鸞が訪問者に言って聞かせていたのを、恵信尼は横で聞いて
いたのだろう。親鸞が直接体験していたことを直接話法で恵信尼は手紙の中に書いている。た
だそれだけのことではないか。最後の「・・仰せ候いしなり。」だけは、恵信尼の体験であり、「この
ように話しているのを私は横で聞いていましたよ」ということだろう。

 親鸞が話し手、恵信尼が直接の聞き手となって話されたこと、これを手紙に書けば、「聞き候
し」になるだろう。しかし、第三者に話していたのを臨場感溢れるまま、直接話法で書けば、
「候し」になるだろう。
 この手紙は、法然上人の下を親鸞が尋ねる前から恵信尼は親鸞を知っていたことの根拠にはな
らないと考える。その意味で、古田氏の主張は一角が崩れていると考える。

164 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/07(金) 22:32:32 ID:2hz3yRvq
 古田氏は京都結婚説を主張している。京都結婚説の根拠として、古田氏は「親鸞夢記」という
資料を提示し、これは本物だという。
 親鸞夢記という古文書がある。これは、高田専修寺にある。親鸞夢記には、親鸞が見た夢を三
つ紹介している。その中に、有名な「行者宿報設女犯」の詩が書かれている。これは、本願寺聖
人伝絵にも載っている。法然上人の下を尋ねる前、観音菩薩から「自分が貴方に抱かれよう」と
いう夢をみたという話である。親鸞夢記には親鸞の署名もある。親鸞の本物の署名があれば、そ
ういう夢を見たという話は現実味を帯びてくるだろう。親鸞は観音菩薩の許しを得、僧として京
都時代に結婚に踏み切ったという話は現実味を帯びてくる。
 しかし、親鸞の署名があるといっても、筆跡鑑定の結果、署名は親鸞ではないことが明らかに
なっている。この文書は、学会ではほとんど問題にされてないと古田氏は言いつつ、古田氏はこ
れを本物だという。親鸞の直筆の記録があり、それをそのまま写したものだろうという。文体・
表現方法が親鸞の文章にそっくりだという。

 まあ、親鸞の近くにいた人が書いたものだろうが、親鸞が直筆で書いた原本が別にあるとは、
僕は信じられない。原本が別にあるかどうかは、そのような直筆の原本が発見されたときに議論
すればいい。文章を似せて書くことは、他人でもできることがある。少なくとも、文献的には、
親鸞が若き京都時代から結婚していたということを示す客観的証拠は存在しない。

 思想的にはどうか。僕は親鸞の人となりから、僧の身で結婚するような人だったとは考えられ
ない。それは彼の戒律に対する考えからそのように類推する。親鸞の戒律観を見てみよう。

165 :\                              /:2007/09/07(金) 22:54:09 ID:xEDArjiI
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           O 。 
     /::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::)
     (::::::::::/  ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
    (:::::::::/ 彡  ノ   ノ  :: 彡:/)) ::::::::::)
   (::::::::::/彡彡彡彡彡。臭 ミミミミミミミ :::::::::::)
   ( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
    | =ロ -=*=-    ‖ ‖     -=*=-ロ===     
    |:/ ‖    / /ノ  ヽ \     ‖ ヽ|ヽ
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      (ヽ  ヽ:::: _- ::::: ⌒:: :::::::: -_   ノ
        | \ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/| 

166 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/12(水) 11:37:52 ID:ZYrkIW+v
 親鸞は、流罪で僧籍を剥奪され、受戒の効果を失った。文字通り無戒に戻った。それでは親鸞
は、戒律を否定し、あるいは無視するような人だったのか。親鸞は関東から帰京するにあたり、
関東のお弟子さん達に次のような文書を残している。 (専修寺蔵 宗祖真筆)

 浄肉不浄肉の文
 涅槃経に言わく。人、蛇、象、馬、獅子、狗(いぬ)、猪(いのしし)、狐、猿、驢(うさぎ
うま)、十種不浄肉。又言、三種浄肉。見・聞・疑。見といふは、わが目の前にて殺す肉を食す
るなり。聞と言うは、我が糧に採りたるを食するを言ふ。疑といふは、我が糧かと疑ひながら肉
食をするとを言ふなり。この三つの肉食を不浄と言ふ。この三つの様を離れたるを三種の清き肉
食と言ふなり。

 親鸞は、戒律というものを全く無視するというタイプの人だったのか。もしそうであれば、こ
んな文書は残さなかったろう。親鸞からこのような文書を渡されたお弟子さん達も、これを数百
年間も守り続けるということは無かったろう。親鸞自身は、流罪で受戒の効果を形式的には無く
なっても、戒律は堅持しなければならない。そう考えていたからではないか。
 親鸞は肉食をしたと言うことを梅原猛さんなどは重大視している。自ら哲学者だと名乗り、肉食
は破戒行為だという。哲学的に見て、肉食はどこが破戒行為なのだろうか。親鸞以前に肉食をし
なかった僧がいたのだろうか。僧は、動物質タンパク質を摂取する必要はなかったのか。必須タ
ンパク質を摂取する必要はなかったのか。

 親鸞は、戒律を破って肉食をしていたわけではない。親鸞の肉食は戒律の範囲内で行っていた。
僕はそう信じている。法然は、自らは持戒堅固の僧でありながら、第三者の破戒は広く包容する
懐の広さをもっていた。親鸞は、受戒の効果を失いながら、自らにも、人々にも、合理的な範囲で
は持戒を勧める人だった。ぼくはそう考えている。

167 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/12(水) 11:40:07 ID:ZYrkIW+v
 静岡県に登呂遺跡という弥生時代の遺跡があり、当時の水田の跡が残っている。弥生時代は、
稲の北限は恐らくあの辺だったんだろう。登呂よりもさらに北方には、古代の水田の跡がほとん
どない。
 稲が津軽海峡を渡ったのは明治のことだ。先人達は北海道で大変な苦労をして稲を育てた。戦
前は、東北地方でさえ、毎年のように冷害で苦しんでいた。宮沢賢治などは農業試験場の研究者
として過労の中で死んでいった。
 鎌倉時代、関東・東北の人は何を食べていたのか。栗・粟・蕎などを食べていたのだろうが、
土壌の貧弱なところでは、人々はタンパク質を何から摂取していたのだろうか。当時、関東北部
で生活しようとする場合、狩猟し、肉食をしなければ、人々は事実上生きていけなかったのでは
ないだろうか。
 狩猟・肉食をしなければ事実上生きていけない地で、敢えて「浄肉不浄肉」の文書を残したと
すれば、それはどういう意味があるのか、これは、漁民や狩人に向かって残した文書ではないだ
ろう。関東では、東大寺や比叡山のように、正式に受戒して出家できる寺は、国分寺・国分尼寺
以外になかった。国分寺・国分尼寺が廃寺になれば、正式な受戒の道はない。それでも、自ら僧
の宣言をする僧がいた。関東の親鸞集団の回りにはそういう人が多かった。親鸞は、そういう人
々に向かって戒律を教えていた。生活上では必要不可欠の肉食についても、親鸞は、戒律が認め
る肉食の限界を提示した。自ら僧であろうとする者は、決して戒律を忘れるな。親鸞はそう説いてい
るのだ。

 戒律を重視する親鸞の考え方は、五会法事讃略抄から学ぶべきである。本願寺がこれを聖教デ
ータベースから外していることは残念に思っている。親鸞の基本的スタンスを考えた場合、教行信
証に次ぐ極めて重要な文書、歎異抄などとは比べものにならないほどの重要な文書と考えている。

168 : ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/09/12(水) 12:10:35 ID:QMIEmsVN
 O
      o                        と
       。 ,. -ー冖'⌒'ー-、            思
       ,ノ         \            う
       / ,r‐へへく⌒'¬、  ヽ          キ
       {ノ へ.._、 ,,/~`  〉  }    ,r=-、  モ
      /プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く    /,ミ=/  オ
    ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐'  リ,イ}    〃 /  タ
   / _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ    〃 /   で
  ,/ └' ノ \   こ¨`    ノ{ー--、〃__/    あ
  人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\  っ
. /   |/ |::::::|、       〃 /:::::/    ヽ  た
/   |   |::::::|\、_________/'   /:::::/〃

169 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/13(木) 11:02:41 ID:Ony+bt5I
>>168
>と思うキモオタであった

 苦笑。

 浄土真宗教団が全く顧みてこなかった親鸞真筆の文書「浄肉不浄肉の文」を掘り
起こし、それを根拠に、上記のように思うキモオタであった。

 まあ、折角コメントを書くなら、端折らずこのくらいのことは書いても罰はあた
らんだろう。



170 :神も仏も名無しさん:2007/09/13(木) 11:54:40 ID:4zmJm/Ie
>>169
早く職安へ行って職探せよキモヲタ
もうすぐ60になるおっさんのくせに昼間から2chかよ

171 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:00:39 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

           親鸞
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
 \::::: \:::::::   (::: |    ,.:':'゙'゙'゙:゙'゙':';.,      川川;;;::∴ ノ  3  ノ
 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

172 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:02:36 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

           釈尊
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
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 /:::\::::: \:::    ヽ|  r゙ ,.: :;;;:: : : : :;          \_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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\::::::::::   ミ(;;; );; ) |      :::::::::: : : : : ::: ::  ::         イ
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

173 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 14:03:39 ID:Q6O6ofXU
〜渡海の脳内〜

         阿弥陀如来
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
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(:::::::: (ミ:  ・ ノ:::・/:::|               川(6|::::::::  ( 。。)) <ああ先生ぇ〜
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              i, , '-, ゙'ー'ー'          ヽ、`,ー、  `'ー'ー'

174 :南無大師遍照金剛:2007/09/16(日) 22:31:04 ID:IBHDQ9Va
ヽ(´∇`)ノ

175 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:12:25 ID:CJ7QpdGL
 親鸞は戒律というものをどう見ていたか。親鸞の遺文の中で、戒律について法然の影響を直接
受けていると思われるものが、僕には見あたらない。法然は叡空から大乗戒律を学び、印可を得
ている。釈迦から相承されてきた正当仏教の相承を法然は叡空から得ている。しかし、親鸞は、
戒律観に関しては法然を継承してない。僕はそう思う。法然が天台の著名な戒師であったという
点を考えると意外な感じがする。戒律に関し、親鸞は、直接法照の考えに立っていると考えるの
が最も素直な考えだろう。

 関東から京都に戻るに当たり、親鸞は関東のお弟子さんさん達に『五会法事讃略抄』を残した。
恐らく、一切経の校合の際、親鸞は北条家から『五会念仏法事儀讃』を一時的に借用し、あるい
は書写し、それを下にして製作したものだろう。独自の考えで抜粋、編集しなおしている。

 五会念仏法事儀讃は法照禅師の作である。後善導とよばれ、中国仏教全盛時代、すなわち唐の
時代、唐朝廷の直近にあって全盛の中国仏教を指導していた。日本朝廷が派遣した遣唐使留学生
を、中国朝廷の側で迎え入れる立場にあったのがこの法照である。平安時代最後の遣唐使である
日本天台宗の三祖、円仁大師が日本に持ち帰ったのが、法照禅師の『五会念仏法事儀讃』である。
日本からの政府留学僧は、自分たちが滞在していたその時代に中国で最も権威ある仏教を教わっ
てきた。

176 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:13:31 ID:CJ7QpdGL
 法照は唐仏教の全盛期、全盛仏教の頂点に立って正当派北宗禅を指導していた。法然・親鸞は
円仁大師が日本に持ち帰ったその法照禅師の北宗禅を比叡山で学んでいる

 五会念仏法事儀讃については、教行信証でも親鸞は触れている。しかし、教行信証では重要部
には余り深くは踏み込んでいない。教行信証で言い尽くしてない思想部で不明確な部分が『五会
法事讃略抄』では補完的に陳述されている。親鸞思想は、教行信証が主要論、五会法事讃略抄は
補完論という位置づけにあると考える。五会法事讃略抄には何が書いてあるのか。親鸞の真筆本
を読んでみよう。
 なお、五会法事讃略抄で行っている議論が、教行信証から外し、あくまで補完論という従属的
な形で残してあるというのは、親鸞の思想が重層的、立体的な構造を有しているということを意
味する。
 親鸞は、曇鸞、善導の文書については、『五会法事讃略抄』のようなまとまった略抄文類を残
していない。教行信証を別格にすれば、親鸞の遺文の中で『五会法事讃略抄』が最も長い。善導
の文書についての略抄文などは、場合によれば歴史の中で散逸しただけかも知れない。あるいは、
未発見の中に埋もれているのかもしれない。しかし、恐らく実際にも遺してないのだろうと僕は
思う。もしそうであれば、親鸞が法照禅師に傾けた思いは、曇鸞、善導に傾けた思い以上である
と言っていいのかも知れない。親鸞のなみなみならない思いがここにある。
 意訳に先立ち、漢文書き下し文で紹介する。法照は、正法と真宗との二つの重要性を説いてい
る。正法は禅と戒である。その教えに親鸞は必死に耳を傾けている。これは、『浄肉不浄肉の
文』を遺した親鸞の思想の基盤にある考えである。

177 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:14:21 ID:CJ7QpdGL
正法楽賛   依仏本行経 依浄土楽知
正法楽正法楽正法不思議  正法楽        釈迦如来因地の時  正法楽
歴劫苦行不思議なり  正法楽          頓に身財を捨てて妙法を求む  正法楽
唯仏と仏とのみよく知りたまへり  正法楽

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
成仏より四十九年余  正法楽          彼の国を経行し、五天に遊びて  正法楽
普く衆生を勧めて懇ろに念仏せしむ  正法楽   示し教へて戒を持ち及び禅を修す  正法楽

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
涅槃已後一千年                法教流転して此の間に到る
衆生転読して行学に依り             成道果を示して、天に生ず

正法能超出世間   正法楽
衆生仏に随いて西方に到れば          微塵故業自ずから消亡す
如来願力をもてまのあたりに加被したまふ    聞法悟道して真常を證す
何者をかこれを名づけて正法と為る       若しこの道理ならばこれ真宗なり
好悪この時にすべからく決着すべし       一々に汝くはしく朦朧とすることなかれ

正法能超出世間   正法楽
持戒坐禅を正法と名づく            念仏成仏これ真宗なり
仏言を取らざるを外道と名づく         因果なしとの見を発すれば空となす
                                          つづく

178 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:30:16 ID:CJ7QpdGL
正法能超出世間   正法楽
禅律如何これ正法なり             念仏三昧これ真宗なり
了心を見性せばすなわち是仏なり        いかんぞ道理相応せざらん

正法能超出世間
念仏は声声に仏種を下す            坐禅持戒は真功を用いてなり
汝若し修せずてすなわち仏になるといはば    喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふがごとし

西方楽賛  依阿弥陀経
西方の進道は娑婆にすぐれたる 西方楽     五欲及び邪魔の縁なきによりてなり。
成仏するに諸善業をわずらわず 諸仏子     華台に端坐して弥陀を念ずるをもてなり

西方楽西方楽
西方浄土不思議 人間楽に着することなかれ   五濁の修行は退転多し 西方楽
念仏して西方に往かむには如かず 西方楽     かしこに到れば自然に正覚を成る 諸仏子
苦海に還来して津梁を作す 人間楽に着することなかれ
                        万行の中に急要にして 西方楽
迅速たるは、浄土門に過たるはなし
                    ただ、本師金口の説きたもうのみにあらず 諸仏子
十方諸仏も共に伝へて証したもふ 人間楽に着することなかれ
                    此の界に一人仏名を念ずれば 西方楽
西方にたちまち一の蓮の生ず 西方楽      ただし一生常に不退なれば 西方楽
一華還りて此の間に到りて迎ふ 人間楽に着することなかれ

179 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:32:39 ID:CJ7QpdGL
 このスレでは、最近小うるさいポンチ絵の荒らしが目立っています。荒らしが入るというの
は、2ちゃんねるでは良スレの勲章のようなものです。
 ポンチ絵は見たくないという人は、アボーン機能のついた2ちゃんねる専用のブラウザ(2ち
ゃんねるビューア)を使い、アボーンして見て下さい。
 アボーン機能とは、自分の見たくないコメントだけを選択して消してくれる機能です。荒らし
は必ずアドレス欄にsageと書きますから、アドレス欄にsageと書かれているコメントをアボー
ンで選択設定にするといいでしょう。
 まあ、荒らしを嫌がっていれば2ちゃんねるで良スレを維持することはできないと、腹を括れ
ば問題はありません。念仏の広まり候らわんことも、仏天の御計らいに候べしという教え
もあります(消息集)。
 荒らしではない質問などはアドレス欄にsageと書かないで下さい。荒らしと間違われ
てアボーンしている人が見えません。

180 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/18(火) 11:46:39 ID:CJ7QpdGL
 追加
 念仏の広まり候らわんことも、仏天の御計らいに候べし。

 念仏が広まっていかないと言うことがあれば、それも仏
天の意思による(我々にはどうしようもないことだ)。

181 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 14:26:38 ID:LJbUGO34
>>179
>このスレでは、最近小うるさいポンチ絵の荒らしが目立っています。荒らしが入るというの
>は、2ちゃんねるでは良スレの勲章のようなものです。

お前アホか?良スレじゃなくて糞スレだから荒らされてるんだよ。
つーか荒らしが入ったスレは良スレって誰も言ってないし。あ、渡海難とかいうキチガイだけか。

182 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:47:44 ID:WEQG7f/Q
糞スレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
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          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
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        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

183 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:48:42 ID:WEQG7f/Q
クソスレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
             ゙'.     ,ト `i、  `i、    .、″
                |    .,.:/""  ゙‐,. `    /
             `  .,-''ヽ"`    ヽ,,,、   !
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               、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''`  .,"-、
              ,r"ツぃ丶  ``````   ../  `i、
          ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´    .l゙`-、
         _,,l゙-:ヽ,;、、             、、丶  ゙i、,,、
        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
  ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".`   `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'":      _.‐′  丿  ,!
 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
   ``ヽン'`"`  : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^    ,、‐'"`
      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

184 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 23:49:20 ID:WEQG7f/Q
くそスレ晒しage!
               |    丶 _    .,!     ヽ
               >     ``‐.`ヽ、  .|、     |
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             `  .,-''ヽ"`    ヽ,,,、   !
                、,、‐'゙l‐、      .丿 : ':、
               、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''`  .,"-、
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        ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`":    │ `i、
      、、::|、、、ヽ,、、.    ```: : : ```      、.、'`  .|丶、
     .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´    l゙  ゙).._
    ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、  : `"```¬――'''"`゙^`     : ..、丶  .l゙ `ヽ
   ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、           、、...,,,、−‘`   、‐   |゙゙:‐,
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 j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、    >>1     、._,、..-‐:'''′   .、,:"  丿
 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"`  ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": `      、._./`  ._/`
  `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: :                   、.,-‐'`   、/`
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      `"'゙―-、,,,,..、、                 : ..,、ー'"'`
           : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``

185 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/19(水) 10:12:48 ID:7vHUBRjg
>>179
 ポンチ絵を見たくないという方へ。

 アボーンの設定でアドレス欄のsage表示を全てアボーン設定 (レスの選択的消去) することは
得策ではないようです。私自身も、今後sage表示は使いたいと思います。

 NGワードとして、    \ , ☆ ...    以上の四つの記号を入れると、ポンチ絵は消えます。参
考にしてみてください。

 まあ、アボーン設定を入れると、他のスレッドにもアボーン効果が及びます。親鸞仏教質
問箱以外は、アボーン設定していないブラウザで見るといいでしょう。

 良スレは荒らしから逃げられないのが2ちゃんねるの宿命です。良スレを閲覧するには
多少の不便も覚悟が必要と言うことでしょうね。  (苦笑)

 なお、ピリオド記号を3つ並べてあるのがあります。ピリオド記号を二つの場合、リンク記号の入った
レスまでアボーンしてしまいますのでまずいようです。
> / :    をアボーンすると、リンクが入っているレスまで消えますから注意しましょう。

 今後、上記の四つの記号だけで消えないポンチ絵が登場したら、またいたちごっこで
考えましょう。
 私の方は、基本的には半角は使用しません。全角だけを使用します。親鸞仏教質
問箱は、一応そういう方針で行きたいと思います。


186 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:02:09 ID:6HHZYkyL










カルト親父

187 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 12:03:02 ID:6HHZYkyL

















さっさと職探せよ

188 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/19(水) 12:52:18 ID:7vHUBRjg
>185
 分かりました。いままでJaneをつかってきたのですが、A Bone2 がいいようです。
 2ちゃんねるビューアはA Bone2がお勧めです。
 一時的にアボーンを作動させたり解除したりする機能がついています。二つのビューアを兼用する必要がない。
 ピリオドを二つつなげた記号  ..  をアボーン設定しても>>記号のスレッドをアボーンすることもない。
 

> 186-187 などは個別にアボーンしましょう。

189 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 18:00:51 ID:Zxe2+DQu
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190 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 18:01:32 ID:Zxe2+DQu
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191 :迷える子羊:2007/09/19(水) 21:03:23 ID:Z5D0Rm+T
法然・親鸞を最近読書している者です。
スレを一読したいへん勉強になりました。
ところで、荒らしているのはどういう人達でしょうか?

