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創世記のあらすじ

1 :神も仏も名無しさん:2007/08/28(火) 21:53:52 ID:QmJtSRuv
聖書で読もうと思ったのですが
あまりの長さに断念

だれかわかりやすく教えてください

2 :(^ω^):2007/08/28(火) 22:57:55 ID:QXhm9whM
(^ω^)2だを〜ん♪

3 :神も仏も名無し三鳥:2007/08/28(火) 23:24:42 ID:cIoTtxwN
3取りー!!!

4 :神も仏も名無しさん:2007/08/29(水) 22:09:04 ID:xlqNmzGK
>>1
古事記読めば?

5 :神も仏も名無しさん:2007/08/29(水) 22:59:18 ID:tA8ctyfF
手塚治虫のアニメ旧約聖書がオススメです

6 :神も仏も名無しさん:2007/09/04(火) 22:29:17 ID:gkxSIAEd
神が世界とアダムとイヴを創る。
アダムとイブが禁断の実を食べてしまい、エデンの園から追放される。
長男のカインが、弟のアベルを殺してしまい、追放される。
地上に悪がはびこる。
子孫のノアが箱船を作って、大洪水から助かる。虹の契約。
人々がバベルの塔を作り、諸民族が離散する。
子孫のアブラハムがカナンへ旅立つ。
子のイサクを神に捧げようとして神に認められる。
その子のヤコブが、長子の祝福を兄エサウから奪う。その後、和解。
その子のヨセフが、兄たちにエジプトへ売られるも、
ファラオの夢を解いてエジプトの首相になり、
兄たちと父ヤコブと再会する。
ヤコブ、12人の息子たちを祝福する。
ヤコブが死に、ヨセフが死ぬ。

>>1
おらーーーーーーーーー
まとめてやったぞ。

7 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 21:51:16 ID:fzhjiczt
>>6

サンクス。役にたったよ

8 :暇人:2007/09/05(水) 21:54:47 ID:d5zjbUK0
あら スレ終わっている。。。

めでたいのだが せつない。。。

9 :暇人:2007/09/07(金) 07:01:41 ID:UHwLNmuM
ノンクリの新約聖書を読み解く『マタイ書編』
名前: 神も仏も名無しさん
E-mail:
内容:
まったり新約テキストを読み解きましょう。

何が見えてくるか 浮かび上がるのか
そこから何を感じるのか。

キリスト教信徒の解釈も一つの解釈にすぎません。
・・・・・・・・・・

というのを立てようとしたが しばらくたたないみたいなので
ここを接収して 使わせて頂こう

10 :暇人:2007/09/07(金) 07:21:47 ID:UHwLNmuM
冒頭 救い主のイエス、ダビデの子、アブラハムの子 の誕生の書とある。

強調されているのは「ダビデの子」と「アブラハムの子」
「ダビデの子」というのはメシアの称号の意味もあるのだろうし
アブラハムは『信仰の父』と呼ばれカナンにはじめて入った人でもある。

アブラハムはイサクを生み。そしてイサクはヤコブを生み・・・
と男系を中心に続くのだが
意外な点がある。「〜によって」と数人の女性が挿入されているのです
タマル ラハブ ルツ ウリヤの妻の四人。

この特別に挿入された女性たちはどういう人で
何を意図をもって特に挿入されたのでしょうか

11 :暇人:2007/09/07(金) 08:06:18 ID:UHwLNmuM
タマルは、ユダの息子エルと結婚したが子供ができる前に夫と死別した。
ユダは、当時の風に従ってエルの弟ナオンにタマルを娶らせたが
ナオンは子供ができても自分の息子とはならず、兄エルの子となるのが
面白くなくタマルに精子を出さず地に捨てたとある。
そしてナオンも死ぬ。
そこで次の弟シェラがタマルを娶る番になるのだが まだシェラは若く
ユダは一旦タマルを実家に帰す。
しかし時が来てもユダはシェラをタマルに与えないので
タマルはある時 遊女に化けてユダに抱かれて子を得たという豪傑。

ラハブはヨシュアの斥候二人を匿った遊女のことであろうか

ルツは言わずと知れたルツ記の主人公。

ウリヤの妻はダビデ王が部下ウリヤを戦地に追いやって奪い取った女性。。

12 :暇人:2007/09/07(金) 16:24:45 ID:UHwLNmuM
「タマル ラハブ ルツ ウリヤの妻の四人」をネット検索すると

http://www.h5.dion.ne.jp/~wwjd/0412.05.html
「イエスの誕生の経緯を示す系図は、問題ある系図」

http://www.febcjp.com/back/bkitum02.html
「舅によって子供を得るという非常識な手段」
「異邦人の娼婦」「最も嫌った民モアブ人」とし
「罪に落ち込んでいく姿」と書かれている

http://www.sendaiefc.com/mission/sharon/01-01.html
「罪や汚れの中で、人々からさげすまれていた女」

ちらっと検索しますと 
世間の普通のキリスト者の解釈が
四人の女性を不当に否定的にみているのがわかります。

マタイ書は 果たして 四人の女性を否定的に書いたのか
検証したいと思います。
私は マリアの先輩として肯定的に書かれているのではないかと思います

13 :暇人:2007/09/08(土) 11:09:21 ID:J6gxqZOa
「罪や汚れの中で、人々からさげすまれていた女」
「罪に落ち込んでいく姿」「問題あり」と
現代のキリスト者からさんざんの言われようなのだが、
「タマル ラハブ ルツ ウリヤの妻」の共通点は『罪』ではなくて
1. 最初の夫との間に子供が為せなかった
2. だが子を為す事でアブラハム・ダビデ・イエスの系図を実現した。

タマルに罪があるのだろうか。
最初の夫は子を為す前に死んだ。
義務を果たすべき弟は義務を果たさない罪により死んだ。
ユダは次の弟をタマルに与えなければならなかったが果たさなかった。
それでタマルは遊女に化けて舅ユダによって身重になったわけだが、
タマルの妊娠を聞き、「姦通の罪によって」と判断して裁こうとしたが
タマルの子の父が自分だと知り、ユダは「タマルは正しいことをした」と認める。

ヨゼフも最初、妊娠を知り マリアを受け入れず去らせようとした。
しかし御使いのアドバイスを聞き、思い直してマリアを受け入れた。

ユダもヨゼフも最初 女が「姦通」だと判断したのであろう。
女を受け入れた時、女は「不貞」ではなくなったのではないだろうか。
タマルは「正しいことをした」のだし、マリアは「聖霊によって身重になった」
のだ


