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阿含宗という宗教128

1 :口下手番長128:2007/09/05(水) 12:39:12 ID:64EHOOIv
このスレッドは阿含宗批判が目的です。
霊感商法、霊視商法をするカルト宗教・阿含宗の宗教詐欺を世に知らしめるためのス レッドです。
初めての方のためのダイジェスト版は
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3 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 13:01:52 ID:LEyjtwCq
スレ127
>624 :現役信者です:2007/09/05(水) 03:53:12 ID:Y3jRdr94
>今までの管長様のお言葉が、仮に「全て嘘」だとすれば、
>さすがに神仏の罰が当たりそうなものですが、

あなたのこの罰が当たるという考えと
三福道で御利益をもらうという考えが表裏一体だと気が付いていますか。
両者は紙の裏表のようなものです。
神仏があなたに点数をつけて賞罰を下すと信じている。
金と人を貢げば、因縁切りや御利益をくれて、それを怠ると、
何もしてくれないばかりか、機嫌を損ねて、罰を受ける。
御利益を信じるのも、罰を信じるのも同じことです。
そして、そのどちらも釈尊の説いた仏教とはかけ離れている。
三福道なんて御利益信仰を信じているかぎり、
必ず、その裏面である神仏の罰も信じてしまい、抜けられない。
因縁や霊障も罰の一つだと気が付いていますか。
神仏に供養すればこれらを取り払ってくれるということは、
彼らの言うことを聞けば罰を取り払ってくれるというのと同じです。
アゴン宗は賞罰、つまりアメとムチで人々を支配する原始宗教にすぎない。
そして、釈尊はこういう信仰を批判し、否定した人です。

4 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 13:06:51 ID:LEyjtwCq
ダンマパダ、『真理のことば・感興のことば』中村元
「165.みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない」

これが釈尊の考えです。
釈尊が賞罰を決めるのではなく、自分が賞罰を決めている。
桐山さんのように、釈尊や阿含経を使い嘘をつき続けたとしても、
釈尊はなにもしない。
彼の言葉をみてください。
「各自のことがらである」
あなたは何か祈れば、釈尊という如来が感応してくれると信じている。
そういう考え自体が、仏教ではないのです。
釈尊が死んだ後どうなったか、今どうしているかは「無記」です。
この点を仏教では議論すらしないのです。
ところが、桐山さんは釈尊は仏界とやらにいて、焚き火に祈れば
出張して力を貸してくれると説いている。
だが、こういう考えは仏教ではありません。
釈尊が今どうなっているかは「無記」なのだから、わからない。
だから、大乗仏教では、仏頂面の釈尊を無視して、
頼めば応えてくれる菩薩の大量生産に踏み切ったのです。
ついでに、明王クラスになると信者を慈悲でぶん殴ることもある。
つまり、あなたがイメージするような賞罰を加える神仏を生み出した。
だが、それは釈尊ではない。
釈尊は我々に関わることはありません。
それは彼の遺言を見ればわかる。

5 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 13:12:55 ID:LEyjtwCq
「汝らを捨てて、わたくしは行くであろう」(『ブッダ最後の旅』97頁)

直弟子すら「捨てられた」。
ましてや後世の我々など、釈尊が何かしてくれるなどありえない。
捨てるのですから、釈尊は二度と彼らに関わらない。
上記の遺言を残した釈尊が、「供養に応えるぞ」なんて、
自分が禁止した護摩の中に、いまさらノコノコと出てくるはずがない。
どこに行ったのは知らないが、こちらに関わるなんて二度とないのです。
あなたが死にものぐるいで釈尊に問いかけても返事しない。
返事があったら、それは偽釈迦、釈尊をかたる低級霊です。
つまり、アゴン宗に現形した応供の如来とやらは偽仏、低級霊です。
釈尊の態度に「誘うだけ誘っておいて、なんとまあ冷たいオッサンや」と
思わずぼやきたくなる気持ちは、私も俗人だからわかりますが、
そのとおりで、釈尊は日本人がとらえているような情緒的な人ではなく、
真夏の生ビールのようにドライでクールな人です。
もちろん、ただ捨てていくのではなく、
彼の死後どうすればいいのか、ちゃんと遺言してくれている。

6 :神も仏も名無しさん:2007/09/05(水) 13:17:34 ID:LEyjtwCq
「お前たちのためにわたくしが説いた教えとわたくしの制した戒律とが、
わたくしの死後にお前たちの師となるのである。」(『ブッダ最後の旅』155頁)

ごらんように、だれか法力のある坊さんに頼れとか、
骨を本尊として拝めとか、金と人を貢げば、
カルマをブチ切って、御利益満載だなどとはおっしゃっていない。
釈尊の説いた煩悩を断ち切れという教法と戒律こそが師だと言っている。
それを各自が実践するから、「各自のことがらである」なのです。
在家用に五戒を説き、煩悩を断ち切る方法を釈尊は八正道として説いた。
これには出家も在家も、程度の差であって、区別などありません。
桐山さんがオシエにすぎないと唾棄した修行法です。

「そして「道」とは単純に八正道のことであるとしてしまったのです。
これは、とんでもない誤解です」(『アゴンマガジン』10号、18頁)

誤解は桐山ゲイカのほうです。
誤解というよりも曲解、ねじ曲げたと言っても言い。
桐山さんは神通力でカルマを切ることを釈尊が説いたなんて嘘を並べている。
だから、八正道はオシエにすぎないと切り捨てた。
だが、釈尊は八正道こそが教法の根幹であると繰り返し述べている。

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