192 :神も仏も名無しさん:2007/09/19(水) 21:14:20 ID:tvRoD3Ns
>>191
ここは基地外が立てたオナニースレなのでageないでください。

糞スレ(自称「良スレ」)は荒らされるのが基本です。
良識のある宗教板住人がヒマを見て荒らしてるだけです。

193 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/20(木) 10:12:00 ID:bSfRD88v
 渡海難が、NGとしてアボーンした記号と単語をお知らせします。
 ポンチ絵がうるさいんで、単語は登録する必要はないかもしれないけど、小うるさい
単語も含めました。

    \ :: ,,  ... ` ★☆ オナニー 糞 おなにー


>191
> スレを一読し、たいへん勉強になりました。
  大変光栄です。

>法然・親鸞を最近読書している者です。
  巷で言われている親鸞思想とは、ひと味もふた味も違うでしょう。
  原典を読んでみて、巷の親鸞論に疑問を持ったら、2ちゃんねるを覗いてみてください。
  考え方のヒント、疑問解決の糸口のようなものが見つかるかもしれません。

>荒らしているのはどういう人達でしょうか?
  本人に聞くのが一番いいんだけど、本人達は言わないでしょう。それでも頭隠して尻隠
さず。
  彼らがどんな連中か、2ちゃんねるの真宗板では知らない人がいない公然の秘密で
す。それを言うと、また暴れ出す。(笑)  言わないでも暴れ出す。(笑)
  しばらくここに常駐していれば、意外な連中であることが分かります。

          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
   そうだよな。アラシ君!!(⌒▽⌒)アハハ!

194 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/20(木) 10:17:21 ID:bSfRD88v
(別スレにしないで送ってしまったので再送します。)


>191
> スレを一読し、たいへん勉強になりました。
  大変光栄です。

>法然・親鸞を最近読書している者です。
  巷で言われている親鸞思想とは、ひと味もふた味も違うでしょう。
  原典を読んでみて、巷の親鸞論に疑問を持ったら、2ちゃんねるを覗いてみてください。
  考え方のヒント、疑問解決の糸口のようなものが見つかるかもしれません。

>荒らしているのはどういう人達でしょうか?
  本人に聞くのが一番いいんだけど、本人達は言わないでしょう。それでも頭隠して尻隠
さず。
  彼らがどんな連中か、2ちゃんねるの真宗板では知らない人がいない公然の秘密で
す。それを言うと、また暴れ出す。(笑)  言わないでも暴れ出す。(笑)
  しばらくここに常駐していれば、意外な連中であることが分かります。


195 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 10:39:08 ID:EPGqXt6m
>そうだよな。アラシ君!!(⌒▽⌒)アハハ!





きもっ!!!!

196 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 11:27:52 ID:2zbRJsoq
渡海難って、安倍首相以上にKYな奴なんだな。

197 :迷える子羊:2007/09/20(木) 18:54:43 ID:INNa8GQK
191に書き込んだ者です。
家の宗教が浄土真宗なので
浄土門を勉強していますが
現世利益がないと解りちょっとがっかりです。
浄土宗で観音堂のあるお寺もあるのですが。。。
「親鸞会」も問題が指摘されているようですね。
渡海難さんはどうお考えでしょうか?

198 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:30:54 ID:3OiDoZjZ
観音と阿弥陀は いっしょと考えていいんじゃない 要は始まりの 理だから すべては 宇宙活動のながれだから

199 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:36:52 ID:Q1xcMrXQ
>>197>>198
クソスレあげるな、氏ね。

200 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:38:30 ID:Q1xcMrXQ
200

201 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 00:14:38 ID:3H8KucsA
> 197
> 現世利益がないと解りちょっとがっかりです。
> 浄土宗で観音堂のあるお寺もあるのですが。。。

現世利益和讃 十五首
阿弥陀如来来化して 息災延命のためにとて 金光明の寿量品 説き置き給える御教なり

山家の伝教大師は 国土人民を憐れみて 七難消滅の誦文には 南無阿弥陀仏を称なうべし

一切の功徳に優れたる 南無阿弥陀仏を称うれば 三世の重障皆ながら 必ず転じて軽微なり

南無阿弥陀仏を称なうれば この世の利益際もなし 流転輪回の罪消えて 定業中夭除こりぬ

南無阿弥陀仏を称なうれば 梵王帝釈帰敬す 諸天善神尽く 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 四天大王諸共に 夜昼常に守りつつ 萬の悪鬼を近付けず

南無阿弥陀仏を称なうれば 堅牢地祇は尊敬す 影と形との如くにて 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 難陀跋難大龍等 無量の龍神尊敬し 夜昼常に守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 炎魔法王尊敬す 五道の冥官皆ともに 夜昼常に守るなり

202 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 00:16:18 ID:3H8KucsA
南無阿弥陀仏を称なうれば 他化天の大魔王 釈迦牟尼仏の御前にて 守らんとこそ誓いしか

天神地祇は悉く 善鬼神と名付けたり これらの善神皆ともに 念仏の人を守るなり

願力不思議の信心は 大菩提心なりければ 天地に満てる悪鬼神 皆悉く恐るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 観音勢至は諸共に 恒沙塵数の菩薩と 影の如くに身に添えり

無碍光仏の光には 無数の阿弥陀ましまして 化仏各々悉く 真実信心を守るなり

南無阿弥陀仏を称なうれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞して 喜び守り給うなり

「観音勢至は諸共に影の如くに身に添えり」
 現世利益は親鸞仏教で重要な問題を含んでいます。いずれ議論してみましょう。
 親鸞の妻帯論は大きな問題ですので、そちらを先行させます。 

>「親鸞会」も問題が指摘されているようですね。

 親鸞会の件については、親鸞会専用のスレがあります。そちらで議論するといいでしょうが、
向こうのスレでは、僕自身は対決姿勢を出しています。
 こちらのスレでは、対決ではなく、その背景の問題について、少し考えてみましょう。

203 :神も仏も名無しさん:2007/09/23(日) 01:54:23 ID:Kbwx3jxL
579 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2007/09/20(木) 18:04:48
  「戦争協力」除外を可決  本願寺派が“憲法”改正 〔共同 2007/09/20〕
  
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_01.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_02.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_03.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_04.mpg
http://www.yourfilehost.com/media.php?cat=video&file=0106_05.mpg

204 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 09:55:55 ID:3H8KucsA
> 203
 203の内容は盗撮ビデオです。不愉快に思う人はアボーンしてください。
 203をアボーンしても、ここでの議論に困ることはありません。
 なお、アボーンのNG語にvideoとmpgを加えましょう。
 このスレでvideoとmpgを使うことはありません。

 必要があれば、videoはびでお、mpgはえむぴーじーと表記します。

 質問箱の約束事項。
 2ちゃんねるビューワを使用しアボーン機能を設定する。
 推奨ビューワ A Bone2
 A Bone2には道連れアボーンというのがあります。アボーンしたコメントに
 にリンクしたコメントも、連続してアボーンしてくれます。
 
 これまでのNG語

  \ :: ,,  ... ` ★☆ オナニー 糞 おなにー video mpg

205 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 10:23:57 ID:3H8KucsA
 今後、このスレッドには、いろいろな仕掛けが仕掛けられる可能性があります。
 どんなものが仕掛けられるか分かりませんが、2ちゃんねるで見たこともない
ようなものはないと思います。ほとんど子供だましです。
 一例として、ノートントラップというのがあります。以前、一度仕掛けられたこと
があります。ノルトンアンチウィルスだけが、過敏に反応する子供だましです。

ノルトンを使っている方は、↓ ここをみておいてください。

http://ansitu.xrea.jp/guidance/?NortonInternetSecurity#NortonInternetSecurity
 


206 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/23(日) 10:39:39 ID:3H8KucsA
 既にアボーン設定している方へ

>> 204 の書き込みが見えないと思いますのでお知らせします。

 >> 203の内容は盗撮ビデオです。不愉快に思う人はアボーンしてください。
 203をアボーンしても、ここでの議論に困ることはありません。
 なお、アボーンのNG語にvideoとmpgを加えましょう。
 このスレでvideoとmpgを使うことはありません。

 必要があれば、videoはびでお、mpgはえむぴーじーと表記します。

207 :___________  ________:2007/09/23(日) 19:14:22 ID:Ql1M5sEF
             V
       /" ゙̄⌒ヾヽ、              _
      ゞ  ソヽヘゝゞヾ、ゞ            /  ̄   ̄ \
      /   イ ::iiii◎ー◎ii;         /、          ヽ はぁ?黙ってろデブw
      |{⌒リ u.⌒,;( o o)゙)         |・ |―-、       |
      ヾ_`       3)         q -´ 二 ヽ      |
    リンヾ  u.   ,,,,〃/        ノ_ ー  |     |
  '/⌒\\丶ー‐ ィ´_         \. ̄`  |      /
  /    ヾヽー─‐\\             O===== |
 /   ヾ  /⌒ ̄)   ('二ヾ       /          |

208 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:18:14 ID:zBFM319y
  ______         __  ___  _______  _______
 ./_____    /_______ /___/ ./    / /  ,∧     / /___   /
     /   / /_____   /     /    / /  << >`>   /     /  /
  ,、_/  /   ,J ̄´| /   / ( 、__ノ   ./ /    .∨´   /    /   \
 .(   /     ヽ、_ ノ  ̄ ̄   ヽ、__ ノ   ̄ ̄ ̄ ̄/  /   /  /\  \
   ` ´                             ̄ ̄     ̄ ̄    ̄ ̄
   _____   __  ___  __,----,_, -、
  /__   ___/ /___/ ./    / /__   _( O )
 / ̄ ̄´  ´  ̄/     /    /  / ̄//  // ̄l`゛
   ̄ ̄/  /´ ̄  ( 、__ノ   ./   、/  //  /l   レ
    ノ ,ノ      ヽ、__ ノ    ヽ_ ノ/   / ヽ_ /
    ̄                     ̄ ̄


209 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:19:16 ID:zBFM319y
   /ヽ   .ヘ               、         ,-、
   | |   ! |               |. |          l  !             _/ヽ
   .| |  /  !      _,-‐''~ ヽ    .| |         | ,| 〈 ̄l     /´   ,!
   .| └' ..∧  ./''"´´  .._  ',    .| !        |.└!|  l    .ヽーフ /
  /  /.ノ ! !  .l, ., イ .厂| .|   | l、 !ヽ、   ノ  ,' `‐┘      ! ./
 | 、 .|´  ノ  !  | |  ! .|-、,| |  ../   | !  l   |   ,'          / /
 ..~7  !  ! ,'   | |.,ノ " ! ,'   |  ┌ | /  !  . ヽ ! __      / /-、
  ,'   | ,' /ヽ  | /  ., イ |  ..7 !| ! !、 |    | !'´  ',     .,! '   ヽ
  / .r..ト┘,r' ! !  ! |'''t ! | |   l | ! .|  ∨   | ._,-┐ !    ! ._ーヽ  l
  ! ! .| ~ ,'  !  .l | |.|__,l ,'   / | ! !      /  /   .| !   .| ,/   .|  |
 |./ | .|   !  !   .l ト'′  |  ! !∨ .,!      ! ィ |   ノ |   ! /.,--、l /
   .l !  /  !    !  ._ 、_  |   .l.∧  /      |└ l''"´  l    ~ / i ) /
  | | ,/ . /     .∨~"  !_/      ヽ´       \_!ヽ_/     | `  /
   ,| !/ /                                          ヽ-'′
   .∨.´


210 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:20:04 ID:zBFM319y
 / ̄| ̄ヽ   ───┐ │              |  \\   l  \\ │
 |  |  |        /   │              |       -┼─    │
 |  |  |      /   │   /         |\      | ─-    │
 |  |  |    /\   │ /   \\ |  |  \    |
 ヽ_ノ  ノ   /    \  レ        _ノ  |        | ヽ__   ●

211 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 09:34:31 ID:zBFM319y
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \         ━━┓┃┃
 |    ( ○)(○)               ┃   ━━━━━━━━
. |     (__人__)            ┃               ┃┃┃
  |   ゝ'゚    ≦ 三 ゚。 ゚                          ┛
.  |  。≧      三 ==-
.  ヽ  -ァ,        ≧=- 。
   ヽイレ,、   / ̄ ̄\ヾ ≧ \
   /   ./   _ノ  \     \
   | .  |    ( ●)(●)  それはないだろ
.  .    |  ヽ  (__人__)    常識的に考えて
.       ヽ,    ` ⌒´/        \
        |      く          \
.        |       \           \
.  .      |     |ヽ、二⌒)          \

212 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:22:34 ID:MsGSqQTH
これはアメリカのゲームです。1度やってみてください。
これは、たった3分でできるゲームです。試してみてください。 驚く結果をご覧いただけます。
このゲームを考えた本人は、メールを読んでからたった10分で願い事がかなったそうです。
このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を 貴方にもたらすでしょう。
約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。 たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。 先を読むと、願い事が叶わなくなります。
@まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
A1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
B3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味の
ある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
C4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも
知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!
D8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
E最後にお願い事をして下さい。さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。
5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。
この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。
とても奇妙ですが当たってませんか?

213 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:24:46 ID:MsGSqQTH
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人____)
    |ミ/  ー◎-◎-)    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (6     (_ _) )  <キミも自分のキモヲタ度を調べてみよう by渡海 難
    | ∴ ノ  3 ノ    \_____________
    \_____ノ

 1.サークル活動と聞いて連想するのは大学でなく同人だ。
 2.服は親に買ってきてもらう。または親が勝手に買ってくる。
 3.「りぼん」「なかよし」「ちゃお」の内、定期購読していた雑誌がある。
 4.ヲタクと呼ばれると自分はマニアということを主張する。
 5.「CC」の後に続くのは「さくら」だ。
 6.やたらと独り言が多い。
 7.ちなみに部屋は踏み場が無いほど汚い。
 8.茶髪、金髪の人間が恐い。
 9.人名:「○きどうざん」 ○に入るのは「り」である。
10.モー娘のメンバーは全員言えないがシスプリの妹12人の名前はすべて分かる。
11.エロゲー雑誌の名前は5個以上言えるがファッション雑誌の名前は5個以上言えない。
12.アニメは本編よりスタッフロールの方が楽しい。
13.「メッセサンオー」「虎の穴」「アニメイト」の袋を持って平気で町を歩ける。
14.3段腹だがノースリーブの服で町を歩ける。
15.ゲームを買うのに徹夜で並んだことがある。
16.携帯の着メロはアニメorエロゲーの主題歌。
17.渋谷、原宿、池袋は近寄りがたい。
18.「メイド」「巫女」「ネコミミ」と聞くと興奮する。
19.「眼鏡娘」ではなく「メガネっ娘」が正しい。
20.靴下は白が多い。
21.もちろんギャルゲーは本名プレイ。
22.アニメorゲームのキャラ名で領収書をもらったことがある。

5個以上該当はマジでヤバイです。
ちなみに渡海 難さんは見事全部該当しました。

214 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:31:04 ID:MsGSqQTH
まったく こいつはとことん腐っている
>>1の精神はまるで病人
その病気とは 「いつどんな時も、とことん真剣になれぬ」という病だ
自分が特別な存在なのは人間なら当たり前だが やつはあまりにそれに溺れすぎ
自分の空想と現実をごっちゃにする甘ったれだ
いつだって 許されると思っている クソスレを立てようと 
極論 板を飛ばしたとしても 自分は悪くない 自分は許される なぜなら
いま起こったこの事態はあくまで別の自分が招いたことで
本当の私の預かり知らぬこと そう考えるからだ 嘘じゃない
2chでは無駄なスレッドは立てるなど散々書かれているはずなのに
やつは自分の都合でそれを勝手にねじ曲げる 気分次第で破ってもいいようなものに作り変えてしまうんだ
つまり真剣でない 現実をしっかり見定めようとしないのだ 根っこが腐っているとしか言いようがない
通常やつのような人間は 生涯その仮から目覚めない
愚鈍に寝たいだけ寝て 半ば眠っているような意識で日々を繰り返す
退屈を忌み嫌いながら その根本原因病理には ほおかむり
少し熱心になる瞬間といったら くだらない友人と低俗な遊びに興じる時や
どーでもいい男の気を引く時など 目先の快楽を追っている時位
なぜそんな糞おもしろくもない気分で この人生の貴重な一日一日を
塗りつぶせるのかというと いつどんな時も現実は
偽の自分が行うことだからだ。つまり「仮」
「こんなものが本当の自分のはずがない」やつはそう思いたいんだ ゆえに 30、40になろうと
やつは言い続ける 自分の人生の本番はまだ先なんだと「本当の人生」に至ってないから今はこの程度でいいんだと
そう飽きずに言い続け 結局は 老い・・・・死ぬ!!
その間際嫌でも気づくだろう 今まで生きてきたすべてがまるごと「本物」だったことに
生きる上で、偽者の自分なんていやしないし、偽物の人生なんてものもない。
当然だ。人生はいつだって本物なんだ。
肝心なのは、その当然をいかに自覚しているか。真に覚醒しているかどうかだ。
ヤツはしょっぱなからそれをカン違いしているから、能力以前にダメなのだ

215 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 13:33:53 ID:MsGSqQTH
  ┏━┓ ┏┓┏┓      ┏┓      ┏━┓    ┏━━━━━┓    ┏━┓    ┏━━━━━┓┏━┓  ┏━┓
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216 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:10:46 ID:zDhi6QUt
     / ̄ ̄ ̄ \  ホジホジ
            / ―   ― \
           /   (●)  (●)  \
           |     (__人__)      |
           \   mj |⌒´     /
              〈__ノ
             ノ   ノ
                ____   ,
              /     \  -
            / ―   ― \`   ・・・。
           /   (● ) (● )  \
           |     (__人__)      |
           \ .   `⌒´     /
.           mj~i
           〈__ノ
          ノ   ノ
                ____
              /     \
            / ⌒   ⌒ \
           /   (●)  (●)  \
         _|__    (__人__)      |
       /   \    `ー'´     /
 /⌒⌒⌒/ ..:::::::::::.. ヽ ピトッ
 |  |  | { .::::::●:::::  }
 |  |  |  \ ::::::::::::::/