14 :暇人:2007/09/08(土) 16:54:59 ID:J6gxqZOa
ラハブの場合はどうか。
ラハブは遊女であった身分をキリスト者から攻撃されるわけだが、
聖書には一箇所も遊女ラハブを攻撃する箇所はない。
エリコの町の風習に於いて「遊女」がどういう社会的位置にいたのか不明であるが
というのも古代インドでは高級娼婦の社会的地位は高く資産があり教養豊かであった。
ラハブは少なくとも家族から切り離された一遊女ではなく、家を持ち
父母、兄弟を持ち、彼女の家に属する者たちを持つ身分であったようだ。
カナンに入りシッテムに駐留したヨシュアはエリコ攻略を目指して 二人の斥候に
エリコの町に派遣したわけだが、遊女の家は行商人など旅のよそ者が宿泊するのに
好都合だったのであろう。斥候はここを基地に情報収集、情報工作を実行した。そして
いよいよ「あいつら おかしい あやしい」となり身の危険が斥候に迫った時、
ラハブは二人の斥候を助けてエリコ王から逃がしてやったわけだ。
その功績がヨシュアに大きく認められて エリコ攻略時に命を助けられたばかりか
エリコ陥落後もユダヤ人として生きることができた。
ただ生きることができたのではなくてアブラハム・ダビデ・イエスの系図に参画したのだ
とマタイの系図は言う。
ラハブがヨシュアの斥候に協力しなかったならば、ラハブの一族はエリコ陥落の時に
滅んだかもしれない。しかしラハブは協力した。
するとラハブは市民としてユダヤに受け入れられた。遊女ということを攻撃する者はなく
ダビデの曽祖父ボアズを生むことになる

15 :暇人:2007/09/08(土) 17:17:12 ID:J6gxqZOa
ルツに至っては なぜキリスト者が攻撃するのか謎なほど理想的な女性である。
こんな嫁の鏡のような稀有な精神の持ち主であり旧約が一書ルツ記を割く模範的な
女性を何故にキリスト者は嫌うのであろうか。
ボアズの寝所にめかし込んで忍んだからであろうか。

ナオミは夫とともにボアズ人の地に移住し、あたりの息子を得た。
夫の死後息子二人にそれぞれ現地のボアズ人の嫁を貰った。
しかし息子二人もなくなった。ナオミは息子の嫁たちに実家に戻るよう告げたが
嫁たちはナオミと一緒に暮らしたいと訴えたと言う。ナオミはとてもよい人だった
のだろうか。再三のナオミの説得にも屈せず
ナオミと共に生きることを選んだのがルツである。
夫と息子を亡くして頼る者を亡くしたナオミはボアズ人の地を去り、親類のいる
ユダの地に戻った。ルツは自分と姑ナオミを養うために、ユダの地のナオミの親類の
中の有力者の畑の落穂拾いに行く。
ルツのナオミに対する献身的な姿勢は誰もの尊敬を集めたし、土地の有力者である
ボアズの目にも留まり、特にルツに配慮するように指導をしたし、ルツに優しい声も
かけた。それを聞いた姑ナオミはルツにボアズの寝所に忍ぶように命じる。
言うとおりにしたルツをボアズは受け入れ、すべての社会的手続きを公式に果たし終えて
ルツを妻に迎える。

姑ナオミに献身的に使えたルツ、社会的手続きをきちんと果たしてルツを妻に迎えた
ボアズ。誰に何をはじるところがあるのであろうか。

16 :暇人:2007/09/08(土) 17:34:34 ID:J6gxqZOa
ウリヤの妻は象徴的な表現なのかもしれない。
旧約にエリアムの娘パテ・シェパと名前があるにもかかわらず名前で呼ばれず
「ウリヤの妻」と書かれている。
ウリヤと婚姻関係のあった時代にダビデとの姦通によって生まれた最初の子は
姦通の罪により七日で死んだとのことである。
しかし神は淡白なのか。ウリヤを激戦区に送って殺した後に正式に妻としたわけだが
最初の子の死後すぐに誕生したソロモンを主は愛されたという…。

キリスト者の姦通=石打の刑ならば
ウリヤの妻はダビデとの姦通の罪によって石で打ち殺されなければならないが
実は主に愛されたソロモンを生んだ。


17 :暇人:2007/09/08(土) 17:36:56 ID:J6gxqZOa
第一子は 姦通の子 罪だったので 祝福されず死んだが
第二子ソロモンは 姦通ではなく 主に愛されたわけだ

夫ウリヤから奪ったにもかかわらず。。

18 :暇人:2007/09/09(日) 22:29:47 ID:8cf7QF0E
1:1 救い主のイエス、ダビデの子、アブラハムの子の誕生の書

岩波委員会訳を確認すると
「アブラハムの子」とは通常ユダヤ人を指すそうだ。
「タビデの子」はメシアを指し、
「救い主イエス」つまり「ダビデの子」であり「アブラハムの子」の生まれの書
と同格を並列している。
そして1:2はアブラハムではじまる

1:2アブラハムはイサクを生み、イサクはそしてヤコブを生み、
ヤコブはそしてユダと彼の兄弟らを生み、

イスラエル諸部族の父にして「信仰の父」と謳われるアブラハム、
そして族長イサク(彼は笑うの意)、
族長ヤコブは十二部族の父としての象徴なのであろう。
それで次のユダは「ユダと彼の兄弟たち」と十二部族を示唆する「兄弟たち」
が書かれる。

1:3ユダはそしてタマルによってパレスとザラを生み、
パレスはそしてエスロンを生み、エスロンはそしてアラムを生み、

系譜に関係のない人名は「ユダと彼の兄弟たち」のように伏せられるのだが
ここでは系譜に無関係な「ザラ」が登場する
系譜上、「ザラ」だけが特殊なのだが なぜであろうか。

19 :暇人:2007/09/09(日) 22:41:16 ID:8cf7QF0E
まあパレス エスロン アラム
これに続くアミナダブ ナアソンも無名だ。

続くサルモンも無名だが 妻ラハブが有名。
この子供がルツに優しくし 買戻しの権利を親戚から正規に買取り
ルツを妻にした有力者のボアズ。
斥候を匿った戦功によってヨシュアに受け入れらたラハブのその後は
順調だったのであろう。
母ラハブの薫陶か、息子ボアズは優しい人間に成長したということか。

20 :暇人:2007/09/09(日) 23:09:19 ID:8cf7QF0E
更に驚くべきはルツはダビデ王の祖父オベデを産む。
しかし気になるのは オベデの意味は「奴隷 とか  しもべ」ではなかろうか

さてオベデはダビデ王の父エッサイを産む。
サウルから父母を守るために一時エッサイらをモアブ王に預けるわけだが
これは父エッサイの血筋を辿ればモアブ人ルツの血があり親類だったからでろうか。

またタビデが一人 ダビデ王と「王」と表記されている。

そしてダビデ王、ソロモンと続き、南王国王レハブアムに続く。数代後、
1:11ヨシヤはそしてバビロンに移された頃、エコニヤと彼の兄弟らを生んだ。
1:12そしてバビロンに移された後、エコニヤはサラテルを生み、
サラテルはそしてゼルバベルを生み
と続く。エコニヤとサラテルはバビロン捕囚時代の人。
ゼルバベルは第一回捕囚帰還民のリーダーとしてエルサレム帰還後
神殿再建に活躍した英雄。
しかそ息子アビウデからヨセフまではまた無名の市民となる。


21 :暇人:2007/09/09(日) 23:28:16 ID:8cf7QF0E
1:16ヤコブはそしてマリアの夫ヨセフを生んだ、
彼女からキリストと呼ばれるイエスが生まれた。