217 :神も仏も名無しさん:2007/09/24(月) 21:32:52 ID:zDhi6QUt
             / ̄ ̄^ヽ                  / ̄ ̄^ヽ
             l  (●) l       ____        l   (●) l
       _   ,--、l       ノ .     /_ノ  ヽ、_\     丶      l ,--、  _
   ,--、_ノ:: `ー'::   、ミー---‐,,l     o゚((●)) ((●))゚o     l,,‐---ー彡,  ::`ー'  ::ゝ_,--、
  ,/   ::: (●)      i ̄ ̄  | .  /::::::⌒(__(●)人__)⌒::::: \    (●) ̄i  (●)   :::   ヽ,
/           l:::  (●):   ll   |   (●)|r┬-| (●) |    ll    :::l   :::l         ^ヽ
l (●)   l    (●)   |:::   l   |     |(●)(●)  |    l    :::|   ::!(●)l    l   l
|   l  (●)   |:: (●)   l .  |  (●)| |  |     |   l   (●) :::|    l  (●)  |
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ヽ  :l::::   ト:;;;;;;;;;/-/__...........  /.        | |  |         ヽ  ...........__ノヽ;;;;;;;ノ  ::::l  /
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                            `ー'´


218 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:49:12 ID:gPdgmuRF
>>177
正法楽賛   依仏本行経 依浄土楽知
正法楽正法楽正法不思議  正法楽        釈迦如来因地の時  正法楽
歴劫苦行不思議なり  正法楽          頓に身財を捨てて妙法を求む  正法楽
唯仏と仏とのみよく知りたまへり  正法楽

仏本行経に依り、極楽浄土の素晴らしさを知ることをもって正法の素晴らしさを称える。
正法は素晴らしい。正法は素晴らしい。正法は計り知れない。正法は素晴らしい。
あれは釈迦如来が御出家されたときだった。ああ、正法は素晴らしい。
お釈迦様は、非常に長い間、計り知れない苦行を行われた。ああ正法は素晴らしい。
決心されると、たちまちに王位を捨てて、僧となり、真実を求められた。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様の素晴らしさは、真実を知り得た方々だけがよく知り得ている。実に正法は素晴らしい。

正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
成仏より四十九年余  正法楽          彼の国を経行し、五天に遊びて  正法楽
普く衆生を勧めて懇ろに念仏せしむ  正法楽   示し教へて戒を持ち及び禅を修す  正法楽

ああ正法は素晴らしい。ああ正法は素晴らしい。正法は世の執らわれを超えていく。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様は、お悟りを開かれると、四十九年以上だった。ああ正法は素晴らしい。
かのインドを廻られ、東西南北中を歩かれた。ああ正法は素晴らしい。
あらゆる人々に分かりやすく念仏を勧められた。ああ正法は素晴らしい。
お釈迦様は、真実を教え(知恵?)、戒律を保ち、座禅を修行された。ああ正法は素晴らしい。

219 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:50:11 ID:gPdgmuRF
正法楽正法楽正法能超出世間 正法楽
涅槃已後一千年                法教流転して此の間に到る
衆生転読して行学に依り             成道果を示して、天に生ず

ああ、正法は素晴らしい。正法は素晴らしい。正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
釈尊は、入滅され、その後千年の年月が流れた。仏法は、世界中に流布し、やがて中国に入った。
多くの人々が経典を互いに回し読みし、真実を学び、素晴らしい人々に育っていった。


正法能超出世間   正法楽
衆生仏に随いて西方に到れば          微塵故業自ずから消亡す
如来願力をもてまのあたりに加被したまふ    聞法悟道して真常を證す
何者をかこれを名づけて正法と為る       若しこの道理ならばこれ真宗なり
好悪この時にすべからく決着すべし       一々に汝くはしく朦朧とすることなかれ

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
人々は、真実を教えて下さる釈迦に従い、未来に向かえば、これまでの無数の禍根が消滅する
先生は、強い意志をもって現実に守って下さる。法を聞き、道を悟れば、真実の成果を得る
正法とは何は。もし道理を求めるなら、真宗がよい。
何がよいか。何が悪いか。いま、まさに決心せよ。一つ一つの小さなことにとらわれてはいけない。

220 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/25(火) 00:50:47 ID:gPdgmuRF
正法能超出世間   正法楽
持戒坐禅を正法と名づく            念仏成仏これ真宗なり
仏言を取らざるを外道と名づく         因果なしとの見を発すれば空となす

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
戒律を保ち、座禅をする。これが正法である。念仏して仏になる。これが真宗である
仏の言葉を聞かないのを外道という。因果を否定すれば、空見に落ちる。

221 :神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 08:43:04 ID:YHloSju2
>渡海 難  ◆Fe19/y1.mI

   お ま え  こ こ お か し ー ん じ ゃ ね ー か


         ,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
        /  、゙ヽ、 ‐-'´          ヽ‐- / /   ヽ
      ,/´ .., ヽ,,l_)'    zェェェァ'  ;rfァt ヽ ,ト/ /    ヽ
     /    ヽ,r' ,l′    _,,,   . __,,  ,l゙.-〈__r,'、   ヽ_
    _.l    ヽ」   ,l    .イてソ` l イにj`,/    ゙‐ヽ、_,,  /l
    ,l l|  −'´ll   ,l      rソi"  ヽ じ'' f゙l    .,//゙l   //\
    l`l|     l|ヽ  v'⌒ヽ        .,ノ  j/    |l    //   }
   l  \    l| ,l  l_U>     r‐--‐ァ  ,l    |,l   //    l
   /   '\   l|`l   ゝ_,´    ゙ヽ__r′ .,.'   ___l ヽ //     |
  ,l     '\ l| .lヽ__lL..,,,  __ ,, _イ___./ |  ∨/      ,}
  |       ヽl |    ,| .ヽ \   //ヽ     ,|          ,l
  |          l    ,l   ヽ \//  l \           /
  ヽ          |   \.   ヽ /   l   ヽ         /j
    \        /     ヽ   /   |   l          /
     ゙l\..     /       ヽ /    j   |     ,    /
     ヾ              Y     /    ヽ   /    ,l
      ヽ、            l     l     } /    ,r′
        ヽ            l     |     /′  ,,...''
        `'':..、  ___ ___,..-.|,     ,l ,  :..-‐'"´
            ̄ /lr‐‐‐'--、_ l_,..-'''""'- "

222 :神も仏も名無しさん:2007/09/25(火) 12:11:31 ID:JFGzM+NJ
         /\
        //\\
      //   \\
     //   __  \\
   //  / ,,.ノ ヽ、,,ヽ \\
  //.  ./| ●  ● |ゝ  \\
//    ヽ|.  (_●_)  .|/   \\
\\     ヽ  |∪|  ノ    //
  \\   ./  ヽノ   l   .//
   \\ /  __ /  .//
     \\ {} }/  ...//
      \\ ̄ ̄ //
        \\.//
         \/
    ┌───┴┴───┐
    │  負け犬に注意   .|
    └───┬┬───┘
            ││

223 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 01:00:07 ID:mqioVVa9
正法能超出世間   正法楽
禅律如何これ正法なり             念仏三昧これ真宗なり
了心を見性せばすなわち是仏なり        いかんぞ道理相応せざらん

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。正法は素晴らしい。
禅定と戒律こそが正法である。念仏三昧が真実の教えである。
心を見通して本質を知れば、これは仏である。正法と真宗とが合理的に適合しないことがどうし
てあるだろうか。両者は、合理的に噛み合うのである


正法能超出世間
念仏は声声に仏種を下す            坐禅持戒は真功を用いてなり
汝若し修せずしてすなわち仏になるといはば    喩へば飢えたる人のひろく風を掩ふが如し

正法は巧みに人々を執らわれから解放する。 
念仏は一声一声で仏になる因をもたらしてくる。座禅と持戒は、実効を得ることが目的である。
念仏だけで仏になる。座禅も持戒もいらないと言えば、空腹の人が風下に立ち、空気を腹の中
にため込んで腹を満たそうとするようなものである。これでは腹の足しにならんだろう。
空腹の者が、腹を空かしたままで仏になってどうするの?。腹を満たした仏になろう。

224 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 01:02:40 ID:mqioVVa9
西方楽賛  依阿弥陀経
西方の進道は娑婆にすぐれたる 西方楽     五欲及び邪魔の縁なきによりてなり。
成仏するに諸善業をわずらわず 諸仏子     華台に端坐して弥陀を念ずるをもてなり

西方の素晴らしさを阿弥陀経によって称賛する
極楽浄土で真実の道を歩むことは、迷いの世界で真実の道を歩もうとする場合にはるかに優れて
いる。
 真実の世界、西方は素晴らしい。
真実の世界には五欲がない。財欲、色欲、食欲、名誉欲、睡眠欲がない。修行を邪魔するものが
ない。
極楽浄土で仏になれば諸善にわずらわされることがない。ああ諸仏達。蓮の台に坐し、阿弥陀仏
を念じよう。

 意訳はこのあたりでいいだろう。
 親鸞が、教行信証でいい足りなかったことを、五会念仏略法事賛は、余すことなく言い切ってい
ると僕は思う。
 親鸞は、戒律は無用だと言っているのだろうか?そうではないだろう。ここでは、親鸞は戒律を保
てと言っている。座禅をせよと言っているのだ。
 僧籍を奪われ、受戒の効果を失い、尊敬する戒師であった法然上人も流罪となるという現実を目
の当たりに見、自らを無戒名字の比丘と名乗りつつ、彼は高らかに戒律の保持を求めている。

225 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/09/29(土) 09:56:13 ID:mqioVVa9
 親鸞は僧侶というものをどう考えていたか。愚禿悲歎述懐という和讃を見てみよう。

 五濁邪悪のしるしには 僧ぞ法師という御名を 奴婢僕使となづけてぞ 卑しき者と定めたる
 無戒名字の比丘なれど 末法濁世の世となりて 舎利弗目連に等しくて 供養恭敬を勧めしむ
 罪業もとより形なし 妄想顛倒のなせるなり 心性もとより清けれど この世は真の人ぞなき
 末法悪世の悲しみは 南都北嶺の仏法者の 輿かく僧達力者法師 高位をもてなす名としたり

 僧侶は奴婢僕使でいいと親鸞は言っているのだろうか。卑しい存在でいいといっているんだろ
うか。親鸞は、僧侶が奴婢僕使となり、まるで卑しい存在であるかのようになったことをむしろ
嘆いているのだ。五濁邪悪という悲しい原因によりそうなってしまったことを嘆いている。五濁
とは、劫濁(時代の乱れ 飢餓・天災・戦争などが起こること)、見濁(誤った考えがはびこる
こと)、煩悩濁(人を迷わす煩悩がはびこること)、衆生濁 (人々の心身の資質が低下するこ
と)、命濁(人々の寿命が短くなること)、これら五つの原因を悲しんでいる。
 親鸞はどのような存在なのか。それは、流罪により受戒の効果を失った無戒の者である。しか
し、善導大師の教えにより、受戒以外の道から仏道の世界に入ることを許されたいわばバイパス
僧である。戒律そのものが既に戒律としての失った時代になったことで、無戒の者でも善導大師
の称名念仏によって、釈迦の時代の舎利弗や目連と同等の地位に立つことができるようになった。
そこにおいて、私はいま、人々に供養・恭敬を勧める。
 僧を大事にしよう。供養しよう。経済的に援助しよう。恭敬しよう。尊敬しよう。罪業というものは、
本来、実体のあるものではない。妄想・誤解で生じるものだ。人の本質は清らかなものだけど、
現実の世界には真実の人はいない。
 末法の世にあって、大きな悲しみは、奈良・京都の仏法者というものが、牛車や駕籠に乗り、
権力のある法師という、単なる地位の称号になってしまったことだ。実に悲しいことである。

226 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:02:11 ID:Mz9LcwHq
 戒律について、親鸞はさらに次のようにも言う。

 今の時の如きは、これ最末の時なり。かの時の行事、すでに末法に同ぜり。しかればすなわち
末法の中においては、ただ言教のみありて行証なけん。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒
法なし、何の戒を破せんに由ってか破戒あらんや。破戒なおなし、いかにいわんや持戒をや(化
身土巻)。

 現代は遂に末法の時代に入った。正法・像法の時代を過ぎ、時代は最後の末法の時代である。
末法の時代となると行も証もない。もし、戒律というものが有効であれば、戒律を破ると言うこ
ともある。戒律を破れば、破戒となる。つまり、破戒と言うこともある。しかし、既に戒律がな
ければ、破戒と言うこともない。まして、持戒ということもないのだ。

 五会法事讃略抄で、親鸞は戒律を守れと言う。愚禿悲嘆述懐で親鸞は、僧の退廃を嘆く。教行
信証で、親鸞は無戒の時代に入ったと説く。親鸞の思想は右往左往して混乱しているんだろうか。
一見してそんな感じがしないでもない。しかし彼の情念に焦点を合わせて考えていけば、彼の思
いが伝わってくる。

227 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:03:15 ID:Mz9LcwHq
 親鸞の思想は流罪事件を原点とする。流罪事件の折り、天台の戒師である法然上人の流罪を目
撃し、親鸞は時代が完全に末法に入ったことを悟った。自らも僧籍を剥奪され、受戒の効果を失
った。社会は、持戒の僧に対する尊敬の念を失った。戒律は、人々を導いていく力を失った。親
鸞はそう考えたのだろう。

 僧と言えば奴婢つまり下男・下女のような存在になっている。僕使つまり召使いのような存在
になっている。人々を教育指導するという重要な役目を失っている。非常に悲しいことである。
親鸞はそう嘆く。

 しかし、仮に戒律はそのように社会的、仏教的に意味を失っても、一人一人、自分自身は、合
理的な範囲でできるだけ戒律を守っていこうじゃないか。五会法事讃略抄は、まさにそういう主
張なのだろう。

 戒律に対する人々の規範意識がなくなったということ。高位の僧が堕落しているということ。
これらの問題と、自分が旧来の戒律を規範とするかどうかとは別の問題である。
 末法の世になれば念仏だけで仏になる。しかし、禅定と戒律がなく、それで仏になったぞと言
ってみて、そこにどれだけの実体的な意味があるだろうか。何の意味も無いじゃないか。親鸞は
五会法事讃略抄で「真功」がないという言い方をする。功とは成果という意味だ(広辞苑)。真
功のない仏は、腹を空かしたまま、思い切り空気を腹に吸い込んだような仏である。

228 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/02(火) 10:05:44 ID:Mz9LcwHq
 仏教を学ぶのはいい。仏になろうというのもいい。念仏だけで仏にはなれる。一声一声の念仏
で、仏になる種は積み重なっていく。しかし、禅定と戒律がなければ、仮に仏になってもなんら
実体的な成果はない。
 禅定と戒律を正法という。念仏成仏を真宗という。正法と真宗とは矛盾しあうものではなく、
両方大事なのだ。仮に社会はどうなっても、自分たちは合理的な範囲では戒律を守りつつ、念
仏は座禅して称えよう。
 念仏は、動きながら称えてもいい。止まって称えてもいい。座って称えてもいい。寝ながら称
えてもいい。長い間称えてもいい。久しぶりに称えてもいい。行住座臥、不問時節久近である。
 しかし、そんな念仏の中で、念仏三昧という称え方がある。ひたすら称えるという称え方があ
る。念仏三昧の念仏は座禅して称えるのが原則である。

 堕落した京都、奈良の僧を嘆き、社会は既に末法の世、無戒の時代に入ったといいながら、自
らは戒律を守ろうと親鸞は主張する。そのような親鸞が、若き京都時代、法然の下で親しく仏教
を教わっていたとき、既に破戒僧として妻帯をしていたとは、僕には全く考えれられない。

 流罪前、親鸞は既に妻のいる妻帯僧であっということは、僕には全く信じられないことだ。親
鸞は、僧籍を奪われ、在俗の流罪人として北陸にあったとき、恵信尼と出会い、そこで在俗の人
として結婚した。そのように考える。
 そのころの様子を、資料から検討してみる。

229 : ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/02(火) 12:12:44 ID:n9eL6dQu
   / ̄ ̄ ̄ ̄\ 
  ( _ 人_ _) 
   |:::| ´・  ・^ ||
  ( ∴  (_ _)∴ )                _
  |  ノ  3ヽ  ノ            /  ̄   ̄ \
   ゝー_ _ ノ             /、         ヽ
 /       /"lヽ  ヽ          |- |―-、      |
/   ,ィ -っ( ,人)   ヽ         q -´ 二 ヽ       |
|  / 、__ う|  | ・,.y  i  ペッ、、、 ノ_ ー  |      |  キモいんだよてめーは
|    /   |  ⊂llll   |         \. ̄`  |      /
 ̄T ̄    |  ⊂llll /            O===== |
  |      ノ  ノ 彡イ            /          |

230 :神も仏も名無しさん:2007/10/04(木) 21:19:04 ID:FzBx5rjl
サトリは十字架に包含されてます

主よ

彼らをお救いください

231 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/06(土) 00:33:45 ID:YWxE+YUH
 慈信房が文とてこれにあり。その文、つやつや色わぬことゆえに、継母にいい惑わされたると
書かれたること、殊に浅ましきことなり。世にありけるを、継母の尼の言い惑わせりということ、
浅ましき空言なり。

 善鸞が書いたという文がここにあります。実にとりとめもないことが書いてあります。継母に
いい惑わされたと書いてあることなど、とりわけくだらない内容になっています。世にあったの
に、継母にいい惑わされたいうこと、実に根も葉もないとんでもないことであります。

 閏十月廿九日、親鸞が高田入道に送った手紙について古田武彦さんは、これが親鸞と恵信尼と
の出会いを語っている資料だと言う。なるほど、僕も、その意見には賛成する。何か特にしっか
りとした根拠があるわけではないが、状況が伝わってくる感じがする。手紙の背景を考えながら、
親鸞と恵信尼との出会いを推測してみたい。
 この手紙が書かれた当時、関東の親鸞教団は大混乱のまっただ中にあった。恐らく、善鸞と性
信とが対立し、教団が二分する状況にあったのだろう。性信は、親鸞の第一の高弟であり、吉水
時代から親鸞と苦楽を共にした人物である。親鸞は、関東から京都に戻るとき、この性信に全て
を任せ、自筆の教行信証まで渡して京都に向かった。そのときの教行信証が坂東本教行信証であ
る。
 このとき、恵信尼も関東に残った。恵信尼は、性信を補佐する立場に立っていたと思う。善鸞は
この恵信尼に対する敵意剥き出しの文書を関東教団の中で配布し、その一枚が親鸞の下に送
られてきた。
 継母とは恵信尼のことだ。ここで善鸞は恵信尼を継母と呼んでいる。善鸞は恵信尼を継母と呼
んでいることも一つ問題になるのだが、そのまえに、いい惑わされたるという言葉に注目したい。
恵信尼が誰かをいい惑わしたというのだ。恵信尼は、誰を言いまどわしたのだろうか。石田瑞麿
は、親鸞とその妻の手紙(春秋社 刊)で、恵信尼が善鸞を言い惑わしたという考えを採ってい
る。古田氏は、親鸞を言いまどわしたと解している。僕は古田氏の説を採りたい。「あの女は、
親鸞をだました程悪い奴なのだ」。善鸞はそう言いふらしているのだろう。善鸞は、親鸞と恵信
尼が一番痛いところを知っているのだ。