ここでヨセフからイエスが生まれたと云わず
マリアからイエスが生まれたと 
はじめて女性が子供を生んだと書いているのが特別。

1:17ではアブラハムとダビデとバビロン移住が時代区分として用いられている。

アブラハム時代は、伝説の族長時代を経て無名に。
ダビデ時代は、ダビデ王にはじまり南王国国王時代。
捕囚後時代は、帰還民のリーダーゼルバベルを除くと無名庶民時代。

ゼルバベルのエルサレム帰還がBC537だから、
実に500年 無名の庶民で、500年前の先祖に英雄がいるというところ。

比較するのはあれだが
たとえば現代日本で500年前といえば信長誕生の少し前だね
その頃のご先祖がと言っても とても怪しいのぢゃないかと思うが
なぜマタイは「ダビデの子」にこれほど丹念にこだわったのだろうか



22 :暇人:2007/09/09(日) 23:46:30 ID:8cf7QF0E
ちなみにゼルバベルはルカもイエスの系図に記しているのだが
ゼルバベルの次からマタイとルカでは名前も人数も一致しない
ヨゼフになって一致。
ちなみに ゼルバベルの次からヨゼフまで マタイは10人 ルカは19人

約五百年なのでマタイの10人は少なすぎで ルカの19人が妥当な線ではないかと
思うが どうなんだろうか。

さて気になるのは マタイはヨセフの父をヤコブとするが
          ルカはヨセフの父をエリ とする。

つまりイエスは、祖父の名前さえ きちんと伝承されてない庶民なのに
「ダビデの子」「アブラハムの子」という系譜を誇る。

ダビデ ソロモン 歴代の南王国王たち、そして神殿再建の英雄ゼルバベルが
先祖だと主張する

なぜだろうか



23 :神も仏も名無しさん:2007/09/10(月) 22:01:16 ID:2MAP9Gef
ヤハウェという神の情けなさ。悪魔以下の低劣さ。

24 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/10(月) 22:51:06 ID:y6Lf6E2t
>>12
近所のRCJさんの夕礼拝では旧約の人物について連続して説教や奨励がなされていますが、
女性達に関しては全くおんなじ見方をされてますよ。
主イエスの系図であると共に主の母マリアに至る女の系譜と言えるのではないでしょうか。

25 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/10(月) 22:56:41 ID:y6Lf6E2t
>>24
補足。暇人さんとおんなじっつー事。

マタイはユダヤ人に向けて、ルカはギリシャ人に向けて書かれたもんなんで、
伝統の上で主イエスの降誕があったのだとの権威を強調しようとの福音書記者の意識を理解できれば、
あとはどうでもいいのではないでしょうか。

26 :いぐぽっぷ ◆chartreCqk :2007/09/11(火) 01:10:36 ID:dlu6edD6
キリスト教ではヨブの妻もずいぶんひどい言われようみたいだね

27 :暇人:2007/09/11(火) 07:14:40 ID:xU6e88mb
RCJと言えば
http://www.rcj-net.org/wcf_s.htm
う小教理問答に
「神の御子キリストが人になられたのは、
聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り
・彼女から生まれながらも
・罪はないという仕方で、
真実の体と理性的霊魂をおとりになることによってでした。」とありますが

この「聖霊の御力によって処女マリヤの胎に宿り」は
マタイに「聖霊によって」に依拠しているのだろうと思います

さて「よって」は「εκ」の訳で手段にとれば、ウ小教理のように
「御力」を補いたくなるわけで 私もそう理解してましたが
一歩進めて「εκ」を原因・理由に取るとどう訳せるでしょうか。

「聖霊の故に未婚女性マリヤの胎に宿り」。。。

「処女(おとめ)」と訳されるパルセノスですが、そこまで読み込むのはどうかと。
普通に読めば「未婚」という意味です。
そして「未婚懐胎」や「処女懐胎」がここのテーマではなく
『聖霊懐胎』がマタイのてーまではないでしょうか。。。

なぜ処女性に現代に至ってもキリスト教がこだわりたいか私には謎です

カト信徒のブログ参照
http://pub.ne.jp/omasico/?monthly_id=200601

28 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/11(火) 20:55:27 ID:k4kxwZe1
例のアディアフォラって奴じゃないの?
あんたの躓きになるのならあんたがいいように俺もしておくよ、みたいな。

少なくとも信仰告白に関わる事態ではない。


29 :暇人:2007/09/11(火) 22:09:58 ID:xU6e88mb
そですね 文化風習慣習の差もありますので 
それぞれ好きに読まれるとよいですね。

「処女」だろうが「未婚」だろうが「聖霊懐胎」だろうが どーでもよく
大切なポイントは ヨゼフがマリアと御子を受け入れたということですね。

1:21そして彼女は子を産む。そしてあなたは彼の名をイエスと名付けなさい。
なぜなら彼は彼の民たちを彼らの罪らから救う。

という御使いの言葉をヨゼフは信じ マリアと御子を受け入れたのだから
このマタイの文脈において  ヨゼフは「イエスを救い主と信じた」と云いえるかもだ

とすると最初のクリスチャンはヨゼフということになる。

まあルカに依拠すると最初のクリスチャンはマリアになり、
マリアかヨゼフかを論じるのはナンセンスなので
マリア・ヨゼフ夫妻が共に最初の栗でもいいのだが、
ルカと違い、マタイ書は ヨゼフに起こった「事実」を基点に物語るのである

30 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/13(木) 21:02:16 ID:FjeB9U3z
ヨセフは「正しい人」である道から、
主を信じ、従う道への方向転換を、主からの一方的な招きに応じて選び取った。

一章にはこんな出来事が描かれているっつー事で2章に進みましょうか。
疑問、質問がある人はなんか書きこんでみてくんなまし。

31 :暇人:2007/09/13(木) 21:45:25 ID:lYDSXBUO
ヨセフは「正しい人」であるから マリアを去らせようとした と聖書には書いてあるよん

32 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/13(木) 22:00:08 ID:FjeB9U3z
信従を決意する途中で、「正しい人」である事はどうでもよくなったのでしょうね。

33 :暇人:2007/09/13(木) 22:28:06 ID:lYDSXBUO
んとね マタイ5:32にきちんと規定があります。

しかし私はあなた方に云う
「ポルネイアスの理由ではなく、彼の妻を出す者は皆
彼女に姦淫を犯させるようにしているのだ」

正しい者は 妻に姦淫を犯させるものではないので、
去らせるには正当な理由がないとダメです。
つまり正しい人が離縁する理由は一つ、ポルネイアだけです。

ポルネイアは不法な性交渉全般です。
ヨゼフは『マリアの懐胎』をポルネイアと判断し
聖書もその判断を「正しい人」と支持しております。
「聖霊によっての懐胎」なのです。これは論理的に甚だしい矛盾です

私は1:18の「聖霊によって」は後代の挿入ではないかとまず疑惑を持ちます。

次にマタイがこれを書いたならば それは何を意味するのか。。。
ヨゼフは頭では「聖霊によって」と知りつつ、受け入れられなかった
しかもマタイは聖霊を受け入れないマタイを正しい人と肯定していることになります
そんなことが ありうるのだろうか 私にはよくわかりません

34 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/13(木) 22:52:14 ID:FjeB9U3z
一章は主イエスが生まれる前の出来事なので、旧約の価値観において「正しい人」だったっつー事なんじゃないかなぅ。
マタイ5:32は主イエスの語った言葉でありますので、一章のヨセフの最初の決断が
五章に照らして正しくないのではないかというのは、福音書記者自身すら意識してなかったんじゃないでしょうか。

35 :暇人:2007/09/14(金) 06:40:50 ID:rTIeUlNI
>>34

うん かもですね。

だけども旧約規程でも
「妻に恥ずべきこと」を発見したら離縁状を書くわけですので(申命記24:1)
ヨゼフが『マリアの聖霊による懐胎』をポルネイアと判断したということは
動かないのです。

少し読み込み
ヨゼフは正しい人だったが、(表沙汰にしてマリアを石打の刑にすることが厭で)
表沙汰にしたいと思わず、ひそかに赦そうと考えた、訳すのも可能です。

36 :暇人:2007/09/14(金) 07:02:26 ID:rTIeUlNI
ιωσηφヨゼフは δεしかし ο定冠詞 ανηρ夫 αυτης 彼女の
δικαιος正しい人 ων であった
καιそして μη否定 θελων望む αυτην彼女を δειγματισαι表沙汰にする
εβουληθη思った λαθραひそかに απολυσαι去らせる αυτην彼女を

δεしかし は、一義的には反語だが、反語的ニュアンスは小さく、さて でもよい
καιそして は、andみたいな単語だが、反語的にも訳せる 
そこでこれを反語に訳すと 「正しい人であったが・・・。」という意味になり
旧約的正しい人だから表沙汰にして石打の刑にしなければならないのだが、
「表沙汰にせず赦そうと考えた」と解釈することになる。

というのも
「θελων望む」は、欲求や選択から自分が望むことで「〜したい」と思うことだが
「εβουληθη思った」は熟慮の結果、思うこと。
マタイ書はとてもなく洗練された美文なのだ。

表沙汰にしたいと思わず←これはヨゼフの感情
ひそかに赦そうと考えた←これはヨゼフの熟慮による決断

それとαπολυσαιは、直訳すると「解放する」
分解するとαπο分離+ λυω解く
派生して、行かせる、去らせる、(妻を)離縁する。
更に 釈放する 放免する 免除する 赦す

37 :暇人:2007/09/14(金) 07:24:18 ID:rTIeUlNI
ニュアンス込めて訳すと

さて彼女の夫ヨセフは義の人であったが、
彼女のことを表沙汰(石打の刑)にしたくなかったので
ひそかに彼女を(婚約解消することで)赦そうと熟慮した。

これがマタイの論旨だったとすると
ヨゼフは 石打の刑を避けるためにという伝統的栗解釈になるのだが
(申命記24:1)に石打なく離縁状を渡すだけなので どうなんだろうか。

そう考えても 「聖霊によっての懐胎」をヨセフは
『ポルネイア』と判断したことは動かず 謎は深まるばかりだ

「ポルネイア懐胎」と思って去らせようとしたが

「聖霊懐胎」と気づき 
将来あらゆる人の罪を救うイエスことになると信じ受け入れたことが
論旨なので 枝葉にこだわりすぎかもしれないが。。。

38 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/14(金) 21:52:52 ID:YK1HIys6
「ああ、ボルネイアではなくて聖霊様だったのか!」
という気付きだったのでしょうねぃ。

39 :暇人:2007/09/14(金) 23:11:58 ID:rTIeUlNI
この聖書記事のこの箇所は 現代に新たなグッドニュースにならないかと

ひそかに期待しております。

熊本の捨て子ポストの某病院。
あまり知られてないかもですが
実際に預けられたのはまだ一桁ですが
子育てや出産に悩み 相談の電話は三千を超えているそうです
北は北海道から南は九州まで全国から。。

如何に相談する場所 頼りになる場所が若い母親にないかです
物理的な場所もさることながら
精神的な支えすらミシウナッテイルノガ現代日本かもです。

「正しい人」では出産を受け入れられない
「聖なる霊による懐胎」とみんなが祝福するような
そう東から三博士が祝福しにきたように

40 :神も仏も名無しさん:2007/09/15(土) 10:20:40 ID:+P092BzJ
ダビデは荼毘にふされたデ

41 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/15(土) 23:25:52 ID:SR1Ciek+
>>39
招命が論点になるでしょうねぃ。
自分が父親ではない子の父親として立つには、御使いのお告げとそれを受け入れる度量が必要とされるでしょう。
その前に、妻をまことの自分の妻であると認める真実の愛も必要でしょうか。

42 :暇人:2007/09/18(火) 01:03:15 ID:0OFhS8L3
東から三博士と書いたが。。。
私も固定観念に縛られている(笑)
ぢつはマタイには三人とはない。
贈り物が三つだったので三人という解釈が出たそうだ。
しかし。。劇で三博士したしな。。。

さて この博士も どうかと思う。
博士と訳されるマゴスは 使徒8:9では サマリアのシモンの動詞に
使われていて魔術を行いと訳される語の名詞。

魔術師と訳されるべきかもしれない。
せいぜひ占星術師でしょうね。。。
ペルシアの宗教の世襲的祭司だそうだ。
占星術、夢占いなどで有名だったみたいです。
英語のマジックもこのマゴスから派生したらしい。

しかしなぜマタイは 東方の魔術師たちが イエスの生誕を祝福しにきた
などという逸話あるいは作り話を挿入したのだろうか。。。

43 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/18(火) 20:46:11 ID:zEGposf/
当時の占星術師は王様に助言するような立場であって、現在の占い師とはニュアンスが違うのでわないでしょうか。
そう言えば安倍さんも怪しげな宗教家みたいな奴に相談していたとか。

44 :神も仏も名無しさん:2007/09/18(火) 20:48:10 ID:4VlFIbl+
バビロンの占星術師が ユダヤの王 に跪いたんだよ。
そういうことさ

45 :暇人:2007/09/19(水) 22:29:04 ID:G1mVTRP2
マタイ書は ユダヤ教から 
「お前たちキリスト教徒は異端だ あっち行け」と攻撃されている時期に
「俺たちのほーが お前たちよりユダヤ教をわかっているんだい」と
主張するために書かれたと云われています。

異国の東方地域の魔術師から ユダヤの王と認められたんだぞ
というのは効果的な主張なのかどうか。。。>>43

>>44

そうポイントの第一は「ユダヤの王」 第二は「ひざまづいた」だね

マタイ書は「救い主のイエスの誕生の書」なわけですが、
イエスの称号の核心たる「救い主=キリスト」は、いろいろ言い換えられます
1)ダビデの子
2)アブラハムの子
この二つはどちらもユダヤ的正統メシアの根拠なのでしょう。
3)「罪から救う」からイエス
4)神が私たちと共に居る(インマヌエル)
そして
5)ユダヤの王 です。

46 :暇人:2007/09/19(水) 22:43:22 ID:G1mVTRP2
跪いたは、「〜に向かって+接吻する」という単語がなっていますので

跪いて接吻して敬意を表わす仕草です。
1)ユダヤでは神に対して為される(4:10)
2)王に対して為される(18:26)
3)イエスに対して為されている(8:2)