232 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/07(日) 10:21:22 ID:gmhQKwNN
  善鸞義絶事件では、どのような論争がされていたのか。親鸞が高田の入道に送った手紙をもう
少し推理してみたい。 

性信「善鸞殿。あなたの御主張は真実ではない。貴方も知っているように、私は親鸞先生のそば
  近くにおり、吉水の時代からずっと教わってきた。先生は、貴方が仰っていたようなことは
  一度も申されたことがなかった」。

善鸞「何を仰いますか、性信殿。ある夜のこと、仏典を一つ一つ示しながら、慈信(慈信房善
   鸞)一人に親鸞が教えてくれたんですよ。そのときこうも言いました。いままであなた方に
  教えてきた第十八の本願、あれは萎んだ花に等しい。真実の教えはかくかくしかじかである、
  と」。

常陸・下野の人々A「善鸞先生の言っていることの方が間違いない感じもするなぁ。」

恵信尼「善鸞殿。おかしなことを仰るべきではありません。貴方は親鸞の息子だからと言って、
  親鸞が貴方にそのようなことをするわけないでしょう。」

善鸞「黙れ、恵信。お前が一番の悪党だ。みなさんよく聞いて下さい。父親鸞をだましたのはあ
  の女です。あの女の言うことを聞いてはいけません。」

常陸・下野の人々B「そうか。そうだったのか。善鸞先生の言っていることの方が正しい感じが
  する。念仏などは止めよう。自由勝手に振る舞おうじゃないか。」

常陸・下野の人々C「その前に、京都の親鸞先生の下に使いを送り、いちど先生に真偽を確かめ
  てみよう。」

233 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/07(日) 10:22:35 ID:gmhQKwNN
 親鸞の手紙からは、こんなやりとりがあったように想像できる。文字面だけを追えば、恵信尼
が善鸞をだましたという解釈も不可能ではない。しかし、親鸞が突っ込んだコメントも付けず、
一方的に感情的に腹を立てているところをみると、「恵信尼は親鸞をだました」という主張を善
鸞はしていたと考えるのが素直だろう。善鸞は親鸞の子供という立場で恵信尼を追い落とし、性
信を押さえ込んで関東教団を間違った方向に乗っ取ろうとしていた。善鸞の義絶事件は、関東教
団の問題であったが、そこには妻帯という親鸞の家庭問題が楔となって関わっていたと考える。

 親鸞と恵信尼との結婚の裏は、恵信尼が親鸞を誘ったということ。親鸞と恵信尼との結婚につ
いては、親鸞が激しく動揺する琴線に触れる部分があり、関東教団も揺るがすような問題を含ん
でいたということ。この2点が考えられると思う。

234 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/07(日) 10:33:22 ID:PUiQZ6Mt
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235 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:57:30 ID:IOkWt5Ks
 親鸞が高田入道に送った手紙について、古田武彦さんが非常に面白い問題を提起している。
「世にありけるを、継母の尼の言い惑わせり」とある。「世にありける」とはどういう意味か。
僧侶社会の用法としては「上流の名山・大寺にいる」という意義の中世的用法であるという。ま
た、「世」が「上流社会」の意であることもよく知られているという。親鸞が名山・大寺にいた
と言えば、比叡山のことである。つまり、古田さんは、比叡山時代に恵信尼が親鸞を惑わしたと
いう仮説を立て、恵信尼との交際を比叡山時代であると想定している。
 恵信尼との交際が比叡山時代にまで遡るというのは僕には考えにくい。「世にありける」とい
うのは、人々を教育指導する立場にあって、一般からは尊敬される僧という立場にあったという
意味で考えるべきだろう。
 流罪の時の親鸞の決意は「禿」という文字に現れていると僕は考える。僧籍を奪われ、親鸞は
在俗の人として流罪になる。親鸞はこの処分に承服していない。形式的には僧籍を奪われても、
心は僧でありたい。そういう意味が禿という文字に現れている。形は髪を剃った在俗の禿「は
げ」であるが、心は髪を落とした出家の禿「はげ」である。形は非僧であるが、心は非俗である。
親鸞はそんな決意で越後に向かう。

236 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:58:11 ID:IOkWt5Ks
 心は僧であることを忘れまい。自分のアイデンティティーは僧である。親鸞はそんな意識を持
っていた。「世にありける」とは、少なくとも心においては一般大衆よりも高位にある僧であり、
僧であれば結婚できないはずである。そんな親鸞を恵信尼が結婚に誘惑した。親鸞を恵信尼が堕
落僧に引きずり落としたのだ。「世にありけるを、継母の尼の言い惑わせり」。善鸞はそういう
意味のことを言っていたのだろう。

 ここで、もう一つ大事な問題がある。昔からいろいろ議論を呼んできたが、継母という表現で
ある。善鸞にとって恵信尼は実母か、継母かという問題である。善鸞は恵信尼を攻撃する意味で、
実母を敢えて継母と呼んでいるというのが、実母説の立場である。これに対し、恵信尼は正真正
銘の継母であるという説もある。親鸞の複数妻説は、この継母説から出ている。
 実母を攻撃するとき、継母と呼ぶだろうか。僕は、実母説も継母説も一長一短があるように思
う。なお、継母説の方が恵心尼との結婚について説明しやすい。中世の僧は、親のない子供、身
寄りのない子供を引き取って育てることが社会的な仕事の一つだった。それは、空也上人の地蔵
菩薩和讃に現れている。親鸞にとって善鸞が実子同様であってとしても、親鸞が肉体関係をもっ
た女性から、親鸞の子孫として生まれた子供あることを意味しない。善鸞が何らかの理由で引き
取り、実子同然に育ててた直近の親戚の子ではなかったか。親鸞は、北陸にそんな幼い善鸞を連
れて配流された。そう考えても不自然ではない。

237 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/08(月) 09:58:52 ID:IOkWt5Ks
 身寄りのない配流地での流刑人の生活は決して楽ではなかったろう。自分一人の生活でさえ苦
しいのに、小さな子供を連れていればさらに苦しいだろう。心は僧であると言っても、社会的に
は無位無冠無名の在俗の流刑人である。恵信とはそんな親鸞に同情して近づいた女性ではないだ
ろうか。
 恵信尼の手紙の文体は京都の貴族の文体であると聞いたことがある。僕には、地方人の文体と
京都人の文体の違いなど分からないが、専門家には分かるようだ。恵信尼は、恐らく親鸞から手
ほどきを受けたのだろう。恵信尼は文字を教わりに親鸞に近付いた。善鸞を抱えて苦しんでいる
親鸞と恋仲になった。心は僧であり続けようと思っても、日々の生活は理想どおりには進まない。
親鸞には、流刑人として、僧の意識を捨てようと思ったことが幾度もあったろう。僧を続けるこ
とに絶望を感じたことは幾度もあっただろう。そんな、僧と俗の意識の揺れの中で、二人が男女
の仲に落ちていったとしても、僕は不思議ではないと思う。   (続く)

238 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/11(木) 10:01:16 ID:0Lvau7EM
 親鸞が恵信尼にと結婚したことは、僕は極めて自然なことだったろうと思う。もう僧には戻れ
ない。僧の仕事はできない。越後で在俗の一人として骨を埋めよう。恵信尼と結婚したとき、親
鸞がそう思ったとしても、誰も不思議には思わないだろう。しかし、親鸞の下に、再び僧の仕事
が舞い込んできた。おそらくそれは、流罪が赦免になった直後のことではないか。以前の報恩寺
のホームページには性信が関東に誘ったと書いてあったと記憶している。性信は報恩寺の開基で
ある。性信が自分の故郷に親鸞を呼んだ可能性は確かにあると思う。もともと、法然教団は源氏
とつながりが強い。熊谷直実が法然の直弟子になっていることでも分かるが、法然が北条政子に
送った手紙が残っていると聞いたこともある。流罪が赦免になっても京都には戻れない。恐らく
都払いの処分は続いていたのだろう。そんな吉水と源氏とのつながりが、彼を源氏の国に呼んだ
のかも知れない。

 源氏の国に呼ばれても、多分、越後に残るという選択肢もあったのだろう。しかし、親鸞は誘
いに乗るという道を選んだ。このとき、結婚した恵信尼と別れ、親鸞だけが関東に行くという選
択肢もあったのだろうが、敢えて連れて行くことを選んだ。関東には、妻子ある身で勝手に僧宣
言し、結婚生活を続けながら僧のような仕事もしているという人も沢山いただろう。少し時代は
下がるが、一遍上人は全国行脚を、妻を連れて巡っている。妻の名を超一、娘は超二という。念
仏房という下女も連れている。鎌倉時代とはそんな時代である。親鸞にとって、関東に恵信尼を
連れて行くことは問題はなかったろう。
 妻帯というと親鸞ばかりが話しになる。一遍のことはほとんど問題にならない。僕には、いさ
さか奇異な感じがする。親鸞の妻帯は、やがて日本仏教を、いい意味でも悪い意味でも本質的に
根底から変革する結果を引き起こした。仕掛け人は、本願寺の覚如である。むろん、自分の妻帯
がその後、これほどの大事件になるとは、親鸞自身は、夢にも思っていなかったはずだ。親鸞の
妻帯が引き起こした問題を、もう少し検討してみる。

239 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/14(日) 10:27:25 ID:J6dbE4lN
 関東では、結婚している僧というのは、珍しくなかったと思う。京都・奈良であれば大きな寺院
が組織的に行うことも、地方では個人がしなければならない。一人暮らしではできないことも、
夫婦で力を合わせれば、最小限のことが可能になる。

 親鸞夫婦は関東で何をしていたのか。一部は恵信尼の手紙から想像できてくる。恵信尼は京都
に住む覚信尼のところに下人を送っている。覚信尼とは、親鸞の末娘である。親鸞が京都の日野
家出身ということもあるのだろう、覚信尼は京都の貴族の家に嫁ぎ、年老いた親鸞の世話もして
いたようだ。背景には、職業斡旋のような話があるようだ。
 親鸞が京都に戻った後でも恵信尼は一人住まいではなかった。「親も候はぬ、小黒の女房の、
女子、男子、これに候うへ、益方が子供も、ただこれにこそ候へば、なにとなく、母めきたる様」
だったようだ。親のない子や親が育てきれない子を引き取り、成長すれば就職先を紹介してい
たようだ。日野家といえば京都の名家である。関東から京都まではやや遠かったろうが、関東で
就職先の見つからない者は、京都の日野家を通じて就職先を斡旋していたのではないかと思う。
 恵信尼は田畑もあったようだ。「年頃候つる、奴原も、男二人、正月失せ候ぬ。何として物を
も作るべき様も候はねば、いよいよ世間頼みなく候へども 〜 」。ある不作の年、頼りにして
いた使用人が、二人ほど正月に失踪し、これからどうやって作物を作っていったらいいかと心細
くなっている。教育しながら子供達を食べさせ、時期を見て就職口を探す。そんな社会事業をし
ていたんだと思う。

 親鸞が関東に移住した頃、最初は夫婦力合わせて始めた仕事も、親鸞が京都に戻る頃には何人
も協力者がいたのだろうと思う。関東における親鸞の有力な弟子は24人いたそうだ。そんな中
には、親鸞が小さいときから育てたそんな子供達もいたことだろう。婚姻僧としての親鸞の立場は、
関東では決して不都合ではなかった思う。しかし、親鸞が京都に戻ると事態は変わる。覚信尼の孫
にあたる覚如は親鸞伝説を創作し、創作神話は、後の日本仏教全体にわたり歴史を塗り替える大
きな影響を及ぼした。

240 :神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 11:42:47 ID:Iw1MtcpH
思わず笑ったよ。この人の文を今日はじめて読んだけど
ちょこっと本に書いてある真実をいれながら、途中を自分の思いを
というか空想をつないで書くから説得力がなくなるわけだよ。

例えば−−親鸞が恵信尼にと結婚したことは、僕は極めて自然なことだったろうと思う。もう僧には戻れ
ない。僧の仕事はできない。越後で在俗の一人として骨を埋めよう。恵信尼と結婚したとき、親
鸞がそう思ったとしても、誰も不思議には思わないだろう。

これなんかいい例だね。僧の仕事ができなく越後で骨をうずめるなんて一言も親鸞という人は言っていない。
これなんか勝手に想像してるだけだよね。だからちぐはぐな文章になってしまうんだよね。


241 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/14(日) 13:02:01 ID:J6dbE4lN
>240
 貴重なご批判に対し感謝する。

 空想(想像・創造)を交えず、資料だけ展示するなら、
博物館と同じですよね。そこに血の通った魂はない。

 ちぐはぐな文章?。なるほど。なるほど。

242 :神も仏も名無しさん:2007/10/14(日) 13:24:14 ID:Tz/ONUCw
このスレを読んで,すごく頭に来ました。
なんでみんな渡海さんのことをそんなに悪く言うんですか?
確かに渡海さんはクソ以下の存在です。
頭も足りなきゃ顔も醜い。
センズリこくくらいしか能が無い出来損ないの中年です。
生まれてきたのが間違い。
私生活では近所の小学生にまでバカにされているという話を聞きました。

でも、どうして渡海さんがそんなに風になってしまったか考えてみようという人はいないんですか?
小中学校では周囲から無視され心を許せる友達もいなかった渡海さん。
親はそんな渡海さんをかまってもくれず、渡海さんは2chでクソスレを立てまくる様になってしまったんです!
もしあなたがそんな境遇下にいたら、あなたも渡海さんのようにならないと言い切れるんでしょうか?
考えてみてください。いくら渡海さんが能無しだって人間です。
渡海さんが勝手に投身自殺するのなら、それはかまいませんが、
みんなが大勢でそんな池沼な渡海さんを練炭自殺に追い込むような
このスレの雰囲気には我慢ができません。

243 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 15:11:56 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)

244 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 16:41:39 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)v-〜


245 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 19:39:35 ID:AhrTnuhb
(_ _)y-〜

246 :南無大師遍照金剛:2007/10/14(日) 21:54:25 ID:AhrTnuhb
(゚.゚)y-〜
ポキモセンズリスルヨ
チナミニポキワナイスナドウテイ

247 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:52:40 ID:Y1IVr1Lo
 のたまわく、南无の字は、聖人の御流儀に限りて、遊ばしけり。南無阿弥陀仏を泥にて写させ
られて、御座敷に掛けさせられて、仰せられけるは、不可思議光仏・無碍光仏も、この南無阿弥
陀仏をほめたもう徳号なり。しかれば、南無阿弥陀仏を本とすべしと、仰せ候なり(蓮如聞き書
き)。

 蓮如上人は言われた。南无という字は親鸞聖人の流派だけが使用している。普通、阿弥陀仏の
号(名前)は阿弥陀仏である。名号を掛け軸に書いて飾る場合、阿弥陀仏と書く。しかし、親鸞
聖人の流派だけは南無阿弥陀仏と書いて飾る。蓮如上人は南無阿弥陀仏と名号を金泥で書写し、
それをお座敷に飾った。そしてこのように言った。
 善導大師はどうして偉かったのか。それは、南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。法然上人はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。曇鸞大師はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。お釈迦様はどうして偉かったのか。南無阿弥陀仏は尊いぞと教えてくれたから、偉か
ったのだ。
 不可思議光仏・無碍光仏、いずれも「南無阿弥陀仏は尊いぞ」と称賛するための徳号(名前
〔道具〕)である。阿弥陀仏〔道具〕が尊いのではない。道具が示す南無阿弥陀仏が尊いのだ。
だから、もっとも尊い南無阿弥陀仏を掛け軸に書いて飾るのだ。

248 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:54:10 ID:Y1IVr1Lo
 無上仏と申すは形もなくまします。形のましまさぬゆえに、自然とは申すなり。形ましますと
示すときには、無上涅槃とはもうさず。形もましまさぬ様を知らせんとて、始めて弥陀仏とぞ聞
き習いて候う。弥陀仏は、自然の様を知らせん料なり(親鸞 末燈鈔)。

 無上仏は形而下(有形)の存在ではない。形而上(無形)の存在である。架空である。観念で
ある。形而下の存在ではないからこそ、自然という概念が導かれてくる。形があれば無上涅槃と
は言わない。観念的・抽象的あり方を明らかにするため、一番最初に比叡山で阿弥陀仏というも
のの講義を受けたとき、阿弥陀仏というのは、自然という概念を教えるための資料であり。道具
である。方法論であると教わりました。

 行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽

 行者よ、仮に前世からの報いにより、貴方が女性と肉体関係を結ぶようなことがあれば、その
とき私が玉女となり、貴方と結ばれてあげよう。貴方を一生守り続け、死ぬときには極楽浄土に
導こう。
 親鸞は、比叡山を下り、法然に弟子入りするとき、六角堂で親鸞の下に救世菩薩が夢に現れた。
救世菩薩が言った。私が貴方と肉体関係を結ばれてあげようと。こういう伝説がまことしやかに
伝えられている。出所は覚如が書いた本願寺親鸞聖人伝絵である。

 覚如は何を言いたいのか。親鸞の妻帯は救世菩薩のお告げによるものであるということである。
親鸞の妻帯は救世菩薩のお告げによる。だからこれは許された結婚であり、破戒にならないとい
う主張をしたいのだ。夢告があったことは親鸞から聞いたと言うのだろう。

 阿弥陀仏というのは、自然という概念を教えるための資料である。親鸞はそう教えている。そ
の親鸞が、自分は救世菩薩の夢のお告げで結婚したなどと言うだろうか。救世菩薩も、本質は阿
弥陀と共通し、自然という概念を教えるための資料である。道具である。方法論である。

249 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 10:57:06 ID:Y1IVr1Lo
 桃太郎は架空の存在である。桃太郎は、子供達に勧善懲悪を教えるための道具である。資料で
ある。方法論である。桃太郎などどこにも存在しない。形而上の存在である。桃太郎は道徳を教
えるための道具であると。そう教えている人が、「実は桃太郎の連れ添った犬が私の夢枕に立ち、
賽銭泥棒をしておいでと告げたので、私は賽銭泥棒をしました。だからあれは正しい行為です」、
などとそんな馬鹿な話をするだろうか。

 覚如が書いた一文は、多分、中国か朝鮮の古典を探していけばどこかで見つかるものではない
だろうかと思う。インターネットで文献の検索が簡単になったので、種本を誰かが見つけ出すか
も知れない。自分は救世菩薩の夢のお告げで結婚したなどと、親鸞がそんなことを言うとは、私
には全く思えない。もし、救世菩薩の夢のお告げで結婚したと言うのであれば、「継母の尼の言
い惑わせり」という善鸞の言葉も、解釈を改めなければならなくなる。

 救世菩薩の夢のお告げがあったなどと言うのは、実に馬鹿馬鹿しい話だ。桃太郎さんが夢枕に
立って告げましたというのと、同じようなものだ。親鸞が日頃どんな夢を見ていたか知らない。
桃太郎さんの夢も見たかも知れない。しかし、そんな話を親鸞が覚如に話したなどということは、
大の大人が真面目に議論することではないだろう。僕だって、自分がみた夢を他人に逐一話など
しない。覚如が、自分だけ聞いたんだというなら、「自分だけ特別に親鸞聖人の特別講義を受け
た」と言った善鸞の暴言と同類項となるだろう。
 しかしこの馬鹿話が、その後の日本仏教の歴史を大きく変えたというのは事実である。