東方魔術師たちの 平伏しての接吻は どのニュアンスだったのだろうか
「ユダヤの王」という「王」という理解だけでよいのだろうか

保守信仰的に読めば このπροσκυνεωは、神に対して為されたもの
かもだし、
あるいはマタイ書に即せば 「救い主」に対してのもの。
異国の魔術師たちも認める世界的な救い主なのである、と。

47 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/19(水) 23:30:09 ID:gy9g9vHh
うっとこの牧師によると、異国の偉い面々が飼葉桶に寝かされている救い主を拝みにはるばるやってきた
っつーくらいで、詳細はどうでも良いらしい。
説教のポイントは大概「来た道と別の道で帰った」との箇所です。

48 :暇人:2007/09/20(木) 07:07:31 ID:bLiHhxHZ
http://www.nskk.org/hokkaido/syukyo-2007-01.html

こんな感じの説教なのでしょうねぇ。

「キリストに出会い、新たな生命の養いをいただき、帰って行きます。
それは、私たちにとって以前とは違う別の道です。」

これは典型的な信仰的な読み方でしょうね。

「夢でお告げを受けた」ので別の道を帰ったわけですが
行く道は『星の導き』だったわけですね 占星術をする魔術師だったからですね
ところがイエスの会い 喜びに包まれると
ヨゼフを導いたの同種の『夢告の導き』に従うようになったと云えますね


49 :暇人:2007/09/20(木) 07:11:32 ID:bLiHhxHZ
子供の頃の私の もっぱらの関心は

「三博士はアホやなぁ ヘロデ王にお前らが尋ねるから
イエス一家が その後 苦労するんだぞ」
「罪のない同世代の幼児が 殺されたんだぞ あーあ」と。

50 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 13:11:06 ID:w9wVaUjT
>49
だが、ヘロデ大王は政敵は親族も含めて皆殺しにはしたが、幼児虐殺はしてないから安心汁

51 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 18:38:48 ID:uM68xhu2
ユダヤ人にとって 東方 で思い出すのは あのネブカドネツァルのバビロンなんだろうね。
キュロスのヘルシャかもしれないけど まあ エジプトとならんだ大国なんだろうね。
ユダヤ人にとって バビロン ペルシャ は色々な思いがあるでしょうね。


そして 占星術 とは当時の最先端の技術なんだろうね。

そこで この場面は その大国の先端技術を駆使する技術者が
小国ユダヤ人の王を 拝みに来た ってことね。

52 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 18:46:58 ID:uM68xhu2
ヘロデのところに帰るな ってことなんだね。
つまり 故郷に帰れ ではないんですよ。

そして 占星術者には 「夢でお告げ」 なんだね。
ヨセフには「主の天使が夢で」なんですよ。

まあ 東方の占星術者は 完璧に勘違いしてるんでしょうね
イエスの掟を護ることが 重要なのであって
イエスを拝む事が 重要なのではないのよね。

53 :暇人:2007/09/20(木) 18:48:49 ID:bLiHhxHZ
>>50

情報サンクスです あらら ではマタイ書の記述は事実ではないのね

>>51

でもさ ユダヤ的にもキリスト教的にも「占い」って禁止なのでは?
異教徒や異教を蔑視するのに 東方の魔術・占星術はええん?

54 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:00:46 ID:uM68xhu2
>>53
>エレミヤ 10:2
>主はこう言われる。異国の民の道に倣うな。天に現れるしるしを恐れるな。それらを恐れるのは異国の民のすることだ
そう エレミヤにあるね。

でも 当時のアレキサンドリヤのアルタパノス という人の文書で
アブラハムが エジプトのパレトテス王に占星術を教えた って言ってるらしい。

エウセビオスの文書の断片に モーセが占星術をエジプトに広めた って記述があるらしい。

 

55 :暇人:2007/09/20(木) 19:02:38 ID:bLiHhxHZ
へぇーー へぇー 97へぇー

情報サンクスです 

56 :神も仏も名無しさん:2007/09/20(木) 19:08:22 ID:QTBYicQl
イルミナティ指令書
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/poppyoil/aa1025/directives.html

神の正体
http://slicer93.real-sound.net/0-ht-space-9746.html

ローマ法王と魔術
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/jujutsu/honoriusu.htm

悪魔の書
http://090ver.jp/~usoriro/osusume/osusume4/144-1.html

キリスト教史を学ぶ
http://www.yukinoshita.or.jp/original/

イタリアに好奇心:ウ゛ァティカン
http://senese.cocolog-nifty.com/koukishin/cat4722878/index.html

バチカン組織
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/vatican/curia.htm

世界宗教法王庁世界宗教連合会
http://homepage3.nifty.com/wrf/index.htm

世界宗教法王庁世界宗教連合会携帯用
http://wrv.on.coocan.jp


57 :神も仏も名無しさん:2007/09/21(金) 02:55:53 ID:+Q/I5Pi2
↑いや、ここでそんな妄想の風呂敷広げられても(w

58 :暇人:2007/09/23(日) 02:05:41 ID:nhOqsJMx
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1189998091/89-93

余談だが 整理すると

『聖霊による懐胎』とは
「御子イエス」=「民を諸々の罪から救う救い主」と知ることでしょうね

なぜこれが成立したか客観的に考えますと これは
神殿崩壊後の世界でユダヤ教から異端とマタイグループが排斥される最中、
「御子イエス」を排斥する義人パリサイ派ユダヤ教と
「御子イエス」を受け入れる愛の人キリスト教ということでしょうね。
そして その後論旨は 義人パリサイ人よりも
「愛」こそが律法の完成なんだと進む


59 :暇人:2007/09/28(金) 07:01:40 ID:UVP83+0c
東方の魔術師たちが去ると

またもやヨゼフの夢に御使いが現れて云ったという。
「エジプトに行け ヘロデがその小さな子供であるイエスを殺そうと探しているぞ」と
ヘロデが没するまでエジプトにいたので
預言者を通して主に言われたことが満ちたのだと。。。

「私の子をエジプトから呼んだ」←これ。

これは一見すると 出エジプトがイエスによって繰り返さて体験している
ようにも見えるし
旧約の予言がまずあり、イエスの人生がその予言を満たしていくという
「アイデア」があるわけで。。。

60 :暇人:2007/09/28(金) 07:16:03 ID:UVP83+0c
岩波委員会訳によるとホセア11:1だと云うのだが、
これは出エジプトを指すのだろうし
しかも子は呼び戻してくれた主に逆らい
バアルにいけにえを捧げ偶像に香を焚き崇拝したという うむぅ

ホセアといえば1:2も気になるところだ

主がホセアに語り始められたとき 主はホセアに仰せられた
「行って 姦淫の女を娶り、姦淫の子らを引き取れ
この国は主を見捨てて 甚だしい淫行に耽っているからだ」

ホセアはヨゼフの予型とマタイは考えているのだろうか。。。

時代は系図のウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤという南王国王の時代

61 :暇人:2007/09/28(金) 07:29:04 ID:UVP83+0c
ホセア3:1以下を マタイ書が ヨセフとマリアとに重ねていたならば

主は再び 私に云われた。
「再び行って 夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ
ちょうど他の神々に向かい干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの人々を
主が愛しておられるように」