 問題の背景を考えていこう。

250 :質問1:2007/10/15(月) 11:25:16 ID:Ukccv5DT
真宗はどんな教えなのですか。
真宗の救いとは。
その道を歩むにはどうすればいいのですか。
死んだらどうなりますか。

251 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/15(月) 18:41:44 ID:Y1IVr1Lo
>250
 後日、書かせて貰います。

252 : ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/16(火) 22:22:57 ID:tNvdXr85
    // ̄ ̄ ̄ ̄\ .
   彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ
   入丿 -◎─◎- ;ヽミ.             
    | u:.:: (●:.:.●) u:.::|   フ〜! フ〜!!   
    |  :∴) 3 (∴.:: |   
  ノ ヽ、   ,___,. u . ノ、   ハァハァ!
 /   ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ  ヽ
/   ,ィ -っ、.        .ヽ
|  / 、__ う 人  ・ ,.y  i
|    /        ̄ |  |
ヽ、__ノ          ノ  ノ
  |      x    9  /
   |   ヽ、_  _,ノ 彡イ シャシャシャシャシャ
   |     (U)    | 
   ヽ、__ノ__ノヽ_

253 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 13:32:49 ID:uBxs+cSP
 覚如に入る前に、系図を見ておきたい。親鸞が京都時代に結婚していたという主張者が根拠
とするのは、覚如の絵伝と本願寺に伝わる系図、つまり古本と明暦本である。明暦本は明暦年間
(1655〜1657)に書かれている。明暦年間は徳川時代である。古本は天文年間(153
2〜1555)に書かれたものらしい。天文年間とすればそれは戦国時代である。蓮如が死んで
日本中で一向一揆が荒れ狂っていた時代であり、織田信長が生まれ育った頃である。
 系図では、親鸞には七人の子がいたと言うことになっている。明暦本と古本では記述内容が異
なる。時代は古本の方が古い。古本によると、それぞれ、範意、小黒女房、慈信房善鸞、明信、
益方大夫入道、高野禅尼、覚信尼という名が並んでいる。小黒女房、慈信房善鸞、明信、益方大
夫入道、高野禅尼、覚信尼は、三善為教の女つまり恵信尼の子供であると書いてある。少なくと
もいずれも恵信尼が養育したということは想像できる。しかし、たとえば小黒女房と益方大夫入
道は、恵信尼の手紙で見るとこんな記事がある。

254 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 13:34:52 ID:uBxs+cSP
 「親も候わぬ小黒の女房の女子、男子、これに候ううえ、益方が子どもも、ただこれにこそ候
えば、何となく、母めきたるようにてこそ候え」。親のいない小黒の女房の女子、男子、益方大
夫入道の子供もここにいる。何となく母親のような気分である。
 小黒の女房や益方が血を分けた子供であれば、このときには恵信尼は実の孫を育てていると言
うことだろうか。もし、小黒の女房が恵信尼の実子であれば、「親も候わぬ」という形容詞は小
黒の女房のすぐ上にはつかないだろうと思う。親のいなかった小黒の女房や益方大夫入道を昔育
てたが、今はその子供達まで面倒を見ているということではないか。小黒の女房、益方大夫入道
は、恵信尼の実子ではないと想像する。

 覚信尼は恵信尼が42歳のときに産まれている。鎌倉時代の女性が、果たして40歳を超えて
子供を産めるだろうかなどと、僕は疑問をもつ。親鸞が死んで数百年後に書かれたこの系図では、
恵信尼の子というのは恵信尼が親鸞と肉体関係を持ち、恵信尼が親鸞の実子として腹を痛めて産
んだ子であるということを実証できるものではないだろう。

 系図上、範意は、摂政兼実の女と書いてある。恵信尼は範意の養育に絡んでない可能性もある。
範意は行方不明になっているそうだが、この記述から親鸞の第一夫人が玉日姫だという説が出て
いる。しかし、摂政兼実の日記というのがあるようで、その中に玉日姫という名前は出てこない。
摂政兼実から身柄を一時預かり、しばらく養育を任された子供がいても不思議はない。
 親鸞が、京都時代に既に肉体関係を持つ結婚をしていたという説は、僕は少なくとも資料的に
根拠が無いと考える。むしろ京都時代結婚説は、親鸞思想を大きく歪める考えだと僕は考える。
親鸞思想の否定は、覚如から始まった。覚如にはその必要性があったのだろう。

255 :神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 14:00:47 ID:DWikFDg2
    ,,、、_‐,,,,,~、、{{ヽ:::     !=;‐-{'"   ,,-‐i''''ヾ\`==‐-',、   -‐-、
    ,、‐'''´      ヽ::::::::::.....ノ、 \ー;;;;/  / ___ヽ. `、\ ノ ヾ'',´ ̄~~`'‐ 、,ヽ、
   r'          ヽ--‐'"ヾ.ヽ `ヽ~_  /-=、,,,,ヽ. ,、‐'"ノ  }       ヽ.
.   {                ヾ=;;、   ヾ'''‐-、、-‐' ~,‐'~ ,,、=ヽ.         }  くそすれ
    ', ` 、,,               `ヾ=、,,_   -‐''~_,,、‐;'~''~  i       ; i
    ',   \                  ~'''‐-‐''~`''''"           ,'´ i
    ヽ、  `;、                     .;            丿  ノ
      ` 、_,{ `‐、_                 ,*           ,、' ~`y'
         )  r' ~`'rr-、、,,,_          ,ノ"§        _,、<   ,;;ゝ
        `~`i'   ,'r´:::::::::`;丶、 ,_    _,,、-'´,ノ ,ノ      ,、 ‐'"`, ';‐'"
          ,'  ,','::::::::::::::,'    `````  `"´ `"´~`''''''''''T´::::::::::::::',', |
          i   ,','::::::::::::::,'          (  )      ',::::::::::::::::::ii :!
         ,r'"  ,','::::::::::::: ,'           ).∧  )   ',::::::::::::::::::!! i、
       r''"'  ノノ:::::::::::: ,'            (:::::::::)    ',::::::::::::::::',', i!ヽ
       {____,、-'/:::::::::::::;;'           (:::::::::::::::)   ',:::::::::::::::::ヾ、__)

256 :神も仏も名無しさん:2007/10/19(金) 15:40:27 ID:y7RH7sPf
仏教ではどんな人間であろうと宿命的な苦しみがあると説くが、生まれながらに裕福とか貧しいとか生じるのって何かすごい不都合な事だと思うんだけど。貧乏で生まれた人は、前世が金持ちだったから?金持ちで生まれた人は前世は貧乏だったから?

257 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/19(金) 20:00:07 ID:uBxs+cSP
>197,>250,>256
 三つは一連の問題として、仏教の本質を中核として後日書きたいと思います。



258 : ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/19(金) 20:13:04 ID:zH6gI+eD
      / ̄ ̄ ̄ ̄\
     (  人____)
      |ミ/  ー◎-◎-)
     (6     (_ _) )
      |/ ∴ ノ  3 ノ
      \_____ノ,,    ∩_
     /,|┌-[]─┐| \  (  ノ
      / ヽ| |  バ  | '、/\ / /
     / `./| |  カ  |  |\   /
     \ ヽ| lゝ    |  |  \__/
     \ |  ̄ ̄ ̄   |
      ⊂|______|
       |l_l i l_l |
       |   ┬    |

259 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 10:53:21 ID:48YORWvJ
 夢告伝説の創作者は覚如(1271〜1351)である。覚如は親鸞のひ孫にあたる。本願寺
第三世であり、親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる。
 覚如の時代、京都では法然流念仏宗の勢力図が大きく変化していく時代にあった。九州と関東
で大幅に信者を拡大していた弁長系(鎮西派)が、京都でも大幅に信者を拡大し、証空系(西山
派)を圧倒して行った時代である。証空の孫弟子である一遍も勢力を拡大し、京都の念仏宗は混
沌状体にあった。関東から京都に戻った親鸞系の主張は、京都残留派の証空系からは異端視され、
弁長系からも異端視されていただろう。
 親鸞集団は、親鸞在世中は法然を祖と仰いでいた。しかし、親鸞が大谷の地に埋葬されると、
証空系と完全に袂をわかち、親鸞を宗祖と認識しだしたというのは、僕は極めて自然のことだろ
うと考える。


260 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 10:54:24 ID:48YORWvJ
 しかし、親鸞を宗祖を仰ぐ場合、おおきな問題がある。それは親鸞の主張の仏教的正当性であ
る。親鸞は妻のある破戒僧だったのだ。破戒僧に法を説く資格があるのか。
 親鸞には僧籍がなかった。この問題については、僧籍剥奪時、同時に法然上人も流罪になって
いるということで、不当な冤罪であったという主張は、法然を支持する集団の中では説得力があ
ったと思う。流罪事件が冤罪であり、僧籍剥奪も不当な処分であったということであれば、親鸞
は実質上僧侶であったということになる。親鸞は円頓菩薩戒を受けてないが、法然が一目置き、
法然と共に名を連ね、他の高弟達を飛び越して教団を背負い、断罪に連座するほどの実力者でも
あった。
 しかし、それでは結婚という事実はどう説明するのか。僧は結婚ができるのか。結婚していた
ということは、少なくとも京都文化圏の常識、仏教の根本原則に照らせば破戒僧ということにな
る。僧としての基本的資質に欠くではないか。関東で教えを説く上では問題にならなかったこと
も、京都では大きな問題になる。証空は、法然から円頓菩薩戒を相伝し、浄土・天台・真言の教
義の奥義を究めた高僧である。証空と比べれば、親鸞の存在などは実に影が薄い。本願寺第三世
にとっては、親鸞の結婚に教義的な正当性を付与しなければならなかった。観音菩薩の夢告とい
うのは、こうした背景の中で出現した覚如による究極の破天荒の創作神話であるというべきだろう。

261 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:10:07 ID:Hh+CCg+r
仏教の教えで(仏教に限ったことではないが)、あくまでこれは健常者を対象としている救いなのではないかとたまに思うんですが、どうなんでしょうか?

262 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 11:11:19 ID:Hh+CCg+r
八正道だの六波羅蜜の教えだの、それすら解釈できないような知的障害を背負って生まれてきた人たちはじゃあ一体どうすればよいわけですか?それすら認識できない状態の人たちは救いから漏れているということですか?

263 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 11:15:06 ID:48YORWvJ
>260
削除 「親鸞は円頓菩薩戒を受けてないが、」

264 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/20(土) 12:22:03 ID:48YORWvJ
>261-262
   >76さんと同じ方ですか、違う方ですか?
  >96-97について、先にコメントを戴けると幸いです。


265 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 19:30:06 ID:Hh+CCg+r
いや、違う方です。だから、私にもあなたを理解、納得させられるだけのことを言えません。

266 :神も仏も名無しさん:2007/10/20(土) 22:39:15 ID:c1eZXvoB
>親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる
親鸞(1173−1262)覚如(1271−1351)だったと思います。
親鸞滅後九年後に生まれてる

267 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/21(日) 08:48:42 ID:p+J6Pox+
>>265
 了解しました。後日、コメントしてみます。

>>266
 ご指摘に感謝します。仰るとおりだと思います。

>>259
 誤 親鸞は覚如が八歳のときに死んでいる。
 正 親鸞は、覚如が誕生する九年前に死んでいる。

268 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/21(日) 17:34:50 ID:p+J6Pox+
 覚如の作戦は、少なくと親鸞派の中では受け入れられたようだ。高田専修寺に伝わる親鸞夢記
は、親鸞が見た夢を三つ紹介している。その中には救世観音の女犯の偈も入っている。親鸞夢記
は、古田武彦さんの話では鎌倉時代に書かれた文章に違いないという。もしそうだとすれば、覚
如の創作神話は直ちに関東教団に伝搬したということだろう。
 僧は結婚してもいい。親鸞派は、宗祖親鸞が予想もしなかった新たな教義を創作した。親鸞の
教えの中に、僧は結婚していいという主張など存在しない。しかし、真宗僧における婚姻の常態
化は、社会的に寺院の家族化、世襲化という変化をもたらした。徳川時代までは浄土真宗だけの
問題だったが、時代が明治なると他の宗派に拡大し、日本仏教全体の特徴となり、朝鮮の仏教に
も大きな影響を与えるに至った。
 現代において、僧の結婚はいいか悪いかを論議することはほとんど意味がない。僧は生涯独身
が当たり前という常識が、僧は結婚して当たり前という常識に代わった。この原因は、実は僧籍
を剥奪された親鸞という一人の人物の結婚にあったという事実を忘れてはならないと思う。

 以上をもって、長かった親鸞の妻帯論は終わり。

 2,3日カキコ不能。

269 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/26(金) 10:11:27 ID:HSADX0Pt
>>250
> 真宗はどんな教えなのですか。

 真宗とはどんな教えなのか。真宗の教えを知ろうとするなら、その前に釈迦の教えとは何だっ
たのか。そこから考えていくべきだろう。真宗は仏教であり、仏教は釈迦に始まったのだ。

>256
>貧乏で生まれた人は、前世が金持ちだったから?金持ちで生まれた人は前世は貧乏だったから?

 ある者は貧しい家に生まれ、貧しいまま細く短い人生を終えていく人もいる。富の豊かな家に
生まれ、一生、遊んで笑って長く楽しい人生を過ごしていく人もいる。これはなぜなのか。多く
の人が素朴に持つ疑問を釈迦も抱いたようだ。
 釈迦は僕らにある仮説を提起してくれた。仏教とは、釈迦が提起してくれたその仮説に共鳴し、
賛同し、それを学ぼうとする人々の営みであると僕は考える。だからこそ、仏教者とは、困難な
自らの様々な問題解決に、釈迦の仮説を道標として挑戦してみようとする人々の集まりなんだろ
うと僕は考える。釈迦の仮説とは、全ての迷いの根本には無明があるというものだ。仏教には四
万八千の法門があると言われている。仏教には様々な法が説かれている。しかしその根本は一つ
の仮説から生まれている。迷いの根本原因は無明にあったということだ。

 人には様々な可能性がある。明るい可能性もあれば、暗い可能性もある。可能性というのは、
肉体の誕生以後に生じたものばかりではない。可能性は、肉体の誕生以前から将来の様々な
結果を潜在的に孕んでいる。

270 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/26(金) 10:13:34 ID:HSADX0Pt
 ある者は富みのある家に生まれた。なぜ富みのある家に生まれたのか。それは、たまたまその
ような家に生まれただけだろう。富みのある家に生まれたからと言って、富のある家に生まれよ
うとしてそのような家に生まれた者など一人もいない。貧しい家に生まれようとして貧しい家に
生まれた者も一人もいない。まさに、偶々あるものは富みのある家に生まれ、別の者は、偶々貧
しい家に生まれた。偶々富のある家に生まれた者も、貧しい家に生まれる可能性があった。偶々
貧しい家に生まれた者も、富のある家に生まれる可能性があったのだ。人々は、可能性の幅とば
らつきの中で、あるものは富のある家に生まれ、ある者は貧しい家に生まれる。
 世の中には富のある者がいる。富を持たない者もいる。そうであれば、たまたま富のある家に
生まれる者もいる。たまたま富のない家に生まれる者もいる。それは当たり前のことではないだ
ろうか。
 富があるということ。あるいは富がないと言うこと。そのことは必ずしも、人間にとって、あ
るいは社会にとって直接大きな問題ではないだろう。富のある者は、富みのある暮らしをすれば
よい。富のないものは、富のないそれなりの生き方をすればよい。人々が解決すべき問題はもっ
と外にある。
 ある者は富みのある家に生まれ、ある者は貧しい家に生まれたように、可能性には常に幅があ
る。ばらつきがある。顕在化している可能性もあれば、潜在的可能性もある。実体的可能性もあ
れば、妄想的可能性もあるだろう。可能性に対しては、取捨可能な選択肢もあり、取捨不可能な
選択肢もある。取捨可能な選択肢はほとんどの場合圧倒的に数が少なく、取捨不可能な選択肢は
膨大である。人々はその中で、一瞬一瞬に誤りのない舵取りが必要となる。この現実に、我々は
どう立ち向かっていくのか。
 僕ら仏教者は、釈迦が立てた問題意識に共鳴し、賛同し、釈迦が立てた仮設を生き方の道標と
して選択する道を選んだ。 釈迦の問題意識とは何だったのか。もう少しこれを考えていこう。

271 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/26(金) 14:05:00 ID:qs+dVCcu
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人_____,,)
    |ミ/  ー◎-◎-)
   (6     (_ _) )
   ノ|/ ∴ ノ  3 ノ、
 /   \__ /"lヽノ  ヽ
/   ,ィ -っ ( ,人)   ヽ
|  / 、__ う |  | ・,.y  i
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 ̄T ̄     |  ⊂llll /
  |       ノ  ノ 彡イ
  |   ヽ、(__人_)_,ノ|
  |      人    |
  ヽ、__ノ__ノヽ_
    ヽ ̄ ̄ノ^ | ̄ ̄ i

272 :神も仏も名無しさん:2007/10/26(金) 21:08:54 ID:SlabHQ7k
http://usokonikki.com/?a=Maker&oo=%C5%CF%B3%A4%C6%F1

273 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:22:17 ID:gqTRZ9Gr
 釈迦の問題意識をもう少し考えてみる。釈迦は、人として解決すべき問題を苦という言葉で表
し、それが解決した状態を楽という言葉で表現している。釈迦が言う苦とはなにか。楽とは何か。

 貧/富
 解決すべき問題を苦、解決した状態を楽といえば、人は通常何を思うだろうか。解決すべき問
題は貧であり、解決した状態は富である。もし、そう言えば釈迦は何と言うだろうか。釈迦は決
して否定しないだろうと僕は思う。貧を苦と言い、富を楽と言っても決して間違いではない。こ
れらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし貧の状態を富の状態に変える
方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈迦はこれを自分のライフワー
クとして選んだわけではない。むしろ、現代の経済学の方が比較にならない程大きな解決策を持っている。

 病気/健康
 解決すべき問題は病気であり、解決した状態は健康である。もし、そう言えば釈迦は何と言う
だろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。病気を苦と言い、健康を楽と言っても決
して間違いではない。これらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし病気
の状態を健康の状態に変える方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈
迦はこれを自分のライフワークとして選んだわけではない。むしろ、現代の医学の方が比較にな
らない程大きな解決策を持っている。

274 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:23:00 ID:gqTRZ9Gr
 圧政/自由
解決すべき問題は圧政であり、解決した状態は自由である。もし、そう言えば釈迦は何と言う
だろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。圧政を苦と言い、自由を楽と言っても決
して間違いではない。これらは、人々にとってこれは常に実に大きな深刻な問題だ。しかし圧政
の状態を自由の状態に変える方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈
迦はこれを自分のライフワークとして選んだわけではない。むしろ、現代の自由民主主義政治学
の方が比較にならない程大きな解決策を持っている。

 戦争・飢餓・天災・政情不安/平和
人が解決すべき問題は戦争・飢餓・天災・政情不安であり、解決した状態は平和である。もし、
そう言えば釈迦は何と言うだろうか。釈迦は決して否定しないだろうと僕は思う。飢餓・天災・
政情不安を苦と言い、平和を楽と言っても決して間違いではない。これらは、人々にとってこれ
は常に実に大きな深刻な問題だ。しかし戦争・飢餓・天災・政情不安の状態を平和の状態に変え
る方法を知ろうすれば、仏教は余り大きな力にはならないだろう。釈迦はこれを自分のライフワ
ークとして選んだわけではない。むしろ、現代の科学・政治学の方が比較にならない程大きな解
決策を持っている。