ここではポルネイアが、異教信仰への浮気と比喩されている。そして3;3

私は彼女に云った
「これから長く 私のところに留まって もう姦淫したり
他の男と通じたりしてはならない 
私も貴方にそうしよう」と。

ポルネイアに対して石打などではなく 広い心で赦している

62 :暇人:2007/09/28(金) 07:59:03 ID:UVP83+0c
http://church.ne.jp/kobetouka/yogen25.htm

西神聖書教会の預言者の系譜というページのホセアの項


63 :神も仏も名無しさん:2007/09/28(金) 13:24:09 ID:7WDhHd1Z
http://www.atu.co.jp/uchujin/

64 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/30(日) 07:55:46 ID:eUH+ERkb
うーん。なるほど。。
マタイ書のテーマには、罪人が信仰によって新たに生きるっつー事もあると思うので、
そういう読みもあるのかと(以下省略。



65 :暇人:2007/09/30(日) 13:20:53 ID:mjZyYXol
マタイ書編纂者は 確実にホセア書を意識していますね。

ホセア書5:7 彼らは主を裏切り 他国の男の子を生んだ。

ホセアでは主を離れ、他の神を崇拝することが姦淫だと比喩的に非難する
わけだが、
マタイでは主イエス・キリストを救い主と信じないと、
イエスはポルネイアの子となり
信ずれば聖霊懐胎となるのかもしれないですね

ここまでくると読見込みすぎかもだが

66 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/09/30(日) 14:07:31 ID:eRfTE5/a
逆に、「マリア無原罪」のモチーフって聖書のどこかにあるのでしょうか。

67 :神も仏も名無しさん:2007/09/30(日) 14:24:29 ID:Z6Jpn+RN
まず 「原罪」から疑いな。

68 :暇人:2007/09/30(日) 14:59:32 ID:mjZyYXol
>>66
聖書的根拠はないでしょ

69 :暇人:2007/09/30(日) 15:00:59 ID:mjZyYXol
教父文章に遡っても 第二のイブとか 至潔マリア

70 :暇人:2007/10/27(土) 03:51:55 ID:uw8hYMMX
さてヨセフは夢で御使いからの命令に従い
1.イエスを受け入れ
2.エジプトに去り
3.イスラエルに戻り
お告げを受けて
4.ガリラヤ地方のナザレに導かれたと言う

都合四回 人生の節目の時に 夢を見て それに従う

これはなぜだろうか

71 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/10/29(月) 21:24:53 ID:q64+/n/a
「預言者を通して言われていた事が実現するためであった。」と聖書には書いてありますね。


72 :暇人:2007/10/30(火) 06:34:54 ID:LP/IAkQX
「預言者を通して言われていた事が実現するためであった。」は、
編纂者の視点なのでしょうね

これは読者に何を期待しているのでしょうか?

73 :神も仏も名無しさん:2007/10/30(火) 18:59:55 ID:L3CGdKDW
聖句の解釈 スレットが上がってしまった。
700番台を 目指して 600番台後半を維持してたのに シクシク

74 :暇人:2007/10/30(火) 20:01:54 ID:LP/IAkQX
あら それは残念>>73

このスレは いい感じに下がってきました

75 :暇人:2007/10/30(火) 21:27:05 ID:LP/IAkQX
1:22を私訳すると

そしてこのことの一切は、預言者の働きにより、
主によって云われたことが、満たされるために起こった。

預言者の背後に 主があり、
預言者は主の代弁者にすぎないわけなので
本質的には預言者よりもむしろ
「主によって云われたことが、満たされるために起こった」わけだが

なぜか2:5と2:23は、「主」が省略されている
これは単に「1:22と2:5」「2:15と2:16」という対になっているだけなの
だろうか。。。わからん


76 :暇人:2007/10/30(火) 21:41:51 ID:LP/IAkQX
「1:22と2:5」「2:15と2:16」 ×

「1:22と2:5」「2:15と2:23」 ○

つまり『預言者を通して』が強調されているように思う

そもそもの私の疑問は
ヨセフからしたら夢での御使いのアドバイスに従ったのは
預言成就が目的ではなかったはずである。
ヨセフは必死だったわけだ。必死に困難に立ち向かう中で
祈り、やっと御使いの助言を得れた。必死の思いで助言に従った。
その結果。。。

「満たされるために起こった」の「〜ために」の原語ιναには、
「結果的に〜なるように」というニュアンスすらあります。
とすると

そしてこのことの一切は、預言者の働きにより、
主によって云われたことが、結果的に満たされるよう起こった

うがちすぎだろうか。。。

77 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/10/31(水) 22:47:31 ID:zbpXaESh
一章でヨセフがダビデ王の末裔であると述べられているので、当然預言者たちによって
何が語られてきたかを重々承知していた事を前提として物語が進んでいくんじゃないのかなぅ。
「今から旧約の預言の成就に自分は関わってゆくのだ」って招命というか自覚が
ヨセフにはあったからこそ、自分の夢に出てきた人を主の天使であると判断できた。

こんな風な「読み」はできないっすかね?

78 :暇人:2007/11/01(木) 00:39:51 ID:DYR231EV
一章の系図って ぢつは旧約を凝縮しているのだと思います。

1:17までが旧約。そして1:18でイエスの誕生へと。

今気になっているのは
旧約の夢解きのヨセフと関係はあるのだろうか
まったく無関係なのか。。。

ヨセフに「預言の成就に自分は関わってゆくのだ」という召しがあったら
すごいね ドラマにはなるし わかりやすい

79 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 17:55:01 ID:Xc0ihAST
さげ

80 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 19:42:33 ID:BI4Eks4B
系図の話でひとつ疑問がある。多くの名前を書き連ねたあげく、
マリアが聖霊で身ごもったなら系図の意味が消えてしまうように思うけど?
せっかく追いかけても、ヨセフの血はイエスに流れていないわけだから、
イエスはダビデにつながらないし、アブラハムにもつながらない。

81 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 20:03:02 ID:BI4Eks4B
イエスによって旧約の預言が成就した? 
こういう話はユダヤ教もイスラム教も当然認めないでしょう。
 
イエスのよさは預言の成就とは無関係であり、
預言の成就に関する記述は不要ではないでしょうか。
読んでいて記述者の作為を感じる。

82 :暇人:2007/11/01(木) 20:37:52 ID:DYR231EV
ヨセフがマリアと御子を我が子と受け入れた時点での御子は

「救い主」なわけだが、ヨセフの系図を継承するのだと思うよ

血云々は現代人感覚だったりして


83 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/11/01(木) 21:15:33 ID:5dx23tr4
>>81
>イエスによって旧約の預言が成就した? 