 輪廻/涅槃
解決すべき問題として釈迦は何をテーマとしたのか。釈迦はそれを輪廻と称し、解決した状態
を涅槃とよんだ。輪廻を苦と考え、涅槃を楽と考え、輪廻の解決を図ろう。釈迦はそう提案して
いる。輪廻の原因は無明である。釈迦はそのような仮説を建てた。無明を破れば涅槃に至る。仏
教は、釈迦のこの提案に賛同し、それを実践してみようという人々の運動体を原点とする。親鸞
が提唱した浄土真宗も、この枠組みを一歩、半歩として逸脱するものではない。僕はそのように
考える。輪廻・無明・涅槃とはなにか、これを説明する。

275 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/27(土) 10:26:05 ID:gqTRZ9Gr
> 273-274
× これらは、人々にとってこれは
○ これらは、人々にとって

276 : ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/27(土) 20:48:06 ID:jPSmbl3O
                        _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ::::::::::::::::::::::::::::::::: :::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'  
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
        /:;;/ |;;;''::;;|   丶\  `__>-ー´   !;;;:'''::iヽ、
          i/   |'::;;;;''|      三 ―''"       !''::;;;;| /ヽ
        /⌒ヽ  |;;''':::;|       \            !;;::''|/  i
         /     \{'';;;::''}          ̄二ニ=    !::;;|   |
        /ヘ     |;;:::::;{            ‐-      !/   |
        /  i     |:::;;;''!             ー       !  / |
     /   l     |;;'';イ                   }   {、
     〉、      ∧テ{ ヽ  _   _,,,,;;;;;:::-==ニ;;;_   ノ __,イ´
      / \_    //レ!      ̄           ̄ { ̄  |
    /    `ー::v'´/ | i                     i    |
    i       / ̄   | |                     i、  |
    i       /    ||                         ヽ  |

277 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/28(日) 11:04:50 ID:hlxupyRW
 人には意思がある。行動がある。
 けだものの心でけだものの行為をする者をけだものという。けだものは、欲はあっても全く知
恵がない。知恵のない愚かな欲望に促され、実に知恵のない行動を行う者、これをけだものとい
う。
 ライオンでも、満腹になる一瞬がある。その瞬間は行動が止まる。けだものにも休息がある。
行動を停止するときがある。しかし、知恵のない行動に止まることがない愚か者もいる。こうい
う愚か者は、欲望が満たされることがなく、際限なく愚かな行動を連続していく。これを餓鬼と
いう。餓鬼とは、飢えた鬼、飢えた化け物という意味だ。
 飢えた鬼にもやがて行動が止まることがある。知恵のない欲望は、紅蓮の炎のように燃えさか
り、その炎は全体が厚い南極の氷に封印され、身動き一つできなくなっている。これを地の獄舎、
地獄という。
 人はしばしばけだものとなり、餓鬼となり、地獄にも堕ち、また有頂天となって舞い上がる。
有頂天の時は、全ての物事が期待通りに進行する。有頂天の意思には知恵があり、有頂天の意思
は、実現する行動に妨げがない。意思の知恵はほとんど完璧に実現されていく。しかし、その意
思はなお欲を孕んでおり、やがて欲は知恵の判断を狂わせていく。知恵は現実との狂いを拡大し、
有頂天は必ず持続不可能な時期を迎える。
 昨日まで有頂天でいたものが、今日はけだものとなり、あるいは地獄の底で塗炭の苦しみを受
けることもある。馬鹿だっだった。馬鹿だった。自らの行為を心底悔い、真人間になって生まれ
変わることを固く誓った人物が、舌の根も乾かない内に再び餓鬼の手先となり、地獄の底に舞い
戻ることも決して少なくない。

278 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/10/28(日) 11:08:02 ID:hlxupyRW
 意思と行動が変われば人格が変わる。人格が変わればその節々で古い人格が死に、新たな人格
が誕生する。挫折(死)があり、再起(生)がある。
 中途半端に再起(生)すれば、意思は持続していても行動は再起の時の意思の実現に向かわな
くなる。人は彷徨う(病)。行動は惰性で持続していても、再起の時の意思は放棄される。人は
疲弊(老)する。人が、意思も放棄し、行動も放棄すれば、人は挫折する(死)。人はこのよう
にして、生(再起)・老(疲弊)・病(彷徨)・死(挫折)を経験する。中途半端に再起し、中
途半端に挫折する。生(再起)・死(挫折)・生・死を繰り返す。これを迷いという。人は、地
獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六つの世界を巡っていく。
 今日の私の生老病死は、私の肉体の誕生で始めて発生したものではない。私の肉体の消滅で修
了するものではない。今日の私の生老病死は、過去、無数の人々が繰り返し繰り返し経験してき
た無数の生老病死といささかの相違もない。今日の私の生老病死は、今後も無数の人々が繰り返
していくだろう無数の生老病死といささかの相違もない。実に全く同一の生老病死が、無限の過
去から無限の未来に向かって連続している。今日の私の生老病死は、その無限の過去から無限の
未来に向かって連続している生老病死の単なる一つに過ぎない。これを輪廻という。
 釈迦は、このように無限の過去(前世)から、無限の未来(来世)へと、三世に連続する輪廻
の連続を断とうと提案している。輪廻は、現在(現世)でいまここで断てば再び連続することは
ないだろう。釈迦はそう言う。輪廻を断ち、二度と輪廻しなくなったときのことを、釈迦は滅と
呼ぶ。ろうそくの火を吹き消せば、再びどこからか新たな火を持ってこない限り、蝋燭は自力で
火をともすことがない。滅とはろうそくを吹き消した状態であり、これを涅槃という。

 輪廻を断とう。仏教とは釈迦のこの提案に賛同し、釈迦がライフワークとして提案した仮説を実践
することを決意した運動体である。

279 : ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/10/28(日) 11:11:59 ID:2Cgsq/qn
       // ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
      彳丿; \,,,,,,,,/ u lヽ
      入丿 -◎─◎- ヽミ   
       | u:.::(●:.:.●)u:.::|   
       | :∴) 3 (∴.::|   
       ヽ、  ,___,. u .ノ
       ⌒ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ⌒

280 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:03:41 ID:au9bB8nk
 釈迦は少年期、自分が居住する自我の城を抜け出した。すると、そこで赤ん坊の誕生を目撃し
た(再生)。自我の城に戻り、その後また城を抜け出した。そこで病人を目撃した(疲弊)。三
回目に城を抜け出したとき、釈迦は老人を目撃した(彷徨)。四回目に城を抜け出したとき、死
者を目撃した(挫折)。
 自我の城で城壁に囲まれている状態の中では全てが平和に見える。そこでは何も真実が見えな
い。自我の城を出よう。自我の城を出れば真実が見えてくる。人は生老病死を免れることができな
い。人は生死生死を繰り返している。
 有頂天になったかと思ったら、次の瞬間には畜生・餓鬼・地獄の世界を彷徨う。実に悲しいこ
とではないか。大変なことではないか。輪廻を断とうじゃないか。輪廻転生を苦と考え、輪廻転
生の束縛から離れた状態を楽という。釈迦は、自我の城を抜け出したとき、生老病死の現実を目
の当たりに見、出家を決意した。
 苦のような境遇からはなんとか離れたい。そのように思った人は釈迦以前にもいたようだ。城
を出て出家した釈迦は、先人の下を尋ねる。釈迦はまず、阿羅邏迦蘭(アーラーラ・カーラー
マ)仙人の門を叩いた。アーラーラ・カーラーマは無所有処という境地を教えていた。釈迦は、
速やかにその師の教えを体得してその場を去る。
 釈迦はその次に鬱頭藍弗(ウッダカ・ラーマ・プッタ)仙人の門を叩いた。ウッダカ・ラーマ
・プッタは非想非非想処という境地を教えていた。釈迦はこの教えに飽きたらずそこを去り、や
がて一人で坐禅瞑想に向かった。

281 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:04:15 ID:au9bB8nk
 中村元さんのゴータマ・ブッダを読むと、無所有処も非想非非想処も、共に無色界という境地
に属するという。無所有処とは、所有品も道具も持たないということであるという。中村元さん
といえば、既に故人となったが、自他共に認める原始仏教の大家であり、その主張に非を挟むつ
もりはない。無所有処は無色界であるという考えも古典にきちんと根拠のある定着した考えなの
だろう。ただ、僕は在野の批評家として独自の主張をさせて貰いたい。素人の譫言と思う人は無
視すればいい。 

 人はなぜ輪廻するのか。迷いを起こすのか。それは欲望があるからではないか。欲を捨てれば
いい。欲望を捨てれば間違いを起こすことはない。人はしばしば欲を捨てた理想主義を掲げる。
理想主義は、一気にバラ色の世界を描く。しかし、絵に描いた餅(色界)は腹の足しにならない。
欲を捨てただけでは何の解決もない。
 絵に描いた餅(色界)じゃ解決がない。形があることそれが悪である。こういう主張は理想を
否定する破壊主義(無政府主義)に向かう。形あるものは崩れていく(無色界)。しかし、形あ
るものを崩しても、それだけでは何ら解決がない。
 輪廻(欲)を断とうすればどうすればいいか。理想主義(色界)と破壊主義(無色界)という
二つの主張が生まれるのではないか。アーラーラ・カーラーマは理想主義、ウッダカ・ラーマは
破壊主義を主張していたのではないか。僕はそのように思うのである。

282 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/02(金) 11:14:27 ID:au9bB8nk
 アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマ・プッタの考えは、大乗仏典・ブッダチャリタ
(中央公論社)13巻の方が僕には理解しやすかった。アーラーラ・カーラーマは次から次
へと捨離していく。一切を捨離しなければ完全に目的を達したことにならない(258頁5行目)。
欲を捨てていく理想主義の境地を主張している。

 ウッダカ・ラーマ・プッタは、一切を捨離する無一物の状態を脱し、その彼方にある想念あり、
想念なしの議論を超越していく(259頁4行目)。非想非非想処は想念を持たないことも想念
を持つことも無い。理想主義にはビジョンがある。計画がある。餅を描いた絵がある。これに対
し、非想非非想処は、想念を持たないのではないようだ。つまり、絵に描いただけではだめという
思いはあるようだ。その上で、想念を持つことも無い。想念を持たなければ、実体どころか、絵す
ら描けない。実体(欲)もなく、ビジョン・観念(理想)をもつことすら放棄すれば、人は真空となる。
まさに無政府状態となるのではないだろうか。

 餅を絵に描くだけの理想主義では解決がない。しかし、その絵さえ否定しても解決はない。釈
迦はやがて、輪廻の根本に無明があることを発見し、十二因縁の仮説と、四諦八正道を見いだし
ていく。     (2,3日カキコ不能)

283 :神も仏も名無しさん:2007/11/05(月) 18:56:22 ID:KlICmw36
2,3日カキコ不能と言いつつ親鸞会スレを荒らしてたニート海難
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/169
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/188
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/190-191
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/218
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/227
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/294-296
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/306-307
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/327-328
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/341-342
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1193871428/344

284 :神も仏も名無しさん:2007/11/07(水) 22:31:30 ID:QZPTdSYb
  ||  !| │
  ||  !| │
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  ||  !| │
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Ξ||Ξ!| │                …ああ先生ぇ……
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     |  .!                 :.,;;;;;;;;;;;、ニニニニニニ.、
     |  .!                  {;;;;;;;;;;;;;;}   ̄ ̄!| |.!
    ||`ー|. ̄ 丁 ̄|\          :'::;;;;;;;;;::'  __」.! !.!
  __||二二二]|__ || |       ,r''''"~    ""''ヽ.:l─´. !.!
  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.!l `ヽ !、     :.i'           'i,=コ|.|
  ||  l三三l  ||  ,_」___: |             'i,'丑丑|ニl___,'ニヽ___
  ||.==========!l  '‐┬┬‐─ !        i'>  }. ─────┬┌′
  ||  l三三l  ||   | /丁,.` !       ; _ノ _,...、 ̄ ̄ ̄丁ヽ、|
  ||==========:!|   | !.|  'i, `'i'''―--―''''i'ニ-'"   ノ   .  .! | |
  ||  l三三l  !l   .| !.!  ヽ.i' "'    '''"';  _/  _,,..i'"':, . ! ! !_
  ||----------|.! ___,| !.|_メ´丶ゝ_,.i、_   _,;..-'"   |\`、: i'、.`ー'
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ー'"            ̄        \\`_',..-i
                                  .    \|_,..-┘

こうして、今日もパソコンの前で一日中座禅念仏をする渡海難であった。。。

285 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:48:42 ID:sl0Nxim5
 再起・挫折・再起・挫折を繰り返すことは確かに大問題だが、貧困は大問題ではないのか。病
気は大問題ではないのか。圧政・戦争・飢餓・天災・政情不安は大問題ではないのか。こういう
反論は当然あるだろう。貧困・病気・圧政等も、人類が立ち向かわなければならない問題であり、
再起・挫折を繰り返す輪廻も立ち向かわなければならない問題である。いずれも大事な問題だと
いうべきだろう。貧困や病気や圧政などについては、その解決に向け、社会的には様々な提案が
なされている。我々は、こうしたそれぞれの提案に、適宜耳を傾けながら取捨選択し、必要に応
じ、立場立場で必要があれば逆提案をすることもある。
 輪廻の問題もそうした発想と決して矛盾するものではない。我々仏教徒は、輪廻の問題につい
ては釈迦の仮説的提案に耳を傾け、釈迦が提案した方法論を、自分の生き方の中で試験的に、
あるいは継続的に実践してみようと選択した人々である。僕はそう考えている。

 十二因縁の仮説とは何か。十二因縁の仮説は十二個の単語が続いている。無明・行・識・名色
・六処・触・受・愛執・有・生・老病・死、である。十二個の単語は経典間によって若干の揺れ
があるが本質的な相違ではない。

286 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:49:28 ID:sl0Nxim5
 本源(過去因)
 ああ、俺は馬鹿だった。俺は本当に馬鹿だったんだよ(無明《根本原因》)。馬鹿だったから
あんな衝動が涌いた(行)。
 現状分析(反省)
 馬鹿だったからあんなことを考えたんだ(識)。知恵も分別もなく衝動が涌いた。そんな考え
が涌いたからこそ、あんな事物を意識した(名色)。あんな意識が涌けば、ものごとはみんなそ
っちの方に見えてきた。耳に心が宿って聞こえてきた。目に心が宿って見えてきた。感情に心が
宿って感情が動いてきた(六処)。耳に不快なものは避け(触)、耳に快い方に心は向かった
(受)。
 現状分析(束縛)
 そうなれば物事に執着が現れる(愛執)。執着は積み重なっていく(有)。
 未来分析
 執着すれば繰り返し繰り返し再起しなければならない(生)。繰り返し繰り返し再起すれば繰
り返し繰り返し彷徨・疲弊する(老病)。愚かな行為は、今後も繰り返し繰り返し挫折するだろ
う(死)。

287 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 09:51:35 ID:sl0Nxim5
 釈迦の主張と従来説の違いは、無明という概念を出したことだ。それ以前には、輪廻の根元は
欲望にあると考えられていたようだ。欲を断てばいい。理想主義(色界主義)はそう主張する。
欲さえなければ人は迷うことがない。そう考えられていた。しかし、欲を断ってもなかなか迷い
は尽きない。これに対し、欲を断っただけでは駄目なんだという主張もあった(無色界)。それ
じゃ何が原因なんだというところで、行き詰まった。釈迦は無明という概念を提案したのである。
 迷いの根元は無明にある。この仮説は、大乗仏教・小乗仏教の全てを貫徹する共同認識であり、
この仮説を否定する思想は仏教ではない。では無明とは何か。無明とは、方法論が無いという現
実である。これを考えていこう。

288 : ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/11/09(金) 18:47:29 ID:AP0lNH1x
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       (::::::::::/彡彡彡彡彡   ミミミミミミミ :::::::::::)
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        (   U    (●  ●)  U       )
       ( U      / :::::l l::: ::: \      U  . )     
       (     U// ̄ ̄ ̄ ̄\:\.U      .)  
      /\ U  )::::( ( ̄ ̄ ̄ ̄) )::::(:  U  / 
     /   \ :::: ::::、ヾヾ___ノノ ヽァ ::::  / 
   /      \::::::::::: \;;;;;;::::::;;;: (  ̄ ):::::::: ノ
  /  ' "'' 、   \: _- ,,_ ̄ ̄ ノ` ゙ /:::::::::/       
/ , - 、 ,,  `ヽ   \/   ̄` ' - 〈_/ ,ゝ--、 
             /      ヽ  |  /   ノ
     ,,  、    /    ヾ    ヾ  ヽ-' 、 ,/
  - ''      ヾ  (   ヽ  丶    ! ''  ,, ゝ" |
''"        \/ヽ  ヽ  ヽ _ 'i /    ヽ

289 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 20:07:22 ID:sl0Nxim5
 ちょっと脱線します。僕の説明が悪かったかも知れない。

 あるお寺の報恩講で今年始めて五会念仏をしましたという報告を受けました。門徒方には大変
評判が良かったそうです。来年のリクエストにも入ったそうです。

 ただ、その方のメールの中で、座禅念仏という単語が出できました。2ちゃんねるの荒らし坊
主が「座禅念仏」という言葉を使用するのは僕の知ったこっちゃないけど、真面目に念仏を考え
ている方が座禅念仏という表現を使うとすれば、これは気になる。親鸞教学に無用の混乱が起こ
らないよう、用語についてここで再度確認しておきたい。これまでの僕の説明が悪ければ、説明
が変わってと思ってくれてもいい。親鸞の真意と思えるところをできるだけ正確に公表しておき
たい。

 宗祖は座禅念仏という言葉は使っていない。五会法事讃略抄を見て欲しい。五会法事讃略抄で
宗祖は、「念仏三昧は、真の無上の禅門なり」といいながら、教行信証では、全く同じ箇所を引
用して「念仏三昧は、真の無上の門なり」と言い、教行信証では敢えて禅という文字を落として
いる。絵画には、額絵画と非額絵画とがあるんじゃない。額があっても額がなくても絵画なんだ。
念仏にも、座禅のある念仏と座禅のない念仏とがあるんじゃない。座禅があっても、無くても、
それは念仏なんだ。

290 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/09(金) 20:09:10 ID:sl0Nxim5
 念仏は、行住座臥、不問時節久近というのが原則である。何かを行動しながら称えてもいい。
止まって称えてもいい。座りながら称えてもいい。寝ながら称えてもいい。長い間称えてもいい。
短い時間で称えてもいい。時間を決めて称えてもいい。時間を決めないで称えてもいいんだ。だ
からといって、動きながら念仏・止まりながら念仏・着座しながら念仏・仰臥しながら念仏、と
いう四種の念仏があるというわけではない。

 念仏は、座りながら称えてもいいなら、正座して称えてもいいんだ。あぐらして称えてもいい
んだ。それなら座禅して称えても一向に悪くないだろう。時間を決めないで称えてもいいんなら、
一定時間、外に何もしないで念仏だけに集中して称えるという念仏方法があってもいいだろう。
行住座臥、不問時節久近の念仏にはそのスタイルは自由かつ多様なんだ。多様な念仏スタイルの
一つの選択肢に、念仏三昧という念仏方法が歴史的に存在してきた。