マタイの福音書はそれを述べるために書かれたもんなんじゃないのかな?
旧約聖書の預言が成就し律法がイエスキリストによって完成されたと
マタイさんは言いたいのだと思いますよ。

84 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 21:39:48 ID:d4DqHscn
>>82
日本でも系図が重視される時代があった。
当時のユダヤ社会も同じであり、マタイは冒頭でイエスの正統性を証明した。
古い時代、血のつながりが重視されたことは確かでしょう。
タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻の場合は血のつながりがある。
 
なぜ系図? 旧約の預言が成就されたことを証明するためでしょう?
きちんと追いかければ、まるっきり成就していない。福音書の冒頭から違う。
ユダヤ教がイエスを認めないのもわかるような気がする。
ヨセフがマリアを受け入れてつながる・・・これのほうが現代的に思う。

85 :暇人:2007/11/01(木) 21:49:09 ID:3QzbYobA
でもさ初期キリスト教徒に一番人気があったのはマタイなんですよ
だから福音書の冒頭にきました。

ただ確かに「ヨセフがマリアを受け入れてつながる」は現代的なのかもね

最初期のクリスチャンはマタイをどう読んだのだろうね
ヨハネと「血がつながってないぢゃん」と読んだのだろうか

86 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 21:58:19 ID:d4DqHscn
>>83
預言の成就よって、イエスがキリストであることが証明された。
それはイエスがキリストであることの証拠のひとつでは?
キリストとしての働きは、キリストであることの証明とは別に、
言葉の霊・イエスが語り、教えたことのなかにある。
 
そうは言っても聖書は今のままでいいし、
あとは各人がどこをどう読むかということではないかと思う。

87 :神も仏も名無しさん:2007/11/01(木) 22:08:11 ID:d4DqHscn
>>85
マタイは何回か読んだけど、系図は毎回スルーでしたね。
巻物の時代、庶民には縁のない部分だったことはまちがいないでしょう。

88 :暇人:2007/11/02(金) 08:12:37 ID:UTlp+6sO
でも歴代誌なんかと 重なる部分あるし
庶民に旧約を語るとき 系図を元に語ることはあったんぢゃないかなー

どなんだろ

89 :神も仏も名無しさん:2007/11/02(金) 18:29:42 ID:FHCNOPMV
>>88
イエスがそこにいて、何かを語り始めるとしたら、
系図ではなく教えの核心、「山上の説教」ではないだろうか。
でも系図が不要ということではなく、
マタイが視野にいれていた人々がいて、そのための系図かとは思う。。
 
この話はこのぐらいにしましょう。先に進んでください。
まだまだこれから、興味深い論点が次々に控えているので楽しみです。

90 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/11/02(金) 22:01:09 ID:ZlubLJYo
いよいよ洗礼者ヨハネさんの話しに進むのかぁ。

91 :暇人:2007/11/04(日) 00:36:40 ID:kAXFlvZ9
ドボンのヨハネは、野生的ファッションで
民衆を一人一人
「いっぺん 死ぬ!」とヨルダン川に叩き込み、溺れさし
「ぎゃあー しぬぅー たすけてぇー」となった瞬間、
川からひきあげたわけですね
「ふぅー 助かったぁー 生き返った 生まれ変わったぞー」と

しかしこの生まれ変わりの儀式に
パリサイ人と佐渡の海ではなかったサドカイ人がやってきたら
「蝮の子たちよ 誰が てめぇーらに 来ようとする怒りから
逃れることを示しだぁ バカモン!」と突き放し、更に
「俺たちの父はアブラハムを持っているなんて思うなよ
神はね、ここに転がる石ころからもアブラハムの子らを起こせるんだぞ」と

92 :暇人:2007/11/04(日) 00:39:38 ID:kAXFlvZ9
イエスはヨハネと血縁がないわけだが
石ころからすら アブラハムの子を起こせる神は、
血縁なんか無くても イエスをアブラハムの子として起こしたのだと
マタイ編纂者は考えていたのではないだろうか。

パリサイや佐渡の海が「蝮の子ら」と云われたのは ぢつは
パリサイや佐渡の海がイエスやマタイグループに対して「蝮の子」と
云ってたのかもしれないと 根拠無く思った

93 :神も仏も名無しさん:2007/11/04(日) 18:49:32 ID:5faUGolr
>>92
>イエスはヨハネと血縁がないわけだが
>石ころからすら アブラハムの子を起こせる神は、
>血縁なんか無くても イエスをアブラハムの子として起こしたのだと
>マタイ編纂者は考えていたのではないだろうか。
 
同意。こういう考えで、系図が書かれたように思う。

94 :神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 22:15:42 ID:BqEJ/fcO
ん?

95 :神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 22:26:16 ID:VryUrmbg
イエスの系図にアブラハムを登場させたのは、イエスがダビデ王家の末裔であったというだけでなく、彼がユダヤ人の太古の歴史に遡る人物であったということを強調するためです。
ユダヤ人の間では、口伝律法の伝承の関係で、アブラハムまで遡る系統が重要視されていました。
それは、ダビデ王朝の復興を願う思想とは、異なります。

イエスを、アブラハムの系統(ダビデの系統ではない)の只中に配置するということは、イエスが「律法の伝統の授与者」であることを意味したのです。
これは、「ダビデの末裔」という設定とは、大きく異なります。
マタイの作者は、イエスを「ユダヤの律法の教師」、「律法の権威者」として描こうとしているのです。
それはマタイ書の内容からも十分推察されます。

96 :暇人:2007/11/09(金) 22:37:23 ID:NEr42E+V
>イエスを「ユダヤの律法の教師」、「律法の権威者」

説得力あるのですが

一つ疑問は ダビデの子であり アブラハムの子であると
マタイはダビデ系統をアブラハム系統の中の正系に位置づけているように
思いますが。。。

97 :神も仏も名無しさん:2007/11/09(金) 23:14:41 ID:VryUrmbg
>>96
それはすでに、ユダヤ人の間で、ダビデの家系とアブラハムを結び付ける方法があったからでしょう?
マルコは、ダビデの末裔としてのイエスにしか関心がなく、アブラハムの系図は必要としなかったが、
マタイはその伝統を継承しつつも、それからさらに線を延長させてアブラハムにまで遡らせる必要があった。
それはマタイ自身の、律法の教師としてのイエスへの関心を動機としていた。
マタイがマルコをかなり意識していた、と考えることは可能である。


98 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/11/09(金) 23:43:44 ID:nR4AdBX2
まだ系図やってんのかよ。ww

99 :暇人:2007/11/11(日) 09:10:15 ID:wiu5TGDQ
旧約の歴代誌などもダビデはアブラハムの系統なので
ユダヤ人の間では当然のことだったのでしょう。
またルカにもマタイと平行箇所があるので、これはQ資料に遡る
古い伝承なんでしょうね。

マタイの表題は
「ダビデの子、アブラハムの子、救世主イエスの生まれについての書」ですので
最初から最後まで系図は続くと思います(笑)

それと「まだ…」と呆れられて 再確認したのですが、
マルコでさえ『ダビデの子』だと『メシア』なわけです。
福音書は、『イエスというメシアの物語』なわけです。

歴史にぽっとメシアイエスが生まれたのではなくて
アブラハムと神以来連綿と続く歴史が『成就』して
救世主イエスがお生まれになり活動され、
十字架で我々の罪を身代わりされ、信じるものを赦した、と。
これを信じる者は宣べ伝えよ、と。こういう筋があるのではないかと

系図をバカにする者は、神の人類に対する脈々と続く働きかけを
バカにしているのではないか、と。。
系図をうざいと馬鹿にして無視しつづけてた私はそう思いまする

100 :神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 03:46:03 ID:DoCxo68J
メシアの概念の発展史は議論が多い。
イエス(史的イエスではなく、キリスト教徒たちが妄想したイエス)をその文脈の中にどう置くかで、
福音書やパウロ書簡の中のイエス=キリスト理解も変わってくるだろう。