 念仏三昧をしようとする者は座禅して称えるといい(教行信証)。親鸞はそう勧めてくれてい
る。観無量寿経を読む分かるが、座禅こそが極楽浄土の正式な着座スタイルだ。念仏は、座
りながら称えてもいいんだから、当然、座禅して称えてもいいわけだ。座禅が極楽浄土の正式な
着座スタイルであれば、念仏三昧をしようとする者は、座禅して称えるといいだろう。親鸞はそ
う言っている。これは極、当たり前の提案だ。
 念仏三昧で、念仏を座禅して称えるなら、その中で特に五会念仏という方法が一番いい(法事
讃略抄)。親鸞はそう教えてくれている。
 
 教行信証を読むと一般的な念仏の意義や目的が色々書いてある。とりわけ念仏三昧の効果につ
いて特筆している。教行信証は、座禅して念仏を称えるこの五会念仏の効果を念仏三昧の効果と
して特筆している。
 宗祖の書き物は、その真意を正確に読んでいきたい。

291 :神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 20:38:11 ID:4lgtHQo3
>>289-290
今までのは全部渡海難の妄想だった
まで読んだ。

292 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 08:28:20 ID:dPlOSCo5
>289
誤 座禅があっても、無くても、それは念仏なんだ。

正 座禅があっても、無くても、それは同一念仏なんだ。
 二種類の念仏があるんじゃない。同一念仏無別道故
 という大原則をはみ出るんじゃないんだ。

293 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:47:31 ID:dPlOSCo5
 釈迦仏教論に戻ります。

 無明とは何か。知恵がないということだろう。言い換えれば、知恵があれば人は迷わない。再
起・挫折・再起・挫折を繰り返すことはない。
 このように言うと、それはおかしいという意見も出る。六道の内、地獄界・餓鬼界・畜生界には
確かに知恵がない。これを三悪道という。しかし、少なくとも人界には知恵がある。十分とは言
えないが、あるか、ないかと言えば知恵はある。人は、知恵を失うと三悪道に転落する。だから
こそ、人は知恵を持たないといけない。三悪道の人が真人間に戻るというのは、知恵があって
始めて可能となる。輪廻の人界に知恵がないというのは言い過ぎではないか。人界だけではな
い、天界にも知恵がある。むしろ天界は圧倒的に豊富な知恵で溢れている。天界は、圧倒的に
豊富な知恵と行動力を持ち、他が真似できない実力で自らの意思を実現する。問題だったのは、
天界・人界さえ輪廻から免れられないという事実ではなかったか。
 仏伝によれば、釈迦が悟りを開くと、帝釈天・梵天が直ちに天から下りてきて釈迦に教えを請
う。帝釈天・梵天ともなると、ずば抜けた能力を持つ。帝釈天・梵天などは、どこかで誰かが悟
りを開いたということは、直ちに察知できる。
 帝釈天や梵天は、釈迦から何を学ぼうというのか。一介の僧より、帝釈天や梵天の方が遙かに
様々なことを知っている。ずば抜けた行動力もある。その帝釈天や梵天が、釈迦から何を学ぼう
というのか。

294 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:49:10 ID:dPlOSCo5
 帝釈天・梵天は釈迦にあらゆる点で勝っていたはずだ。ただし、一点を除いてである。帝釈天
・梵天は、圧倒的に釈迦に勝っていた。しかし一点において釈迦に叶わなかった。この一点によ
って、帝釈天・梵天は釈迦に完全に敗北していた。帝釈天・梵天は釈迦に圧倒的に勝っていたが、
一点において叶わないことがあったため、地にひれ伏して教えを請うことになる。その一点とは
何か。自分は何一つ分かっていないという一点である。

 帝釈天・梵天はあらゆることを知っていた。他と比べものにならない圧倒的な実力を持ってい
る。その帝釈天・梵天が、唯一釈迦に叶わなかった点、それは、自分は何も分かってないという
そのことを知らなかったと言うことだろう。この一点で帝釈天・梵天は、釈迦に対し、教えを請
うた。あらゆることを知り、圧倒的な実力を持っているものが持っていない唯一の知、それは無
知の知である。それが釈迦の悟りだったと思う。無知の知が無い。それが無明ということだろう。
釈迦から無知の知を教わった帝釈天・梵天は、その後眷属を引き連れて釈迦の守護神となった。

 釈迦の無知の知は、分析論と方法論とを切り分けたということだろうと思う。分析論を悪因悪
果という。方法論を善因善果という。釈迦以前にも知恵はあった。しかし現状分析論と方法論と
の切り分けがない。両者は渾然一体化し、まだら模様化している。これではうまく行くときは成
功するが、やがて必ず行き詰まる。

295 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/10(土) 10:52:10 ID:dPlOSCo5
 分析論だけではだめであり、相応しい正しい方法論が備わっていなければならない。方法論は、
正しい分析論を合わせよう。釈迦はそういう提案をしている。こういう知恵は、東洋では釈迦が
最初に抱いた。世界にはもう一人いると僕は考えている。それはソクラテスだ。
 釈迦とソクラテスは洋の東西でほとんど同時期に誕生し、両者は全く出会うことはなかった。
しかし二人は人類の発展に不可欠の要素をもたらした。釈迦は祇園精舎を建設し、ソクラテスか
らはその弟子であるプラトンが、アカデミヤを建設し、世界の学校の原点になった。二人の共通
点は、教育ということだ。

 議論を教育論に飛ばす前に、もう少し釈迦の悟りを考えてみる。ここは親鸞仏教の重要な原点
だからだ。

296 :神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 11:27:12 ID:pKGvDxyT
  |\__/ハ__
 {_____」
       
         \\              ∧_∧
◎     ≫〃vミー‐w  へ          (´<_` ) くせえんだよ
  \   彡_____彡ヽ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄⌒    \
      {_親●鸞___| )  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\       )
 ◎-○一( * *    ヽミ            |.      |
      ((_ _ (( ( ;;;;-=- ̄=─ ̄ '⌒ヽ.〉      | |
 ‘,'.∴・,‘・(ε ((  ヽ:: -=_二__ ̄ .   \_     | |
  ,'.・∵  ヽ_____ ノ        ̄\      / /
    (   ) 渡 ≡ ;;; )  )         .\__/_丿
     |__|. 海 ≡ ;;; )_l          .|  |
    _|  |  難 ≡ ;;;; ) (           |  |
   |  \.._\.      入 \,       |  |
   |ハルヒ(_る〜〜〜〜〜wv)       \ ヽ
   |___||:::::::::::::/::::::::::/               \ |
         .|;;;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;/             / ノ
         (___|)__|)     

297 :神も仏も名無しさん:2007/11/10(土) 17:47:17 ID:9Kvbl2Qv
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| ___OO___OO キモいぜ! i⌒i__ ┌─┐...|
|(_____)(___  )_l⌒l(⌒( ̄  ___)│12│...|
|(__  __)   ノ  ノ(_   ヾノ~| .(__)└─┘...|
|  ノ  /    / ./( O  ,-,  )ノ  ノ__ 三|三|- |
| ( _ ノ   ( __ ノ   \__ノ ( _ ノ(___(___)ノ| ̄|  .|
|         「激闘!東京ビックサイト」の巻  ̄~  .|
|  ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ̄ ̄ ̄ ̄\;;:;:;:;;:;'''''''´`´` ..┃  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;(  人____)::::::::::.      ┃  |
|  ┃ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|ミ/   ー◎-◎-) __ ::::   ┃  |
|  ┃   _,.-;:;:;‐`;(6     (_ _) )'"-ゞ'-' :::::   ┃  |
|  ┃ /;:;:;:;:;:;:;:;:;:| ∴ ノ  3 ノ     : ::::::   ┃  |
|  ┃トヽ:;:;:;:;:;:;:;//\_____ノ⌒ヽ,   ( ,--、_ ┃  |
|  ┃i!`ー、_,、{;;l`ヽく_oー―=''''"||:;:;:;:;:;ヽ,       ┃  |
|  ┃ヽ    l/;;;:`ー-;川♀'┴-、|j;:;:;:;:;:;:;:;ヽ,._,-'ニ二┃  |
|  ┃ |ヾ、  i;;;:::::;;;;;(0:::)ヽ;;;-::"フ;:;:;:;:;:;:;:;:;:::il   ヽ┃  |
|  ┃ 1ヽニフヽ;.-''"/ 7'、;;;;;;;:::;;;;i'ニニ、ヽ___j.ヾニニ ┃  |
|  ┃,,┴フ;:{   ,.∨ |L ゝ;;;;;ノi  , __,..-'" ;;;;;;;;;;;;;;;;┃  |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 応援ヨロシク!./ ̄ ̄ ̄ ̄\ ア ニ メ 化 決 定!|
|    / ̄\(  人____)テレビ東京系列      |
| , .┤    ト|ミ/   ー◎-◎-)  深夜0時25分〜  |
| |  \_/  ヽ    (_ _) )              .|
| |   __( ̄ |∴ノ  3 .ノ ファンの要望に応えて |
| |    __)_ノ ヽ     ノ | ̄| あの デブおた君が |
| ヽ___) ノ    ))   ヽ.|∩| アニメで登場だ! .|
|______________________|
|三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三三|

298 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 12:58:05 ID:bmQxy78H
原始佛教スレで、このスレが紹介されてましたので、とりあえずロムってみました。
さすがに渡海氏は親鸞については詳しいですね。

で、>>76氏の問いで渡海氏の>>96の答えを拝しました。
知的障害というのは、そもそも現実的に腹式呼吸は無理なんじゃ〜ないか?
これは丹田呼吸法と同じですか?
ある程度の精神集中は必要ですし。

で、これは私の自論(持論)なんですが、
そもそも知的障害というのは、程度の差はあるかと思いますが
俗世間的には悟ってますね。
悟ってる御仁というのは、そもそも阿弥陀如来に帰依せんでもいいかと思うのですが、
このてんどうでしょう?

自然法爾で調えば宜しいんじゃ〜ないかと、
かように思うのですが。

あと私が伺いたいのは、真宗で悟った瞬間というのがあるらしい。
これは阿弥陀仏からの手綱を離した瞬間らしいのですが・・・
その後の境涯について伺ってみたいですね。

299 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/11(日) 14:04:06 ID:RG66Z1ir
>298
>知的障害というのは、そもそも現実的に腹式呼吸は無理なんじゃ〜ないか?
   うん。まあそうかもしれないね。

> これは丹田呼吸法と同じですか?
   禅の時の腹式呼吸は同じだと思っています。

> ある程度の精神集中は必要ですし。
     なるほど。

> そもそも知的障害というのは、程度の差はあるかと思いますが
> 俗世間的には悟ってますね。
     なるほど。僕も、昔はよくボランティア活動で施設に行ったんだけど
    知的障害者だって、苦しんでたよ。それは健常者のぼくらと同じか、
    それ以上だった

> 悟ってる御仁というのは、そもそも阿弥陀如来に帰依せんでもいいかと思うのですが、
     悟ってない人だって、別に帰依しなくてもいいんじゃないのか?。

> 自然法爾で調えば宜しいんじゃ〜ないかと、
     何か、自然法爾が必要ですか?

> あと私が伺いたいのは、真宗で悟った瞬間というのがあるらしい。
> これは阿弥陀仏からの手綱を離した瞬間らしいのですが・・・

 念仏は禅と密接不可分の関係にあります。真宗では悟ったとは言わない。多分、これは
北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。
 いずれ、釈迦仏教論から大乗仏教論、大無量寿経の起源、念仏の救いとは何かという
問題に絡めて、多いに議論すると思います。
 真宗とは何かというのは、実に大きな問題で、一口で言えることではないんです。


300 :神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 14:26:00 ID:fb4zpsal
                                           ' ,; `, ; ` ; ,
                 ボォオオオオオオオオオ          ;  y"'(,;r_ソi,;  ,
                                         ノ;";;',,,u`゙;,゙`,,;;.´`r;
     /  ̄ ̄ ̄\                           ´; (,,'_;、;_;;',;人;;';`:;)
    /      \ ,,/丶                          ヽ(;,◎-◎一;;u:ヽミ/
    /     (●_ (●                        ´,,;)(";;(。。;;(´";゙,;;`9)
    |     ::⌒(__人_))                   ; ゙、  ノ;,‘"ノ{、;ε`,;;,';;u゜,, "イ
.    \     `ー'/               '′,;  ;ソ′ノ},; ' ; "; ,',ヽ;;';_;;;;_;;_`,;イ二)
   √/⌒\ーィ´l≒ーaQ___ハ,,''",_,,'′;⌒",⌒'"~`,,,´ ,"彡"从;;:´'';´~゙゙;((´⌒:)~ヘ
   _|\ ir─┴!ー─,=ァ───‐';y、〜〜、,     ''       ≠ ル'";; " ;|___|  }
    |___|  `ー─┬'ーtョ'       ′    `゙ーヾン,,"   ,; ; ,,  从"‘ 渡海 |  |  ロ
.   VII| ー──‐l                  '   `゙ヾ;;;;ン,,,ノ;Y;≒;;,',`_____| ,人_}
       |   / /                       ,´       ;,ヾ、  、,   (_,,ソ
        |__/,__/                        ;          |__,|____,|
       └一ー一                               ノ'__}("___}

301 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 15:32:50 ID:bmQxy78H
>>299
>念仏の救いとは何かという

昔NHKかで放映されてましたのが記憶にありまして、
阿弥陀如来から数本の綱が出てまして、その綱を持った僧が念仏を唱えながら
如来仏の周囲を旋回する。
(これは浄土宗のどの宗派かは分かりません)

この姿は、母(如来)が子(僧)の手を取るところに似てますね。
(帰依するとか、帰命するとかの体現でしょうか?)
まあ、いつかは子供は母から離れませんといけませんから、
他力の本願といふのは、まさにこの手綱を離した瞬間かと、
そのように思うたもんです。

> 念仏は禅と密接不可分の関係にあります。真宗では悟ったとは言わない。多分、これは
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。

なるほど、そぉでしたか。
ならば真宗は北禅に近いやもしれませんですね。
ここは熟考せななりませんです。

どうも参考になりました。



302 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/11(日) 15:44:18 ID:bmQxy78H
>知的障害者だって、苦しんでたよ。それは健常者のぼくらと同じか、
>    それ以上だった

知的障害じゃ〜なくても、脳性麻痺などは知的には問題がなくても身体が麻痺してることもありますからね。
これは健常者には想像もつきません。
手が麻痺しているために自慰行為というのが出来ない。
というのは、あまり健常者には知られていない。

>悟ってない人だって、別に帰依しなくてもいいんじゃないのか?。

知的障害でも、幕末の仙台四郎などは、私は悟ってる御仁かと思いますがね。

>何か、自然法爾が必要ですか?

いやいや、なにもせんでいいかと。
かように思ったしだいです。

                    <かしこ>


303 :神も仏も名無しさん:2007/11/11(日) 22:26:51 ID:3qbuk07b
                 渡海           「!/7
                  ↓           /ふ(⌒r_-_、_
                / ̄ ̄ ̄ ̄\    .l'、そrィ(_,,},}ニ)
             (  人____)    l ` ''ー<´..... __゙!
             |ミ/  ー◎-◎-)     ゝ.,,______ |
            ,r (6     (_ _) )   |ミ/  ー◎-◎-)
          ,/ヾ<|/ ∴ ノ  3 ノ   (6     (_ _) )←机龍之介
       ,.、‐'":ヽ::::\ __  __ノ      |/ ∴ ノ  3 ノ
      /::::::::::::::::ヽ::::::ヽ `/)乙二ス、   ,rニ ̄`ヽ   __ノ
     /:::::::::::::::::::::::::::ヽ::::;/ ーンノハヾ,!} /- ... `ヽ、 ,! ! ヽ
   /::::::::::::::::::::::::::::::/^i´    /(_, イヽ'    :..  \,!  : ',
.   i:::::::::::::::::::(⌒/:::::::::::l,r‐ァ''";!/:i,  |:::::::゙!      :..  \:  ',
    !:::::::::::::;:、-'":::::::::::::::::::|::/::::;:':{;::::i, |:::::::::} :. i    :.. ヽ :. ',
   }::::::;:::'::::::::::::::::::::::::::::::::|'::::;:':__:i;::::::i, l;::::::::|  ヽ _,,..、、-‐ 'i ゝ,
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304 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 09:40:37 ID:cMH0NawS
>北宗禅と南宗禅の対立と分裂に遡る考え方だろうと思う。

始祖から五祖に到る過程において、
その象徴的なものが神秀に法灯(法衣)を継承しなかった五祖・弘忍だろう。
慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だったそうですから、
いかにこの事変がインパクトのあるもんだったか推測される。

この段階において、五祖の評価は高い。
(ここに関心のある御仁は少ないが・・・)
既存の価値観に依存しない。
親鸞の戒律破壊とか、それによって旧態が果たして何だったのか?
それに疑を向けることによってしか抽出されない

「宗教的な命題は本当かどうかなんか言えるはずが無く、
信じるか信じないかしかない」。
歎異抄には、こんなことが書かれてますけど、
これなんかは非常に禅的?ですね。








305 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/12(月) 10:36:15 ID:dMGuGNyU
>304
>慧能の去った後の東禅院は、既に蛻の殻だった

 南の主張でしょう。 (w

 兄弟子に反発し、喧嘩状態で分派した弟弟子集団が、「あいつの所には
もうカス以外には何も残ってねぇーぜ。ざまぁー見ろ。さあ、笑ってやろう
じゃないか」と、こんな風に分派側が毒づくという話は、いつのどこの世界
にもあることだ。

>これなんかは非常に禅的?ですね。

 禅の話はもっと後にしたいと思う。歎異抄の評価については、見解が相
違します。南と北とが、同じ価値観、見解なら、分裂などは無かったでしょ
う。親鸞は、仏心宗を聖道門と呼んで批判する。これは栄西の臨済宗を批
判しているものだ。親鸞は、北から見た南批判を承継している。
 
 もともと、禅のない仏教などは存在しない。禅的でなければ、それは
仏教ではないんだと思う。しかしそれは、南の考えを支持しているという
ことではない。
 そのまえに、釈迦の悟りをもっと考えていく。


306 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/12(月) 11:14:10 ID:cMH0NawS
>>305
>こんな風に分派側が毒づくという話は、

いやぁ〜そうでしたか?
私はそんなふうには思ってなかったですね。
文献において考察したまでのことですが・・・

神秀は長身でハンサム、また秀才でもあった。→五祖の一番弟子
慧能は背が低くてブ男、また無学。→新人(米搗き役)
両者は非常に対照的であり、腕力からしても神秀が上手。
東禅院を抜けるときも、慧能は逃げるようにして出て逝く。

>親鸞は、北から見た南批判を承継している。

なるほど、そうでしたか。
親鸞の人間性が出てますね。
まあ、慧能というのは見方によれば異端であったわけですから。
これは納得が逝く話です。
(真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょうね)

>もともと、禅のない仏教などは存在しない。

またいずれ、坐禅念仏のことでも御教示願えれば幸甚でありまふ。




307 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:39:44 ID:VdHHLuUW
>306
>私はそんなふうには思ってなかったですね。文献において考察したまでのことですが・・・

 これは失礼申し上げた。「東禅院は、既に蛻の殻だった」というのは、このように書いてある
古文書があると言うのではなく、机龍之介さんがそのように考察したということだったんですね。
それなら、>> 305の記述はお門違いだったですね。机龍之介さんがどう考察してもそれは自由だ。
失礼しました。
 ただ、神秀は唐の皇帝に仏教を教え、北宗禅は、唐朝廷の公式の仏教となりました。遣唐使の
ような国家間の留学生はこれを学びに海を渡りました。蛻の殻ならそういうことにはならなかっ
たと思いますよ。なお、少林寺拳法の少林寺は、現代では数少ない北宗禅を名乗っているそうで
す。
 延暦寺の僧兵もこの北宗禅を学んでいたはずなんで、僧兵・一向一揆などとの関連で、北宗禅
は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。見当違いかもしれ
ないけどね。