101 :キュロス  ◆rD08MNkvxw :2007/11/12(月) 19:00:53 ID:u68O2v7+
マタイ福音書 1章6節
>エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、

イザヤ 11章1節
> エッサイの株からひとつの芽が萌えいで/その根からひとつの若枝が育ち

2サムエル記 11章27節
>喪が明けると、ダビデは人をやって彼女を王宮に引き取り、妻にした。彼女は男の子を産んだ。ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。

まあ これの解釈なんだろうね。

面白いことを見つけた

2サムエル 12章24〜25節
>ダビデは妻バト・シェバを慰め、彼女のところに行って床を共にした。バト・シェバは男の子を産み、
>ダビデはその子をソロモンと名付けた。主はその子を愛され、
>預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。

ソロモンは ダビデとウリヤの妻との間の 第一子ではないんだね。

2サムエル記  12章15節
>ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。

この主が撃たれたウリヤの産んだ子は ダビデとウリヤの妻との間の子ではない可能性があるね。
ウリヤが死んでから産まれた子は 間違いのないダビデの子孫なんだね。

102 :神も仏も名無しさん:2007/11/12(月) 19:06:41 ID:DoCxo68J
イエスに対する「ダビデの末裔」としての期待は、当時のユダヤ人の間でのダビデ観やソロモン観と照らす必要があるでしょう。
>>101は現代風の聖書釈義であり、それが1世紀のユダヤ人の間でどうであったかは分かりません。
要するに、ユダヤ人にとっては、ダビデとソロモンという栄華が、自分たちの過去の遺産であれば良いのです。
史実としてのダビデやソロモン、また「サムエル記」が、どこまで信憑性があるかどうかは分かりません。

103 :暇人:2007/11/13(火) 23:33:43 ID:qvk+41/E
どー考えても ウリヤがかわいそーだ。。。

104 :暇人:2007/11/13(火) 23:34:38 ID:qvk+41/E
もしかして マタイは ヨセフにウリヤを見たと言うことなのだろうか

105 :神も仏も名無しさん:2007/11/14(水) 01:49:45 ID:qkdlWgND
>>104
それはないだろう。
現代的な想像と解釈ならいかようにでもできるが、それを文書の中に跡付けることができなければ意味がない。
マタイが、ヨセフとウリヤを重ねて系図を載せたというのならば、その根拠をマタイ書の中に見出さねばならない。


106 :暇人:2007/11/14(水) 07:24:35 ID:Q+4iQgFh
そのとおりですね>その根拠をマタイ書の中に見出さねばならない

1.そもそも「ウリヤ」の名をマタイの系図の中で出す必然性がない。
2.バト・シェバによって と書けばよいところを「ウリヤの妻」と書いた。
3.これは、ダビデが「ウリヤの妻」を奪った、つまり「ポルネイア」と書いた
4.このダビデが犯した「ポルネイア」が、ダビデの末ヨセフがされる形で実現する

こじつけすぎか。。。

107 :キュロス  ◆rD08MNkvxw :2007/11/14(水) 19:01:30 ID:w6fo8Jpt
マタイ福音書の記述者が想定している聴衆を決めないとまずい。

サムエル記下 7章以下のナタン預言程度は知っていることを想定しているでしょうね。
サムエル記下 7章12節
> あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、
>あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。

ただし エレミヤ書の ナタン預言の撤回は知っているでしょうか?
エレミヤ 36章30節
>それゆえ、主はユダの王ヨヤキムについてこう言われる。彼の子孫には、ダビデの王座につく者がなくなる。
>ヨヤキムの死体は投げ出されて、昼は炎熱に、夜は霜にさらされる。

108 :暇人:2007/11/17(土) 10:23:29 ID:OS6LSJgw
12月号は 映画マリアに連動して

クリスマス特別企画「キリストはこうして生まれた」記事だそうです

系図に秘められたメシアの到来
それは数百年前から預言されていた
東方の博士たちはなぜ来たのか
身重の女性を連れた長旅のなぜ?
貧しい馬小屋に込められた深い意味
誕生の地はどうしてベツレヘムか
大帝国の権力の狭間でうごめく闇ほか

109 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/11/22(木) 22:17:29 ID:xH7cLkGt
某スレで「イエスはCコース」って書いてあった。
教団の試験にあたるのが洗礼者ヨハネから受けた洗礼って事なのだろうか。

110 :暇人:2007/11/22(木) 23:31:27 ID:O/8m0kwV
ドボンされただけで 先生と呼ばれてましたからね

一説にはイエスはラビとしての修学をされていたというのもあるけど
どなんだろうか

111 :キュロス  ◆rD08MNkvxw :2007/11/23(金) 13:54:24 ID:3QjY5qK7
「イエスと放蕩息子」 ケネス・E・ベイリー によると
イエス時代のガリラヤには「ハベル」と言う 学習熱心な集団がいたらしいね。
この組織は 余暇の時間を使って トーラ等の研究をしていたようです。

E・ローゼは 「イエスが弟子達やその他の人達からラビと呼ばれるとき
それは彼が律法学者のようにふるまっていたことを示しいる」といっている

まあ 大工は数学的知識が必要な職業だし
ダヴィッド・ファーサルは イエスが「素朴で愛想の善い、単純な手仕事職人という
一般的な牧歌的イエス観」を 否定している。

112 :暇人:2007/11/23(金) 18:51:38 ID:chikDxup
当時の大工はインテリだったということ?

インテリアデザイナーとか一級建築士みたいなかんじ?

113 :キュロス  ◆rD08MNkvxw :2007/11/23(金) 22:01:55 ID:BJ7cXF73
ダヴィッド・ファーサルは ユダヤ人らしいね。

この時代のユダヤ教の学習集団についての資料は 殆どがラビ伝承なんだね。
だから 自画自賛の傾向が有り信用できないと言っている 2chに出入りしている
聖書オタクも居るようだね。

114 :暇人:2007/11/24(土) 02:46:05 ID:vvNA123h
2000年前の話だしねー

日本なんて文献資料などなく 考古学の世界だ

115 :サンチャゴ ◆LjoCgW7m92 :2007/11/24(土) 06:44:23 ID:6UCSYaaT
家を建てる時は大工さんに頼む、っつー習慣があった頃の日本では、大工はインテリ
だったんじゃないのかな。
打ちあわせして設計して、下職に発注して金の面倒を見る。
ハウスメーカーとかパワービルダーが跋扈する以前は大工さん中心でしたよ。

今でも職人の労働組合の役員はほとんど大工っす。

116 :暇人:2007/11/26(月) 00:34:57 ID:pbmJkYII
なるほど

117 :神も仏も名無しさん:2007/12/02(日) 17:55:28 ID:Sc2wBRyN
横スレ失礼、聖徳太子は大工さんに信仰されていたようですね

118 :暇人:2007/12/04(火) 00:47:47 ID:vvPR2/ta
親鸞も太子信仰してたよ 聖徳太子信仰というのは庶民に広がってたみたい

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