>真宗という脈絡からすれば北禅に近いでしょう

 善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。
 法照禅師は唐の皇帝に五会念仏を教えている。中国仏教全盛時代、全盛の中国仏教の最高指導
者だったようです。

308 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:41:59 ID:VdHHLuUW
 釈迦は十二因縁の法理を悟ったとき、同時に四諦の法を悟った。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦
・道諦の四つを指す。

 釈迦は、菩提樹の下で十二因縁の法理を悟ると、五人の比丘に法を説いた。中村元さんのゴー
タマ・ブッダを読むと、後代の人が尾ひれを付けたり省略したりして、いろんな説があるようだ。
その一つ漢訳増阿含経を中村元さんの著作から孫引きする。
 「四つの聖なる真理がある。四つとは何か。曰く、苦という聖なる真理。苦の集起という聖な
る真理。苦の止滅という聖なる真理。苦の止滅に導く道という聖なる真理である。仏は、この経
を説きおわって、諸々の修行僧は仏の諸説を聞いて喜び奉じ行った」。

 釈迦は最初に何を説いたのか。十二因縁、中道、四諦、八正道など、いろいろ経典によって異
なるそうだ。歴史的には正確なところがよく分からないようだが、十二因縁、中道、四諦、八正
道など、何かこの辺の教えを説いたのだろう。仏教発足の非常に早い時期、仏弟子達は、十二因
縁・中道・四諦を仏教の原点として認識するようになっていった。

 考察する。十二因縁と四諦とは釈迦の悟りの裏と表である。裏と表を合わさったものが中道、
中道を実践する道が八正道、結局、十二因縁と中道と四諦と八正道とは釈迦の一つの悟りを立場
を変えて表明している。仏弟子達は釈迦からそのように教わったんだろうと僕は思う。

 十二因縁を語れば、裏には必ず四諦がある。四諦を語れば、裏には十二因縁がある。十二因縁
のない四諦は存在しない、四諦のない十二因縁は存在しない。四諦と十二因縁が合わされば中道
になる。中道は、八正道で具現する。八正道を実践するということは、四諦を実践することであ
る。四諦を実践することは、十二因縁の業を断つこと。涅槃を得ることである。

 十二因縁は悪因(無明)・悪果(生死)を教えている。悪因・悪果の裏には善因(道諦)善果
(滅諦)がある。悪因悪果・善因善果、因果の理法が正しく併存するところに中道が具現する。
中道はいかにして具現するのか。それは八正道による。正見・正思・正語・正業・正命・正精進
・正念・正定を実践せよ。これが涅槃の道である。ここで大事なことは、釈迦には方法論がある
ということだと僕は思う。

309 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/17(土) 12:44:48 ID:VdHHLuUW
 十二因縁とは分析論である。十二因縁は現状を分析している。多くの論者は分析で話が止まる。
釈迦は方法論を明らかにした。四諦と八正道は方法論である。四諦は、方法論の総論である。八
正道は具体論である。

 こう議論を進めてくると、十二因縁がいう無明の本質が見えてくる。色界には方法論がない。
夢のようなことを言うが、実現方法に具体性がない。それが色界だ。無色界には分析論がない。
行き当たりばったりの方法論はあるが、行き当たりばったりで何をしたいのかが分からない。分
析論が無い。釈迦は方法論(四諦)と分析論(十二因縁)をセットにした。釈迦は、分析論と方
法論とをセットにし、方法論を総論(四諦)と具体論(八正道)で説明している。
 無明とは何か。無明とは、分析論も方法論もない、欲の赴くまま(欲界)、分析論はあるが方
法論がない(色界)、方法論はあっても分析論がない(無色界)。無明とは、何がどうなってい
るのか分からない、何をどうしたらいいのかがわからないという状況である。何をどうしたらい
いのかがわからないから人は迷う。生死生死を繰り返す。分かったつもりでいても、実際には何
も分かっていない。

 十二因縁、中道、四諦、八正道が釈迦の悟りの全体である。仏教の原点である。中核である。
これ以外の教えは仏教ではない。親鸞の教えであっても、決してその例外ではない。浄土真宗と
は、まさに釈迦のこの悟りを中核としていることを決して忘れてはならない。
 もし、釈迦の悟りと親鸞の思想との間に相違があれば、それは時間というファクターが加わっ
ているだけである。釈迦の悟りは、紀元前四世紀ころのインドの思想である。親鸞は紀元十二世
紀の日本に誕生している。時間ファクターがどのように加わっていったかを議論する。

 悟りを開いた釈迦はその後何をしたか。それを考えていこう。

310 :神も仏も名無しさん:2007/11/17(土) 13:47:34 ID:nlh96azf

               / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
              | 彼女ができたにょ〜
               \___  ______________
                     V
       ___  _                     / ̄ ̄ ̄ ̄\
      r'⌒';=〔X〕=:、     / ̄ ̄ ̄ ̄\     (((((^)))))))) .|
       川_ノ从仆从))   (  人____)     | =   \ミ|
       | |_」O  Oy     |ミ/  ー◎-◎-)     [¬]-[¬]一 6)    
       | .人ひ − ノ|    (6     (_ _) )     < 「、   >  |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 
      `⌒ニ| 匸⌒'   _| ∴ ノ  3 ノ     .| (一)  ||| ./  <  等身大フィギュアじゃねーか。
        f´\〔X〕フ、  (__/\_____ノ       \___/\  \_________ 
       !__j_》、___,》_)  / (__))     ))      ((    ((\|/|⊃
       〔>ヽヽっ./ /〕 []_ |  |  渡海 難ヽ      .|机  |\/
        ム/i\_)_∧j |[] |  |______)     |龍之介|ノ
        /\i    i∧  \_(___)三三三[□]三)    .(三□三三)
     /:::/::`ー一ヘ::::ヽ  /(_)\:::::::::::::::::::::::/      |::::::|:::::::::::|
     く::/:::/:::l::::lヘ:::ゝ::::ゝ| Sofmap|::::::::/:::::::/       .|::::::|:::::::::::|
     `´^ト‐iー'i_´ー ^´ (_____);;;;;/;;;;;;;/        |;;;;;;|;;;;;;;;;;|
        f`f⌒if⌒i      (___|)_|)        (|__(|__)
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

311 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:03:16 ID:JuAqXImw
>北宗禅 は武闘派、南宗禅は農耕派なんじゃないかというイメージを僕は持っている。
>見当違いかもしれないけどね。

なるほど、なかなか示唆に富んでいる書込みですね。
例えば、
剣術などを習うと、ごく自然に精神世界に関心が向くようになる。
剣の勝敗というのは殆ど一発で勝敗が決しますから、
当然の如く精神修養に関心が向くんでしょうね。

鹿島流などは、相手の切り込むその刹那に・・・相手のコテに剣を入れるのを得意とする。
コテを入れた時点で相手は戦意を消失しますから、それで殆ど勝敗は決まる。
まあ、重い剣をいつまでも振り回す訳にいかんから、
この奥義は長年、秘儀として伝えられたもんでしょう。
                    (つづく)          

312 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:04:00 ID:JuAqXImw
相手に先手を打って切り込むには、恐怖心があっては出来ませんから、
先ず平常心をもつ。
そこから精神を集中させる。そして相手の動向を即座に観察する。
これだと本来無一物の南禅では無理ですね。

南禅の象徴的な人物というのは場祖かとおもいますね。
馬祖の風貌というのは、今でいうホームレス的なものっだったでしょうから、
これは農耕的な・・・どこにでも居るオッちゃんタイプですね。
南禅だと、こういうタイプに憧れる。
法燈国師とか盤珪はルンペンになってますから。

誰でもこういうのは一度はやってみたいんでしょうね。
坊主と乞食は一度やったら辞められない。
ともいう。

私もそういう時期がありましたw
獅子文六の「自由学校」を読んでから・・・
まあ、リアルではシビアなんでしょうけどw

313 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/17(土) 15:20:25 ID:JuAqXImw
鹿島流で有名なのが塚原卜伝ですね。
武蔵の剣を鍋蓋でかわしたのが有名。
これはたぶん、相手の気配を即座に読みとるんでしょう?

蛇足ですが、
全盲の方は、気配を強く感じる人と・・・そうでない人がいるらしい。

これも私には分からんですね。
全盲ではないから。
だけど考えさせる命題です。


314 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :2007/11/18(日) 10:59:28 ID:CJPNumqT
×  場祖>>312
○  馬祖

>善導禅師→法照禅師→円仁大師→親鸞という流れがあります。

なるほど、そうでしたか。
念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。
日本では黄檗宗などでせうか?

私は中国禅の開花期というのは、慧能→南岳→馬祖あたりが頂点を極めた時代かと思ってます。
それ以降も勿論この流れはありましたが・・・次第に形骸化されていった。
日本においては、これより更に日本ナイズされた禅文化を形成していったのかと思います。

南禅と特徴というのは、いわゆる南岳の「瓦を磨いても鏡にならない」。
かとおもいますね。
これは禅定の否定であります。否定というか・・・
テーゼにおけるアンチテーゼにおいてのテーゼですね。
弁証法的には「正反合」になりますが、
ここに北禅とは一線をなす、慧能から引き継いでいた脈絡はあったわけです。
(北禅は、鏡をよく払拭せよ。ですから)

禅が日本に入ってきますと、勤勉な日本人にはどうも南禅は合わない。
勤勉・努力の日本人は、鏡を払拭せにゃ〜気がすまん。
という流れになってきます。
禅定は禅堂の必須ですから。
つまり、北禅にうまくナイズされた日本禅が育ってきたことと思います。
(中国禅(南禅)とは随分違うものになってる)




315 :神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 12:33:13 ID:VU2cWJQN
          机龍之介
           ↓
        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
      川川::::::::ー◎-◎-) 
      川(6|::::::::  ( 。。))
    ._川川;;;::∴ ノ  3  ノ              彡川三三三ミ
  /;;;:::::::::::::::\_;;;;;;;;;;;;;;;;ノ             . 川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
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316 :神も仏も名無しさん:2007/11/18(日) 12:34:14 ID:VU2cWJQN
          渡海 難
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        彡川三三三ミ
       川川 ::::::⌒ ⌒ヽ
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317 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:25:19 ID:9SypLsBm
>念仏と禅の双修というのは、現在でも中国にあるらしいですね。日本では黄檗宗などでせうか?

 親鸞は「一心に弥陀の名号を専念」すると言っており、禅と念仏とを双修せよとは、一言も言
ってない。念仏者は念仏に集中する。
 美術館に行ったら絵画が額に嵌め込んであった。館長さんに「お宅の美術館は額と絵画の双方
展示場なんですね。こういう美術館は、確かに中国にもありますよね」と言えば、これは失礼な
話ではないか。中国に限らず、額を嵌めている美術館などは世界中にあるだろう。額を使わない
美術館の方が珍しい。

 習字教室に出かけたら、子供達がみな正座して字を書いていた。「ここの教室は、正座と習字
の双修教室なんですね。双修と言えば、これは黄檗宗の影響でしょうか」と言えば、聞いた相手
はビックリするだろう。
 習字教室の先生は黄檗宗など聞いたこともない。正座をしていても、正座をしているわけでな
い。あくまで習字をしているのだ。先生は子供達に、「さあ、正座して字を書きましょう」と言
うが、「正座をしよう」と言っているわけではない。ちゃんとした字を書こうと言っているのだ。
 別に難しい理屈ではないと思う。

318 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:27:56 ID:9SypLsBm
 釈迦は分析論と方法論とを示した。釈迦のすごさは、単に分析論と方法論とを示したことだけ
ではない。釈迦にとって分析論と方法論とを示すと言うことは、それを実践すると言うことだっ
た。苦の止滅という目標に向かい、苦の止滅の道を実践する。釈迦は、戒定慧という三学を提示
し、互いに教え合おう、学び合おうと呼びかけた。
 祇園精舎という学校を建設した。釈迦の下には多くの若者が参集した。彼らは、釈迦が提示し
たルールつまり戒律を守ることを誓うと、弟子入りが許された。有形の真理は、言葉(文字)、
絵画・彫刻・建築物などの形で示され、それを学んだ。有形の真理を知恵という。無形の真理は、
直接それを提示できないことから、それを体得する方法論が示された。禅定という。釈迦は、そ
れまで王宮が独占していた最先端知識を、惜しげもなく多くの人々に公開した。これは画期的な
ことだった。
 それまで、九九が分からず、いつも釣り銭を間違え、顧客から文句を言われていた商人には九
九を教え、釣り銭勘定を間違えないようにしてやった。これによって、商人は永続的に商売がで
きるようになった。種まきの時期を間違えていつも失敗をしていた農民には、星の運行、太陽の
位置に基づく暦を教え、季節の循環と種まきの時期を教え、正しい農業をできるようにしてやっ
た。釈迦は、分析論・方法論・実践論を下に教育手法を合理的に組織化し、算術・暦・薬学・文
字・測量などを人々に智慧として教え、さらに禅定を実践させ、優れた多くの人材を育ってた。
まさにこれが、生老病死という苦を止滅するという目標に向かい、苦の止滅の道を実践するとい
うことだった。釈迦の悟りの中身そのものだった。
 これはまさに、浄土真宗の原点である。

319 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/23(金) 10:30:22 ID:9SypLsBm
>318
誤 戒定慧という三学
正 戒定慧という三学(実践論)


320 :紅炉上一点の雪:2007/11/23(金) 22:51:11 ID:pge70CD1
阿弥陀仏とはデウスなりや?

321 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/11/25(日) 21:48:51 ID:y5sfJwbQ
 2月3日第一日曜日、東京新宿で新年会を考えています。
 集合場所、東京・新宿駅
 近くで飲み会をしませんか。
夕方5時ころ集合、その後近くの店で新年会

 12月、1月は店は予約で一杯だと思うから、予約なしの飛び込みで席が
取れそうな2月を選びました。

 これはネタじゃないよ。煽りでもない。ただ、予定だから変更はある。細部は未定。
 何か意見・提案のある方は、この掲示板でもいい。メールでもいい。送って貰えるとありがたい。

 集合してくれる人は4,5人だと思っていますが、100人、200人も来るとなると
こちらも考えないといけない。
 集合者がゼロなら中止。
 なお、参加名は愛称・匿名OKとしたいと考えています。

  tkatasi@mail.goo.ne.jp


322 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 08:23:14 ID:KQ4lA87c
↑?

323 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 11:54:00 ID:60oBcP54
スレタイと内容が違うやん!
親鸞と違うやん。


324 :神も仏も名無しさん:2007/12/01(土) 12:35:22 ID:5vWprmEy
>>322-323

ここは世間では誰からも相手にされないキモヲタ親父の妄想オナニースレなのでageないでください。

325 :神も仏も名無しさん:2007/12/02(日) 12:18:58 ID:k4g4YpJQ
京都の常楽台で親鸞聖人の骨が出てきたので、檀家から10万円の割り当てが来ていますがみなさん払いましたか?

326 :神も仏も名無しさん:2007/12/02(日) 12:20:45 ID:ukFzvLs+
ご遺体は腐敗していなかった 日本を愛した宣教師 チマッティ神父様
http://www.v-cimatti.com/pub/beatification/reppuku_chosa.htm
http://www.v-cimatti.com/pub/cimatti/intro/intro.htm

キリスト
「最も大きな罪を犯した人であっても、わたしの憐れみを願うならば、
わたしは、彼に罰を与えることが出来ない。その代わりに、
わたしの限りない、はかり知れないいつくしみによって彼を義とする」
http://www.nowaksvd.opoka.net.pl/jiai/jiai02.htm

キリストと会話できる女性 ヴァッスーラ・ライデン
http://www.tlig.org/jp.html

キリストの人生を見せられた女性 マリア・ワルトルタ
http://swedenborgian.hp.infoseek.co.jp/valt.htm

病を持ちながらも信仰心が篤かった女性 マルタ・ロバン
http://homepage3.nifty.com/mercy/treasure/marthe01.html

アレッサンドリーナ・ダ・コスタ
http://www.salesio.jp/web/sdb_saints/biography/alessandrina.htm
http://salveregina.dyndns.org/avemaria/data/book2.html

カトリック書店一覧
http://www.cbcj.catholic.jp/publish/shoten.htm
カトリック教会マップ
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/index.htm

327 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/03(月) 20:22:00 ID:+hFSfBnq
 釈迦の下からは多くの賢人・哲人達が育っていった。やがて、その中からある種の疑問を持つ
者が出現してきた。自分たちは、教わるだけでいいのだろうか。自分たちが認識していれば、そ
れで十分なんだろうか。認識したことは、より多くの人々に拡散していくことこそ、人として実
は最も重要なことではないのか。自分たちが認識したことを、他の人々に幅広く伝えていくこと
こそ、あの釈尊先生の本当の精神ではなかったか。

 釈尊先生は生涯を教育に捧げられた。自分たちも、あの釈尊先生のそんな生き方に倣おうじゃ
ないか。釈尊先生は我々に大事なことを教えてくれた。我々も自分たちが認識したことを、後の
世に伝えていこうじゃないか。自分たちが知り得たことを、多くの人々と共に共鳴的・共感的に
その共通の財産として享受し合おうじゃないか。自分たちが分かっただけではなく、多くの人々
と共に共感的に享受し合えるようになったとき、始めて我々は正しい認識を得たと、そのように
受け止めることにしようじゃないか。大乗仏教は、このように考える人々から発生してきた。
 アフガニスタン・パキスタン・カザフスタンなど、現代ではイスラム圏となり、激しい戦火を
交えている地域で、仏教者達は始めて「教育学」に目覚めた。彼らは、学習と教育に最高の価値
を認める考え方を大乗仏教とよび、それいがいの仏教を小乗仏教と呼んだ。大乗仏教は、学習と
教育に最高の価値を認める教育学をその本質とする。

328 :渡海 難  ◆Fe19/y1.mI :2007/12/03(月) 20:22:52 ID:+hFSfBnq
 大乗仏教の祖師達が教育学の重要性に目覚める前、教育というものがはかったということでは
ない。教育はそれ以前にもあった。しかし、教育というものを、他から独立した行為として認識
に、そこに隔絶的絶対的圧倒的な最高の価値観を認めるということは、この大乗仏教から始まる。
 自らが孤高の道を究めて行き、そこに入門者が門を叩いてくれば入門を認めるが、自らが積極
的に弟子達を求めていくと言うことは、恐らく釈迦以後は大乗仏教の発生までしばらく無かった
ことだったろう。

 かつては日本でも、大工も左官も料理も、後継者達は徒弟制度の中で先輩の技術を盗んで学ん
でいった。こうした職業を専門に教える学校ができたのは、戦後であり、すくなくとも明治以前
にまでは遡らない。教育というものはあくまで従属的なものであり、付属的な行為と考えられて
いた。そうした現実を考えれば、大乗仏教の祖師達が、西暦紀元前後、教育という活動に絶対的
圧倒的な最高の価値を認めたということは驚異的な事だろう。大乗仏典とは、人類最古の教育学
の書と言って間違いない。

 教育・学習こそ、人間にとってもっとも崇高で、絶対的価値を有する行為である。浄土真宗と
は、まさにこうした価値観を核心部に持った大乗仏教を母胎にしていることを忘れてはならない。

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